第13話 散歩に来てると思えばマシか


 その夜パンダは本当にフィーネの部屋には戻らなかった。

 それが喉に引っかかった小骨のようにどうにも気になり、その晩フィーネは眠りにつけなかった。


 仕方なく窓の隙間から朝日が差し込んできたタイミングで部屋を出た。

 一階に降りるとパンダはテーブルにティーセットを並べて紅茶を飲んでいた。

 話を聞くと既に別部屋をとったらしく、今日からそこで寝るらしい。


 またよからぬことでも企てているのかと勘ぐったが、どうもそういうことではないらしい。釈然としないままではあったが、ひとまずパンダと一緒に朝食を済ませることにした。

 今日はロニーパーティで初めて国営ダンジョンに潜ることになっている。






 国営ダンジョンへ潜るための準備は滞りなく進んだ。

 トリスは家で作れるだけ薬を作成した。

 この作業自体は昨夜から行っていたらしく、ポーションなど定番の回復薬に加え、一通りの状態異常を治せる様々な種類の薬や、一時的に身体能力を向上させたり、疲労を回復する薬などを用意してきた。


 それ以外にも、魔物を誘う、あるいは魔物が嫌う匂いを放つ薬や、長時間光を放つことで道しるべの代わりにできる液体などを、リュックがパンパンになるほど持ってきていた。


 薬と聞いてポーションのような回復薬ばかりを想像していたパンダはそれらの薬に興味津々だった。


 一晩でこれほど用意したのかと尋ねられると、どうも昨日エリクサーを作成したことで父エドガーの薬師魂が燃えてしまったらしく、トリスの調合を手伝う片手間にあれよあれよといくつもの薬を作成してしまったらしい。


 市販されているものも多いが、全て揃えるとかなりの出費になる。

 それを簡単に用意できてしまうのは薬師の専売特許。ダンジョンを攻略する上で様々な状況に備えられるのは、まさに薬師の真骨頂とも言えた。




 トリスが薬の調合にいそしんでいる間、他の三人は装備の調整を行うことになった。

 といっても揃えるのはパンダの防具だ。

 虹陽草の報酬は結局四等分されたが、それでもパンダの装備を整える分くらいはどうにか捻出できそうだった。


 が、ロニーにとって意外だったのは、パンダには装備の良し悪しを見抜く能力が著しく低かったことだ。

 正確には、パンダが要求する装備のレベルが高すぎて、リビア町ではとてもではないが手に入るようなものではなかった。

 

 一月前まで魔王の座にいたパンダの周りは、超一級品の武具で溢れかえっていた。

 魔王城にはそれこそ伝説級の武具が有り余っており、二年前に返り討ちにした勇者が持っていた、神々の武器とされる『神器』も、宝物庫の中にポーンとおいてある。


 そんなパンダからしてみれば駆け出し冒険者の町とされるリビアで売られている武器などどれもナマクラで、防具も紙きれ同然だった。


 ロニーは根気強く、二つの武具の性能の違いを説明し続けたが、大した違いとも思えず、それよりもそんな些細な違いだけで値段がこれほどに違うのかという点に文句をつけていた。

 それなら安い方を買って余った金でステーキを食べようと言い出したパンダをフィーネが引っぱたき、そこからまた装備のグレードによる生存率の違いを説明するくだりが始まった。


 結局パンダは見た目が好みな防具で身を固めた。性能の面ではもっと別の選択肢もあったが、これ以上言っても聞かないだろうとロニーは諦めて納得することにした。

 全ての武具を装備したパンダは、昨日までのボロ布のような服から一転して冒険者っぽくはなっていた。


 武器は引き続きロニーの短剣を借りることにした。これについては反対意見を述べる者はいなかった。

 あの短剣はロニーの本来の適正狩場でも通用する武器だ。リビア町でこれ以上の武器はおそらく手に入らないだろう。






 全ての準備が整い、一行はリビア町を出た。

 国営ダンジョンは、エルフの森からリビア町を挟んでちょうど反対側にある森だ。

 エルフの森ほどではないがそれなりに広大な森林地帯が、標高八○メートル程度の山を中心に広がっている。


 ハシュール国といえばとにかく森だ。

 山に囲まれた領地のそこら中に森があり、その森に更に囲まれるようにしてリビア町がある。

 その一つを国営ダンジョンとして運用しようというのは、至極当然の成り行きだった。


「ダンジョンって言うくらいだから囲いでもあるものかと思ってたけど、普通の森と変わらないのね。すんなり入れたし」

 パンダは森に入ってからしきりにキョロキョロとしていたが、すぐに興味を失ってしまったようだった。

 国営と銘打つわりに入口などはなく、どこからでも森に侵入可能だったのも、パンダの予想と大きく違っていた。


「そういう国営ダンジョンもあるけどな。リビアのはなるだけ自然なままで運用したいそうだ」

「国営ダンジョンっていうのも、世界共通で使われてる名前ってだけだしね。ここは単に国が管理している、魔物が多く生息するだけの森だと思えばいいわ」


 リビアの国営ダンジョンは世界で最も難易度が低い。

 生息する魔物のほとんどは適正レベル5程度。フォレストウルフでも平均的な強さと言える。


 適正レベルが10を超えるような魔物は、定期的に国から派遣された兵団などに間引かれている。それこそレベルの高い冒険者に依頼がくるほどだ。

 徹底して初心者でも無理なく探索できるように管理運営されている。


「ひとまずチェックポイントへ向かうぞ」

 ロニーが先導し、一行は森の中を進みだした。






 エルフの森と国営ダンジョンの森の決定的な違いは、道が整備されていることだと言っても過言ではない。

 エルフの森は確かに視界が広く日差しもよく差し込むという意味で進みやすかったが、国営ダンジョンはそれにも増して移動が容易だった。


 馬車が軽く通れるほどの道がずっと続いており、基本的にこの道を辿ればチェックポイントへと辿り着けるようになっている。


 チェックポイントというのは、国営ダンジョン内に点在する休憩地点のことだ。

 簡易的な宿や商店があり、常駐する兵士や神官がいる。実質的な安全地帯だ。

 探索を中断して休憩したり、ダンジョン内で冒険者に危機が訪れた際にはここから兵士が駆り出されたりもする。


 チェックポイントはこのダンジョン内に計三箇所ある。その内の一つを目指してパンダ達は歩き続けた。

 道中には丁寧に立札まで立ててあり、チェックポイントまでの距離と方角が記されている。


 そうして一キロほど進むと、確かにチェックポイントに到達できた。

 一気に森が開け、多数の人間の喧噪が聞こえてくるようになった。

 四方を二○○メートルほど森を切り抜き、周囲を堅牢な鉄柵で囲っている。

 中にはいくつものテントが設置され、多くの冒険者たちが集まっていた。


「着いたね。これからどうするの?」

 トリスが尋ねる。

 パンダとトリスはこのダンジョンは未経験だ。進行の手順などは知らない。


「適当に歩いて出会った端から魔物を倒していけばいいんじゃないの?」

「あながち間違ってないな」

 パンダの意見を肯定するロニー。


 ダンジョンの進み方は国によって個性が大きく出るが、このダンジョンはかなり自由度が高いことでも有名である。

「基本的に、このダンジョンはレベリングには向かない。魂を多く持つ強い個体は間引かれていることが多いからだ。このダンジョンで効率よく上げられるレベルも10前後だと言われてる」

「このダンジョンは駆け出し冒険者が、ダンジョンの探索とかサバイバルの感覚を掴むことを主目的にしてるわ。で、最終的にレベルが10になれば素人卒業っていう感じね」


 既にこのダンジョンで数カ月を過ごした経験のあるロニーとフィーネは、このダンジョンの勝手を熟知している。

 二人の言う通り、周囲の冒険者たちは入手した戦利品を確認したり、魔物の身体の一部を換金所に引き渡したりと、純粋なレベリングだけではなくダンジョン攻略の手順をしっかりと踏襲している。


「でも私たちの目的はレベリングだから、そういうまどろっこしいのは抜きよ。パンダの言う通り、出会った魔物を片っ端から狩っていく。戦利品は……まあほどほどに回収するくらいでいいわ。どうせここの魔物の換金率なんて高が知れてる。時間がもったいないわ」

「慣れてきたら、少しずつ奥に潜っていって、最終的には一番奥でレベル上げをするつもりだ」


 今一行がいるのは、ダンジョンで最も浅いチェックポイントだ。

 奥に行くほど魔物の強さは増していく。これも、駆け出し冒険者と強い個体との遭遇を極力なくすための配慮だ。


 国営ダンジョンの奥地は魔物によって生活しやすい環境が、国によって整えられている。

 そうすることで自然と魔物は奥へと集結し、最終的には縄張り争いで勝利した強い個体によって弱者は排斥される。

 最奥部で安定して狩りができるようになれば、リビアの国営ダンジョンは卒業時期だ。


「このパーティで一番レベルが低いのはパンダだから、パンダのレベルを基準に進もう。まずはパンダがレベル3になるまでは第一チェックポイント……つまりこの周辺でレベリングをする。4からは第二チェックポイント付近でレベリングだ」

「そこで8から9くらいまで上げたら、第三チェックポイントね」

 フィーネの言葉にロニーが首を横に振る。


「パンダなら6でいいだろう」

「……早すぎない?」

「いや、パンダはレベルこそ低いが既に戦闘経験はあるし、腕も確かだ。ただでさえ俺たちがいるんだ、6でも遅いくらいだ」

「……」


 第一チェックポイントでレベル3まで。第二チェックポイントでレベル8まで。以降は第三チェックポイントで狩りを行うのが、このダンジョンの最もポピュラーなやり方だ。

 リスク管理と効率が最も高い水準で発揮できるとされている。


 だが今回はロニーとフィーネという、適正レベルを大きく超えた冒険者が二人もいるため、もっとシビアに攻め込んでも問題はないとロニーは判断したのだろう。

 なにより、パンダの戦闘能力を考えればこれでも慎重すぎるくらいだし、元から大幅にリスクを排除できているのがパワーレベリングのメリットだ。

 ここで慎重になりすぎるのはあまりに非効率だ。


「なんでもいいわ、早く行きましょ。私の剣が血に飢えて仕方ないの」

「俺の短剣だぞ」

「ふふ、楽しみね。また自分の性能をフル稼働させられるかと思うとワクワクするわぁ」

 パンダは青の短剣を指でクルクルと弄びながら待ちきれないとばかりに笑みを浮かべた。






 そんなパンダの期待を裏切り、レベル上げの作業は簡単かつ単調かつ退屈極まりないものだった。


 レベルを上げるというのは、魂を採集するということだ。

 魂は入れ物である肉体が死亡すると生命エネルギーへと変換され、大気中に霧散していく。

 しかし周囲に魂がある場合、大気中の生命エネルギーはその魂に引き寄せられ、やがて同化する。これにより魂の密度が増すことになる。

 これが大まかなレベリングの仕組みだ。


 魂が複数存在する――つまり、複数人のパーティで魔物を討伐した場合は、その場にいる者全員に生命エネルギーはいきわたる。

 距離は魂が生命エネルギーへと変化した座標からおよそ半径二○メートル以内が目安とされ、生命エネルギーの大きさに比例して範囲は拡大する。


 より中心に近いほど多くの生命エネルギーを獲得できるという話もあるが、意識するほどの差ではなく、おおよそ均等に生命エネルギーは分配される。

 そのためロニーとフィーネの後ろをついていき、二人が魔物を倒せば勝手に生命エネルギーが獲得できる。


 なのでパンダもトリスも二人の後ろをとことこ着いていくだけで事足りた。

 このダンジョンに生息する全ての魔物を二人は軽く凌駕している。

 少数が相手であればロニー一人で全ての問題は解決するし、また敵が多数出現した場合も、フィーネの黒魔法がひとたび放たれればそれで戦闘は終了する。

 ロニーとフィーネの連携は基本に忠実ながら効果的だった。前衛のロニーが敵の注意を引きつけている間に、フィーネが黒魔法で敵を一掃する。


 結局パンダもトリスも出る幕はなく探索は続いた。

 一度だけ、周囲を多数の敵に囲まれたことがあった。


 その際のパンダの役目は後方でトリスを護ることだ。やっと出番かと思ってみれば、二人の攻撃を逃れてパンダのもとまで辿り着いたのは、一匹の大ネズミだった。

 適正討伐レベルは2。剣で斬るまでもなく、それ、と踏みつぶしてやると死んだ。

 そしてまた数時間、二人の後ろをついて回る時間が始まった。




「――暇あああああああ!!!」

 絶望に満ちた声でパンダが叫んだ。


「ちょっと待って噓でしょ。これをあと一月続けるって? 私を殺す気!?」

「殺すどころか護ってるつもりなんだが」

「もう六時間も潜ってるのに私まだ一度も剣を抜いてないのよ? ロニー、お願いだから交代して。私が前衛に出るわ」

「それパワーレベリングの意味なくなってるじゃない」


「レベリングってこんなに単調な作業なの? 予想以上にキツイのね……」

「パンダも昔はレベリングしたんだろ?」

「どうだったかしら……あんまり覚えてないのよね」


 かつてパンダの父――つまり先代魔王もまた、パンダに過酷なレベリングを強いた。

 物心つく前から始まったレベリングは半年ほども一時も休みなく続けられ、その頃にはパンダにもおぼろげに自我が芽生え始めていた。

 三カ月がかりでレベルを50も上げ、ちょうどパンダが飽き始めたあたりで修行は次の段階へ移った。


 それからはレベリングはあまり行わず、過酷すぎる修行をこなす内に自然とレベルは上昇していった。

 なのでパンダがレベリング作業を辛いと思った時期は実は短かったし、はっきりと覚えていなかった。


「ねえいいでしょ? 次は前衛変わって。おねがぁい」

 疲れたように嘆息するフィーネはロニーを一瞥する。判断をロニーに委ねるようだ。

 効率の面からロニーが前衛を担っているが、まあパンダならば問題ないだろうし、この近辺で出没する魔物ならトリス以外の誰が前衛でも大差ないだろう。


 ロニーが了承すると、やったぁ、とやる気を漲らせるパンダ。

「巣を襲いましょ、巣。根絶やしにしてやるわ」

「巣か……」

 ダンジョンにおける、いわゆる『巣荒らし』はハイリスクハイリターンで知られる探索法だ。


 一度に多くの魔物と遭遇できるため、狩りの効率は一気に高まる。

 また魔物の巣からは貴重なアイテムやその材料となるものが見つかることも多い。当然、その分リスクは大きくなる。


「別に巣を襲うのは構わないけど、そもそも巣を見つけられるの? 闇雲に歩いても見つからないわよ」

「フォレストウルフの巣とかないかしら」

「フォレストウルフは第二チェックポイント付近だな。この辺りで巣を作ってそうな魔物は……」

「あ。皆これ見て」

 トリスが何かに気づき、一本の木に駆け出していった。


 後に続くと、トリスは木の根元を指さした。

「これ、フォレストモールがかじった痕だよ」

 見ると確かに木の根がかじられた痕跡がある。


「フォレストモール?」

「モグラ型の魔物だね。作物とかを食べるんだけど、木の根とかも食べるんだ。基本的に巣から遠くへは行かないはずだから、近くに巣があるんじゃないかな。――ほら、足跡」

 さすが森の子とばかりに、トリスは瞬く間にフォレストモールの痕跡を辿り奥へ進んでいく。


 しばらく歩くとトリスは立ち止まり、一点を指さした。

「――見つけたよ。あれが巣だね」

 地面がわずかにこんもりと盛り上がっている。それが目視できるだけで六つ。

「あれが巣?」

「うん。正確には巣の入り口だね」

「……まさか私に土の中を潜れなんて言わないわよね?」

「あはは、大丈夫だよ、任せて」


 トリスは穴の一つへ近づくと、盛り上がった土をどけた。中には深さ数メートルほどの空洞が広がっている。

 トリスはリュックを降ろして中をゴソゴソと探し、二つの小瓶を取り出した。

 一つは赤の錠剤が詰まった瓶。もう一つは、青の液体が詰まった瓶だった。


「この錠剤にこの液体を振りかけると、フォレストモール達が嫌がる匂いが発生するの」

 言いながらトリスは赤の錠剤を数粒穴の中に落とした。

「そしたらフォレストモール達が穴から外へ飛び出してくるから、出てきた端からやっつけちゃって」

「なにそれ超面白そう! やるやる!」

「あー知ってる、『モグラ叩き』ってやつね」


 青の液体を穴の中に注ぎ込むと、穴を土で塞ぐ。

 すると穴の中から、ぼふん、という音が聞こえたあと、シュワシュワと錠剤が溶ける音が聞こえてきた。


 数秒後には、土の中を何かが転げ回る振動が四人に伝わってきた。

 パンダは六つの穴の中心に立ちながらフォレストモール達の出現を待つ。待ちきれない様子でワクワクしているパンダの姿は、見た目相応の無邪気さに溢れていた。


「――おっと、いけないいけない」


 パンダは急いで


 右目を開けたままでは、どの穴からフォレストモールが出てくるか分かってしまう。それでは台無しもいいところだ。


 パンダの目の前の穴から、苦しそうに緑色のモグラが這い出てきた。

「ほいっ!」

 すぱん、と首を両断する。

「よいしょ!」

 後ろから出てきたフォレストモールを同じように斬首する。

「アッソーレ!」

 そのままテンポよくフォレストモールを駆逐していくパンダ。


 一応陣形的には前衛のパンダが敵の注意を引きつけている間にフィーネが黒魔法の詠唱を行い、敵を一掃するはずなのだが、嬉々としてモグラ叩きを堪能しているパンダを見ているとそんな気も失せてしまった。


 それから一時間ほどもパンダは巣を荒らし続け、ほぼ全てのフォレストモールを駆逐すると、ほっこりした顔で戻ってきた。

「満足したか?」

「ちょっとはね。レベルも上がったわ」


 嬉しそうに報告するパンダ。まだまだやる気に満ちている様子だったが、もう陽も落ち始めたのを見て、ロニーが解散を提案した。


 今日一日を振り返り、ロニーは現状分析を進める。

 ひとまず戦力的には十分国営ダンジョンで活動できるパーティと言える。

 一月でトリスを10レベルにするという目標も、決して不可能ではないだろう。


 当面の問題は、パンダの退屈を紛らわす方法を探し続けなければならないということか。


 本来娯楽とは縁遠いダンジョンで果たしてパンダをなだめ続けられるだろうかと、ロニーは今から頭を悩ませることになった。

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