第80話 戦いの後の一服は格別だな
サブタワー上空に発生した亀裂から吐き出される、濁流のようなドラゴンの群れ。
夜が訪れ、その暗闇すらも覆う漆黒の竜の影を、激しい閃光と火花が散らす。
亀裂の真下で二人の剣士が白刃を交わらせ続けていた。
響き渡る金属音は止まることを知らず、超高速で連続的な音を奏でていた。
「ハアアアアッ!!」
裂帛の気合と共にラトリアの大太刀が空を斬り裂く。
誰もが目を奪われるような、一流の剣士の名に恥じない連撃。その一つ一つが、亀裂から生まれるドラゴンの首を一刀両断するだけの威力がある破格の一撃だ。
「だははっ! いいねいいねえ!」
そんなラトリアの連撃をことごとく弾くムラマサの剣技は、もはやどのような基準でも測れない、まさしく規格外の領域だった。
ムラマサは迎撃に徹し、積極的な攻めを見せようとしなかった。
襲い掛かるラトリアの攻撃を弾く。いや、『いなす』と表現するほうが正確だろう。
刃を打ち合わせるのではなく、その軌道を逸らす。
高速の斬り合いが始まって数分。攻防は同じパターンをなぞり続けた。
果敢にムラマサに攻め込み、少しずつ距離を詰めるラトリア。
それをやり過ごすムラマサは、両者の距離が一定まで縮まると攻撃に転じる。
三連撃。ほぼ同時に放たれた斬撃を全て防ぐラトリアも十分に異常だが、それを誇るような余裕は一切ない。
三連撃を凌ぎ切ったラトリアの姿勢……視線、重心の位置、筋肉のかかり具合、両脚の間隔……それら全てを一瞬で見切ったムラマサが放つ次なる斬撃は、その状態のラトリアにとって最も防御が困難な一撃。
「くっ……!」
それを無理に防ごうとして不自然な体勢を作ってしまうラトリア。ならば次の動きも今と同じだ。
ムラマサは彼女に防御困難な斬撃を放ち続ける。
そうしてじりじりと、進撃してきたラトリアを後ろへ押し出していく。
一定以上の距離が開けばまた仕切り直し。その繰り返しだった。
縦横無尽。上へ下へ、縦に横にと刀を払い、宙に刻まれた斬撃の軌跡が幾重にも重なった。
ムラマサの斬撃はラトリアが今まで体験したどんな太刀筋とも違った。
横に振るわれたように見えた斬撃が、下からの斬り上げに化ける。
点を穿つ鋭い刺突が、緩やかな曲線を描く。
鉄の刃が刻む軌跡は、変幻自在の流体が如く。
意図的に規則性を持たせず、緩急を織り交ぜて巧みにラトリアの予測を外す斬撃が、執拗にラトリアの反応速度を試す。
それ自体はラトリアの命を狙ったものではなく、徹底して体勢を崩すことを目的としている。
そうして体勢を崩しに崩されたラトリアに向けて、ようやく致命傷に成り得る斬撃を放つ。
この一斬を見切れなければ即死。
危機感に急かされてラトリアは大太刀を振るい続ける。
いつ首が飛んでもおかしくないギリギリの剣戟にラトリアの心が悲鳴をあげる。
剣での試合とは、ただ刃を打ち付け合うばかりではない。
その本質はむしろ『対話』に近い。
持ち主が口を閉ざしても、握る刃が雄弁に語るのだ。
何を狙い、何を斬り、次に何を成すつもりか。
その思いが互いにぶつかり合えば、斬り合いは淀みない剣舞へと姿を変える。
それがラトリアの知る剣の果し合いというものだ。
――その道理が、この男にだけは通じない。
鳥肌が立つほどの違和感、不気味さ。
ムラマサと刃と合わせる度にラトリアは何度もそれを感じた。
――あまりにも『噛み合わない』。
いや、ムラマサが意図的に噛み合わせていないのだ。
長年の経験則から導き出した、『次にこう斬ってくるはず』というラトリアの予測が、ことごとく外される。
考えれば考えるほど泥沼にはまる感覚。
まるで間隔の違う歯車を合わせているように、度々流れを切らされた。
「かっ……はっ……はあっ……!」
何度目かの仕切り直し。呼吸を忘れていたラトリアが慌てて息を吸い込んだ。
滝のように汗が流れ落ちる。
一方でムラマサは涼しい顔で、楽しそうに咥えタバコをくゆらせていた。
「お見事お見事。な? 『先読み』なんてなくても、だいぶ俺の刀も見えてきたろ?」
「……っ!」
図星を突かれる。
ムラマサの指摘通り、先程かけた『先読み』の効力は既に切れていた。
再使用にはまだクールタイムが残っている。それを悟られまいとしていたが、稚拙な足掻きだったようだ。
ムラマサの神速に対抗するためには『先読み』スキルは不可欠……そう信じていたラトリアではあったが、むしろその効力が切れた今の方がムラマサの斬撃を防げているような気すらした。
「『先読み』なんてもん使ってるから、なまじ目で見て考えちまう。相手の太刀筋なんて見てもどうにもなんねえよ。剣士なら、相手の心を見ねえとよ」
「貴様の教えなど受けるか!」
突進。ムラマサを黙らせようと死ぬ気で大太刀を振るう。
その全てを打ち払われ攻め手を失うラトリア。
それを見て、ムラマサが刀を横一文字に払う。
「――ッ」
――その太刀筋だけは、何故かはっきりと見えた。
今までのムラマサとは違う、明らかに手抜きの一撃。『先読み』を使うまでもなくその軌跡が予知できた。
軽くかがむだけで苦も無く回避。
同時に、ムラマサの胴体ががら空きなことに気づく。
「――」
好機……?
一瞬の逡巡。千度斬り合って一度訪れるかというチャンス。剣技で劣る自身が勝利を掴みうる、千載一遇の好機。
……だが、あまりにもムラマサらしからぬ隙。あるいは罠の可能性も――
「――おっせえ」
殺気。
首が斬り飛ばされる幻覚を抱き、思案に耽っていたラトリアの目が覚める。
ラトリアを外したはずの刀が有り得ない軌道で戻ってきた。
咄嗟にそれを防いだその時には、ラトリアの腹部を蹴りが打ち据えていた。
「がはっ!」
数メートル蹴り飛ばされる。
ムラマサは追撃してこない。
やれやれ、と苦笑いしながら刀で自分の肩をぽんぽんと叩き、短くなったタバコを地面に捨てた。
「斬り込むもいい、退がるもいい。だが『止まる』ってのはどういうこった」
「……ッ」
「脳みそで考えてどうする。遅すぎんだろそれじゃ。そんなとこに頼らなくても、お前の身体がもう答えを知ってんだよ。剣ってのはそういうもんだ」
「……自分ができるからと、偉そうに……!」
「お前いま、重心が後ろに乗ったろ?」
「な……」
そんなことを意識する余裕など全くなかったが、ムラマサには見えていたようだ。
「分かるか? 『お前の身体は後退を選んでた』ってことだ」
「……」
「剣での果し合いってのは『対話』みてえなもんだ。なのにお前は自分の声すら聞こえてねえ。そんなんだから迷うんだよ」
忸怩たる思いがラトリアを責める。
剣は対話……それはまさにラトリアの剣技に通じるところ。ムラマサもまたその礼に応じていたのだ。
噛み合わないのも当然。ラトリアはムラマサを意識するあまり、自分を見つめる余裕すらなかった。ただムラマサの刀に追いすがるので必死だった。
「……」
無心。
それしかない。ムラマサの言う通り、彼の斬撃は頭で考えてどうなるものでもない。
何も考えず、ただ身体の動くままに戦う。ムラマサの速度に追いつくにはそれしかない。
「――ハッ!」
再度仕掛ける。
今度は雑念を全て捨て、頭を真っ白にしたまま突撃する。
並の剣士ならばその境地に達するまでに多大な修練が必要な技術だが、ラトリアの優れた剣士としての才覚は一度の練習もなくその領域への扉を開いた。
ムラマサの迎撃。
先ほどまでと同じ速度。速い――が、今のラトリアならば見切れる。
ただムラマサの斬撃が来ると感じた場所にこちらも大太刀を合わせるだけ。ただそれだけに集中すればギリギリ食らいつける。
四連撃。その全てを弾き――。
「『頭で考えるな』とは言ったが――『思考停止しろ』とは言ってねえぞ」
続く五つ目の刀が、ラトリアの首元にピタリと突き付けられた。
「――」
何が起こったのか分からず呆然とするラトリア。
彼女の大太刀は今、上段に構えられている。
……まるで追いついていない。
ムラマサの刀の速度が上がったわけではない。なのに何故か追いつけなかった。
「ど……どうして……」
「そりゃ何も考えてねえからだろ。ただの棒振りなんて猿でもできる」
「……」
「さっき散々『崩し』を見せてやったろ。駆け引きが仕合の醍醐味だろうに、一番美味いとこ食わずに捨てる気かよ」
「っ……黙れッ!」
まるでムラマサから剣の指導を受けているような状況に憤慨する。
だがどれほどの怒りを込めた一撃もムラマサには届かない。
思考しては速度で追いつけない。
だが思考しなければ駆け引きで勝てない。
つまるところ、ムラマサに勝つには剣か思考、どちらかの速度で上回るしかない。
だがそのどちらにおいても、ラトリアは劣っているのだ。
――速度と駆け引き。
速く、巧い方が勝つ。ただそれだけ。
それは剣士としての根源的な境地。剣士に求められる最もシンプルな能力だ。
ムラマサを前にしては、剣士としての資質が丸裸に晒しだされる。
おそらく、レベルやスキルやステータスでムラマサを上回ったとしても、それだけでムラマサに剣で勝ることはできないだろう。
小手先の技術は通用しない。
どちらがより剣術という観点で勝っているか。
ムラマサとの戦いにおいては、ただそれだけが試される。
速く、巧い。
それはすなわち剣という武器の本質。
――ムラマサはまさに、剣という概念の権化と言えた。
「くっ……」
どうすればいい?
どうすればこの魔人を倒せる?
自分がムラマサに一太刀たりとも浴びせている姿が全くイメージできない。
思いつく全ての策を、試す前に無駄だと理解できてしまう。
一体どうすれば、この怪物を倒すことができるというのか?
「――ま。身も蓋もねえが、剣で俺に勝つのは無理だ。諦めな」
ラトリアの心に生まれた疑問に答えるように、ムラマサはあっさりと言ってのけた。
その答えも単純明快。そもそも無理だから考えるだけ無駄だ、と。
「昔、ガルムって魔人がいてよ。なかなか強え奴だったが、なんせ戦い方がセコい奴でな」
魔人ガルム。
ラトリアも聞いたことがある名前だった。
四代目魔王の時代、最強の四天王として名を馳せた魔人の名がガルムだったはずだ。
多くの逸話を持った強大な魔人だったが、二年前の戦争で勇者パーティに敗れ討伐されたと聞いた。
……つまり、ムラマサほどの魔人でもガルムには勝てなかったということになる。
ムラマサが誰かに負ける姿が想像できず眉を顰めるラトリア。
一体なぜムラマサほどの男が四天王最強の座をガルムに譲り渡すことになったのか……?
「そいつは黒魔導士寄りのビルドをしててな、遠距離戦が得意だった。……恥ずい話なんだが、俺には遠距離用の攻撃ってほとんどねえんだよ。代わりに白兵戦は魔人最強って自負してるけどな」
「……」
「で、それを知ってるあいつは、俺と戦うときに上空に陣取って絨毯爆撃かましやがった。俺もなんとか粘ったが二時間も爆撃され続けて、結局なす術ない俺はあえなく撃沈ってわけさ。あー今思い出しても腹立つわあいつのドヤ顔。しかも勇者に負けて死にやがった。勝ち逃げかよ、ったく」
黒魔導士と戦士というのは、昔から互いに有利を持つ職業だとされてきた。
互いに最適な間合いがあり、その間合いを維持した方が勝つというシンプルな相性。
今ではお互いにそれぞれ対策を用意していることが多く、ラトリアの『エア・スラッシュ』もそんな対策の一つだ。
だが剣士としての適性を極限まで突き詰めたムラマサのビルドは、その相性の関係性に未だに強く左右される。
黒魔導士の懐に潜り込めれば必勝。黒魔導士に勝ち目はない。
だが逆に接近できなければ必敗。そういう、古い時代の剣士だ。
「つまりだな、本気で俺を倒してえなら、黒魔導士の援護を連れてくるべきだったってこったな。剣でタイマン挑んだ時点でお前に勝ち目はねえよ」
「……っ」
そんな話をされても困るだけだ。
つまり今のラトリアにはムラマサを倒せない。その事実だけを宣告されているも同然。
……だがそれでは駄目だ。
これはラトリア個人の戦いではない。
彼女は今、セドガニアの住民全ての命を背負っているのだから。
「……何が言いたい。そんな戯言で、私が戦意を失うとでも思ったか」
「それもアリだと思うぜ。退却も立派な戦術だ。逃げるが勝ちって言葉もあるだろ?」
「――ッ!」
その言葉だけは、絶対に受け入れるわけにはいかなかった。
逃げることが勝利なわけがない。
逃げることは罪だ。恥だ。だからこそラトリアは汚名を被った。
たとえこの命が尽きようとも――逃げることだけは、絶対にしてはならない……!
「……貴様のような、誇りも矜持も持たない男には、決して私の心は分かるまい」
「へえ?」
「この身は人である前に騎士だ。私は騎士の誇りに誓い、決して逃げない。誰が相手であろうともだ!」
ラトリアの言葉を、静かに微笑を浮かべながら傾聴するムラマサ。
まるで微笑ましい光景を眺めるようなその視線が、またたまらなくラトリアを苛立たせた。
「たとえ剣が折れ、立ち上がれなくなっても、私は貴様に立ち向かう! それこそが私の誇りだ!」
「そうかい。お前の人生だ、好きな死に方を選ぶといい。人生なんて、やりたいことやりゃそれでいいんだからよ」
ムラマサは諭すようにそう言い――静かに刀を納刀した。
――その瞬間、ラトリアは吐き気を催すような死の予感に身震いした。
鞘に納まっているというのに、何故か首筋に刃をあてがわれているような悪寒。
――何かが来る。
今までのお遊びのような斬り合いではない。
ラトリアにとって何か……取り返しのつかない致命的な攻撃がくる……!
「くっ……うあああああああ!!!」
焦りに駆られてラトリアが疾走する。
ムラマサは刀に右手を当て、身体をぐんと沈めて抜刀の構えを取った。
「――起きな『
ムラマサが、自身の愛刀の名を口にする。
――『
それがこの刀の真名だ。
それをムラマサの口が告げたことが引き金となり、漆黒の刀が鈍く発光する。
魔族四天王の一人であるムラマサほどの魔人が扱う武器ともなれば、それはただの刀ではない。
魔導具の中には、周囲の魔力……果ては魂を吸い取って力に変換するものがある。
研究機関『ハデス』が集めていたのもそんな魔導具だ。デスサイズがその典型的な例と言える。
ムラマサの刀、夜喰もそんな魔導具の一つだ。
使用者の有する、次のレベルアップのために溜め込まれた余剰分の魂を吸収し、使用者の力へと還元する。
レベルアップまでの道則が遠のいてしまうため、乱発が許されるような技ではないが……。
「大サービスだ。最後に一つすげえの見せてやるよ」
ラトリアが限界まで肉薄する。
両者の距離が一メートルにまで詰まり、ラトリアは大太刀を勢いよく振り下ろした。
全ての力を込めた渾身の一撃がムラマサに命中するまでの、刹那の間。
――次の瞬間、ムラマサの姿が消えた。
比喩ではなく、本当に消えた。
ムラマサまであと数十センチというところまで迫ったラトリアの大太刀が空を斬る。
何百倍にも引き延ばされた一瞬の感覚の中で、ラトリアはムラマサの姿を探した。
何の予備動作もなく忽然と姿を消したムラマサの気配は――後ろ。
――カチン、とムラマサが納刀する音が静かに響いた。
「――」
ラトリアは自身の身体を確認する。
……どこも斬られていない。全くの無傷だ。
「なんの――」
なんのつもりだ、と。そう糾そうとしたそのとき。
カラン、と足元で音がした。
目を向けると……そこには、中ほどから両断されたラトリアの大太刀の刃が転がっていた。
「――」
なぜ大太刀が切断されているのか全く理解できなかった。
もしムラマサがこの大太刀を斬ったのだとしても、それを握るラトリアに何かしら手応えがあってしかるべきだ。
しかしラトリアは今の瞬間、何も感じなかった。
刃に何かが触れた感触すらなかったのだ。
いったいどうやってムラマサは大太刀を斬ったのか……?
――そんなことを考えている時点で、ラトリアはムラマサという剣士の力を把握し切れていなかった。
「……え?」
突如鳴り響く地鳴り。
何事かと周囲を見回すと――サブタワーを隠していた大きな崖が、ゆっくりと斜めに滑り出していた。
いや、崖だけではない。岩も。大木も。――果ては数百メートル先にある山までも。
全てが等しく、同じ斬撃によって両断され、ゆっくりと上半分が滑り始めていた。
ムラマサはたかだか大太刀一本を斬ったのではない。
その斬撃の延長上……おなじ高さにある物体全てを、一刀のもとに両断したのだ。
まるで目に映る景色そのものを一本の境界線で別つかのような斬撃。
およそあの刀が届く位置にないはずのものまで、区別なく両断されていた。
――これが、夜喰によって速度を極限まで高めたムラマサの一刀である。
ラトリアを以てして残像すら見えない速さでの疾走。
そしてその一斬で、空間そのものを断ち切るように、目に見えるもの全てを斬り捨てたのだ。
距離も硬度も関係ない。
それは切断という概念の具現化。ラトリアの大太刀は、両断されたというよりも空間ごと分断されたという認識の方が正しい。
ラトリアの手に衝撃がなかったのも当然。
大太刀はムラマサの刀に何ら抗うこともできず、打ち合うことを拒むように二つに割れたのだ。
「……」
崩れ落ちていく崖の地響きを感じながら、ラトリアは立ち尽くすしかなかった。
こんな一刀がこの世に存在するなど信じられなかった。
今この瞬間だけは、ラトリアはあらゆる怒りを忘れて放心するしかなかった。
「ビックリしたろ?」
ニッ、とドヤ顔で尋ねるムラマサだが、ラトリアにはもはや答える気力すら残っていなかった。
ただ、今度こそ戦いが終わったという理解だけがあった。
ラトリアは斬られていないが、彼女の大太刀は斬り飛ばされた。
これ以上ラトリアを斬り合うつもりはないということだろう。
立ちすくむラトリアに、ムラマサはゆっくりと歩み寄る。
「……」
……ああ、死ぬ。
もはや戦う術もない。『剣が折れても戦い続ける』などと豪語したことが悔やまれるほどに、今ラトリアを奮い立たせる戦意はなかった。
身体は無事でも、心が折られた。
やがてムラマサがラトリアの目の前まで来て、その右手をゆっくりと上げた。
ラトリアは死を受け入れ――
「――まあ、お前センスは結構いいからよ」
――クシャ、とムラマサの右手が、ラトリアの頭を乱暴に撫でた。
「あと15レベル上げて出直してきな」
ムラマサはそのままラトリアを素通りし、何事もなかったかのようにタバコを取り出し火を点けた。
「…………殺せ」
今の瞬間に殺されなかったことへの安堵など微塵もない。
むしろいま自分が生きていることそのものが呪わしいとすら思った。
「そいつはできねえ相談だな」
「……殺せ。――殺せ! 私を斬れ、ムラマサァ!!」
堪えきれない憤怒のままにラトリアは吠えた。
「何故殺さない! 何故この上私に生き恥を晒させる!? 答えろ、私に何を期待しているというんだッ!?」
ラトリアの悲痛な問いかけにムラマサは、ふう、と紫煙を吐き出して答えた。
「その質問は俺じゃなくて――」
言いながら、サブタワーの入り口を親指で指さした。
「――あいつに訊きな」
そのとき、サブタワーの扉が開けられ……中から一人の少女が姿を現した。
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