第54話 まあ及第点でしょう


 バニスが部隊員に指示を飛ばす。

 それを皮切りに部隊の動きが変化した。

 散発的な攻撃は自重され、より組織的な戦術が展開される。


 部隊員たちに僅かな動揺が走る。バニスがこれほど慎重な戦い方を選ぶのは稀だと知っているからだ。

 だが実際に攻防を繰り広げている前衛たちは納得した。

 確かに、この相手には一切の油断が許されない。

 下手な魔人よりもよほど強敵だ。


 少女の飛翔。徹底して距離を取ろうとする。

 だが、黒魔導士の魔法がそれを阻む。

 少女を囲うように網目状の光が発生する。捕縛用の黒魔法だ。


「……っ」

 逃げ場を失った少女に、上空から無数の矢が迫る。


「ハッ!」

 赤い風が一気に膨張し、光の結界を力任せに叩き破った。

 迫る矢から急いで逃げる。だがそれも誘導だ。矢はもともとそのために放たれていた。

 少女が逃げ込むであろう位置にはあらかじめ数人の戦士が待ち構えていた。


 槍士の閃光のような刺突。

 血の盾で防御――しかし想定内。

 槍士がスキルを発動。槍の先端が光る。貫通力を増した一撃は血の盾を容易く突き抜け、少女目がけて突き進む。


「ぐっ……!」

 辛くも回避。反撃を行おうとするが、その時には既に槍士はその場から飛び退っていた。

 その動きに合わせて、黒魔導士の魔法が放たれる。示し合わせていたと疑うほど絶妙なタイミング。


「『サーペントフレイム・フォース』!」

 巨大な炎の塊が少女目がけて襲い掛かる。

 血の盾を最大強度で展開。

 一度に操れる最大量の血液を動員しての鉄壁の防御だ。


 激突。

 血の盾に押し返された炎が逃げ場を求めて爆風となり、周囲に広がっていく。

 威力だけでなくその温度も極めて高温。炎を受け止めている血液が物理的に沸騰しだすほどの熱が周囲に満ちる。


「ぐっ……う、ぐぅ……!」

 限界まで血液を稼働させる少女。

 やがて炎が収まる頃には、周囲は火の海と化していた。

 だが血の盾はまだ半壊程度。ついに炎の侵入を許さず、鉄壁を維持してみせた。


 しかし攻撃はまだ終わってはいなかった。


「――『ハイ・ファイア・ブラスト・エクステンズ』!」

 媒体に指定したものを炸裂させるブラスト系魔法。その上位魔法、かつ全体化。

 黒魔導士が選んだ媒体は無論――少女の周囲に燃え盛る火の海だった。


 それは炸裂という域を超えた炎の嵐だった。

 森を焼いていた火は残らず魔力の塊へと変換され、爆風となって辺り一面を吹き飛ばした。

 木々が根元から折れ、地面がベロリとめくれ上がる。

 並の魔人なら今の一撃で死亡してもおかしくないほどの威力だが――


「ま、んな甘くはねえわな」

 煙が晴れた爆心地の中心に、大きな赤い球体があった。

 少女を包み込むように展開されたそれは、血の盾を球状に固めたもの。あれでファイア・ブラストの爆風を凌いだようだ。


「行け、総攻撃だ!」

 だが想定内。何らかの防御手段を用いるだろうとは予想していた。

 敵はあの防御で一時を凌いだが、代わりにあの場で釘付けにならざるを得ず、バニス達に先手を譲り続けている。

 あくまで攻め込んでいるのはこちらだ。


 全方位から一斉に部隊員が接近する。

 全員が同時に攻撃を仕掛ければ、あの堅い血の盾も耐えきれまい。中から非力な少女を引きずり出せば殺したも同然だ。


 ――だが次の瞬間、数名の部隊員の悲鳴が響き渡った。


「あん……?」

 怪訝な顔で様子をうかがうバニス。


 数名の部隊員が地面に倒れ込み、苦悶の表情を浮かべていた。

 それを受けて他の者たちも動きを止め、赤い球体から距離を取る。


「なんだあ? いつ攻撃された?」

「――血だ! お前ら血から離れろ!」

「どの血だよ?」

です!」


 目を凝らすバニス。

 そして、ようやく事態を把握した。


 戦闘の最中に使用され周囲に飛び散った少女の血が、そこら中に付着している。

 部隊員が接近した途端、それらが意思を持つように独りでに形を変え、部隊員に切りかかっていたのだ。


「こいつの血は使い捨てじゃない! まだ生きてる! 血の中に魔力が残り続けてるんだ!」

「……こいつ……」


 さしものバニスも瞠目した。

 水を操って戦う黒魔導士もいるにはいるが、彼らですら一度使い切った水に魔力が残り続けいつでも使用可能な状態で待機させておく、などということは困難だろう。

 ここまで一つの媒体を使いこなせる者は稀だ。

 よほど血という概念に特化した適性なのだろう。


 奴の魔力を元から断つような手段がない限り、長期戦になるほど周囲は奴のテリトリーへと変わっていくということだ。


「――ッ!? 伏せろ!」

 そのとき、不穏な気配を感じてバニスが叫ぶ。

 血の球体が一瞬膨張したかと思うと、次の瞬間には勢いよく破裂した。


 全方位に一斉に広がった数百もの血の礫。

 それが弾丸を意味すると悟った瞬間、バニスは木の陰に身体を隠した。

 幸い威力は大したことはなく、木を貫通するほどの脅威ではなかったが、バニスはこの攻撃の最大の狙いを瞬時に察する。


 部隊員たちが怯んだ隙に少女は後方へ飛翔し距離を取る。

 それを部隊員たちが追撃しようとしたとき。


「被弾を報告しろ!」

 バニスの指示が飛び、全員が困惑しながらも動きを止めた。

 今の攻撃は大した威力はなかった。攻撃の手を止めてまで被弾報告をするほどのことではないのではという疑問が部隊員たちに生まれる。


「……右腕に被弾しました。ですが掠り傷で――」


 ザン、と部隊員の右腕が斬り飛ばされた。

「え……」

 何が起こったのか理解できないまま、部隊員は大斧を振り下ろしたバニスを呆然と見つめていた。


「――う、ぐ――ああああああッ!! ば、バニス、さん……! なにを……!?」

「愚図が。血が身体に入ったら死ぬぞ」

「な……!?」

「奴の能力みたろ。奴は遠隔で血を操れる。体内に血が入ったら中から殺されんぞ」

「……!」


 その言葉に、何事かと様子を見ていた他の部隊員たちも各々被弾がないかを確認する。

 もし一発でも命中していたら、バニスがしたように被弾個所を切除するしかない。


「邪魔だ、下がってろ雑魚が。白魔導士は当てねえぞ。自分でなんとかしろ」

「う、ぐ……は、はい……すみません」


 斬り飛ばされた右腕を庇いながら部隊員が後退する。

 他には被弾した間抜けはいないようだ。数が一人減ったが、まあ問題ないだろう。


「……しかし厄介な能力だ」

 後退し陣形を整えた部隊員たちと少女の距離は八メートルほど。

 戦闘は振り出しに戻ったように見えるが――実際は、こちらが大きく優勢だとバニスは認識していた。


 もし少女の能力があの血を操る能力に特化しており、他に攻撃手段がないとしたら、もうほとんどのネタを披露しただろう。

 様々な応用を持つ能力のようでいて、実際はそのバリエーションは驚くほど少ない。


 血の斬撃。血の盾。そして血の礫。

 少女は大きく分けてこの三つしか使っていない。

 あとは周囲に飛び散った血を用いたトラップがせいぜい。


 ――充分殺し得る。


「へっ……」

 バニスがほくそ笑み、ハンドサインを飛ばす。

 作戦を読み取り、部隊員たちが一斉に動き出した。


 血の斬撃が再び襲い掛かる。

 これが少女の基本攻撃。速く鋭く強力だが、ある程度距離さえあけておけば、来ると分かっていれば対処できる。


 黒魔導士の魔法が放たれる。

 狙い通り血の盾が展開される。おそらく全力で展開されたらこの部隊の火力では簡単には突破できないほどの強度になるだろう。

 が、重要なのは少女が一度に操れる血の量。

 それにおそらく限界があるとバニスは踏んだ。もし無制限に血を繰り出せるのなら、とっくに血の斬撃の密度が上がっているはずだからだ。


 故に一度に出せる血の量には限界があり、盾に血を回せば回す程攻撃は貧弱にならざるを得ない。

 一対一ならばどちらも高い水準で維持し続けられるだろうが、今はこちらが圧倒的に数で勝っている。

 常に攻撃を浴びせ続け、盾を展開させ続けられれば、自然と少女の攻撃の勢いも弱まる。


「……」

 フードに隠れた影から、少女の焦燥の気配が伝わってくる。

 絶え間なく浴びせられる遠距離攻撃。回避しきることは困難で、常に血の盾を周囲にぐるりと展開させ続けるしかない。


 それだけで既に後手。

 防御が厚くなれば攻撃は手薄になる。攻撃が手薄になればこちらの攻勢が増し、更に防御を固めなくてはならないという悪循環。

 ――この戦術で殺す。


「……ぅ、……ぐ」

 それを裏付けるように、少女からも苦悶の声が漏れ聞こえる。

 しっかりと距離を取り、それでいて組織的な陣形を保つ部隊の連携に、少女は完全に決め手を失っていた。


「どうだクソガキ。これが力ってやつだ」

 確かに、一対一ならばこの少女はこの場にいる誰よりも強い。

 バニスですらこの少女を確実に仕留めきる自信はない。


 だが、考えてみればそんなことは人類にとって常だった。

 いくらレベルシステムを手に入れようと、魔人との個体差は埋められない。

 種族としての格が違うのだ。人類は常に自身よりも強大な個体を相手に戦ってきた。


 人類が魔人に勝っているもの。

 それは数だ。そして、レベルシステムを利用した様々な職業への適性だ。


 故に人類は戦術を積み上げた。知識を蓄えた。

 豊富な適性が生み出すバリエーション。そのコンビネーション。

 様々な状況、様々な魔人への適応力。それこそが人類の誇る最強の武器だ。


 だというのにこの少女は数少ない手の内を次々と晒した。

 そのせいでこうして対策され追い詰められている。

 戦闘に関しては素人同然だ。


「ヌルいんだよガキが」

 舌なめずりをするバニス。

 獲物は完全に檻に入った。こうなれば仕留めるのも時間の問題だ。


「おう、補助魔法バフかけろ」

「はい」

 白魔導士が複数の補助魔法をバニスに施す。

 それに加えて自身の所有するスキルも合わせ、今から一分足らずの時間ではあるがバニスは先程よりも爆発的な身体能力を手に入れた。


 部隊員たちと交戦する少女を凝視する。

 少女の動きは手に取るように予測できた。

 良く言えば素直。悪く言えば安直。そんな動きだ。駆け引きもクソもない。


「――見えた」


 疾走。

 一秒後に少女の背後を取れる絶好の位置へ駆け出す。

 狙い通り、拍子抜けするほどあっさりと少女はそこへ飛び込んだ。その時になって初めてバニスに接近に気づいた少女が慌てて血の斬撃を展開するが、バニスの方が遥かに早い。


「死ね! 『竜狩り』!」

 バニスがスキルを発動させる。

 戦士の中でも上位に分類される、一撃必殺の大技だ。

 かつて伝説の戦士が竜の首を両断したという逸話からその名がついたこのスキルは、その名に恥じない大威力。


 あんな小柄な少女に受けきれるものではない。

 それを咄嗟に悟ったのか、少女が斬撃を止め盾を展開する。

 正解だが遅い。半端な強度のまま『竜狩り』を受けた盾は一瞬で爆散し、バニスの大斧が少女の腹部に命中した。


「ガッ――!?」

 殴打とも斬撃ともとれる、まさに力任せの一撃。

 小柄な体躯が紙切れのように宙を舞い、数十メートルも後方まで飛ばされる。


「……?」

 バニスの手に奇妙な違和感。

 文句なく命中した必殺の一撃だが、何故か仕留めたという手応えがない。

 そして何か、血の盾とは別の硬質なものを打った感触があった。


「……あん?」

 ふと視線を下げると、周囲に見たことのない血の塊が散っていた。

 この戦場において血は珍しくないが、それは液状ではなく完全に固形。凝固した血の破片だった。


「……なるほどな」

 血の盾とは別に、凝固させた『血の鎧』を纏っていたか。

 本来ここまで血が固くなることはないはずだが、この程度は血を操る魔物ならお手のものか。


 それだけではなく、木に激突した少女だが……背に大量の血を展開しクッションにすることで激突の衝撃を緩和したらしい。

「器用な奴だな」

 盾、鎧、衝撃吸収……三段構えの防御により、バニスの一撃を以てしても必殺を逃した少女だが――いずれも所詮は気休め。もうまともに動けまい。


「うぅ……がっ……あ、ぐ……!」

 苦し気にうめき木に背中を預ける少女。

 そのとき、バニスの一撃によって、今まで少女の顔を隠していたフードが乱れ、ついにその顔が彼らの前に晒された。


「……っ! バニスさん、こいつ……」

「人と同じ見た目か」

 露わになった少女の顔は、人間の少女と全く同じだった。

 闇のように黒い長髪に、血のように赤い瞳。

 まだ二十歳も超えていないだろう幼い顔立ち。どれをとってもただの人間にしか見えない。


 だが浮遊術に加えこれほど奇異な能力を有している以上人間である可能性は極めて低い。しかし魔人というのも考えづらい。では一体何者なのか……?


「――『ブラッディ・リーチ』……?」


 一人の部隊員がそう呟き、周囲の視線が彼に集まった。


「ああ、間違いない……あの顔、見たことがある! ブラッディ・リーチだ!」

「誰だそりゃ」

「ハシュール王国のシューデリアっていう交易都市を襲った吸血鬼です。一度ルドワイアにも討伐依頼が来たので覚えてます。でも……確か新しい勇者に討伐されたはずじゃ……?」

「吸血鬼ぃ? そりゃまた珍獣じゃねえか」


 だがそれならば全ての説明がつく。

 人類にも魔人にも珍しい浮遊術。人と変わらない容姿。そして血を操る能力。


「なるほど、『バラディアに災いをもたらす』か。ハシュールの次はバラディアで暴れようってわけか?」

 全ての話が繋がり、バニスは満足げに笑みを浮かべた。


 ハシュールが取り逃がした吸血鬼を仕留めたとなれば大手柄だ。

 それも相手はS-70相当の魔物。ルドワイア騎士団でも討伐できれば大きな名誉となる相手。

 それもラトリア不在の状態で、部隊の指揮をとったのはバニスだ。

 この実績があれば、あの憎らしいラトリアを蹴落としバニスが部隊の長となる野望……その大きな一歩となる。


「……いた、い……」

 激痛に歪む少女の口から、か細い声が漏れる。

「いたい、よぉ……」

「そうかそうか。そりゃ可哀想に。じゃあすぐ楽にしてやるよ」


 残虐な笑みを刻みながら、バニスは大斧を高く振り上げた。

「『ドラゴン・ブレス・エンハンス』。『剛鉄』。『ラージ・ハンマー・エンハンス』」

 興が乗ったバニスは持てる限りの補助スキルを自身に施した。

 先ほど受けた白魔導士の補助魔法の効果と合わせ、次の一撃に限ってはバニスが出せる最大火力を叩き込める。


 もうこの吸血鬼がどんな防御を展開しようとも関係ない。まとめて一撃で叩き潰せる威力だ。

「消えな! 『大山――」



 ――ふぅ……。



 それはあまりにも唐突に、脈絡なく誰かが零した溜息だった。

 バニスの直ぐ傍。数メートル右から聞こえてきた、落胆と呆れに満ちた疲れたような溜息だった。


「――」

 バニスの思考が加速する。

 部隊員の位置は全て確認している。こんな場所に誰もいるはずがない。


 視線を動かす。

 そこにはもう一つの影があった。

 灰色のローブで全身を隠し、吸血鬼と同様にフードで顔を隠した長身の人影。


 いつからそこにいたのか定かではないほどに気配を察知できなかった。

 まるで散歩でもするかのような気軽さでバニスのもとへ歩いてくる。


 ――こいつか。もう一人の魔物。


 瞬時に理解した。

 この吸血鬼とは別に、一度だけ探知にかかったもう一人の気配。

 以降は二度と探知魔法には反応しなかったが、バニスはその存在を失念してはいなかった。

 いざとなればいつでも対応できるよう、常に周囲を警戒していたのだ。

 だからこそこの不意打ち紛いの登場にも、コンマ数秒もしない内に状況を把握できた。


 く、と口角が吊り上がる。

 馬鹿が。

 不意を突いたつもりだろうが、相手が悪かった。


 他の部隊員ならまだしも、バニスに限ってこんなものは不意打ちにもならない。


「――『大山割り』!」


 バニスは瞬時にターゲットを変更し、灰色のローブの魔物に目がけてスキルを叩き込んだ。

 タイミングも完璧だった。今は自身に最大限に補助効果が乗っている瞬間だ。

 その上で、バニスが持つ最大威力のスキルを放った。


 これをまともに受ければ、上位の魔人ですら殺し得る。

 まさに一撃必殺のスキルだ。


 巨体を誇るバニスの身体よりも更に一回り大きい巨大な大斧が、その魔物に激突した。

 凄まじい轟音と共に、森に激震が走る。

 地面が砕け、無数の地割れが数十メートル先にまで生じた。

 その衝撃波だけで周囲の木々が打ち震え、粉塵が巻き起こる。

 離れていた部隊員たちが思わず顔を庇うほどの衝撃。


 いつかラトリアをぶちのめすために習得した最大威力の大技だ。

 半端な魔人なら肉片も残らず木っ端微塵になるだろう。

 そんな一撃を、灰色のフードの魔物はろくに防御もしないまま直撃した。


 完璧な当たりだ。確かな手応えを感じ取ったバニスは――



「――この程度の相手には後れをとっていただきたくなかったのですが」



 ――その時、信じられないものを目の当たりにした。


 激しい衝撃に灰色のフードがめくれ上がる。

 その下から現れたのは一人の若い女性だった。


 灰色の長髪をなびかせた、褐色肌の女性。

 極めて整った顔立ちに加え、男なら誰もが魅了されそうな豊満な肉体。

 しかしその線は細く、とても力があるようには見えない。


 そんな女性が、バニスの一撃を軽々と受け止めていた。


 ――片手で。


「な――え?」

 バニスは絶句するしかなかった。

 彼が放ったのは、吸血鬼の血の盾が最大強度で展開されても確実に仕留め得ると確信するほどの威力の一撃だ。


 だが女性はそんな一撃を、左手の掌一つで受け止めていた。

 左腕に装着された禍々しい紫色のガントレット。

 バニスの一撃を受けても傷一つつかないそれが強力な魔道具であると理解したその時には、女性は左手をグッと握り込んでいた。


 それだけでバニスの大斧は為す術もなく粉々に砕け散った。

 誰もがその光景に言葉を失っていた。バニスは無論、周囲の部隊員たちも……そして、吸血鬼の少女すらも。


「ですが、彼女の顔を見た以上は貴方がたには死んでいただきます」


 バニスにはその時の光景がやけにスローモーションに見えた。

 砕け散った愛斧も、堅く握りしめられた女性の右手も。ただ茫然と見つめていた。


 ――だが、次の瞬間に放たれた女性の一撃は、視認すらできないほどの速度だった。


 その場の誰も聞いたことがないような奇妙な爆音が響いたかと思ったそのときには、バニスの姿はそこにはなかった。

 彼の身体は冗談のような速度で森を突き抜け、激突した木々を全て薙ぎ倒しながら数百メートルは吹き飛び、やがて遠くの山に激突したらしき音と衝撃がここまで届いた。


 それを呆けたように眺める部隊員たち。

 バニスの生死など、確認する必要性すら感じなかった。


 右ストレート。

 つまりはただのパンチだ。

 女性が殴打の構えを取り、その手元が一瞬光ったかと思うと、次の瞬間には鋭い右ストレートがバニスの腹部に直撃し、このようなことになったらしい。


 そのあまりの馬鹿馬鹿しさに部隊員たちは、人間の肉体を有り得ない威力で殴るとあんな奇妙な音がするのか、と呆けたようなことを考える始末だった。

 吸血鬼の少女すら、呆気にとられたようにヒクヒクと顔を引きつらせていた。


 ――その時。その場にいる誰もが思い知った。

 

 豊富な適性が生み出すバリエーション。そのコンビネーション。

 様々な状況、様々な魔人への適応力。

 本来非力な人類が、魔族を倒すために生み出した多用な技術。戦術。


 そんなものは、


「――次」


 圧倒的すぎる力の前には……無力でしかないのだと。

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