第33話 勇者の素質


 館へ戻ったマリーは一目散に自室へ戻り、蹴破るようにドアを開けた。

「パンダ!」

 切羽詰まったその声に……しかし応える者はいなかった。


 部屋は無人。周囲に飛び散った夥しい血痕と、ベッドに無造作に放り投げられた鉄枷の残骸があるだけ。

「……なんで」

 どうやってここから逃げ出せたのか。

 そんな余力はなかったはずだ。魔人の自然治癒力を以てしても易々とは完治できないほどの重傷だった。パンダに隠されたユニークスキルでもない限りは、これほどの短期間で動けるようになるなどあり得ない。


「……?」

 ふと視線を動かすと、大きな姿見が視界に入った。

 その姿見にも大量の血が付着していたが、明らかに自然に付着したものとは別の血が付着していた。

 それはおそらくパンダが書いたと思われる血文字だった。


『バァイ。血ばっかり飲まずに、たまにはサラダも食べなさいね』


「……」

 血が滲むほど拳を握りしめる。


 途端、出現した血の塊が姿見を叩き割った。

 姿見だけではない。床もベッドも、クローゼットからランプに至るまで、周囲にあるもの全てを赤い風が破壊し尽くしていく。


「パンダ……」

 その嵐の只中で、マリーの声が静かに響いた。

 

「……絶対逃がさないから」






 一夜明けた早朝、ホークは交易都市シューデリアへと赴いていた。

 道具屋で購入したポーションでは傷ついた身体を完全に癒すことはできず、体中に巻いた包帯から血を滲ませながら都市を歩く。


 シューデリアの朝は早い。朝靄がかかっている内から商人の馬車がせわしなく道を移動し、露店商たちがせっせと準備を始めている。

 それに合わせて冒険者管理局も七時には開く。

 朝は依頼の掲示が更新されるタイミングだ。美味しい依頼を求めて早朝から管理局に通うのを日課とする冒険者は多い。

 また、受ける依頼が決まっていない冒険者にとっては情報収集の時間でもある。

 よって早朝は一日の中でも特に管理局に人が溢れる時間帯だ。


 その時間帯ならばホークの話に乗ってくる者もいるだろうと見込んだのだが……ホークはそこで冒険者社会の手痛い洗礼を受けることとなった。




「――何故だ! 報酬は必ず払うと言っているだろ!」

 管理局内にホークの怒号が木霊する。

 詰め寄られた冒険者パーティのリーダーはバツが悪そうに頬をかいた。


「……悪いけど、その依頼は受けられねえ」

「な、なら五万ゴールドでどうだ。……足りないなら、不足分は必ず都合を、」

「報酬とかじゃなくて…………とにかく、他を当たってくれ」


 それきりホークから顔を背け、これ以上の会話を取り合うつもりはないと示した。

「くっ……」

 忌々しげにテーブルを離れたホークは視線を映す。

 これで交渉が失敗した回数は六回にものぼる。

 だが他にも冒険者はいる……そう気を取り直すも、管理局中の冒険者たちはホークと目が合うとすぐさま視線を外した。


「……ちっ」

 最初こそ強いパーティに依頼を限定しようと選り好みしていたホークだが、そんな考えはすぐに消し飛んだ。

 手近なテーブルに集まっているパーティを見つけると、ホークはそこへ歩み寄った。

 そのパーティもホークの接近に気づき、迷惑そうに顔をしかめた。


「――依頼したい」

「……吸血鬼退治の依頼だろ?」

 先ほどまでの会話を聞いていたのか、リーダーの剣士が言い放つ。

「そうだ。この近辺にブラッディ・リーチという吸血鬼が出没している。そいつの討伐の協力を依頼したい」


「……あのさ、悪いけど、」

「報酬は六万ゴールド。後払いになるが……必ず工面する。力を貸してほしい」

「……悪いけど、他を、」

「奴の潜伏場所は特定している。援護さえあれば倒す算段は十分にある。頼む、力を貸し――」

「他を当たってくれ」


 必死に抑えていた怒りが決壊しそうになる。

 隠しきれない憤怒を表情から読み取ったのか、冒険者は気まずそうに口を開いた。

「悪いことは言わないから、その依頼は諦めた方がいい」

「……どういう意味だ」

「ここにいる奴らはもう全員知ってるんだよ、その吸血鬼にバラディア騎士団が返り討ちに遭ったって」


「……」

「正直、バラディア騎士団でも倒せないような魔物を討伐できる冒険者なんてここにはいねえよ。ここはハシュール国だぜ? そんなレベルの冒険者を雇いたいなら、それこそルドワイアとかに行くしかねえ」

「……勝てる。私がいれば」

「そうは見えねえよ。そんな傷だらけの身体でよ」

「……ッ」


 体中に巻かれた包帯とそこから滲み出る血を隠すようにホークは身をよじった。

「その吸血鬼にやられたんだろ?」

「……次は勝てる。私の能力なら奴を倒せる。奴の能力ももうわかっている」

「……だが」

「勝てると言ってるだろ!」


 バン、とテーブルを激しく叩きながら叫ぶホーク。押さえていた激情がついに噴き出した。

「勝つために必要なものはもう揃ってるんだ! 奴の情報も! 対抗できる能力もある! 有効戦術も! 潜伏場所も分かってる! 後は援護だけだ! それさえあればあいつに勝てる! 何故分かってくれない!?」

 そう、現状一対一の勝負でならホークはブラッディ・リーチには勝てない。それはもう認めるしかない。

 だが複数人で仕掛ければ勝機はある。


 要はホークの破魔の矢が完封されたから負けたのだ。

 来ると分かっている矢を防ぐのは難しいことではない。ならばホーク以外に意識を向ける必要がある。

 逆に言えばそれさえあれば勝機は十分にある。


 こうなっては、初戦での敗戦が痛すぎた。

 エルフ部隊とバラディア騎士団。あれだけの戦力が今ここにあれば必勝のはずだ。

 だが先手をブラッディ・リーチに譲ったためにあの血の風を受けてしまい、こんなザマになっている。


「じゃあもう少し待ってろよ。しばらくしたら多分どこかの騎士団が動き出すだろうって話だ。そいつらと協力すればいい」

「そんな時間はない。奴は自身の館で攫った少女を拷問している。今この瞬間にもだ!」

「…………」

「私の妹も攫われた」


 その言葉にだけは冒険者パーティもさすがに思うところがあったのか、悩ましい呻き声を上げた。

 しかしそんな同情で動けるほど、冒険者の世界は甘くない。


「……気の毒だけど」

「っ! ……攫われたのはエルフの少女だけじゃない。人間だって攫われてるんだ」

「……」

「何の罪もない少女が頭のイカれた吸血鬼に痛めつけられ殺されている!! 貴様らは何も感じないのか! 同胞の命が危機に晒され、それでも保身しか頭にないのか! それで貴様らは……何も恥じることはないというのかッ!」

 ホークの叫びは目の前の冒険者パーティだけに向けられたものではない。


 この場にいる者全てに対して放たれた糾弾だ。

 誰もがホークの声に応えることができず、ただ居心地が悪そうにしているだけだった。


 ――それでも、動く者はいない。


「……薄汚い、人間共め」

 果てない憎悪に染まった声には、二○○年分の恨みが込められていた。

「もういい……貴様らのようなクズに頼った私が愚かだった」

 そう吐き捨てホークは管理局の出口に向かって歩き出した。


 行き場のない怒りだけを抱えながら扉を潜る。

 出迎えた眩しい陽の光すらも疎ましかった。


 ホークは世界で最も人間を憎んでいる個人だと言っても過言ではない。

 この世に生を受けたときから人類は戦争の敵であり、エルフを絶滅寸前まで追い込んだ種族だ。

 共に戦場を駆けた、家族も同然の戦友を何万人と殺された。

 その中に一人として名前を思い出せない者はいない。


 それも尋常な勝負ではない。卑怯、姑息、非道。どんな言葉でも表しきれない悪辣な策謀によって無残に殺され続けた。

 積もり積もった憎しみは一日たりとも忘れたことがない。


 ――そんな怨敵に頼ってでも、妹のミリアだけは救いたい。

 その一心で話を持ち掛けた。かつて受けた屈辱を今だけは全て忘れて、憎しみを押し殺して頭を下げた。


 それがこの仕打ち。

 同じ人類の同胞の命すら奪われているというのに、そんなときにすら損得勘定を持ち出す狭量さ。

 あらゆることがホークを失望させた。


「くそ……クソが……! 死ね……死に絶えろ、こんな種族……! クズが……呪われろ……地獄に落ちろ……!」


 次々と紡がれる呪詛の言葉が都市の喧噪に呑まれて消えていく。


 それを――



「――ほんと、ここの冒険者たちって超冷たいわよねぇ」



 笑い飛ばす声が一つ。

「分かるわぁ、私も同じような目に遭ったもん」

「――き」

 ホークの双眸が見開かれる。

「貴様!」


 咄嗟に弓を構えようとするが、ブラッディ・リーチとの戦闘で失ったことを思い出し舌打ちを飛ばす。

「何故、貴様が……」

 そこにいたのは、昨夜ブラッディ・リーチに連れ去られた紫の少女だった。


 しかもその出で立ちは不気味としか言いようがなかった。

 着ている服は、かろうじて紫のゴシックドレスだったのだろうと想像ができる程度で、ナイフで至るところを切り刻まれたかのようにボロボロ。

 そのうえ吐き気を催すほどの血に塗れ真っ赤に染まっており、しかもまだ生乾き状態だ。


「……なんだ、その服は」

「かわいいでしょ? 貰い物だけど、気に入ったのよねぇ。ちょっと汚れちゃってるけど」

 ちょっとどころではないが、そんなことはどうでもいい。

 それよりもこの少女は今聞き捨てならないことを口にした。


「貰い物、だと? ……まさか」

「ええ、あなたが狙ってる吸血鬼に貰ったの」

「何故生きている」

「逃げ出してきたの」

「……なら、奴は」

「まだ生きてるわ」


 もしやと思ったが、やはり討伐してくれたわけではないようだ。

「奴の館にいたのなら、私と同じ赤い髪のエルフを見なかったか?」

「あーごめんなさい、他の人は地下牢に入れられてるらしいんだけど、そこには寄らなかったわ」

「……そうか」


 ならもう話すことはない。

 少女を置き去りに歩き出そうとしたホーク。

 だがそれを阻むように、ぴょん、と少女は前に立ち塞がった。


「私パンダっていうんだけど」

「どけ」

「パーティメンバー探してるんでしょ? 私とかどう?」


 パンダの提案を鼻で笑い飛ばし、汚物を見るような目で睨みつけた。

「ふざけるな。汚らわしい魔人め」

 パンダの眼が楽しそうに細まる。


「やっぱり私が魔人だっていうことは分かってるのね」

「そうだ、貴様のような魔人と手を組むなど冗談じゃない。虫唾が走る」

「人間ならいいの?」


 図星を突かれて言葉を詰まらせるホーク。

 確かに魔人は忌むべき存在だが、それなら人間も同じだ。

 それにすら縋らなければならないほど状況は逼迫している。それは確かだ。

 しかし、これは理性では測れない感情だ。


「どんな状況になろうと、貴様ら魔人に縋るくらいなら死んだ方がマシだ」

「それは――、って意味かしら?」

 途端、弾けるような怒りに晒される。

 もしここが人通りの多い大通りでなかったら思わずパンダを絞め殺していたほどの怒りを、それでもどうにか抑え込む。

 その一瞬の隙を縫って、パンダの言葉が滑り込む。


「私なら救ってあげられるわ」

「…………黙れ」

「この都市で他に戦力なんて揃えられないし、そもそもここの冒険者なんて雇ったって無駄よ。――でも、私ならあなたのしたいことをさせてあげられる」

「黙れ!」


 パンダを突き飛ばす。

 おっとっと、なんて言いながらふらつくパンダに、ホークが吠え掛かる。

「魔人など信用できるか! 人間もだ! 少しでも頼った私が愚かだった。それが今はっきりと分かった! 貴様らの助けなどなくとも、私は一人でミリアを救ってみせる!」

「ふぅん」


 荒く息づくホークを見て楽しそうにニヤケ顔を浮かべるパンダ。

 ホークの言葉が強がりなのは誰の眼にも明らかだ。一人ではブラッディ・リーチには敵わない。それはホークが誰よりも身に染みている。

「そ。なら私も無理にとは言わないわ。時間を取らせちゃって悪かったわね」

「……」


 未だ胸の内にくすぶる憤りをかき消すように深く深呼吸を一つし、ホークは歩き出した。

 今度こそ決別を告げるその背に、


「――ところで、この服どう思う?」


 パンダが声を投げる。

 それはホークにとって最後の、そして最大の悪魔の囁きだった。


「……何がだ」

「この服、私結構気に入ったんだけど、ちょっとボロボロになりすぎちゃって。変じゃないかしら」

「……変に決まってるだろ。周りの視線が分からないのか? どいつもお前を不審者を見るように見てるだろ」

「やっぱりそう? 仕方ないわね、じゃあ修繕に出さないと」

「……」


「あー、でもさすがにここまでボロボロだと直せないかしら。それにほら、血もべっとりついてて……染みにならないといいんだけど」

「……」

「いやぁ~あの子にはほんと困ったものだわ。メタクソにしてくれちゃって。痛くて怖くてたまらなかったわぁ」

「……黙れ」

「私だからなんとか生き延びたけど、普通ならあれだけの責めにはとても耐えられないでしょうね」

「……」


 知らずホークの歩みは止まっていた。

 パンダの言葉に縛り付けられたように動けなくなっていた。

 そこへ静かに、ゆっくりと歩み寄る。

 さながら影のように、闇のように、あるいは死神のように。

 ――背後から怪しい紫の瞳がホークを覗き込んでいた。



「――妹さん……助けたいなら、急いだほうがいいんじゃないかしら」



 胸倉を掴み上げ壁に叩きつけた。

 わずかに苦しそうに呻いたパンダとホークの視線が交差する。

 ホークの眼はこれ以上はないというほど剥き出しになり、痛々しいほどに血走っていた。


「殺してやる……!」

 何事かと遠巻きに眺める通行人もホークにとっては意識の外だった。

 パンダの首を締め上げる。このまま力を込めるだけで砕き折れそうなほど細い首だ。

 だがパンダの顔は涼しいままだった。


「それもいいんじゃない? でも忘れないことね。あなたが今掴んでいるのは私の首だけじゃない。ここで私を殺せば、あなたの妹さんも死ぬ」

「……っ……」

「それに、何か勘違いしてるみたいだけど、私は別にあなたが交渉相手じゃなくたっていいのよ? でもあなたは私以外に頼れる人なんていない。だから、あなたの方が力関係は下なのよ」

「貴、様ぁ……!」


「ほら、どうしたの? どんどん力が弱まってるわよ? 無様ね。その程度の覚悟でキャンキャン叫んでたわけ?」

「……………………」

 絶えず心を炙る怒りの熱を感じながら……それでもホークはパンダを殺すことはできなかった。

 パンダの言葉通りだ。パンダの首をへし折ることは、ミリアの首を折るのも同然だ。そんなことできるはずもない。


「……何が望みだ。私に協力する見返りに何を望む」

 ようやくまともに交渉ができるようになったことを理解し、パンダがやれやれと肩を竦めた。

「同じことをしてもらうわ。あなたに倒したい敵がいるように、私にも倒したい敵がいる。あなたに協力する代わりに、私の協力もしてもらう」

「あのクラスの吸血鬼に匹敵するほどの目標なのか」

「もちろん。私の敵に比べれば、あんなの蚊みたいなものよ」


 ホークの眉が寄る。

 ブラッディ・リーチにしてやられたホークをも侮辱されているようで一瞬不機嫌になったが、それ以上に興味が勝った。

 あの吸血鬼にそこまで言えるほどの敵など、まるで思い浮かばない。


「魔王よ」

「――――は?」


 思わず間抜けな声が漏れる。

 ホークもこれには言葉を失うしかなかった。


「あなたには、私の魔王討伐の旅の仲間になってもらう」

「……ふざけるな、そんなことできるわけ……」

「できる。あなたの破魔の力があれば」


 パンダはホークの眼をしっかりと見つめ返し言った。



「あなたには勇者の素質がある」

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