第144話 『ミサキ』
「――ざっけんなシラヌイてめええええ!!」
キャメルが狂乱しながらクリスタルを踏みつけまくる。
「ざっけん! ざっけん! マジざっけん!!」
「何よそのリズム」
「姐御! シラヌイの奴あたしらを騙しやがったんすよ! あいつクソっすよマジ!」
「何のために騙すのよ。きっとシラヌイも本物の自分がどういう状態で眠ってるか知らなかったのね」
「じゃああの神器っすか? あいつがあたしらを妨害するために!」
「こんな形で迷宮に介入してくるようには見えなかったわ。多分、このクリスタルはもともとこうだったんじゃないかしら。『シラヌイを守る』というインクブルの想いがそのまま形になっていたと考えるのが自然ね」
「じゃあ……どうするんすか? これじゃシラヌイに手が出せないっすよ」
「そうねぇ……」
パンダはクリスタルをコツコツと叩きながら、青の魔眼で魔力的な情報を読み取った。
「迷宮と同じでこれも魔力で作られた物質じゃないわ。ホークの破魔の力は通じないから物理的に破壊するしかない。リュドミラを待ちましょ。一撃の火力が一番高いのはあの子だから」
「あいつでも壊せなかったらどうするんすか?」
「インクブルに破壊させるしかない。このクリスタルはインクブルの想いを反映して作られたもののはずだから、彼が願えば消えるはず。どうやってその気にさせるかは……今考えてる」
「もしそれも無理だったら?」
「――どうしようもないわ。シラヌイを殺す手順を飛ばしてインクブルを殺すしかない。どんな結果に終わるか分からないけど、その時は覚悟を決めて自分の運を試しましょ」
ここまで迷宮のルールに従い、振り回され、やっとゴールに辿り着いたというのに、最後の最後で助かるかどうかは結局運しだい……キャメルは頭を抱えてうずくまった。
「……じゃあリュドミラが来るまではここで待機っすか……?」
「とりあえず魔石は回収しちゃいましょ」
「魔石?」
「ああ、言ってなかったわね。どうやらここが『魔力溜まり』の場所みたいね。私の魔眼ではっきり見えるわ。三〇〇年間おなじ場所に神器が安置されてたわけだから、かなり濃い魔力溜まりができてるわ」
「……でも魔石なんてどこにも」
「あるじゃない、沢山」
周囲を見回したキャメルは、驚愕に目を見開いた。
この部屋にはクリスタル以外何もないと思っていたが、確かにもう一つ存在するものがあった。
それは通路にも存在した、光を放つ石。迷宮内の唯一の光源だ。
パンダの説明ではあの石は魔石ではなく、ただ光を放つだけの石という話だったが……。
「ま、まさかあの石が……?」
「ええ。この部屋にあるあの石は魔石に変化してるわ。神器の魔力を近くで吸い続けたんだもの、濃度五〇〇くらい余裕でいってるでしょうね」
「ウッヒョーーーー!!」
頭をかかえてうずくまっていたことも過去の話。キャメルは地面から飛び起きると一目散に壁に向かって走り出した。
四方の壁にいくつも取り付けられた光る石。それを見回しながらキャメルは興奮を抑えきれなかった。
「これ! これ全部魔石っすか!? 五〇個くらいあるっすよ!?」
「みたいね。後で魔眼で鑑定するわ」
「や、やっべえええええ!! これ全部売ったら億万長者っすよ! 一生遊んで暮らせるっすよ!!」
「全部取らないでよ? 明かりがなくなったら戦えないわ。一箇所からだけじゃなくて満遍なく取ってよね」
「はいっすはいっす! ヒャハハハハーッ! マジサイコーっす! いやぁ~鬼みたいな主人に従って命張ってきた甲斐あったっすよ!」
キャメルは夢中で壁によじ登り、道具を使って魔石を取り外しにかかった。
これだけ過酷な迷宮を攻略しても魔石が手に入るかは分からない。手に入ったとしてもそれはオリヴィアに渡すことになる。そう思っていたキャメルにとって、これは望外な宝の山だった。
これだけあればオリヴィアに魔石をいくつか渡しても十分過ぎるほどの利益が手元に残る。壁から魔石を取り外すだけの単純作業が、人生で最高の仕事となった。
「ん?」
そのとき、パンダはこの部屋に向かってくる足音を聞き取った。
タッタッタ、と駆け足で向かってくる。キャメルは魔石に夢中なようなのでパンダが出迎えることにした。
「――あっ、パンダさん!」
姿を現したのはミサキだった。
ディミトリの姿はない。一人で迷宮を進むのは心細かったのか、パンダを見つけると嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ゴールおめでと~。あなたが三人目よ。飛び入り参加で三位なんてすごいわね!」
グッ、と親指を立ててミサキを歓迎するパンダ。
「三位……とかはよくわからないですけど。私はディミトリさんの糸を追ってきただけなので」
「あれほんとズルいわよね~。でもまあ、不正じゃないし誇っていいわよ!」
「は、はぁ……」
あくまでもこの迷宮をゲーム感覚で楽しむパンダに、ミサキは苦笑を返すしかなかった。
「そ、それよりパンダさん! 実は今ディミトリさんがあの騎士と戦っているんです! でも不意打ちを受けて負傷してしまって劣勢に……!」
「あらそうなの? あんな強力な能力を持ってて不意打ちを受けるなんてドジ踏んだわね」
「助けていただけませんか! あの傷ではディミトリさんもいつまで持つか……」
「うーん……」
正直に言えば、ディミトリにはここで死んでほしいというのが本音だ。
彼はパンダの秘密に迫り過ぎた。理想としては、インクブルを限界まで消耗させた上で死んでくれれば最高だ。
何かうまい具合に断る理由がないものか、と考えるパンダ。
「先ほどホークさんにはお願いして、既に向かっていただいているのですが、あの騎士が相手なら少しでも戦力が欲しくて……」
「……ホークに頼んだの?」
「はい。ホークさんは快諾してくださいました! その際に、ここにいるパンダさんに頼れ、と」
「……はぁ~、まいったわね」
戦略として、それも十分にアリな選択肢だ。
パンダは毛嫌いしたが、とはいえディミトリが張った赤い糸はやはり強力。あれ一本でこの迷宮は一気に難易度が下がる。
リュドミラ達を『空白地帯』に辿り着かせるためにはあの糸が必要だ。それまでディミトリに生きていてもらうというのは悪くない選択といえる。
ディミトリは単騎でインクブルと渡り合う戦力だ。大きなリスクを伴うが、生かしておくに値する魅力はある。
……と、『パンダなら考えるだろう』、とホークは考えたのだろう。
「仕方ないわね……キャメル!」
パンダが声をかけると、壁にへばりついて魔石を取り外していたキャメルが戻ってきた。
「なんすか姐……あ、パンダさん」
ミサキがいることに気付いて口調を変えるキャメル。既にバッグにはいくつもの魔石が放り込まれていた。
「ホークとディミトリとインクブルが戦ってるらしいから加勢に行ってあげて」
「……めっちゃ嫌なんすけど」
「いいからいいから。ねえミサキ。あなたは部屋の隅で隠れててくれる? もうすぐここは戦場になるだろうし危ないから」
「分かりました!」
言われた通りにミサキが奥の角に移動するのを確認し、パンダはキャメルに耳打ちした。
「どの道インクブルにはここまで来てもらわないといけないんだから、ついでにやっちゃいましょ」
「どうやってインクブルをおびき寄せるんすか?」
「ディミトリの近くで使うのは危険だからあまりしたくなかったけど、アレを使うわ。あなたも細心の注意を払ってね」
「……アレ? なんすかアレって」
何のことを言っているのか心当たりがなく聞き返すと、パンダは部屋の奥にあるクリスタルを指さした。
「今インクブルが一番興味を示すものなんて、一つしかないでしょ?」
背後から撃ち込まれた魔弾にも、やはりインクブルは完璧に対応してみせた。
ディミトリに襲い掛かろうとしていたアクションを停止し、背後に目があるかのような正確さで回避。
ディミトリとインクブルの距離が離れ、二人は突然の乱入者であるホークを横目で見遣った。
「アァ……ァ……」
「ホークさん……」
ミサキに頼まれて赤い糸を追ってきたホークは、しばらく進むと二人の元へと辿り着くことができた。
ディミトリの姿を確認したホークは、戦況を確かめることもなくすぐさまインクブルを狙い撃った。
「思ったより手酷くやられているようだな」
不意打ちを受けてディミトリが負傷したという話は聞いていたが、ホークが到着した時にはディミトリは既に瀕死と言えるほどの重傷を負っていた。
右わき腹の切傷は非常に深く、そこから広がった血がディミトリの服をほとんど赤く染めていた。
むしろそんな傷でホークの到着までよく持ち堪えたものだと勝算に値した。
「あの娘に感謝しろ。道中で私に出くわさなければ私はさっさと『空白地帯』まで進んでいただろうからな」
「……まさかホンマに助っ人寄越してくるとは思わんかったわ」
荒く息づきながらディミトリは血を一塊吐き出した。
「まだやれるか?」
「余裕ですわ……ゴホッ! あーくそ……」
「死んでもいいが、この赤い糸は消すなよ」
「ハッ……無茶言いますわ」
軽口を飛ばし合いながら、前後からインクブルを挟む位置に移動する。
インクブルは二人をつぶさに観察しながらも、どちらにも隙を見せずに牽制する。
「――アアアアアアアアアアアア!!」
やがてインクブルは咆哮と共にホークに襲い掛かった。
二体一という状況を覆すべく、どちらかを先に倒すという判断をしたようだ。深手を負って尚、やはりホークよりもディミトリの方が難敵であるとインクブルも感じていたのだろう。
魔弾で迎撃。それに合わせてディミトリも糸を奔らせる。
斧で魔弾を防ぎながら前進。それに合わせてホークも狙いを定めるが、不意にインクブルの上体がぐんと下がる。
魔弾を警戒したのかと思うホークだが、そうではなかった。ホークには見えないだけで、ディミトリの不可視の糸がインクブルの首を斬り飛ばすべく放たれていたのだ。
糸を躱したインクブルはそのまま壁を蹴り上げて跳躍。一気にホークに迫る。
「――」
ホークは赤の銃『レッドスピア』から魔断を発射した。
「――ッ!?」
インクブルの表情が変わる。
廃虚の町でホークの破魔の矢が神器に命中すると、破魔の力の影響で迷宮が崩壊したことをインクブルも覚えていた。
神器で弾くことはせず、腰から直剣を抜き払い魔断を弾く。理性を失っているなどとは信じられないほど正確な動きだが、それはホークにとっては逆に好都合でもある。
ホークにとっても、この魔断は迂闊に放てない危険な代物だ。
パンダの計画ではインクブルの前にシラヌイを殺す必要がある。ここでインクブルに魔断を命中させて殺すわけにはいかない。
更に、神器に命中させてしまうこともあまり望ましくない。パンダとオリヴィアの推測ではあれもかなり危険な事態らしく、何が起こるか想像できない。
希望的観測で言えば、この状況でインクブルからの逃走に成功する可能性としては、インクブルもろとも迷宮の崩壊に巻き込んでしまってその内に逃げるという作戦があるが、やはり危険なことには変わりない。
だがインクブルはホークの魔断の脅威を正確に認識している。
神器による防御もできず、一発の被弾も許されない攻撃だと分かっているのであれば、魔断は驚異的な抑止力の効果を得る。
ディミトリとの共闘とはいえ、インクブルは魔弾一つで凌ぎ切れる相手ではない。だが魔断による抑止が働いているのであれば、インクブルを追い詰めることは可能なはずだ。
その予想通り、インクブルは一度ホークに詰めておきながら、今度はホークから距離を離し始めた。
ホークを倒そうと思えば近接戦に持ち込むしかないが、それができない。
それは無論、背後から迫るディミトリの糸の存在もあったからだ。
「ハッ!」
ホークには見えないが、インクブルは本能的に魔力糸を感じ取れるのか、グネグネを身体を揺らしながら斧を振り回していた。
ホークには奇妙な動きにしか見えていないが、ディミトリの視点ではインクブルは信じられないほど正確に糸を回避し続けていた。
「こいつホンマ……!」
どうしてもインクブルを捕えきれず憤るディミトリ。
まして今はディミトリも非常に消耗している状態。この場はホークの助力に縋るしかない。
それはインクブルも共通の認識。だからこそ真っ先にホークを仕留めようとしているのだ。
前方から魔弾。後方から魔力糸の挟み撃ちを受けても、それでもインクブルはホークに向かって前進を続けた。
後退するホークの背がT字路の壁に近づく。分岐路を曲がってしまえばディミトリと分断されてしまう。なんとかして魔断で牽制したいが、インクブルは右手の斧と左手の直剣を巧みに使い分け、魔弾と魔断をどちらも的確に対処した。
「チッ……!」
特殊弾を発射。前方に三枚の魔力防壁を作り出す。
そんな手段があるとは思っていなかったのか、インクブルに僅かに動揺が見られる。
狭い通路に展開された三重の防壁はインクブルの前進を妨げる。
その隙を突いたディミトリの糸がインクブルを襲う。
防壁に阻まれて回避するスペースもないインクブルの四肢を、魔力糸が絡めとり拘束する。
「ガアアアアアアアッ!」
それを力任せに引き千切ろうとするインクブル。
深手を負ったディミトリの糸は拘束力が弱まっており、インクブルの膂力に押し負ける。
だがそこに生まれた一瞬の隙をホークは見逃さなかった。
魔断を連射。魔力防壁を自ら破壊し、その隙間を縫うように魔弾を乱射する。
糸に拘束され身動きの出来ないインクブルへ魔弾の波状攻撃。咄嗟に回避しようとするが、ここぞとばかりに強度を増した魔力糸がそれを阻む。
激しい着弾音。四発の魔弾が直撃しインクブルのフルプレートが弾け飛ぶ。
身をよじって頭部や心臓への被弾こそ免れたが、高威力の魔弾を胴体に四発受け、インクブルの身体から血が吹き散る。
だがインクブルは僅かも苦悶の声を漏らすことなくそのまま糸を引き千切り、ホークに向かって突進を繰りだした。
「なっ……!」
いくらインクブルとはいえ多少は怯むだろうというホークの予想を裏切り、インクブルは痛みなどまるで感じていない様子で突進してくる。
魔弾を連射して迎撃。しかしインクブルは最小限の回避行動しかとらなかった。
斧を前に構えて盾として機能させ、そのまま前進。斧で防げない魔弾は悉く体中に命中するが、威にも介さず愚直に突き進む。
「――ッ! こいつ……!」
その意図を察し、ホークが戦慄する。
インクブルの狙いは、魔法銃のリロードタイムだ。
銃という武器をほとんど知らないであろうインクブルは、野生の勘か、あるいは驚くべき洞察力により、魔法銃の残弾がわずかであることを見抜いていたのだ。
そしてそれが致命的な隙となることを理解している。故に多少の被弾を甘んじてでも、ホークへ肉薄するタイミングをリロードタイムと合わせようとしているのだ。
「くっ……!」
苦し紛れにレッドスピアから魔断を発射。
こちらはまだ残弾に余裕がある。破魔の力の抑止力でインクブルの進行が弱まることを期待する。
……が、インクブルはそんな甘えた攻撃を許す相手ではなかった。
同じタイミングで放たれたディミトリの糸が、直剣を握る左手を拘束する。
インクブルが魔断を常に直剣で防いでいたことを見ていたディミトリは、それでインクブルの動きを阻害できると考えた。
しかしインクブルはそれを待っていたかのように左腕を大きく振り、糸を引き絞った。
そうしてたわませた糸そのものを魔断に命中させた。
魔断によって魔力糸が弾け飛び、その衝撃で銃弾が跳弾。それも別の魔力糸に命中し切断させられた。
ホークとディミトリが瞠目する。
ディミトリの糸で魔断を防ぐという信じられない離れ業。しかもそれにより魔断だけでなく、魔力糸そのものも破壊。二つの攻撃を一つの動作で封殺してのけたのだ。
拘束から解き放たれたインクブルの姿は、もうホークの眼前にあった。
僅かとなった魔弾を全てぶちまけ、ホークは大きく後退した。
その勢いで背後の壁に激突。T字路の分岐路まで押し出される。
インクブルの攻撃。咄嗟に飛びのくホークの鼻先を、振りぬかれた斧の切っ先が掠める。
ホークを外した斧がT字路の壁に激突し巨大な穴をあける。
回避のために飛びのいたホークは分岐路の先へ転がりながらもなんとか体勢を立て直す。
T字路を進んだせいでディミトリと分断させられてしまった。迫るインクブル。この一瞬、ディミトリの援護は期待できない。だが魔法銃の弾倉は空だ。
一か八か、魔断を連射するしかないとホークがレッドスピアの銃口をインクブルに向けた、そのとき。
「――インクブル様!」
思いもがけない声が前方から聞こえてきた。
それはインクブルの背後、ホークがいるT字路の分岐の反対側から聞こえてきた。
その声に対してだけは、インクブルは大きく肩を震わせて動きを止めた。
反射的に振り向くと……そこにはシラヌイの姿があった。
「シラヌイ……!?」
インクブルだけでなく、ホークもまた狼狽する。
何故こんな場所にシラヌイがいるのか? その疑問は、シラヌイの表情を見ると氷解した。
「い、インクブル様……こんにちは……」
それはシラヌイがインクブルに対して向けるはずのない、怯えを隠しきれていない歪な笑みだった。姿形はシラヌイそのものだが、その中身がまるで別人だ。
「……キャメル?」
ホークの問いに答える間もなく、シラヌイは懐から音響弾を取り出すと、それを地面に叩きつけた。
激しい音が迷宮内に響き渡り、その頃には既にシラヌイは背を向けて一目散に通路の奥へ駆け出していた。
それを追って、インクブルもまた走り出す。
通路の奥へ消えたシラヌイを追いかけ、インクブルの姿は数秒も経たないうちにホークの視界から消えた。
「…………なるほどな」
唐突に終わりを告げた戦闘にやや面食らいながらも、ホークは事情を察した。
間違いなくパンダの計らいだろう。湖の回帰迷宮で、インクブルの最後の願いが『シラヌイに会いたい』だったことをパンダは忘れていなかったようだ。
たとえ理性を失った状態であろうと、今のインクブルならばシラヌイの姿を見つけたら反射的に追ってしまうのは道理。
そんな感情まで逆手にとって利用するのが、パンダのいやらしいところだった。
消えたインクブルは追わず、ホークはT字路を戻ってディミトリの元まで向かった。
ディミトリは事情を把握し切れておらず、インクブルが消えた理由が理解できていないようだった。
「まだ生きているか?」
「おかげさんで。今なにがあったんです?」
「あの騎士は『空白地帯』へ向かった。貴様が張った赤い糸の終着点だ。お互い、命拾いしたな」
「ホークさんのおかげですわ。宿屋ではあんな失礼なことしてしもたのに、ホンマすんません」
「……気にするな。それよりまだ戦えるか?」
「少しだけ休ませてもろてええですか? さすがに今すぐはキツイですわ」
「休めば治る傷なのか?」
「糸で傷口を縫合して応急処置します。内臓までやられとるから、ちょっと時間かかりますわ」
それは既に行われているらしく、ディミトリの傷口が少しずつ塞がってきていた。
改めて便利な能力だな、とホークはこの能力の汎用性の高さに驚いた。
「私も『空白地帯』へ向かう。動けるようになったら貴様も来て加勢しろ。そうすれば貴様を助けた甲斐もある」
「手厳しいなあ……せやけど、受けた恩はきっちり返しまっせ。ちょっと休んだらすぐ向かいますわ」
ひとまずディミトリは一命を取り留めたと分かり、ホークは踵を返してその場を去ろうとした。
「――」
だがそのとき、ディミトリの伊達眼鏡の奥の瞳が僅かに開き、ホークを鋭く射抜いていた。
「――ああ! しもた、糸が絡まってしまいましたわ!」
「……は?」
突然ディミトリが焦り声を漏らし、ホークが怪訝な顔で立ち止まる。
「ちょっとホークさん、すんませんけどこの糸切ってもらえません? 破魔の力でスパッと」
「それくらい自分でしろ。人を鋏の代わりに使うな」
「そこをなんとか! ワシもこんな傷受けてしもて、上手く糸が使えんのですわ。このまま糸が絡まったままやと治療に時間がかかってまいますわー!」
「……」
あれほど巧みに糸を駆使していた男がする要求とは思えないが、ディミトリの治療が遅れるのは不利益になる。大した労力でもないので手伝うことにした。
「糸はどこだ。私には見えんぞ」
「この辺です。そうそうその辺。あ、あんまり強く切らんとってくださいよ!? 傷口に繋がっとるんですから!」
「……」
注文が多く苛立つホーク。人差し指に微量な破魔の力を込めて適当に宙を泳がせていると、糸の一本に触れた感触があった。
「これでいいか?」
魔力糸が消滅したのを感じ、ホークが尋ねる。
「――――ええ、問題ないですわ。おおきに! ほんならすぐ向かいますんで、それまでお願いしますー」
「……」
腑に落ちないが、これでいいようなので特に追及することもなくホークは納得した。
時間もない。インクブルはシラヌイを追って『空白地帯』に向かったはずだ。そこに何人辿り着けているかは分からないが、戦力は足りていないはず。ホークもすぐに加勢に向かわなくては。
ホークは赤い糸を追って通路を進んでいき、やがてディミトリの視界から消え去った。
それを見届けたディミトリは……静かに自身の右手の指先を確認した。
「――思った通りやで」
ニ、と意地の悪い笑みを浮かべるディミトリ。
やはりこの遺跡に足を踏み入れたのは間違いではなかったという満足感があった。
今の戦闘でハッキリした。
――宿屋でホークが放った銃弾……あれは魔断ではない。
パンダが魔人ではないことを証明するためにホークが放った銃弾。それはパンダに命中し、かつその射線上にあったディミトリの糸に命中し、糸を切断した。
故にあの銃弾は魔断であり、それを受けて無事だったパンダは魔人ではない。……というのがディミトリの追及を退ける決定打だった。
……が。今の戦闘で、ホークの魔断が魔力糸に命中した際、宿屋の時とは全く異なる反応があったのだ。
宿屋の時は、まさしく糸が鋏で切断されるように魔力糸が千切れた。
だが先程のホークの魔断に触れた魔力糸は、根元から全て消し飛んだのだ。
部分的に切断するのではなく、糸そのものが一気に弾け飛んで消滅した。同じ魔断に触れたはずなのに、全く違う結果になったのだ。
そして二つ目の要因として、糸に当たった魔断が跳弾し別の糸に命中した際、その糸には破魔の力の効果は発動しなかった。
つまり魔断に付与された破魔の力は一度発動すると銃弾から消失し、以降はその力を失うということだ。
であれば、宿屋での一件はおかしい。
魔断は既に一度パンダに命中し、その時点で破魔の力は失われていたはず。なのにその直後、魔力糸を切断したのだ。
考えられる可能性としては、破魔の力の出力によって効果が変わるというもの。
宿屋ではそれほど高い出力ではなかったので糸が弾け飛ばず、部分的に切断されただけという可能性もある。
……が、それも今の検証で明らかになった。
今、ホークは微量な破魔の力でディミトリの魔力糸に触れた。が、結果は同じく、魔力糸は一本まるごと消し飛んだ。
出力は関係ない。やはりこれこそが破魔の力の本当の効果なのだ。
「宿屋でワシの糸を切ったんは魔断やない。もっと別のカラクリや」
もしそうであれば、パンダ達が魔人ではないという証明は崩れ去る。
更に言えばパンダはなんらかの方法でディミトリの魔力糸の存在を事前に察知していたことになり、であればディミトリ達がパンダとホークの会話を盗聴していたことも気づいていた可能性が十分にある。
ならばあのときの会話にも意味はない。
パンダの潔白は覆された。
いや、潔白どころではない。そんな小細工をしてまで欺こうとしたパンダは、ディミトリには黒としか思えなかった。
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