第53話 多少はやるようだな


 木々の密集度は決して高くなく、高低差もほぼない平坦な道が続く。

 まだ陽も高く昇っており視界は良好。

 だというのに……そんな森の中を移動する一四名の騎士たちの姿は、並の者ならばその影すら確認するのが困難なほど巧みだった。


 木の陰から木の陰へ。瞬時に移動しつつも限界まで音を殺し、足跡が残るのは常に発見されづらい位置に徹底されている。

 その上で部隊の陣形は極めて整っており、かつ移動は迅速。

 体に染みついた作戦行動の練度はさすがと言うしかない。


「――探知魔法を撃て」

 バニスが指示を飛ばす。

 部隊員が一瞬の躊躇を見せたが、命令に従い即座に探知魔法を放った。


 本来ならば愚策だ。

 せっかく索敵されづらいように隠密を心がけて目標に接近してきたというのに、探知魔法を放ってはここにいると宣言するようなもの。


 ――しかし、それでもバニスは強行した。

 いや、そうせざるを得なかった。


「――捉えました。数は一。同じ目標です。二時の方角、二○○メートル」

「……だよな。合ってんだよ。ならこの道は通ってるはずなんだが……」

 バニスは改めて周囲を念入りに確認する。


 ――何者かがこの場所を通った形跡が一切見当たらない。


 足跡が一つもなく、踏み倒された草木も、不自然に割れた茂みもない。

 あらゆる個所を入念に調べても、一つも痕跡がないのだ。

 木を伝って移動したとも考えたが、それすらない。


 ――なのに、目標は間違いなくこの場所を通っている。

 探知魔法を放つまでは確信が持てなかったが、こうなっては可能性は限られる。


「……な」

「じゃあ人間じゃなさそうですね」


 地に足をつけて移動していない……そう考えるしかない。

 人類がレベルシステムを獲得して三○○年経つが、未だに浮遊は特別な技術だ。

 人間も魔人も、よほど特殊な黒魔法でも習得していない限りは浮遊術は扱えないとされている。


 もともと飛行能力を備わった魔物のみが未だに空を我が物としているのが現状だ。

 故に、その魔物を眷属として従える魔族が制空権を支配し続けてきた。

 陸、海、と人類は魔族となんとか渡り合ってきたが、未だに空だけは魔族の支配の中にある。


 今追っている何者かも、おそらくはそういう類の敵なのだろう。

 何より、バニス達から逃げるように移動しているのがその証拠。何も後ろめたいことのない人間ならば、こんな行動はとらない。


「目標を魔物、あるいは魔族と断定する。目標は宙に浮いて移動している可能性が高い。上に警戒しとけ。――進むぞ」


 警戒を一層強化しながらバニス達は森を進んだ。

 移動の痕跡から目標を追えない以上、探知魔法に頼るしかない。

 バニスは部隊員に絶え間なく探知魔法の使用を命じ、常に目標の位置を把握し続けた。

 代わりに向こうにもバニス達が迫っているのは筒抜けだろう。


「……その割りには距離が開かねえな」

 一〇〇メートルほどまで距離が詰まったあたりから、部隊と目標の距離が一定のまま動かなくなった。


 そして、目標を追うほどに木々は密度を増していった。


「露骨に誘われてるな。……全員止まれ。これ以上は深追いだ。わざわざ向こうの誘いに乗ってやることもねえ」

「どうします?」

「目標はどうなってる?}

「――停止しています。一二時の方角、一〇〇メートル」

「……誘うにしても下手すぎねえか? ――もういい。おい、一〇〇メートル先に黒魔法ぶっ放せ。周りの木を丸ごと消し飛ばして更地にするようなやつだ。できるよな?」

「はい。少し時間がかかりますが」


 このままではどこに誘い込まれるか分かったものではない。

 どのみちこちらの存在は既にバレているのだ。これ以上黙ってついていく必要もない。

 ルドワイア騎士団の黒魔導士が放つ黒魔法なら、半径一〇〇メートル程度の爆発などお手の物だ。

 それで死ねば良し。無理でも更地になった森の中なら、敵の姿くらいは視認できるだろう。

 少なくとも、相手が何かもわからない現状よりは好転する。


「――! 目標が動きました。少しずつこちらに接近してきます」

「ほう? なんだ、やる気はあったってことかよ。黒魔法はなしだ。総員迎撃態勢を取れ」

 意外なことに、ここにきて目標が距離を詰めてきた。

 逃げることも誘い込むことも放棄して、今更戦闘をするつもりなら……おそらく、初めからそのつもりだったのだろう。


「ってことは誘ってたわけじゃなく……こっちの戦力を計ってた……?」


 バニスはその可能性に行きついた。

 追跡の練度一つでも、見る者が見れば実力を推し計れる要素だ。

 バニス達の追跡はルドワイア騎士団の名に恥じない一流のものだった。

 その上で戦闘を選ぶということは……。


「おもしれえ。どれほどのもんか見せてもらうぜ」


 獰猛な笑みを刻み、バニスが大斧を強く握りしめる。

「――目標、距離三○メートル!」

「よし、もう探知はいい。俺にも感じられるぜ……確かに、そこにいやがる」

 三○メートル先の木々の中に、バニスも何者かの気配を感じ取った。


 敵は更に接近を続けた。

 ゆっくりと確実に距離を詰めてきている。

 バニス達も森の影に隠れながら、敵の気配に集中する。



 ――その時、赤い風が吹き荒れた。



「――ッ!?」

 音もなく襲来したその風は、高密度な斬撃の暴風だった。

 敵の位置を把握し警戒していた上で、なお不意打ちと表現できるほどの速度。

 周囲に満ちる森の緑の中に赤い線が見えたと思ったときには、その風は部隊を丸ごと飲み込んでいた。


「チッ!」

 斬撃を大斧で防ぐバニス。

 赤の風は確かに斬撃の性質を持っていた。鋭利な剣を受け止めたときと同様の手ごたえをしっかりと感じた。


 ――風じゃない。

 バニスは直感した。しっかりとした物質的な重みがある。

 咄嗟のことでハッキリと視認できなかったが、特徴のある流動的な動きはむしろ液体に近い。


 赤い風は時間を撒き戻したように森の奥へと消えていった。

 使用者の元へ戻ったのだろう。


 ……これがこいつの攻撃手段か。


「死んだ間抜けはいねえよな?」

「損害ありません」

 部隊員が部隊の損害を報告する。

 さすがに今の一撃で死ぬような雑魚はこの部隊にはいない。

 この程度は向こうにしても挨拶みたいなものだろう。


「――さぁて、あれが目標だぜお前ら」

 何本もの木々が倒れていく。

 赤い風はその進路上にあったものを残らず両断し、軽く二○メートル前方までは視界を遮るものがなくなった。


 開けた視界の中、一つの影が浮遊していた。

 血のように赤いローブに全身を隠し、目深にかぶったフードで顔が窺えないが、人型であることは確認できた。


「ちいせえな……ガキのタッパじゃねえか」

「浮いてますね。羽でも生えてんのかと思ってましたけど」

「魔人か?」


 今の一撃だけで、かなりの戦闘力をもっていることが分かる。

 見た目は小柄な少女のようだが、油断できる相手ではない。


 ――だが、勝てない相手ではない。


「行くぜ、応戦しろ!」

 バニスの号令を受けて、一四名の部隊員が戦闘を開始した。


「『戦いの歌』!」

「『ドラゴン・ブレス・エクステンズ』!」

「『ハイ・マジックフィールド・フォース』!」


 前衛となる戦士が数名で突撃をしかける。

 その隙に、黒魔導士と白魔導士がそれぞれ部隊員に補助魔法を施す。


 ――スキルのクールタイム短縮。

 ――攻撃力・防御力・俊敏性上昇・全体化エクステンズ

 ――上級ハイ魔法効果上昇・最大効果フォース


 いずれも上位スキル。

 それが全ての部隊員にかけられ、一瞬にして彼らの戦闘力が激増する。

 それに加え、戦士たちは各々の持つスキルで更に能力を向上させる。


 複数の補助を重ね掛けされた彼らの身体能力は、全員がS-62を超えるほどにまで上昇した。

 そのレベルの戦士の突進を以てすれば、三○メートル程度の距離は一秒で詰まる。


 赤いローブの隙間から、それ以上に真っ赤な液体がどろりと姿を現した。

 再び巻き起こる赤の風。

 密度、速度、共に必殺の領域。


 しかし、全ての部隊員が瞬時にその軌道を見切り回避する。

「……ッ」

 少女から僅かに狼狽した気配が漏れる。

「――ハッ!」

 一番槍を手にした槍士が鋭い突きを見舞う。

 少女を貫く直前、何かに阻まれる感触。


 水風船が破裂するような音と共に、赤い液体が周囲に飛散する。

 それは彼らにとっても見慣れたものだった。


「――血だ! 血を操ってる!」

 槍士が少女の攻撃のカラクリを看破する。

 それを聞いたバニスも合点がいった。


 血を操るという特異性、そして際立った攻撃性のせいで見抜けなかったが、確かに似たような攻撃をする黒魔導士がいる。

 水という汎用性の高い媒体を好んで使う者は多い。

 が……。


「……魔人じゃねえのか?」

 魔人ならこんな意味不明なスキルは習得しないだろう。

 他にいくらでも有用なスキルがある。血を操作して斬撃を放つなどというピーキーな攻撃手段を主戦術になど選ばないはずだ。


 だが本人の意思とは別に、勝手に習得してしまったスキルなら話は別だ。

 それはレベルシステムを持っていない証拠であり、魔人ではないということになる。


 飛翔。

 上空に飛び上がり距離を取ろうとする少女。

 近接戦は不得手か。


「逃がすかよ!」

 弓士が弓を放つ。

 一筋の光の線となった弓の軌道が、次の瞬間有り得ない角度で曲がった。

 対象を自動追尾する矢を放つスキルは、弓士の中でも高いポテンシャルに恵まれた者が持つことが多い。

 ルドワイア騎士団で弓を扱う者なら必須のスキルと言える。


「ひっ――!」

 悲鳴にも似た声が漏れ聞こえた。

 『直角に曲がる攻撃』に何かトラウマでもあるのかと思うほど過剰な反応だった。


 瞬時に展開される血の盾。

 早い。そして堅い。一本の矢では突破できないほどの硬度。

 しかし、ならば数で攻めるだけ。

 弓士はそこから連続で矢を放ち続ける。その流麗な連射はエルフもかくやと思わせるほどの腕前だった。


 どこまでも追尾してくる矢から逃れようと高速で森を飛び回る少女。

 周囲をガッチリと血の盾で防護し、それと併せて血の斬撃も周囲に浴びせかける。

 狙いも何もあったものではないが、高速移動する飛翔体から無秩序に放たれる斬撃はそれだけで十分な脅威だった。


 それを巧みに回避しながら追い立てる部隊員たちもまた感嘆すべき練度を誇った。

 少女の動きに合わせて彼らも陣形を変え、敵をこちらに有利な位置に誘導するように動く。

 狩りの基本であり、本来はここで駆け引きが生まれる要素なのだが、少女は驚くほど容易に部隊員の誘導にかかってくる。


 逃げ回る少女を複数人で追い立てる形にはなっているものの、互いに大きな損傷はない。

 圧倒的に数で勝る部隊員だが、どうしても決定打に欠けた。

 少女の飛行速度はかなり早く、木々の隙間を縫うように飛び回るその動きに部隊員はなかなか攻撃を命中させられなかった。


 また、常に周囲を強固な血の盾で防護し続けているのも厄介だ。

 だというのに、それと並行して血の斬撃も絶え間なく襲い掛かってくる。

 攻守がどちらも極めて高い水準で両立している。


 が、一方で少女も部隊員を一人も仕留めきれていなかった。

 少女攻撃は苛烈で強力ではあるがワンパターンの一言に尽きる。

 バニスの指示を受けるまでもなく部隊員たちは各々で血の斬撃に対応し、致命傷を受ける者は一人もいない。


「バニスさん、こいつ……」

「ああ、つええな。――S-70ってとこか」

 バニスも認めざるを得なかった。

 おそらく単騎で戦ってこの少女を仕留めきれる者はこの場にはいないだろう。

 シンプルだが応用がきく能力。単純な戦闘力だけなら上位の魔人に匹敵する。


 仮にも人類最高峰の戦闘力を持つルドワイア騎士団の一部隊を、丸ごと相手取って互角の戦いを繰り広げているだけで、その力量は相当なものだ。

 ……だが。


「戦い方が素直すぎるな。教えてやるよ、本当の力ってやつをよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る