第58話 『憎しみ』


「……そう。ビィが来てるのね」


 様々な感情がパンダの胸中を駆け巡る。

 まず真っ先に感じたのは危機感。

 今のパンダ達では相手にもならない最強の敵が、すぐ傍まで来ているという、脅威への純粋な警戒心だ。


 だがそれにも劣らず感じたのは……ある種の懐かしさ。

 彼女と最後にあったのはムラマサと同様、二カ月ほど前の話だ。


 パンダにとってスノウビィという少女がどういう存在か……それを一言で表現するのは難しい。

 だが、パンダはどこか微笑ましさすら感じた。

 パンダが冒険者として日々を謳歌しているように、彼女も彼女でしっかりと魔王をやっているようだ。


「あの子、元気にやってる?」

「ぼちぼちだな。相変わらずすっとぼけた感じだが、お前の力を継承してテンション上がってるみてえだな」

「今だけよ。じきにあの子も不自由を知るわ」


 昔話に花を咲かせる二人に苛立ちを募らせるホークが割って入る。

「おい、そんなことはどうでもいい。ブラッディ・リーチは本当に生きてるのか?」

「らしいわね」

「ッ!」


 カッとホークの瞳に火が灯る。

 椅子から立ち上がったホークはそのままパンダの胸倉を掴み上げた。

「ふざけるな、話が違うだろ! どういうことか説明しろ!」


 激昂するホークに、パンダも今回ばかりは答えづらそうに言葉を詰まらせた。

 パンダとホークの協力関係は、ブラッディ・リーチの討伐を前提に結ばれたものだ。

 そのブラッディ・リーチが存命しているとなれば、これは二人の協力関係を揺るがしかねない事態だ。


「俺も気になるな。お前が獲物を仕留め損ねるなんてそうある話じゃねえ。その吸血鬼におかしな能力でもあるとこっちの仕事もやりづらいからな」

「……そうね」

 問い詰められるパンダだが、現状を説明できないのは彼女も同じだ。

 だがムラマサはマリーを知らず、ホークは魔族の盟約について知らない。

 少なくともこの場においては、最も情報を持っているのはパンダだ。


「……」

 ホークに胸倉を掴まれたまま思案を巡らせる。


 逆に考えることにする。どうすればあの状況でマリーは生き延びられるのか。

 まず、マリーが気合で魔断を耐えきったという可能性はない。

 パンダも一度身に受けたので断言できる。魔断は魔族殺しとしては最強の部類だ。あれを二発受けて生きていられるはずがない。


「……二発、か」

 そこが引っかかった。

 魔断は高威力の攻撃、というわけではない。あれが魔族殺しに成り得るのは、破魔の力が血の盟約を破壊するためだ。だからこそ魔断を受けた魔人は即死する。


 逆に言えば、即死しなかったということは、魔断はマリーの盟約を破壊できなかったということだ。

 ……が、そうであっても魔断によって体内から完全に魔力が消滅した以上、マリーにはもう指一本動かすことはできなかったはずだ。自然治癒力も消え、配下のグールとの接続も切れ、回復は絶望的だったはず。


 そんな状態で、魔弾によって腹部に大穴を開けられた上で燃え盛る瓦礫の中に生き埋めにされた。

 ……いくらなんでも死ぬ。死ぬしかない。

 マリーの力ではどうやってもあの状況を打破できなかったはずだ。


「……」

 ――つまり、誰かがマリーを助けた。

 パンダとホークが館を出たあと、誰かが燃える瓦礫の中からマリーを掘り起こし、傷を治療した……それしか考えられない。

 しかし、一体誰が――。


「――ベア」


 パンダはハッと口元を押さえた。

「まさか……ベア……?」 

「ベア? 誰だそれは」

「グレイベアのことか? 奴がどうした」

「……ちょっと考えさせて」


 再び思考の渦に潜るパンダ。

 それを見て、ホークも一先ず掴んでいた胸倉を離した。


 それから数分、パンダは黙って思案し続けた。

 そうして、やがて納得できる回答を見いだせたのか、パンダは再び意識を二人に戻した。


「……」

 もし……パンダの推測通りであれば……難しい。事態は良くなっているとも、悪くなっているとも言える。

 いや、総合的に見ればパンダに有益か。だからこそグレイベアは実行したのだ。


「……ねえムラマサ。情報交換しない?」

「あ? 何のだよ」

「その吸血鬼に関すること。私たちが知っていること。色々教えてあげるわ。その代わりあなたも私たちに情報を提供してちょうだい」

「は。俺は悪の四天王様だぜ? 勇者の協力はしてやれねえな」


 いくらパンダとムラマサが知己の仲とはいえ、今は立場が違う。

 むしろ今この場を支配できるのはムラマサだ。彼ならばその圧倒的な武力で二人を従わせることも可能だ。

 そうしないのは、単にムラマサの性格ゆえだ。

 これ以上は、本来は対等に話などできない力関係だ。


 が、ここはパンダも退けない。

 彼女にとっても極めて重要な分水嶺に立っている。


「協力というよりも……そうね、現状の整理をすると考えましょ?」

「整理ねえ」

「その吸血鬼について、私たちはお互い困惑してる。これをそのままにして手ぶらで帰って、後で泣きを見るのはあなた達じゃない? よく考えてみて。新米勇者と、四天王の盟約を持ったまま逃げてる吸血鬼。……魔族にとって、どちらがより脅威か」


 自分で口にして、パンダは改めて実感した。

 新米勇者と四天王の吸血鬼。

 考えるまでもなく、魔族にとって脅威なのはマリーだ。

 ……これだ。やはりこれこそが、グレイベアがパンダに授けた大きな盾なのだ。


「んー……ま、いいか。お前らを生かしておく意味も出てくるってもんだな。ただし、一つ条件がある」

「なに?」

 基本的には全面的に呑むしかないので、要求を促す。


 ムラマサは懐からタバコの箱を取り出して二人に見せた。


「タバコ吸わせろ」

 瞬間、ホークの顔が強烈にひきつった。


「まだやめてなかったのね」

「一生やめねえよ。死ぬときはタバコ吸いながらって決めてんだ」

「仕方ないわね。ホークも、いいわよね?」

「……………………」

「ホーク」

「……………………」

「すげえ顔だなおい。そんなに嫌かよ」

「見ての通りホークも承諾してくれてるみたいだし、遠慮なく吸ってちょうだい」


 問答無用で押し通すパンダに、ホークも重苦しい溜息を吐いた。

 とはいえ、ここで駄々をこねる程ホークも馬鹿ではない。ブラッディ・リーチに関する情報は、ホークにとっても最重要だ。


「……絶対に煙をこっちに吐くなよ」

「へいへい」

 ムラマサは待ってましたとばかりにタバコを咥えて火をつけた。

 そのまま美味そうに紫煙を吐き出す。

「あーうめー。……さて、じゃあまずはそっちからだ。城を出てからの冒険譚……一服しながら聞かせてもらおうかね」




 パンダのここまでの冒険譚は一五分ほどで話し終わった。

 リビア町での出会い、戦い、別れ。

 ハシュールでの騒動、ホークとマリーの死闘。

 どれもムラマサは興味深そうに聞き入って、タバコを三本も一気に吸い潰した。


 パンダは注文したフライドポテトを齧りながら話し続け、昨日の出来事……腐敗の魔女ゲシュレの討伐までを伝えた。


「なるほど。血を操る能力に、魔断の射手か。……確かにその能力なら、理論上スノウビィも殺れるな」

「凄いでしょ?」

「おいパンダ。それより奴の話だ」


 パンダの話を聞いていたホークは、彼女のリビア町での冒険にはさほど興味を示さなかった。

 シューデリアでの騒動も全て知っている。

 そんなホークが唯一興味を示した話……それが、マリーの館に囚われたパンダを救出したという魔人についてだった。


 グレイベア。

 かつて魔王であった頃のパンダの従者。

 ホークが知らなかった、あの騒動におけるもう一人の登場人物だ。


「つまりそのグレイベアとかいう気色の悪い変態レズ女がブラッディ・リーチを助けたっていうのか?」

 普段からどちらかといえば過激な物言いをするホークではあったが、今日はとりわけ激しかった。

 命がけで討伐したブラッディ・リーチをあっさりと蘇生されたことで、相当キレているようだ。


「多分ね。他に可能性を思いつかないわ。ねえムラマサ、ベアはあなたの盟約に連なってるはずよね?」

「ああ。だが確かに最近見てねえな。あんま気にしてなかったけど」

「クソ!」

 いよいよパンダの仮説が濃厚になってきて、ホークはたまらず怒りを露わにした。


「パンダも、貴様も! 自分の配下の者くらいちゃんと管理しろ! そんな馬鹿なメイドを野放しにしたせいで……奴が!」

「さっきも言ったろ。人生なんてやりたいことやりゃいいんだよ。フルーレをストーキングしてえなら勝手にやりゃいい」

「ま、それに関しては同感ね。最後のはちょっとヤだけど」


 あくまで飄々とした様子の二人。

 ホークはこれ以上言っても無駄だと悟り、今度はムラマサに詰め寄った。


「ムラマサ。次は貴様が質問に答えろ」

「ものによるがな。何が聞きたい?」

「ブラッディ・リーチはどこにいる」


 正直、今のホークにはその情報だけでいいと言ってもいい。

 それさえ分かれば再び出向き、ブラッディ・リーチを始末するだけだ。


「今はバラディア付近に気配を感じてるらしい。今はスノウビィが向かってる」

「バラディア……」

「ねえホーク。まさかとは思うけどあの子を殺しにバラディアに向かうなんて言わないわよね?」

「何故言わないと思う? あいつが生きてるんだぞ」

「おーいいねいいねぇ。そりゃありがてえ。俺はともかく、スノウビィは大きな都市とかには入れねえからな」

「?」


 理由が分からず眉を寄せるホーク。

 それを察したパンダが説明した。


「どこの国も、大抵は魔族探知の結界を張ってるのよ。近づくとビィの存在が感知されるわ。魔王が人間領の主要都市に入り込んだりしたら、下手したら戦争の引き金になるわ」

「魔族は人類との戦争を忌避してるのか?」

「二年前の大戦で、お互いごっそり戦力を失ったからな。特に今は時期が悪い。新魔王誕生から日が浅すぎるしな」


「それであなたがハシュールに来たのね」

「ああ。俺は極端に魔力量が少ないからな。探知魔法にもかかりづらい。だがスノウビィ程にもなると、ちょっと結界に近づいただけでも大音量で警報が鳴っちまうだろうよ」


 そうでなくてはムラマサとてこんな場所で呑気に食事などできない。

 四天王でありながら魔力探知にかからないほどの極端なステータスビルドこそがムラマサの特徴の一つであり、だからこそ今回の任務に白羽の矢が立ったのだ。


「ならブラッディ・リーチはしばらくバラディアに身を隠すということか?」

「どうでしょうね。私ならそのまま北上してルドワイアを目指すけど。盟約を持ってる以上どこに隠れてもいずれはビィに見つかる可能性が高いし」

「俺達もそう睨んでる。正直、あそこに逃げ込まれるとキツい。こっちで処理するより、ルドワイアの連中が始末してくれるのを待つ方がいいくらいだ」

「でもベアがいるならしぶとく生き残りそうね」

「確かになあ。出来れば俺達もバラディアでケリをつけたいとこなんだよ」


 話を重ねるにつれて事の真相が形になりつつあるのを三人は感じていた。

 それに伴い浮かび上がる各々の目的と問題点。

 ブラッディ・リーチという少女を巡って、それぞれの立場と思惑が絡み合う。


 ――その起点となっているのはホークだった。


「てなわけで期待してるぜ勇者の姉ちゃん。俺の代わりに是非ともバラディアくんだりまで出向いて吸血鬼始末してくれや」

「貴様に言われるまでも」

「駄目よ」


 珍しく堅い声音でパンダが制止した。

「今の話聞いてなかったの? 今バラディアには魔王ビィがいるのよ? そんなとこにのこのこ顔を出す気?」

「好都合だ。ついでに魔王も討伐してやる」


 半ば捨て鉢気味なホークの言葉に、ムラマサが盛大に爆笑した。

「最高だなお前! その意気だ、やっちまえ」

「ホーク、熱くならないで」

「熱くなるなだと? 奴が生きてるんだぞ……奴が! そんなこと認められるわけないだろ!」


「あの子はもう何もしていない。誰も襲ってない。ただ逃げてるだけよ」

「だから見逃せっていうのか!? 全て水に流せと!?」

「そうじゃない。もう殺す価値もないってことよ。あの子は放っておいても近々死ぬわ。大きすぎるリスクを負ってまで急いで殺す必要もない」


 普段のパンダからは想像もできないほどに慎重な姿勢に、ホークは戸惑うよりも怒りが勝った。


「いいかパンダ、よく聞け。私は絶対に奴を許さない。奴が今も呼吸し、心臓が動いてると思うだけで頭がおかしくなりそうだ。私が仕留めそこなったという事実も許せないし、訳のわからん女に横槍を入れられ奴を蘇生されたというのも苛ついてしょうがない」


 その怒りをパンダは理解してくれているものとホークは思っていた。

 多くの同胞を攫い、拷問し、最愛の妹すらも手にかけたあの吸血鬼への憎悪。

 ホークの心に根付いた、決して消えることのない憎しみを、パンダは誰よりも傍で見届けた。


 そんなパンダだからこそホークは彼女を受け入れた。

 だというのにここにきてブラッディ・リーチを見逃せなどとパンダが口にするのなら……ホークは自分を許せないだろう。


 パンダも、所詮は魔人……他者の嘆きと絶望を悦とする鬼畜ということだ。

 そんな者に、ほんの少しとはいえ心を許し……仲間として肩を並べていた自分を。


「お前、さっき言ったな。リビアの国営ダンジョンでパーティメンバーを殺されたって。その魔獣を殺したって。そのとき殺したと思ってた魔獣が生きてるとしたらどうだ? 今の私の気持ちが理解できないか?」

「……」


 ホークの言葉に、今度はパンダが押し黙る番だった。

 これはホークにとっても最後の問い。

 ここでパンダがホークに賛同できないのであれば……彼女との協力関係もこれまで。そう覚悟した上での言葉だった。


「……そうね、そう言われると弱いわ」

 それを知ってか知らずか、パンダはついに降参の意を示した。

「へー。お前がそんな感傷を持つとはね。おもしれえもんだ」

 興味深そうにパンダを眺めるムラマサ。

 そこにはからかうような気配はなく、単純に珍しいものを見たという驚きの色が強かった。


「分かったわ。バラディア行きを検討しましょう。もともとあの子の討伐を前提とした協力関係だったものね」

「……」


 パンダの賛同を得て一先ず納得するホーク。熱くなっていた身体の熱がゆっくりと冷却されていくのを感じた。


「ムラマサ、もう少し情報を貰えるかしら」

「いいぜ。こっちも吸血鬼と勇者の情報もらったしな」

「他に魔人は来てる?」

「いいや。俺とスノウビィだけだ」


「何故そんなに少人数で行動してるんだ。一応人間領は魔族にとっては敵地だろ」

「人間には占星術っていう厄介な魔法があってな。人間領内の魔力を感知されちまう。だから多くの魔人が一塊で行動すると、見つかる危険が増すだけなのさ」


 なるほど、と納得するホーク。

 ホークも占星術の存在自体は知っていた……が、エルフにとって重要な魔法ではなかったためほとんど存在を知られていない魔法でもあった。


 エルフは他種族に比べ高い魔力を有する種族ではあるが、それでも魔人には大きく劣る。

 占星術を警戒する必要はなかったのだ。


「バラディアのどこにいるかわかる?」

「さあな。だがわざわざ本国には寄らねえだろ」

「そうね。となると……たしか南に港町があったわね。あそこで少し補給するくらいかしら」

「ああ、俺達もその辺目指してるな」


 ふんふん、としきりに頷くパンダ。

「じゃあ次。ビィはマリーを仕留めるまで人間領に留まるつもり?」

「いや、さすがにルドワイアに逃げ込まれたら一旦退くだろ。正直あいつの魔力量はいつ占星術に引っかかっても不思議じゃない。人間領に留まる時間は長ければ長いほど危険だ」

「そんな奴が何故来た。わざわざ魔王が出向くなんて」

「そりゃ、四天王の盟約は魔王にしか追えねえからな。やむなしだ」


 それが最も端的な答えだ。

 せめてもの魔王の護衛として、四天王であるムラマサが選ばれた。

 黒魔導士であるスノウビィを護れる剣士であり、魔力量的にも占星術にかかる心配のないムラマサはこの任務に適任だった。


「じゃあ最後。これは私の個人的な興味なんだけど……カルマディエってどんな魔人?」

「カルマディエ? 新しく四天王になったってのは知ってんだよな?」

「ええ、私を殺したがってるらしいわね」

「だな。いけ好かねえ性悪女だよ」


「どれくらい強いの?」

「いや、大したことねえよ。もとは研究畑の女らしい」

「……そんな奴が四天王になれるのか?」

「ホーク、あくまでムラマサ基準よ。真に受けない方がいいわ。少なくとも他の上位の魔人を倒して力を証明してるはずよ」


 四天王の選定は魔族にとっても大きなイベントだ。

 魔族の世界は、血の盟約によって確固たる序列を持つガチガチの縦社会だ。

 そんな魔族にとって、新たな四天王の選定は一時的に盟約が大きく動く数少ない瞬間。

 四天王の空席を狙う魔人は数知れず、同時に自分の主人が変わる機会でもあるので、全魔族が注目する。


 魔人の権力において最も優先されるものは血の盟約のランクだが、次に重要視されるのは純粋な実力だ。

 故に、新たな四天王は大抵の場合、魔人同士の決闘で勝敗を決する。

 カルマディエもそんな決闘を勝ち抜いた猛者であるはず……そう考えたパンダを、ムラマサは否定した。


「いや、今回に限ってはそうでもねえな」

「どういうこと?」

「今回の四天王は全員スノウビィが独断で選んだらしくてよ。もう一人なんて会ったこともねえんだぜ。顔も名前も知らねえ。少なくとも、カルマディエは力で選ばれた四天王じゃねえな」

「なんだか今代の四天王はかなり変則的ね」


「ああ。俺はともかく、カルマディエが四天王に選ばれるのはどう考えてもおかしいし、もう一人は誰も姿を知らない。しかも最後の一人は魔人ですらない吸血鬼。で、そいつらを独断で選んだのが、誰も存在を知らなかったぽっと出の新参魔王だ」

「荒れたでしょうね」

「そりゃもう。だが、その辺の批判は全部スノウビィがねじ伏せた。あいつの力を目の当たりにすりゃ、誰も文句は言えねえさ」

「……」


 二人の会話を聞いていたホークが内心で驚いた。

 ホークは魔人の社会について詳しく知らないが、それでもそのスノウビィとかいう魔人が相当無茶なやり方をしているというのは察せられた。


 並居る魔人を相手に、それだけの無茶を通せるほどの力……。

 新魔王が強いというのはパンダから聞いていたが、改めてその規格外ぶりを再認識した気分だった。


「オッケー。とりあえずあなたとビィ以外にバラディアには魔人はいないようね」

 カルマディエの配下はともかく、とパンダは付け足した。

 今から出向こうかと検討しているバラディアが、魔人ひしめく魔境と化しているわけではないと知れただけでも意味のある会話だった。


「ブラッディ・リーチを殺しに行くということでいいんだな?」

「そうね。ただ、どんなに急いでもここからバラディアまで二日はかかるわよ」

「構わない」

「――ってことは、だ」


 ニヤリ、とムラマサが意地の悪い笑みを浮かべた。


「バラディアでばったり再会するかも知れねえなあ?」

 この場の三人が、意味合いは違えどブラッディ・リーチの殺害を目的としバラディア国を目指すのならば、その可能性は十分にあり得ることだ。


「そうなるわね」

「一応言っとくが、多分次に会ったときは『対応』させてもらうことになると思うぜ」

「まあ、そのときは私も覚悟を決めるわ」


 軽口を叩き合う二人だったが、その意味合いの重さを理解し、ホークも小さく生唾を飲み込んだ。

 せめて意気込みではムラマサに屈しまいと、ホークは勢いよく席から立ち上がった。


「なら今すぐ向かうぞ。いつまでも奴がバラディアにいるとは限らん」

「えー、ハンバーグも頼むつもりだったのに」

「いいから行くぞ!」

「じゃあついでに俺の分も払っといてくれ。情報料だ」




 結局ホークが全員分の料金を支払い店を出た。

「じゃあねムラマサ。久々に話せて楽しかったわ」

「お前も。思ったより元気にやってるようで何よりだな」

「おい、行くぞパンダ」


 名残惜しそうなパンダの手を引き、ホークは無理矢理にその場を離れようとした。

 そうでなくとも四天王の一人と一緒にいる時間は短い方がいい。


「なあフルーレ」

 その場から去ろうとするパンダに、不意にムラマサが声をかけた。

「なあに?」

「今、楽しいか?」


 その問いに、パンダは満面の笑みで応えた。

「ええ、とっても」


「……そうかい」

 それを聞き、ムラマサもまた静かに笑みを浮かべた。

 それはとても魔人とは思えないほどに……まるで友人、あるいは妹に向けるかのような、見る者に安堵を与える優しい笑みだった。

 

「じゃあね。しばらく会わないことを願うわ」

「は。そうだな。次に会うときは、お前が魔王城に攻めてきたときかもな」

「ええ。それがいいわね」


 ばいばーい、とパンダは無邪気に手を振ってムラマサに背を向けた。



「――よう」



 その背中に、再びムラマサが声をかけ――その声音の、先程までとの違いに、パンダのみならずホークも振り返った。

 ほんの数メートルの距離。

 手を伸ばせば届きそうなその距離で――ムラマサは、すっ、と左手をかざした。


 その手には、彼の愛刀が握られていた。

 言葉にできない悪寒……。

 平穏な街並みから、突如として別世界に迷い込んでしまったかのような錯覚。


 それは、ムラマサから放たれた……刃のような鋭い殺気によるものだった。


 ――カチン、とムラマサが親指で刀の鍔を弾き、鞘の中から僅かに銀の刀身が顔を覗かせた。


「――ッ」


 ――死ぬ。

 ホークは本能的にそう感じ取り、咄嗟にホルスターの銃に手をかけた。

 同じタイミングでパンダも腰に差している剣に手を伸ばした。


 ホークがホルスターから銃を抜き――

 パンダが鞘から剣を抜き――



 ――そのときには既に二人の首は飛んでいた。



 音もなく切断された首が落下する。

 緩やかに落ちていく視点の中、ホークははっきりと死を認識できた。

 手も足も胴体も、全てが一息の内に両断されていた。


 全身を吹き抜けた斬撃の風はいとも容易く二人の命を刈り取った。

 ホークの心にあるのは、恐怖よりも困惑。

 ホークは自分がいつ死んだのかも分からなかった。ムラマサが放ったであろう斬撃の、剣閃すら見えなかった。


 パンダもまた剣の柄に手をかけたまま絶命している。

 彼女の瞳はホークのように困惑しておらず……ただじっとムラマサだけを睨み付けていた。

 その瞳に宿る確かな熱に……ホークは強い意思を感じ取った。


 それは死者には決して放つことのできない、確かな闘志だった。


 ――生きている。

 この剣戟の中、パンダは尚、戦っている――




「――――ッ!?」

 ホークの意識が覚醒する。

 全身を蝋で固められたかのように体が動かない。

 ホークの身体は、銃把に手をかけたところで完全に静止していた。


 パンダも同様に動きを止めている。

 その眼差しだけがギラリとムラマサを射抜いていた。

 その首筋には、美しい銀の刀身。ムラマサが抜き放った刀の刃が、パンダの首に接触するまで一センチのところでピタリと止まっていた。


「……」

 ムラマサの視線がゆっくりと下がり、パンダが手をかけている剣のところで止まった。


 パンダの動きは、剣を鞘から抜く最中で止まっていた。

 鞘から覗く剣身は僅か三センチあまり。


 ――それが、ムラマサがパンダの首筋に刃を這わせるまでに、パンダが抜剣できた限界だった。


 ふ、とムラマサが小さく笑った。

「先は長そうだな」

「すぐ終わっちゃつまんないでしょ?」

「は。それもそうか」


 軽口を叩き合い、二人は互いに武器を鞘に納めた。


「じゃ、せいぜい吸血鬼退治、頑張ってくれや」

「ええ。ビィによろしく言っといて」

「おう」


 それだけ言い残しムラマサはその場を去っていった。

 やがて彼の背が人ごみに紛れて消えた頃、ようやくホークの身体が自由に動くようになった。


「――カハッ! ハッ……ハッ……!」

 塞き止められていた息が一気に零れる。

 そのときになってようやく、ホークは自分が呼吸を忘れていたことを思い出した。


「い、今の……は」

 ホークは咄嗟に自分の首を手でさすった。

 そうして首がしっかりと繋がっていることを確認し、ようやくホークにも事態が飲み込めた。


 今のイメージは、ムラマサが放った殺気によるものだ。

 その殺気を一身に受けただけで、ホークの本能は死を受け入れた。


 まるで溶岩に落下する直前のように。大津波に飲み込まれる間際のように。

 この身はどうあっても避けようのない死に直面したのだと……ホークの脳が生存を諦めたのだ。


 そうして脳が描き出したイメージは、痛みすら伴うほどにリアル。

 未だに四肢が切断された感触を思い出せるほどだった。


「……」

 思わず生唾を飲み込むと、カラカラに干上がった喉に絡みついた。

 全身から夥しいほどの汗が噴き出してきて、ホークは救いを求めるようにパンダを見た。


「……」

 今までホークが見たこともないほどに、パンダは険しい表情でムラマサを見送っていた。


「パンダ」

 ホークはかすかに奮える声でパンダに声をかけた。

「今の……見えたか?」

「チラッとね。あなたは?」

「……全く見えなかった」


 そう。ある意味ではそれが何よりもホークを驚愕させた。

 ムラマサは決して不意打ちをしたわけではない。

 ムラマサは二人を呼び止め、刀を掲げ、「今からお前らを殺す」と殺気を放ち、二人が武器に手をかけるのをわざわざ確認してから抜刀した。


 そこからパンダの首筋に刃を這わせるまでの映像がぽっかりと抜けている。

 瞬きなど論外。音の速さでもまるで足りない。

 文字通り目にも留まらぬ速度の抜刀術だった。


「……あれが四天王の力か」

「あはは。あんなの、ほんのイタズラよ」

「なに?」

「本気のムラマサの速さはあんなものじゃないわ」

「……体感したことがあるのか?」

「ええ。ムラマサとはよく遊んだわ。刀だけの模擬戦でね」

「……」


 それもまた驚くべき事実だった。

 パンダが只者ではないというのは知っていたが、彼女の素質は黒魔導士寄りだったはずだ。

 なのにあんな規格外の化け物と斬り合ってなどと、にわかには信じがたい話だった。


「……勝ってたのか?」

「ええ」

 そこでパンダは意図的に言葉を一拍溜めた。


「三回に一回くらいはね」


「……」

 その言葉にはホークも押し黙るしかなかった。

 ただ、今までの自身の認識が甘かったということを痛感させられた。


「あれに命を狙われてるのよ。マリーももう長くない」

「……」

「もし次にバッタリ出くわしたらあれと戦うのよ? しかも、もっと怖い魔王ともね。それでも行く?」


 それはパンダの最後通告だった。

 そのとき、ホークは何故あれほどまでにパンダがバラディア行きに消極的だったのかを察し……同時に、パンダという人物が少しだけ理解できた気がした。


 パンダは確かに、時たま戦闘を楽しんでいる節がある。

 相手が強敵であっても怯むことなく、笑いながら立ち向かう。

 逆境も挫折も、全てを受け入れ乗り越える。


 ……が、絶対に勝てない戦いに挑むほど愚かではないということだ。

 パンダは過酷な挑戦を愛するが、一の目しかないダイスを振る気はないのだ。


 次にムラマサに遭遇してしまったとき。

 それがパンダとホークの死に際になる。


「――ああ。絶対にブラッディ・リーチを生かしてはおかない。どこにいようが必ず殺してやる」


 それでも、ホークは揺るがなかった。

 ブラッディ・リーチに奪われた多くの同胞の命、そして妹のミリアの魂に誓って、必ず仇を討つ。


 その強い決意を見て取り、パンダはやや諦めたように笑いながらも、歩き出したホークの背に続いた。



「――行くぞ。バラディア国へ」

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