第46話 ムラマサと少女
雲一つない月天の夜。
見事な真円を描く満月も、しかしこの場においては端役に過ぎない。
見晴らしのいい草原に不自然に用意された椅子とテーブル。
並べられたティーセットを使い、静かに紅茶を楽しむ人影が一つ。
それは雪の化身としか表現できない姿だった。
光源の乏しい草原を、自らが照らすとばかりに眩しい白。
病的なほどに白い、雪のような肌。氷細工のように光を放つ銀の髪。
純白のドレスを纏った姿は、上から下まで白一色。
その全てを際立たせる類まれな美貌。
――唯一、その右目を覆う白い眼帯だけがその美しさに影を差してはいたが、まだ成長途中でありながら、この先どうあろうともその美貌が確約されていると信じさせる、絶世の美少女だった。
ティーカップにそっと口づける所作すら、少女が行えば名画を切り取ったように美しい。
この空間だけは、初雪のように穢れのない純白の世界だった。
「素敵な夜ですね」
そう呟いたその声もまた、当然のように美しかった。
その声は独り言ではなく、一人の男に向けてかけられたものだった。
「酒もねえのに月見なんかして面白えもんかね」
周囲の探索を終えて戻ってきたその男は、出発の時にはなかったティーセット一式を見て呆れたように笑った。
「椅子と机まで自前ときてる。気合の入れどころ間違ってんだろ」
「もう……情緒がありませんね。ティータイムは淑女の嗜みですもの」
ぷう、と頬を膨らませた少女は、風情を理解しない男に不満を漏らした。
「それで、いかがでしたかムラマサさん」
――ムラマサ。
整えられていないボサボサの赤い頭髪に、常に眠そうなやる気のない眼差し。
服装も極めて軽装で、戦闘を考慮した出で立ちではない。腰に差した一振りの長刀だけが、彼が剣士だと示していた。
――彼こそがムラマサ。
魔族四天王の一人である。
「ったく。面倒な仕事は全部俺だ」
「すみません。ですがわたくしでは……」
「わーってるよ、俺が適任だってのはな。仕事はやるよ」
ふああ、と大欠伸をかましたムラマサは、そのまま懐から取り出したイカゲソを噛み始めた。
「とりあえず、地図の通りこの辺りが分岐路らしい。東へ行けばハシュール。北はバラディアに着く」
「まあ! ではやはりわたくしの道案内は正しかったのですね!」
嬉しそうに笑う少女。
「随分なげえ旅になっちまったがな」
「むぅ……。意地悪です、ムラマサさん」
ムラマサの言葉には理由がある。
実はこの少女、相当な方向音痴なのである。
ムラマサとの二人旅が始まったのが少し前の話。
ハシュールへの道を知っていると豪語した少女ではあったが、蓋を開ければ度々道を間違えた。
しかもかなり天然ボケなところがあり、危機感というものも欠落しているため幾度となく危険な目に遭った。
散々遠回りをさせられ、結局予定よりもかなり遅れた到着となってしまった。
それだけならまだよかった。
危険など、四天王の一人であるムラマサが随行している以上皆無といっていい。
それよりも問題は別のところにあった。
「さて、こっからどうするよ。奴さんはもうハシュールにはいないんだったか?」
「おそらく。やはり人間領まで来ると強く感じますね。彼女は今バラディアに向かっているようです」
「ってことは、そのままルドワイアに向かうだろうな」
彼らの目的は、とある吸血鬼の抹殺だ。
新たな魔王が生まれたらまず四天王を選別するところから始めるのが通例だ。
今回はあまりにもイレギュラーな王位継承だったためにかなり後回しにされてしまったが、その通説に倣って魔王は四天王を選定しようとした。
そして魔王城を騒然とさせた『四天王選定済み事件』が巻き起こった。
本来選ばれた者のみが持つことを許される四天王の盟約を、どこの馬の骨とも知れない吸血鬼ごときが有しているというのはあまりにも異常事態。由々しき事件だ。
この問題を解決すべく、二人ははるばる人間領まで足を運んだのだった。
「とはいえ、ハシュールに寄らないわけにもいかないしな」
少女によれば、吸血鬼は現在バラディア国へ向かっているとのこと。
それはかなり信用できる情報ではあるが、一方で別の信頼すべき情報もある。
吸血鬼はつい最近までハシュールのとある交易都市付近に居を構えていた。
かつて魔王が吸血鬼に血を与えたのもその場所で間違いないということで、二人は当初そこを目指していた。
しかしつい先日、吸血鬼が突然ハシュールを離れバラディアに向かったと少女から聞かされた。
困惑したムラマサだが、では俺達もバラディアに向かおう、と簡単にはいかなかった。
それには様々な理由があるが、とにかく事は急を要する。
仕方なく、二人はハシュールとバラディアの両方を調べる必要がある。少女の探知ではバラディアが濃厚だが、同様にハシュールも無視できる場所ではない。
「じゃあ手筈通り、俺がハシュール。お前がバラディアだ」
「はい、承知いたしました」
「……ほんとに大丈夫なんだろうな」
「もう、心配性ですねムラマサさんは」
「俺が心配性……ねえ。魔人の中でも相当ズボラな性格だと思ってたんだが、お前見ちまうとなあ……」
与えられた仕事はしっかりとこなすが、それ以外の部分が致命的に不真面目だと魔王に苦情が来るほどムラマサの性格は魔族の間でも問題視されていたのだが、この少女を相手にするとそんなムラマサですら過保護にならざるを得ない。
「じゃ、ちょっくら行ってくるわ。くれぐれも……」
「分かってますよ。寄り道、回り道、一切なし、ですよね?」
「……頼むぜマジで。俺だって一応四天王の端くれだ。お前に怪我させるわけにはいかねえんだからよ」
「あら、おかしなことを仰いますねムラマサさん」
少女は妖精のようにゆったりと微笑んだ。
だがその笑みの中には、はっきりと獰猛な魔人の力が宿っていた。
「誰かに後れを取るとでも? ――このわたくしが」
そう言われてしまうと、ムラマサもそれ以上追及できないのが実際のところだった。
「――オーケー。じゃあ行動開始だ。どっちが吸血鬼を見つけても、その場で始末していいんだったな」
「ええ、その通りです」
当然のように頷く少女。
噂では吸血鬼はS-70程度の力になっているらしいが、まるで問題はない。
その程度の魔物など、この二人にとっては赤子も同然だ。
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