第31話 魔王専属使用人


「本日より魔王様の専属メイドを務めさせていただきます、グレイベアと申します。以後お見知りおきを」

「ああ」

 四代目魔王に仕えることとなった日のことを、グレイベアは生涯決して忘れないだろう。

 ベアですら思わず言葉を失うほどの絶世の美女。紫の髪をたなびかせ、魔王は絶対の支配者として魔王城に君臨していた。



「魔王様、出撃なさるのですか?」

「無聊が過ぎてな」

 四代目魔王は先代までとは違い、自ら戦場に赴くことを好んだ。

 その圧倒的な力を目の当たりにしたベアは、これほどの魔人に仕えられることを何よりの誇りに感じた。



「魔王様、勇者パーティの撃退、お見事でございました」

「あんな雑魚を殺しても自慢にもならん」

「ご謙遜を」

 勇者は魔族の最大の障害だ。初代魔王が勇者に討伐され、その後も何人もの四天王が葬られた。

 しかし四代目魔王はまるで赤子の手を捻るように勇者を殺し、自らの最強を証明し続けた。

 今や史上最強の魔王であることを疑う者はおらず、誰もが魔王にひれ伏していた。

 そんな魔王の最も傍で彼女に尽くす喜びに、ベアは常に打ち震えていた。




「魔王様、ムラマサ様がお呼びでございます」

「ええ分かった。ご苦労様、ベア」

「――ッ! も、もったいなきお言葉でございます!」

 ムラマサが新たに四天王の座についてから、魔王とムラマサは度々会っているようだ。

 魔王に付き従いその場に立ち会ったこともあるが……ベアは個人的にはムラマサは好かない。

 あんな軽薄な男は、この気高く高貴な魔王と並び立つには明らかに分不相応。

 しかしそう思っているのはベアだけのようで、魔王は心なしか楽しそうにしていた。


 ――その頃からだろうか、魔王の物腰が少しずつ柔らかくなってきたのは。

 口調も穏やかになり、以前では決して見せることのなかった、笑顔すら浮かべることが増えた。




「ねえベア~、ご飯食べたぁい」

 しまいにはこんなになった。

「ご、ご飯……? お食事を採られるのですか?」

「ええ。最近ハマってるの」

「――かしこまりました。直ちに用意いたします」

 メイドの嗜みとして料理もこなすベアだが、優先度は低かった。

 魔人は食事などしないためだ。

 しかしこの日以降、ベアは熱心に料理の研究を始めた。

 パンダが美味しそうにベアの料理を食べる度に、ベアの心に突き抜けるような歓喜が襲った。




 そんな魔王が引退し、魔王城を去った。

 メイドの任も外され、供として随行することも許されなかった。

 グレイベアという魔人にとって、それは存在意義そのものを否定されたも同然だ。


 たとえ魔王という地位になくとも、ベアが仕える者は天上天下においてただ一人だけだ。

 ――この身は余すことなく、かの王に捧げた供物。

 ならばベアのすべきことも、また一つのみ。



 ――そして、彼女は一つの決断を下した。











「ん……」

 パンダが目を覚ますと、そこは変わらずマリーの部屋だった。

 わずかに身じろぎすると、ぐちゃりとした感触。見ると、もともと赤いシーツだったのではないかと思うほどにベッドは大量の血に塗れていた。


「生きてるとはね」

 パンダ自身、あそこでマリーに殺されることも覚悟していたが、どうやらマリーは最後の一線を越えずに済んだようだ。

 パンダの両手足には枷がはめられており、ベッドの端に固定され動けなくされていた。


 マリーは今はいないようだ。血の渇き具合を見るに、気を失ってからほとんど時間は経っていない。

 ――それにしてはパンダの傷が回復し過ぎている。

 いくら魔人とはいえ、こんな短時間でここまで傷が癒えるはずがないのだが。


「――お目覚めでございますか」


 ベッドの傍から声がした。

 視線を向けると、そこには一つの影が立っていた。


 全身を覆う灰色のローブに、顔が隠れるほど目深にかぶったフード。

 性別すら定かではない風貌だが、今の声は間違いなく女性のものだった。


 なにより、パンダには極めて聞き覚えのある声だった。


「……ベア?」


 女性は深々と一礼すると、顔を覆っていたフードをめくった。

 褐色の肌に、灰色の長髪。切れ長の瞳は恭しく閉じられていたが、それでも思わず息を呑むほどの美人だった。


 ――彼女こそ、かつて魔王の専属メイドとしてパンダに仕えた魔人、グレイベアその人だった。


「は。お久しゅうございます、魔王様」

「……何してんの?」

「魔王様をお救いに参上いたしました」


 ベアはパンダの手かせに指を這わせると、まるでチーズを千切るように鉄枷を破壊した。

 そのまま他の枷も素早く外し、パンダを拘束から解放する。


 自由になった手足を伸ばしてストレッチしながら、すんすんと鼻を鳴らす。

 仄かな薬品の匂い。


「何か使ってくれたのね」

「はい。魔王城の秘薬を使わせていただきました」

「あれかぁ。もったいない」

「魔王様のお命には比べるべくもありません」


 パンダとは違い、ベアは魔王城のアイテムをいくつか持ち出しているようだ。

 エリクサーに匹敵するほどの回復薬も多数ある。瀕死だったパンダも、今ではすっかり五体満足に戻っていた。


「で、なんでこんなとこにいるの? まさかずっと尾けてきたんじゃないでしょうね」

「…………申し訳ございません」

 ベアは既に下げていた頭を更に限界まで地に近づけた。


「なーるほど……国営ダンジョンでマーシェラルドを殺ったのもあなたってわけ?」

「……仰る通りでございます」


 パンダは珍しく不機嫌さを露わにし大きく嘆息した。


「これほどに脆じゃ――可憐になられた魔王様がお一人で旅をなさるなど……やはりどうしても承服できませんでした」

「で、コソコソ隠れて私を監視してたの? 私言ったわよね? ついてこないでって」

「……魔王様の勅命に背いた罪、どうかお許しください。本当なら、最後まで魔王様には私のことは気取られずにいるつもりでした。……しかし、此度はあまりにも……見るに絶えず……」


 ベアがその気になれば、マーシェラルドだけでなくギルニグも瞬殺できたはずだ。

 しかしあくまでパンダの言葉を最大限に尊重するため、ベアはギルニグと死闘を繰り広げるパンダを見守り、最大の脅威であるマーシェラルドの抹殺のみ実行した。


 そんなベアでも、今回ばかりは見過ごせなかった。

 無抵抗のパンダを襲うマリーの苛烈な拷問。

 かつての神々しい姿からは想像もできないほどに脆弱になった魔王が、あのような吸血鬼ごときにいいように嬲られ悲鳴をあげる姿は、ベアにとって直視できるものではなかった。

 たとえ命に背いたという汚名を被ってでも、なんとしても魔王を救出しなければと、ベアは行動に移したのだ。


「魔王様。あの吸血鬼が貴女様に働いた暴挙……万死に値します。――あの害虫は、この私が始末いたします」

「だめ」

 ぷい、とパンダはそっぽを向いた。


「……理由をお聞かせ願えますか」

「まだあの子を殺すとも決めてないわ。あの子にはいくらでも使い道がある。無為に殺すなんてとんでもないわ」

「使い道……ですか」

「まずは交渉材料にするつもりよ。あの赤いエルフとの。それが失敗したら、今度はどこかの組織と取引に使ってもいい」


 バラディア国騎士団の部隊を全滅させたブラッディ・リーチは、もはや一級の討伐対象となっているはずだ。

 懸賞金がかけられるだろうからそれを狙ってもいいし、もし正式な部隊が派遣されればエーデルンのときのように交渉に持ち込んでもいい。


「それでも駄目なら……デコイに使ってもいいかもね」

「デコイ……? ――ッ! ……なるほど」

 パンダの考えに察しがつき、ベアも納得する。


「それも駄目だったら――私の仲間に勧誘してみようかしら」


 だがその言葉だけには、ベアは度肝を抜かれた。


「な、仲間……? 何を……仰って」

「だってビィの血を吸った吸血鬼よ? こんなの面白すぎるじゃない。一緒に旅したら楽しそう」

「……」


 長年パンダと共に生きてきたベアですら、彼女の言葉を理解することができずに絶句していた。

 以前から魔王の突拍子もない話には驚かされてばかりだったが、今回ばかりはレベルが違う。

 自らが受けた凄惨な拷問……それすら、まるで猫に手を引っかかれたかのように笑い飛ばす彼女の感性は、もはや想像の埒外だった。


「……仲間であれば、私でよいではありませんか」

 低く静かなベアの声音には、確かな憤りが込められていた。


「私が貴女様の仲間となります! いかようにでも、この身をお使いくださいませ!」

「あなたはビィのメイドでしょ?」

「違います。私はもう魔王城とは袂を分かっております」


 パンダの最終目標は、現魔王であるビィの討伐だ。

 それを幇助すると決めた時点で、既にグレイベアという魔人は魔族の敵だ。

 今や四天王を含めた全魔人から命を狙われる身。

 その程度の覚悟もなくここに来たわけではない。


「でも盟約はそのままでしょ?」

「……ムラマサ様には……何も告げずに城を出ました。ですがあのお方のことです、私が何をしているのかお察しになっていらっしゃるでしょう」

「でしょうね」

「ですので魔王様、」

「私は」


 パンダは語調を強めた。

「もう魔王じゃない」

「……では何とお呼びすれば」

「パンダよ。今の私は、ただのパンダ」

「ではパンダ様。どうかこの私を仲間に迎え入れてくださいませ。全身全霊を以て、貴女様の敵を全て排除してご覧にいれます」

「だからダメなのよ」


 そう断言され、ベアは自分にどんな落ち度があるか分からず困惑する。

 そんなベアに、パンダは白け切った顔で肩をすくめた。


「私は冒険がしたいの。魔王討伐の旅を。そのために持ってるものを全部捨てた。苦労するために。不自由を得るために。なのに……あなたみたいな仲間を最初から手に入れてたら台無しもいいところじゃない。どんな敵もみーんなあなたが倒しちゃう。そんなにつまんない旅はないわ」

「……それはあの吸血鬼を仲間にしても同じです。あれでも大抵の敵は倒せます」

「あの子はいいのよ。私が苦労して仲間にするんだから。あなたは違うでしょ?」

「……ではまお――パンダ様は、いったいどのような苦労があれば、私を仲間に加えてくださるのですか?」


 そう混ぜ返されても、パンダには上手く答えることができない。

 基準としては、魔王の座を譲り渡したタイミングでパンダが持っていたものはもういらないし、持っていなかったものなら歓迎する。それだけの話なのだが、それではベアは納得してくれそうにない。


 ベアが求めているのはもっと具体的な条件だ。

 パンダはしばらく考え込み、妥協点を探った。


「わかった、こうしましょう。――カルマディエっていう四天王がいるそうね?」

「はい、いらっしゃいます」

「そいつを殺すつもりなんだけど、それができたらあなたを仲間に入れてもいいわ」

「……カルマディエ様を討伐された後……ですね?」

「ええ。その頃には私もいい感じにレベルが上がってるだろうし、あなたをパーティに入れてもバランスとれると思う」

「…………承知いたしました」


 苦々しい思いを必死に内へ隠すベア。

 四天王の一人、カルマディエを殺す。普通に考えればそれは困難を極める野望だ。できたとしてもいったいどれほど先の話になることか。

 ……しかし、パンダならきっとできるだろう。いや、できなければ話にならない。何せ最終目標はあのビィの討伐なのだ。


「それまでは、もう私のこと尾行したりしないでよね。私の旅に変に干渉しないで」

「仰せのままに」


 恭しく頭を下げるベアに、ひとまずパンダも溜飲を下げた。

 国営ダンジョンと、今回。

 結局ベアには二度も助けられている。


 これらの問題は、本来ならパンダが独力でなんとかしなければならないことだったのだ。

 それをこのような形で解決するのは、なにか反則技を使ったような気がしてモヤモヤした。

 かといって今から改めて鎖に繋がれてマリーの帰りを待つのも馬鹿らしい話だ。

 ここは仕切りなおすしよう。


「じゃあ私は一度都市に戻るから、あなたとはここでお別れよ。せいぜい魔王城からの追っ手に殺されないようにね。まああなたなら問題ないと思うけど」

「ご心配いただき感謝の言葉もございません。館の出口まで案内させていただきます」

「その前に、ゴミ捨て場に寄らせて。そこに大事なバッジがあるの。それを回収しないと」

「畏まりました。ですがお急ぎください。あの吸血鬼が戻ってくる前に終わらせなくてはなりません」


「そういえばマリーは今なにしてるの? 随分長いこと屋敷をあけてるみたいだけど」

「あの吸血鬼は、現在赤いエルフと交戦中です」

「あら、いいわね。エルフは一人?」

「はい」

「そう、今度はガチンコでやりあってるわけね。なんとか死なないでくれると嬉しいけど」


 事態はパンダにとって悪くない形で進行しているようだ。


「あの赤いエルフ……ホークとかいったかしら。あの子はどうしても私の仲間にスカウトしたいのよね」

「あの程度のエルフがパンダ様のお役に立てるとは思えませんが」

「いいえ、あの子のユニークスキルは超凄いわよ。鍛えれば……ビィへの鬼札に成り得る」


 ベアが驚きを露わにする。

 魔王であるビィの天敵……それはつまり……、


 パンダは遠くでマリーと戦っているらしいホークへ思いを馳せながら、楽しそうに笑った。


「まあ、まずは力不足を痛感するといいわ、お嬢さん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る