第132話 迷宮へ帰還


 床に投げ出されたルゥの手足を黒い魔力の鎖が拘束し、床に磔にする。

 身動きの取れなくなったルゥを囲んで、三人の魔人が立っていた。


「シェンフェル、拘束を解くなよ」

「うん」

「叫ばれると面倒だよね。喉でも潰す?」


 眉一つ動かさず言ってのけるテラノーンに、ルゥは、ひぃ、と恐怖に息を呑んだ。


「物理的に声を出せなくなると困る。シェンフェル、防音の結界は張れるか?」

「できる。でもその結界は外から見て目立ちやすい」

「なら却下だ。――女。少しでもおかしな真似をすれば殺す。分かっているな?」


 リュドミラの睨み付けに、ルゥは震えながら何度も頷いた。


「紫の少女はどこにいる。それとあの魔人……インクブルもだ」

「ぱ、パンダさんのこと……ですか?」

「パンダ……」


 リュドミラはそこで初めてあの少女の名前を知った。

 パンダ。聞いたことのない名前の魔人だ。偽名の可能性が高いと感じたが、それは今は重要ではない。


「お前たちと一緒にいた紫の少女だ。どこにいる」

「し、知りません……まだ……会っていません」

「北東の区域には誰がいる。二人この町から出たはずだ。誰が残っている」

「……な、なんの、こと……わ、私は何も……知りませ……!」

「――声を出したら殺す」


 え、と呟いたそのときには、ルゥの左足首がリュドミラによって踏みつぶされていた。

 激痛によって漏れ出た悲鳴を懸命に抑える。

 ここで声を出せば即座に殺されるという恐怖から、必死に口を閉じて悲鳴を噛み殺した。


 痛みのあまり両手の指先がビクビクと震える。

 左脚がどうなったのか確認するのも恐ろしくて目を逸らすことしかできなかった。


「うっ、ふっ……! ふぐぅうう……!」

 痛みと恐怖に両目から涙をこぼすルゥに、リュドミラは再び問いかけた。


「紫の少女……パンダはどこだ」

「し、知りませ……えぐっ……ほんとに、知りませんん……いたい、よぉ……」

「北東区域に入る方法を教えろ」

「はいる……ほ、ほうほう……?」

「そうだ。何故あそこに近づくと別の場所に転移する? お前たちはどうやってあの区域に進入している」

「ど、どういう意味……ですか……ううぅ……入る、方法……?」

「……」


 右足の指が何本かまとめて踏み砕かれた。


「あぅぐうううう!! い、ぎぃいいいい! し、知りません! はい、入る、入る方法……なにが……どういう意味……あああああ!」

「大声を出すな。そこには何がある」

「宿屋ぁ! 四階建ての宿屋ですう! それだけです! 痛いいいい!」

「結界を張る装置があるんじゃないのか? 魔術式が刻まれている場所は? 特殊なマジックアイテムは?」

「知りません! ありませんんん!」


 今度は仰向けのルゥの腹部が踏みつけられる。

 リュドミラほどのレベルの魔人が行えばそれだけで死因に成り得るほどの衝撃。

 内臓と骨が潰れる音が響き、ルゥは血の塊を吐き出した。


「おぐぅ! がはっ!」

「何故貴様らはあの区域に入れる。どうやって入っている」

「知り、ませ……! ご、ほっ……はいれ、る……誰でも……入れ、ます……!」

「ではなぜ我々は入れない」

「はいれますぅ……!」

「入れないから聞いている」


 次は右足が踏み砕かれた。

 顎の骨が割れる程強く歯を噛みしめたせいで、奥歯が一本欠けて床に落ちた。それくらいしなければとても悲鳴を抑えられないほどの激痛だった。

 痛々しいルゥの姿からは嘘を言っているようには見えないが、そんな甘えた判断を下せる状況ではない。


 リュドミラの尋問は続いた。

 パンダ達と行動を共にするきっかけについて。この迷宮の謎について。あの騎士について。

 インクブルについても質問した。

 北東区域への侵入方法については特に念入りに確認した。


 ルゥは血と涙でぐしゃぐしゃになった顔を苦痛で歪めながら必死に答えた。

 それがリュドミラの望む答えではなかったら、その度に身体のどこかが痛めつけられた。

 だがルゥには他に答えようがないものばかりだった。

 パンダの正体など知らないし、迷宮の謎などむしろルゥが教えて欲しいくらいだった。


 やがて床に大きな血だまりが出来る頃になって、ようやくリュドミラの尋問は一段落ついた。

 縛られたルゥの両手足は全てあらぬ方向にひしゃげ折れ、ただでさえこの三日間で衰弱状態にあったルゥは虫の息となり、虚ろな目を天井に向けていた。


「……北東区域に入るために特別な方法は使ってないみたいだね」

 リュドミラの尋問を眺めていたテラノーンは、腑に落ちない様子ながらそう呟いた。

「仲間を庇っている可能性がある。我々をそこに入れないために」

 リュドミラはあくまでも冷淡に言った。ルゥの言葉をそのまま信じるつもりはなかった。


 事実としてリュドミラ達は北東区域に立ち入れない。何かの力が作用していることは明らかなのだ。

 ルゥはどうでもいいことは躊躇なく話したが、リュドミラが知りたいことに関してはことごとく知らないで突き通した。

 結局彼女から聞き出せたものの中で有用なものは少なく、時間だけを空費した感覚だけがあった。 


「……考え方を変える。もしこの女が何も知らないまま何の障害もなく北東区域に入れているのなら、あの現象はあくまでも迷宮側が敷いたルールに則ったものだということになる」

「この人間たちは入れるけど、魔族は入れないってこと?」

「……魔族は入れない……か」


 何の気なしに言ったテラノーンの言葉が、やけにリュドミラには引っ掛かった。

 前回、あの少女、パンダを見つけたときも北東区域外だった。

 もう一人いた女もアンデッドだった。どちらも魔物、あるいは魔族だ。

 そしてそれ以外……人間、エルフ、といった者たちは北東区域に進入できている。


「魔族だけを弾く結界……?」


 思えば、あの森のときもそうだった。

 迷宮から森に転移した際、その場にいたのはリュドミラ達と、パンダとアンデッドの二人。

 他の者たちは別の場所に転移していた。


 ……リュドミラ達の視点ではそう見えた。だが逆だったとすれば?

 すなわち、他の者たちが別の場所に転移したのではなく、別の場所に飛ばされたのだとしても……あのときの状況は説明できる。


「いや、それはないよ」

 だがテラノーンはその意見を自ら否定した。


「だって北東区域にはインクブルがいる。奴も魔人だ。その理屈ならインクブルも北東区域には入れないはず」

「……インクブルは確かに魔人なんだろうな?」

「間違いないよ」

「……」


 ということは、やはり別の法則が働いていることになる。

 それを、この瀕死の少女が説明できるとも思えないが……他に手がかりがない。

 リュドミラはルゥの胸元を踏みつけながら言った。


「他に何か喋り忘れたことはないか? 内容によっては苦痛を与えずに殺してやってもいい」

「……」

 ルゥはもう痛みに呻く余裕もないのか、ただひゅうひゅうとか細い息を漏らすだけだった。


「パンダとホークとは、つい先日出会ったばかりの間柄なのだろう? そんな連中を命がけで庇って何になる。貴様の仲間は二人とも死んだ。ここで素直に喋れば奴らのところに行けるぞ」

「……ルイス……アッシュ……」

「そうだ。これ以上苦痛を感じる必要はない。一瞬で殺してやる。痛みから解放されて楽になれ」


 朦朧とする意識の中を、リュドミラの言葉が滑り込んでくる。

 痛みと恐怖から解放されたいという欲望に支配されたルゥは、リュドミラが求める答えを探し続ける。


 今はただ、この恐ろしい魔人から許されたいという思いしか浮かばなかった。


〝――憎しみに飲み込まれるか力に変えられるかは本人次第だ〟


 そのとき、そんな言葉が脳裏に蘇った。

 リュドミラへの回答を探すためにこの迷宮に入ってからのことを思い出していた。

 だがそのときに思いだしたのは、ルイスが死亡し、その悲しみを乗り越える方法を教えてくれたエルフの言葉だった。


〝――妹を殺したそいつは強かった。だが私は憎しみに囚われ、奴への恐怖など微塵も感じなかった。それも言わば、憎しみを力に変えて、恐怖を克服したと言えるのかもな〟


「……」

 相手が強大であっても、彼女は恐怖を抱かず戦い抜いたという。

 憎しみを力に変え、恐怖を克服したのだと。

 そんな力が自分にもあれば……そう何度も思った。

 昔から臆病な自分が嫌いだった。変わりたくて冒険者になった。だが自分は、ルイスやアッシュに頼り切るばかりで、結局何も変われてなどいなかった。


 でもせめて。

 せめて死の間際にくらい……。


「……あなた、は」

「なんだ。何か思い出したか?」

「……ルイスを……殺した……」

「……? 誰の事だ。――ああ、迷宮で殺したあの弓士のことか? それが何か迷宮の謎に関係しているのか?」


 そう尋ねるリュドミラに、ルゥは一度だけ、ふ、と弱々しく笑みを浮かべた。


「あなたなんか……あの騎士に……やられちゃえば、いいんだ……」

「……」


 リュドミラはしばし沈黙したまま、じっとルゥを見下ろしていた。

 やがてルゥの胸元を踏みつけていた右足をどかすと――


「死にたくなったか。まあいいだろう」


 ルゥの顔面目掛けて右足を踏み下ろした。


 目を閉じるルゥ。この一撃が命中すれば、間違いなくルゥの頭蓋は粉砕され即死するだろう。

 だが恐怖はなかった。ホークの言う通りだった。

 より強い想いが、ルゥから恐怖をかき消してくれた。


 ……ああ、ホークさん。私も、あなたのようになれたでしょうか。

 そんな満足感を抱いて、ルゥは静かに死を受け入れた。


「…………」

 ……そのまま、数十秒が経過した。

 覚悟したはずの衝撃がいつまで経っても来ない。


「……?」

 不審に思い目を開けると、そこには誰もいなかった。


 三人いたはずの魔人はどこかへ消え去り、廃屋の中にはルゥだけが取り残されていた。


「……」

 事態が飲み込めず起き上がろうとするが、それはできなかった。

 シェンフェルの魔力の鎖によって拘束された手足はそのままだったためだ。

 いや、仮にこの鎖がなくなっていたとしても、もうルゥには起き上がる気力は残されていなかっただろう。


 ――ギィ、と廃屋の扉が開けられて、中に誰かが入ってくる音が聞こえてきた。


 やがて足音はルゥの傍で立ち止まると、誰かが息を呑む声が聞こえてきた。

 そこには、ルゥがこの三日間会いたくてたまらなかった者たちの姿があった。


 ホーク、インクブル、シラヌイ……この町でまだ生き残っている者たち。

 ルゥの最後の味方だ。


 彼らの姿を目にし、ルゥは安堵したように短く息を吐くと、そのまま意識を手放した。

 その間際、ルゥが倒れ込んでいる床がかすかに発光する気配があった。

 それが何かはもう分からない。ただ、魔人たちの脅威は去り、ホークが助けに来てくれたという安心感に包まれながら、ルゥは静かに目を閉じた。






「……血の匂いだ」

 ホークが立ち止まって呟くと、後ろに続いていたインクブルとシラヌイも足を止めた。

 宿屋から出て廃虚の町を移動していた三人は、やがてとある廃屋から異常を感じ取った。


 離れた距離からでもかすかに漂ってくる、真新しい血の匂い。

 今この町で血を流せる者は多くない。

 慎重に進みながら周囲を見回していると、地面に足跡がついていた。

 それ自体は珍しくないが、その足跡はその廃屋の中へ続いており、血の匂いもそこから漂ってきていた。


 ホークは魔法銃を構えながら、ゆっくりとその家の中に入っていった。

 やがて廃屋の最も奥まで辿り着くと、そこには血だまりの中に倒れたルゥの姿があった。


「ルゥさん!」

 シラヌイが慌てて駆け寄ろうとするのを、ホークが制止した。

 ルゥはまだ生きている様子だった。が、瀕死の状態だ。

 数秒もするとルゥは安心したように意識を失った。肉体の損傷は酷いが、今すぐ治療すればまだ間に合う可能性もある。


 だというのに、ホークはシラヌイを制止したまま奥に進もうとはしなかった。


「ホークさん、一体何を……!」

「罠の可能性が高い」


 ルゥは両手足を魔力の鎖で繋がれていた。

 つまりここまで逃げてきたわけではない。ここであの魔人たちに捕まり、ここで痛めつけられた。

 なのに瀕死のルゥを置いて魔人たちが消えるとは思えなかった。

 どう考えても罠の可能性が高い。


 そう思った矢先、ルゥの血で出来た血だまりがかすかに発光しだした。

 明らかに何らかの魔力の行使を思わせる発光。ホークはすぐにシラヌイを掴んで後退。家の外に飛び出した。


 ――直後、大きな爆発。

 ルゥの真下で起こった爆発は、ルゥの体もろとも廃屋を吹き飛ばした。

 爆風に晒され地面を転げるホークとシラヌイ。

 インクブルが咄嗟にシラヌイを抱きすくめて支えるが、彼もまた爆風に押し飛ばされた。


 やがて爆風が収まった頃には、廃屋はただの瓦礫と化していた。


「……クズどもが」

 瀕死の味方を餌に使ってのトラップ……人間たちがよく使っていた手だ。

 罠として利用するにしてもあまりにもあからさま過ぎる状態でルゥを放置していたのは、その必要があったのか、あるいは相当なヘタクソかのどちらかだ。


 あんな見え見えの罠にかかるほどホークは甘くない。

 実用性の薄い、ただ不愉快なだけの罠だった。

 これに比べればパンダの仕掛ける罠はよほどスマートだった。


「酷い……」

 ルゥに対するあまりの仕打ちに、シラヌイが静かに涙を流した。


「ホーク、今のは……」

「見ての通りだ。これでこの町に残っている中で同じ陣営と言えるのは私達三人だけだ。向こうも三人。そして騎士が一人」

「今の子は……なんとか助けられなかったのか?」

「お前はシラヌイの心配だけしていろ」


 暗に、魔人のお前にとって人間などどうでもいいだろうと言われている気分になり、インクブルが悔しそうに唇を噛んだ。


「魔人は……人の死を悼んではいけないのか?」

「……」


 当たり前だ、と言いそうになるホークではあったが、口には出さずに飲み込んだ。

 かつて同じパーティを組んだ仲間の死を悼む、そんな魔人を知っていたからだ。


「勝手にしろ。だが今の音は騎士にも聞こえたはずだ。今すぐ移動して――」


 ホークがそう言いかけたそのとき。


「――なに!?」

 突如、世界が白い光に包まれた。

 この光にはホークも見覚えがある。森であの魔人たちと戦闘になり、そして騎士が乱入してきたあと、世界を覆った光だ。


「これは……」

 この光の直後、森は姿を消して迷宮に戻った。

 今回もそれと同じことが起こるのだとすれば……。


「終わる……? 廃墟の町が消えるのか……!?」


 やがて世界が全て漂白され、ホークは光の中に溶け込んでいった。






 遠くから立ち上る爆炎を眺めながら、リュドミラは何度目か分からない嘆息を漏らした。

「まったく……次から次へとおかしなことが続くなこの迷宮は」

「また転移しちゃったみたいだね。これ、ほんとにどうなってるんだろうね」

 傍らのテラノーンもうんざりした様子だった。


 罠、とホークは詰ったが、実際にはルゥを爆殺したのはそんなことが目的ではなかった。

 これはリュドミラ達にとっても不可抗力の出来事だったのだ。


 あの瞬間。ルゥの頭部を粉砕しようとしたそのとき、リュドミラ達は突如としてこの場所まで転移していたのだ。

 何の予兆も感じられないほど一瞬の間に、リュドミラ達は数百メートルも別の場所に飛ばされた。


 場所は北東区域にはまだまだ遠かったため、それがあの転移現象だと気づくまでに時間がかかった。


「魔法を仕掛けておいて正解だったね。危うく一人取り逃すところだった」

 テラノーンの言葉にリュドミラも同意した。


 こんなこともあろうかと、シェンフェルにはルゥが倒れている付近に起爆式の魔力爆発のスキルを仕掛けさせていたのだ。

 シェンフェルの意思一つでそれは起爆可能。幸い、転移した場所はシェンフェルの魔力が届く距離だった。

 黒魔法に特化したシェンフェルであっても、数百メートル離れた魔法を起爆させるのはかなりギリギリの距離だ。

 今回は運がよかった。


「シェンフェル。探知魔法を放て。あの女が死んだか確認しろ」

「うん」

「それにしても……やっぱりあの女は何か転移に関して知ってたんじゃない? だからあんなタイミングで僕らを転移させられたのかも」

「……いや、むしろ逆だ。これであの女が転移に関わっていないことがはっきりした」

「? どういうこと?」


「そんな手段があるのならもっと早くに使っていたはずだ。あそこまでもったいぶる必要はなかった」

「……そうか。じゃあ今の転移現象はあくまでも偶然……だからあの女は転移については何も知らない、と」

「おそらくな。だから、やはり転移現象は迷宮側が引き起こしている可能性が高い。……問題は……いったい何が転移の引き金になったかだ」

「これってつまりさ……僕らは『北東区域に入れない』んだと思ってたけど、そうじゃなくてもっと別の原因があったせいで入れなかったってこと?」


 今の転移現象とは北東区域とは全く関係のない場所で発生した。

 単に座標が問題なのではなく、転移を引き起こす何かがあったのだと考えるしかない。


「……おそらくそうだ。あの女はむしろ、転移現象の存在すら知らない様子だった。知らない内に何らかの『条件』をクリアしていたから、転移現象に見舞われなかったと考えるのが自然だな」

「探知できた」

 そこでシェンフェルが探知を終了した。


「教えろ」

「二時。二四〇メートル。三人」

「……なに?」


 その三人は間違いなく、北東区域にいたはずの三人だが、何よりも座標が気になった。

 その座標は、まさにあの人間の女、ルゥがいた場所に近い気がした。

 空へ立ち上る煙を確認するリュドミラ。距離、方角、どちらも今シェンフェルが話した通りの座標に見える。


「……奴等もあの場所に近づいていたのか」

 では、もう少し爆破のタイミングを調整すればまとめて爆殺することも可能だったかもしれないが……まあそれは結果論だ。

 それよりもリュドミラが気になったのは、タイミング。


 ルゥにとどめを刺そうと思ったら転移した……そういう風に見えたが、こうなれば別の見方もできる。

 ホーク達が接近してきたと同時に、転移が起こったともとれるのだ。


「……『条件』……これが、条件……か?」

「あのエルフ達が近づいてきたから転移しちゃったってこと? いや、それは関係ないんじゃない? だって前の戦闘のときも、あのエルフとインクブルは僕たちに近づいたじゃないか。でも転移は起こらなかった」


「…………いや、違う。同じじゃない。あの時はホークとインクブルの『二人』。今回は『三人』だ。――――そうか。『北東区域』に近づけないんじゃない。私たちが近づけないのは、場所じゃなく……『人』なんだ!」

「それってどういう……」


「――ッ! 後ろ!」


 その異常を事前に察知できたのはシェンフェルだけだった。

 探知魔法を放ち、周囲の気配を探れるシェンフェルだけが――後方から接近してきた何者かの気配を察知できた。


 転移した現象そのものに注意をとられ過ぎたのが仇となった。

 予期せぬ異常現象に直面し、その原因や、取り残してきたルゥを殺すこと、そればかりに意識を向け、という事実を軽視してしまった。

 リュドミラ達は今、本人達の意図しない場所へ忽然と現れてしまったのだ。

 であれば、そこが安全な場所だという確認をまずするべきだった。


 だが悔いても遅い。

 シェンフェルが言葉を発したときには既に、リュドミラ達の後方四〇メートルほどの位置から――騎士が斧を振りかぶっていた。


 ――投擲。高速回転しながら迫る斧はまるで車輪のように刃を回転させながら、銃弾さながらの速度でテラノーンの頭部に突き刺さった。


 その衝撃で地面に倒れ込むテラノーン。斧がテラノーンを地面に串刺しにし、周囲に鮮血が飛び散った。


「しまっ――!」

 リュドミラが焦燥を露わに飛び退る。

 この騎士と出会いたくないがために積み重ねた幾つもの苦労が、このたった一度の油断により全てご破算となった。


 騎士が疾走してくる。

 今の不意打ちでテラノーンが即死した。

 こちらの戦力はたった二人だ。あの森では五人がかりでも圧倒されたあの騎士を相手にするなど不可能な戦力差。


〝――あなたなんか……あの騎士に……やられちゃえば、いいんだ……〟


 そんな言葉が脳裏を過ぎり、リュドミラは歯を噛みしだく。

「――舐めるな、人間風情が!」


 両手に魔力を込める。シェンフェルが補助魔法を施し、リュドミラの身体能力を上昇させる。

 決死の覚悟で騎士を迎え撃とうとしたそのとき――


 ――キィン、と、テラノーンに突き刺さっている斧が発光しだした。


「……なに?」

 この現象はあの森でも体験した。

 あのときも……確か、バルブルが死んだ直後に斧が発光しだしたのだ。

 それと同じ現象が起きるのであれば……。


 ――リュドミラの予感通り、やがて白い光が世界を覆いつくし……次にリュドミラが目を開けると、



 ――そこは迷宮の中だった。



「……」

 周囲を見回す。

 等間隔の通路が続く、あの迷路に戻ってきていた。

 町の気配とは違う、閉鎖空間で淀んだ空気。月の光ではなく、通路に設置された光る石だけが光源の薄暗い迷宮。


 ふと隣と見ると、シェンフェルも同じ場所にいた。

 テラノーンの姿はない。ただ、地面はしっかりと斧が突き刺さっていた。

 そして通路の先……そこには、ぐらりとよろめく騎士の姿があった。


「……ウゥ……ア……アァ……」

 生気の通わないうめき声を上げながら、騎士は少しずつ接近してくる。

 先程までの獰猛な肉食獣さながらの姿はない。今が好機だった。


「……退くぞ、シェンフェル」

 戦うか、逃げるか。リュドミラの逡巡は一瞬だった。

 あの騎士とまともに戦えば死ぬ。


 騎士に背を向けて駆け出す二人。

 やがて騎士の姿が見えなくなると、リュドミラが指示を飛ばした。


「シェンフェル、探知魔法を放て。今この迷宮に残っている者を全て捉えろ」

 リュドミラの計算では、残りは騎士を除いて三人だ。

 先ほどの探知でもそう結果が出た。この数字に間違いがないかを確認する必要があった。


「……終わった」

「教えろ」

「七時。二〇メートル。一人」

 騎士の反応だ。これは当然の結果といえる。


「二時。二〇〇メートル。一人」

「……一人?」

 その座標は確か、ルゥを尋問したあの廃屋の近くだ。

 そこにはホークを含め三人の者たちが接近していたはずだが……一人というのはどういうことなのか、リュドミラには分からなかった。


 だが次のシェンフェルの言葉にこそ、リュドミラは目を見開くこととなった。



「……十時。四三〇メートル。……

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