第55話 ……これからはベアさんって呼ぶね


「――こいつヤバイ!!」


 悲鳴にも似た声が飛ぶ。

 新たな乱入者である灰色のフードの女――グレイベアの力を目の当たりにした彼らは、一瞬で彼我の戦力差を感じ取った。


 今まで隊を統率していたバニスが死亡したことで生まれた乱れ……その空白の時間を、ベアが駆け抜ける。

「な……!?」

 最も近くにいた槍士に一瞬で接近したベアが右拳を構える。


 ほとんど反射的に槍を突き出す。

 が、ベアは回避行動すらとらなかった。

 突き出された穂先を殴りつける。それだけで硬質な槍が小枝のように砕け折れ、そのままベアのアッパーが槍士の胸元を捉えた。


 大砲のような音と共に、槍士が上空へ打ちあがる。

 一瞬にして森の木の高さを超え、そのまま目視で確認できなくなるほど遥か彼方へとすっ飛んでいった。


「は、ハイ・サンダーボル――ごぼぁっ!!?」

 魔法を放とうとした黒魔導士だが、ベアは誰にも視認できないほどの速度で突進。その勢いを全て乗せた蹴りが黒魔導士を蹴り飛ばした。

 バニスと同様に森の奥へと消え去る黒魔導士。


 生き残っている者たちが反射的に陣形を整えようとする。

 半パニック状態に陥りながらも、彼らは身体に染みついた戦闘技術に基づいて少しでも有利な状況を作り出そうとした。

 が、そんな小賢しい手段でグレイベアを打倒することはできない。


「ぐぉ――!!」

 陣形など関係ない。ベアは最も近くにいる部隊員をただ殴るだけ。

 それだけで彼らは死に、一瞬にして陣形などは崩れ去る。


「『ハイ・ファイア・ボム・フォーム』!」

 黒魔導士が巨大な火球を生み出しベアに放つ。

 上位の黒魔導士も多くが採用している強力なスキル。それを最大効果で放ったが――


「――フッ!」

 短く息を吐くと同時に、火球に拳を叩き込むベア。

 魔力の塊のはずの火球がぐにゃりと変形し、火球を放った黒魔導士に向かって跳ね返ってきた。

 まさか自らが放ったスキルが殴り返されるとは思いもせず、黒魔導士は呆然としたまま火球の直撃を受けて吹き飛んだ。


「……め、メチャクチャだ……」


 そう声を漏らしたのは、ベアの戦いを傍で傍観していたマリーだった。




 マリーはベアに、一人でこの部隊を撃退しろと指示された。

 ベアにしてみれば試金石。この戦闘の出来でマリーの戦闘力を計ろうとしたのだろう。

 マリーとて形式的とはいえ今や魔族四天王の一人。先日はバラディア国騎士団とエルフ部隊を丸ごと全滅させた実力者だ。

 面倒だが、それでベアがマリーを認めるのなら別にいいかという気持ちで戦いに身を投じた。


 ――強いじゃん……。

 バニス率いるゴード部隊と戦い、マリーはその戦闘力の高さに驚いた。

 彼らは一人一人が極めて優秀な騎士で、マリーはじりじりと追い詰められてしまった。


 そんな彼らを蹂躙するグレイベアの姿を、マリーは引きつった顔で見つめていた。


 雰囲気から、なんとなくだが多分ベアは自分よりも格上なんだろう。

 マリーはそう思っていた。が……これほどとは思わなかった。


 レベルシステムが導入され、個々の力量差がはっきりと表れるようになった時代。

 目安として、レベルが10上がれば、その戦闘力は一段階上のステージへ行くとされている。


 そういう点では、ゴード部隊は十分に善戦したと言えるだろう。

 彼らの平均レベルは59。ルドワイア騎士団の中では高くはないが、それでも一四人という少人数で、平均レベルを11も超えるマリーを凌いだのだ。


 ――ただし、今回は相手が悪すぎた。

 かつて世界の頂点に君臨した四代目魔王。その専属使用人を務めたグレイベア。



 ――彼女のレベルはS-87だ。



 これは、魔族の中でも四天王に次いで高いレベル帯。

 ゴード部隊の平均レベルを28も超えているのだ。


「――撤退だッ!」


 一瞬にして五人が血祭に上げられ、もはや彼らから戦闘の意思は消え失せていた。

「撤退しろ! こんな奴相手にできるか!」

「各自散開! 援護なんてしねえからな!」


 蜘蛛の子を散らすように逃亡を始める部隊員たち。

 ベアに背を見せることは自殺行為にも等しいが、どの道ここで戦闘を続けること自体が自殺行為なのだ。

 ならば生き残った者で一斉に退却し、あとはベアの攻撃が自分に向かないことを祈る方がよほど生存率が高い。

 幸いここは森の中。上手く逃げればベアを捲ける可能性もある。


 ……が、ベアは彼らを一人として逃がすつもりはない。

 彼らはマリーとベアの顔を見た。

 今後陰に潜み続けなければならない二人にとって、一人でも生存者を出すのは得策ではない。

 それが巡り巡って、魔族の追っ手の耳に入らないとも限らないのだから。


 逃げ出した彼らとの距離はまだ一〇メートルに満たない。

 その程度の距離、ベアならば一息で踏み越える。


「ひぃ……!」

 一瞬で接近された部隊員が死を覚悟する。

 その予感どおりベアが腹を殴りつけると、彼の身体が吹き飛んだ。

 その先には背を向けて逃亡する別の部隊員がいた。


 総重量数十キロを超える砲弾と化した男が激突し、共に死亡。

 そのすぐ傍を走っていた男に向かって、ベアが突進してきた。


 ……だめだ。

 絶望に歪む視界の中、彼は死を確信した。

 この化け物からは逃げられない。


 ベアが拳を構える。

 もう一度でも瞬きをすれば、その間にあの拳が自らの胴体を打ち据え死に至る。

 避けようのない死の気配が胸中に満ち――



 そのとき、一筋の光が彼の視界を横切った。



「――ッ」

 即座にベアが後退する。

 それは、バニスの一撃すら軽々と受け止めてみせたベアが、初めて見せた回避行動だった。


「――た」

 九死に一生を得た彼の目に、知らず涙が溢れ出した。


 彼を庇うようにして立つその背。

 柔らかな金の後ろ髪を、今日ほど美しいと思ったことはなかった。


「隊長ォ!」


 この部隊の真のリーダー。

 ラトリア・ゴードが姿を表した。


「……貴様」

 ラトリアが睨み付ける視線の先には、無表情のまま佇むグレイベアの姿。

 一目見ただけで、彼女がどれほど途方もない力を持っているかラトリアにも感じ取れた。


「こ、これは……!?」

 ラトリアに僅かに遅れて合流したシィム・グラッセルが、この場の惨状に息を呑んだ。

 シィムはこの部隊の者たちが憎くて仕方がないが、それでもその実力は認めている。

 そんな彼らの死体がそこら中に転がっているというのは、どこか現実味を感じさせない光景だった。


「状況報告」

「は、はいっ!」

 ラトリアの指示に従い、傍にいた部隊員が答えた。


「バ、バニスさんを含む七名が死亡しました。敵は二人ですが、一人は重傷。ただ、あの女が……!」

「バニスさんが……死んだ?」

 唐突すぎる事実にシィムもしばし理解が追い付かなかった。


 つい先ほどまでシィムとラトリアを貶し、猿山の大将を気取っていたあの大男が……死んだ。

 それも、たった一人の女性を相手に?


「隊長、気を付けてください! あの女、普通じゃない!」

「そのようだな」

 こんなときだけラトリアの身を案じるのか、とシィムは内心で毒づいた。


 しかし、それは逆を言えばそれほどに彼らの絶望が深かったということだ。

 逃れようのない死の気配が、ラトリアの登場で一筋の光が差した。その希望がどれほどのものか、シィムには決して分からないだろう。


 そんな部隊員たちの希望を一身に受けながら、ラトリアは静かにベアと対峙した。


「……」

 一方で、ベアもまたラトリアを前に動けずにいた。

 ラトリアが両手に構えているのは、人の背丈ほどもある大太刀だった。

 細く長い刀身は研ぎ澄まされ、かなりの業物だと見受けられた。


 先の一瞬、ベア目がけて振りぬかれた一太刀は、ベアをして見事だと賞賛してしまうほどの一閃だった。

 それだけでこの乱入者の実力は察せられる。


 バニスなどとは訳が違う。

 この相手には、ベアも決して手は抜けない。


「……マリーさん」

「っ!? は、はい!」

 何故か強張った様子のマリーに声をかける。


「撤退します。あの騎士は、重症のあなたを庇いながら戦えるほど甘い相手ではありません。――例の場所、分かりますね?」

「う、うん」


 二人には、こんな事態に備えてあらかじめ決めていた合流地点がある。

 ここで離れるのは様々な点で不安があるが、少なくとも一度ベアの力を目の当たりにしたマリーが、今更彼女から逃げようとは思わないだろう。


「行ってください。――あの騎士は、私が始末します」

「わ、分かった。あの……気をつけてね」


 痛む身体を奮い立たせ、マリーは高く飛翔した。

 戦場から離脱したマリーを見たラトリアが声を発する。


「追え」

「え……?」

「あの少女を追え。私以外全員でだ」


 ラトリアにしてみれば当然の判断だ。

 あの二人は預言にあった『バラディアに災いをもたらす者』の可能性が極めて高い。

 その内の一人をみすみす逃すわけにはいかない。


「た、隊長。あの女はどうなさるんですか?」

 シィムの問いに、ラトリアは静かな声音で応えた。


「あの女は私が仕留める」


 ラトリアに絶大な信頼を寄せるシィムですら、一瞬躊躇せざるを得なかった。

 それほどにあの女が放つ暴力の気配は凄まじい。

 だが……


「――ご武運を」


 シィムはそう一言だけ残し、呆然と立ち尽くしている部隊員たちに発破をかけた。

「皆さん、何突っ立ってるんですか! 逃げたもう一人を追いますよ!」

「……! あ、ああ……!」


 我に返った彼らは、一目散にその場から去っていった。

 彼らにしても、ベアを相手にするよりも逃げたブラッディ・リーチを追う方が何倍も幸福な命令だ。


 次々と姿を消していく部隊員たち。

 静寂が戻った森の中に、ラトリアとベアの二人だけが残った。


「…………」

「…………」


 無言で視線を交わす二人。

 一瞬の空白。

 そして――


「――ハァッ!」

「――フッ!」


 ほとんど瞬間移動に近い速度で接近する両者。

 瞬きにも満たないほどの刹那の間に、二人の攻撃が交差する。


 奔る太刀の閃光と、突き抜ける剛拳の軌跡が、一瞬にして幾重にも描かれる。

 やがて閃光のような一瞬の後――


「――ぐっ……!」


 硬質な音が響き、ラトリアが後方に押し飛ばされる。

 数メートルの距離を両足が滑り、二本の痕を地面に刻む。

 大太刀の腹で防御しても尚響くベアの拳の重さに瞠目するラトリア。


「……」

 一方で、ベアもまたラトリアの力量には目を見張った。

 ラトリアはベアの一撃を受けきったのだ。

 他の部隊員を殴り殺し、バニスを地の果てまで吹き飛ばした一撃を受け、ラトリアは傷一つない。


 のみならず……


「……」

 ベアは視線を自らの左腕に落とす。

 そこには、赤く血を滲ませる一筋の傷跡があった。


 ほんの掠り傷ではあるが――今の攻防、ラトリアはベアに一太刀浴びせていたのだ。


 徒手空拳で戦うベアの方が速度では圧倒的に有利なはずだ。

 だがラトリアはあの大太刀でもって、ベアの攻撃速度に勝るとも劣らない神速を見せつけた。


 ――強い。

 両者ともに確信する。

 この相手は、並の実力者ではない。


「……魔人だな」

 ラトリアが言った。

 確証が持てなかったが、今の攻防で確信した。魔人が放つ独特の気配……一度武器を交えればそれがはっきりと感じ取れた。

 それも……おそらく、ラトリアが今まで戦った中でも、二番目に強いであろう魔人だ。


「……エルダー、ですね」

 ベアが言った。


 エルダー。

 それは、ルドワイア騎士団の中でも選び抜かれた者のみに与えられる称号だ。

 現在この称号を与えられている騎士は十二人しかいない。

 事実上、人類最強の十二人の内の一人。



 それがラトリア・ゴード。

 S-81レベルを誇る、人類最高峰の剣士だ。



「――行くぞ」

「お相手いたします」


 太刀を水平に構えるラトリアと、今日初めて迎撃の構えを見せるグレイベア。


 静寂の満ちる森の中、80レベルを超える超越者同士の戦いが幕を開けた。

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