第145話 『リュドミラ』『シェンフェル』『ホーク』


「――ここか」

 続いて『空白地帯』に到着したのは、リュドミラとシェンフェルの二人だった。

 ディミトリと分かれた直後は当てもなく迷宮を彷徨っていたが、やがて謎の赤い糸を発見。他に手立てもないのでその糸を辿っていくと、パンダ達がつけたと思われる目印を分岐路に見つけた。

 その二つを辿っていくと、二人は無事にこの場所まで辿り着けた。


「あっ、リュドミラじゃない、いいところに。こっちこっち~!」

 既に到着していたパンダが、まるで十年来の友人のように手を振って二人を招いた。


「……ん? あの女は……」

「あっ!」

 見ると、部屋の隅に一人の少女が座っているのが見えた。

 先程ディミトリと一緒に行動していた人間、ミサキだった。

 ディミトリのいない今、二人に出くわしてしまったことにミサキが怯える。


「パ、パンダさん! その二人は魔人ですよ!」

「まあまあ。ミサキ、ちょっといいかしら」

 パンダはミサキのところまで歩み寄ると、耳元で囁いた。


「いい、ミサキ? あの二人とは喋っちゃだめよ。あの二人は声で相手を洗脳状態にする危険なスキルを持ってるから」

「そ、そうなんですか? さっきはそんなことありませんでしたけど……」

「運よく使われなかったのね。今から私はあの魔人たちと話をつけてくるからここで待っててちょうだい」

「え!? 大丈夫なんですか? 声で洗脳されちゃうんじゃ!?」

「私は大丈夫なの。いい感じのアレなスキルで防御してるから」

「すごい! さすがホークさんのパートナーさんです!」


「そゆこと! あなたは引き続きここで隠れていてね。はい壁向いて」

「はい!」

「耳栓あげるからこれつけて」

「はい!」

「よし、そのままでいるのよ?」

「分かりました!」


 部屋の隅で壁を向いて耳栓をつけてうずくまるミサキ。

 ディミトリの部下とは思えない素直さに助けられた。これでミサキの耳に余計な情報が届く心配はない。

 パンダは気を取り直してリュドミラの元へ移動すると、彼女はシラヌイを閉じ込めているクリスタルを拳でコツコツと叩いていた。


「お待たせー」

「なんだこのクリスタルは?」

「どうもインクブルが作り出したものみたいで、シラヌイを守ってるのよ。今のところ何をしても壊れないわ」

「……インクブルを殺す前にシラヌイの死を奴に見届けさせるという話じゃなかったか?」

「そうなの。だからシラヌイに手が出せなくなっちゃって困ってるのよね~」

「……」


 呆れた様子で深く嘆息するリュドミラ。

「……下がっていろ」

 右手を握り込み、殴打の構えを取る。力技でこのクリスタルを破壊するつもりのようだ。

 パンダも、リュドミラが到着したらそれを促そうと思っていたが、そうするまでもなく同じ結論に至ったようだ。


「ハッ!」

 限界まで魔力を込めた一撃がクリスタルに振るわれた。

 凄まじい轟音と衝撃が『空白地帯』を揺るがす。リュドミラを中心に地面に大きな亀裂が何本も走り、立ち込めた粉塵が部屋中を覆った。


 うひゃあ、とミサキが飛び起きた。


「な、なんですか今のは!?」

「壁の方向いててって言ったでしょ! みみせーん!」

「はいぃ~!」


 スポッ、と耳栓をつけて再び壁の方を向くミサキ。

 パンダがリュドミラの方を向き直ると、ちょうど粉塵も晴れてきていた。

 その中から、シラヌイを守るクリスタルがゆっくりと姿を見せた。


「……駄目だ。硬すぎる」

 リュドミラの言葉通り、今の大威力の一撃を受けてもクリスタルには傷一つついていなかった。

 それどころか、どういうわけかクリスタルはその場から少しも移動していなかった。

 地面と強く接着でもしているのか、微動だにしていない。破壊するどころか持ち運ぶことすら不可能だった。


「このクリスタルをどうにかするのは無理そうね」

「攻略の手順はどうなる」

「インクブルに賭けるしかない。このクリスタルも彼の願いによって生み出されたもののはずよ。彼がシラヌイとの接触を望めばこのクリスタルも消えるかもしれない」

「消えなければ?」

「インクブルを殺すしかないわ。迷宮が異常終了して私たちもどうなるか分からないけど、仕方ないわね」

「……いいだろう」


 その場合にリュドミラにとって問題となるのはこの神器がどうなるのかという点だ。

 二つの神器は今どちらも迷宮内にある。迷宮の消滅と共に神器も消え去ってくれるのであれば、この危険な神器が人類の手に渡る心配もなくなる。

 ついでに迷宮の崩壊に巻き込まれてパンダが死んでくれる可能性もある。パンダの抹殺も軽視できない使命だ。運に大きく左右されるが、期待値の上振れとしては悪くない。

 その結果リュドミラ達も巻き添えとなって死ぬ可能性があるが、神器とパンダをどちらも消し去れるのであれば些細なことだ。


 逆に期待値の下振れはかなり致命的な結果になりかねないのも事実。

 運次第ではリュドミラとシェンフェルだけが死亡し、パンダ達は生還。神器は人類の手に渡り魔族はそれを知り得ない……そんな可能性もある危険な賭けだが、この場は断行するしかない。


「ん?」

 そのとき、迷宮の奥からかすかに音が聞こえてきた。

 廃虚の町でも何度も耳にした、パンダ達が使用している音響弾の音だった。


「キャメルね。インクブルと接触できたみたい。こっちに向かってくるわ」

「手際のいいことだな」

「時間経過で次の回帰迷宮に飛ばされちゃたまらないわ。ここで決めるわよ。――はい、リュドミラ。これ持って」

「? なんだこれは?」


 パンダが手渡してきたものは、一本の細いワイヤーだった。

 そのワイヤーは『空白地帯』を抜け、通路の奥へと消えていた。


「キャメルの背中に取り付けたワイヤーよ。万が一赤い糸が消えた場合でもちゃんとここまで戻れるようにね」

「何故これを私に?」

「聞こえる? さっきから音響弾が何度も鳴ってるわ」


 耳を澄ますまでもなくそれは聞こえてきた。

 これがキャメルがインクブルを見つけた合図だとすれば、何度も鳴らす必要はないように思える。

 強いて言えばパンダが聞き逃した可能性を考慮して、というくらいだが、それにしては鳴らす頻度が多すぎる。


「きっとインクブルに追いかけられてるのね。あの子の脚力じゃすぐ追いつかれるわ。だからこの糸を引っ張ってここまで連れてきてあげて。あなたの力ならビューンってここまで来れるわ」

「……優しい主を持ったな」


 ぐん、とワイヤーを引くと、確かに人一人分くらいの重さを感じた。

 リュドミラの膂力で何度も引き続けると、一瞬にして大量のワイヤーが巻き取られていく。

 何かが壁や地面に激突する感触がワイヤーを通してリュドミラの手にも伝わってきたが、気にせずワイヤーを引き続けた。






「アババババー!」

 背中に取り付けたワイヤーに引き寄せられて、キャメルの身体が独りでに宙を舞う。

 直線に引っ張られるのであれば問題ないのだが、直角に折れ曲がった通路のせいでキャメルの身体があちこちにぶつかり、壁に身体をガリガリと擦られながら進んでいく。


 普通であればこんな仕打ちには怒るのが当然だが、今のキャメルにはそんな余裕はなかった。

 何故ならキャメルの前方から、インクブルが怒涛の勢いで迫ってきていたからだ。


「アアアアアアアアッ!」

「ひあああああああ! 引っ張って! もっと強く引っ張ってええー!」


 インクブルと走力を競えたのは最初の十数秒が限界だった。

 キャメルの足ではインクブルから逃れることなどできず、見る見る内に両者の距離は詰まっていった。

 パンダに助けを求めるために、キャメルは泣きながら音響弾を鳴らし続けていた。誰かが助けに来てくれるかもしれないと思ったが、まさかワイヤーを直接引っ張るという形でキャメルを救出するとは思わなかった。


 パンダが引いているとは思えないほどの勢いでワイヤーが巻き取られていく。

 下手をすればワイヤーが千切れかねないとハラハラしたが、そこはワイヤーの強度を信じるしかなかった。どの道キャメルの足では逃げきれないのだ。

 ワイヤーを引く速度はかなりのもので、単純な移動速度ならばインクブルを僅かに上回っていた。その分、壁や地面に叩きつけられたときの衝撃はかなりのものだったが、それは甘んじるしかない。


「んぎゃ! うぎぎぎぎ!」

 身体中を幾度もぶつけボロボロになるキャメル。

 今はシラヌイの姿に変装している分、一層の違和感を増す光景。

 しかし理性を失ったインクブルは執拗にキャメルを追い立てる。


「ひいいいいいいい!?」

 所々、分岐路でワイヤーが詰まるがそれは都度キャメルが自身で体勢を整えて修正し、ワイヤーに自身の命を託す。

 やがて『空白地帯』が近くになると、キャメルはシラヌイの変装を解除。元の姿に戻る。

 それとほぼ同時にワイヤーがより一層強く引き寄せられ、キャメルの身体が宙を浮く。そのままの勢いで『空白地帯』に飛び込んだ。


「フィーッシュ! 海老で鯛を釣るとは聞くけど、ラクダキャメルブルを釣ったのは私たちくらいのものね」

 呑気にはしゃぐパンダを見つけると、キャメルは背中のワイヤーを取り外して泣きながらパンダに抱き着いた。


「姐御おおお! 怖かったっすー! あいつイカれた目してあたしのこと追っかけてきて怖かったっすー!」

「よしよし。よく頑張ったわねー」

「だがその甲斐はあったな」


 ワイヤーを放り捨てながら言うリュドミラ。

 その視線の先には、『空白地帯』への新たな乱入者の姿があった。


 ディミトリ、リュドミラ、ホークといった者たちの攻撃を受けボロボロになったフルプレート。

 そこから流れた血がぽたぽたと地面に落ち、ゆっくりと歩く彼の背に赤い道を作る。

 墨を塗り込んだような黒髪から見える、光を宿さないくすんだ瞳。

 この閉ざされた世界の番人……インクブルがついにこの場所へ足を踏み入れた。


「ようこそ、迷宮の亡霊さん。ゴールおめでとう。――ここが、あなたが三〇〇年彷徨っても辿り着けなかった、この迷宮の最奥よ」


 インクブルにとってこの場所こそが、この迷宮のゴールに他ならない。

 彼もまた転移現象に阻まれ、この場所に立ち入ることはできなかった。ここで眠るシラヌイと再会することもできず、決して踏破できない迷宮を彷徨う亡霊へと成り果てた。


「……」

 だが今この時。この場所に足を踏み入れたことで、インクブルは亡霊ではなくなった。

 その場にいる誰にも目もくれず歩みを続けるインクブルはやがて、シラヌイが眠るクリスタルまで近寄った。


 神器を抱えて眠りにつくシラヌイを静かに見下ろすインクブル。

 先程までの様子とは打って変わって、インクブルは沈黙を保ったままその場に佇んでいた。

 誰も言葉を発しないまま数分間が経過する。そうしている内に、新たな人物が『空白地帯』に足を踏み入れた。


「どういう状況だこれは?」

 ホークが通路の奥から姿を見せ、パンダ達に近づいてきた。

 インクブルの姿を確認して計画が最終段階に進んでいることは理解できたようだが、今の状況は分かりかねているようだった。


「このクリスタルよ。これのせいでシラヌイに手が出せないから、インクブルに消してもらおうと思ってるの」

「会話ができる状態なのか?」

「まだ無理そうね。だからしばらくはシラヌイをじっくり見せてあげて直に触りたくならないか待ってたんだけど、ホークも来たことだし話を進めましょうか」


 パンダはインクブルに近づくと、未だシラヌイを見つめ続けるインクブルの顔を覗き込んだ。


「ねえインクブル、このクリスタル消してくれないかしら。そうすればシラヌイを直にハグできるわよ」

 パンダの言葉にもインクブルは反応を見せず、ただシラヌイを見下ろしていた。

「こうして生き残った皆で仲良くゴールもできたわけだし、もうこの迷宮はクリアってことでいいんじゃないかしら。まあ若干一名来てないけど、彼はもういいわよね」

「……」

「ここに辿り着いたことで、あなたの願いは果たされた。そうよね? だからこの場所が、あなた達の終着よ」


 パンダの言葉を聞き届け、インクブルは一度、深く目を瞑った。


「――ああ。思い出した」


 小さな呟き。だが確かに意思の籠った言葉をインクブルが発した。

 インクブルはゆっくりと視線を動かすと、それはホークの所で止まった。


「シラヌイは……なんて言っていた? 迷宮の中で」

「……奴はお前に感謝していたよ」

「……そうか」


 ふ、と小さな笑みを浮かべてクリスタルを指でさするインクブル。

 それは彼がパンダ達に見せた初めての笑みだった。


「俺は彼女を……守りたかった。だが……こんな場所に、ずっと……閉じ込めてしまっていたんだな」

「これって消せる?」

「……できない。クリスタルを消せば、お前たちはシラヌイを殺すだろう?」

「まあね。駄目?」

「俺が死ねば、この迷宮は消えるだろう。だが……シラヌイは生き残れるかもしれない。もう追手の魔人もいない世界で……」


「――ふざけるな。シラヌイはそんなことを望んでいない!」

 怒りのままにホークが吠える。

 そんな言葉がインクブルの口から出たことが許せなかった。


「生涯を共に生き、共に死ぬと誓って……ここまで来て最後に道を分かつつもりか? お前のいない世界にシラヌイを一人放り出すのか!?」

「……俺はもうシラヌイとは生きられない。たとえ迷宮を抜け出しても、外の世界で魔人を殺し続ける兵器になるだけ……それがこの斧と交わした契約だ。だがシラヌイ一人だけなら……」

「馬鹿だ、お前は!」

「……ああ、きっとそうなんだろうな。これは俺の我が儘だ。――斧よ、聞こえるか」


 インクブルの呼び声に応え、キィン、と神器が発光する。

「俺の迷宮はここで終わりだ。それでいい。……だから契約通り、この身体をお前に渡す。……俺は戦い続ける。最後まで」


 湖の時と同じく、神器の光がジンクブルの身体を覆っていく。

 あの時ほど強烈に迸ってはいないが、それでも粘性のある光がインクブルの全身にまとわりつく。

 聖属性の光に包まれ、インクブルの肌が少しずつ爛れていく。


「交渉決裂ね」

 インクブルはあくまでも戦いを望んだ。命の尽きるまで戦い続け、シラヌイを守る。その断固たる決意は言葉では崩せないとパンダも悟った。



「――じゃあ力づくよ」



 そう言い放った時には既に、ホークのレッドスピアから魔断が発射されていた。

 インクブルにシラヌイを渡す気がないのであれば、手順を飛ばしてここでインクブルを殺すしかない。

 ならば先手必勝。正面からの力比べになる前に、一撃で勝負をつけにいく。


 ――が、魔断はインクブルが左手に構えた直剣に斬り捨てられた。


 背後からの奇襲。ホークがホルスターから閃光のような速さでレッドスピアを抜き払うその動作だけでインクブルは戦闘態勢に移行していた。

 パンダ、リュドミラ、シェンフェルが一斉に動く。


 シェンフェルが瞬時に全員に補助魔法を施し、威力を増したリュドミラの魔力弾がインクブルに襲い掛かる。

 それを斧で弾くが、横からもホークの銃弾が襲い掛かる。

 ホークとリュドミラによる十字砲火を受けながらも、その全てを的確に捌くインクブルの頭上から――高く飛び上がったパンダが、ヴァルナワンドに蓄積されていた魔力を全て解放した。


 上空から叩きつけられた一撃に対応し切れず、ヴァルナワンドの魔力弾がインクブルの身体を押し潰した。

 その頃になってようやくキャメルが戦闘が始まったことを理解して、悲鳴をあげながら後ずさる。部屋の隅でうずくまっていたミサキも「ひゃあ!」と声をあげて飛び跳ねた。


 地面に釘付けにされたインクブルに魔断の追い打ちが浴びせられる。

 その内の一発でも胴体に命中すればそれで勝負が決する。

 インクブルが動く。地面を転がり魔断を回避し、その慣性を生かして立ち上がる。そのまま突進。標的はホークだった。

 この中で最も軽視できない攻撃を放つのがホークだとインクブルも理解できていた。


 その左からリュドミラが接近。インクブルに近接戦を挑む。更には背後ではパンダがヴァルナワンドを構え、魔力弾の軌道をいつでも曲げられるように備えた。


 一瞬にして戦場へと姿を変えた『空白地帯』。

 壁際まで下がったキャメルは、戦々恐々としながら叫んだ。


「あんたら切り替え早すぎないっすか!?」

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