第118話 迷宮の法則
謎の騎士の戦闘能力はリュドミラの想像を大きく超えていた。
騎士の攻撃は極限まで最適化されたシンプルなものだ。最も近くにいる敵に、最も効果的な一撃を叩き込む。ただそれだけ。
その単純な攻撃が、五人の魔人を圧倒していた。
一撃を受け止めるだけで膝が震え、地面がひび割れる。四方を囲うように展開した五人の魔人からの波状攻撃を、凌ぐどころか温いとばかりに攻撃に転じてみせる。
十数秒も戦えば力の差ははっきりと分かる。
体感的にはリュドミラよりも10レベルは高いと感じた。
「馬鹿な……!」
リュドミラのレベルは73レベル。それから10レベルも高ければ、それはルドワイア帝国のエルダー騎士レベルの強さだ。
それほど高レベルの者が、こんな遺跡にぽつんと存在しているわけがない。
だがそんな有り得ない現実がリュドミラ達を襲っている。
前方にリュドミラ。左右にアドバミリスとアリアシオ、背後にバルブル。その四人にシェンフェルが補助をかけ、各人が一斉に攻撃をしかける。
だがその全てを弾き、受け止め、回避し、その上で右手の斧でリュドミラに斬りかかってくる。
全ての動きが出鱈目。決まった型は存在せず、ただ本能のままに暴れているように見えるのに、実際にはその全てが完璧に洗練されている。
鍛錬による成長ではなく、ただひたすらに積み重ねられた実戦経験によって辿り着いた境地……そう思わせるに十分な技能だった。
「舐めるな!」
リュドミラが拳に魔力を溜めて殴打を繰り出す。
魔力弾を撃ち出す戦法を得意とするため彼女はしばしば黒魔導士と誤解されるが、実際にはその真逆。
彼女は魔力弾による爆発力で火力を激増させた格闘術を用いる、マジックモンクだ。
打撃が命中。同時に魔力弾が撃ち出され、騎士の身体を吹き飛ばす――はずだった。
だがその一瞬前、騎士は背の大剣を左手で抜き払い、リュドミラの拳を防御していた。
斧と大剣という取り回しのききづらい二刀流を扱いながら、騎士の攻撃速度はその場の誰をも凌駕していた。
そしてその一撃はリュドミラ達ですら直撃すれば即死を予感させる威力。
数で勝るはずのリュドミラ達の方がむしろ防戦に回らざるを得ないほどだった。
「くっ……!」
だめだ、とリュドミラは理解した。
今の戦力ではこの騎士は倒せない。パーティの平均レベルを20レベル近くオーバーしている。たった五人ではとても倒せない。
いや、倒せないどころか……このままでは全滅しかねない。
撤退するしかない。
目の前にターゲットの少女がいるというのにみすみす逃すのは屈辱的だが、こんな騎士が暴れている以上もうまともに戦えない。
まして今はあのエルフが背後でリュドミラ達を狙っており――
「――――ッ!?」
心臓を鷲掴みにされたような悪寒。
このタイミングでそのことに思い至れたという僥倖が、奇跡的にリュドミラの命を救った。
背後から飛来する破魔の矢。
騎士のあまりの威圧感に存在を失念していたあのエルフが、今まさに矢を放ってきたところだった。
矢が飛来していることも確認せずに回避する。ちょうどその脇を破魔の矢が通り抜け、リュドミラの背に思わず顔が歪むほどの怖気が走る。
「破魔の矢だ! あのエルフが狙っている!」
その言葉で他の四人も初めてそのことに気づいたのか、一様に顔を青ざめさせた。
続けざまに飛来する矢。その数は五本。全てが五人の魔人を狙い撃ったものだった。
リュドミラ達は咄嗟に矢の射線から外れようとするが、この騎士を前にそれは致命的な隙だった。
横薙ぎに振り払われる斧。寸でのところでかがんで回避したリュドミラを、次の瞬間には鋭い蹴りが打ち据えていた。
「がっ――!」
咄嗟に右手でガードするが、あまりの衝撃に身体が歪に曲がる。
だがそれと同時に魔力弾を撃ち出し、受け止めた足に叩き込んだ。
リュドミラと騎士が同時に吹き飛ぶ。リュドミラは蹴りの威力で後方まで吹き飛び、木に激突して苦しそうにうずくまった。
一方で騎士も、左脚が弾かれ不安定な姿勢でよろめく。それを好機と見たアリアシオ、バルブル、アドバミリスの三人が同時に攻撃を仕掛ける。
アドバミリスが剣で刺突を放つ。有効打は期待していない。体勢が崩れた騎士を更に崩すための牽制だ。
その狙い通り、剣を回避して更に不自然な姿勢でアリアシオとバルブルを迎え撃つ騎士。
上段から振り下ろされるアリアシオの大剣。それを、騎士は左手の大剣を下から振り上げて対抗する。
一層激しい金属音が鳴り響き、両者の大剣が弾き合い宙を舞う。
のみならず、不完全な体勢で剣を振るったはずの騎士の一撃にアリアシオは大きく吹き飛ばされ、後方に仰向けに倒れ込んだ。
最後に繰り出されたバルブルの剣戟。
しかしそれも騎士には届かなかった。
騎士は即座に右手の斧を両手で握り直し、そのまま横にフルスイングした。
――バルブルの剣が騎士に届くよりも一歩早く、騎士の斧がバルブルの頭を水平に叩き潰した。
更にそれでは止まらず、振りぬかれた斧は宙を舞っていた大剣に命中。
その衝撃で大剣を砲弾のように撃ち飛ばした。
「なっ――」
信じられずに呆然と呟くアリアシオ。それが彼の最後の言葉になった。
撃ち飛ばされた大剣の切っ先は、後方で倒れ込んだアリアシオの頭部に命中し、アリアシオを地面に串刺しにした。
ばたりと倒れ込むバルブルとアリアシオ。
一瞬にして二人の魔人の命を奪われ愕然とするリュドミラ達。だが騎士はそれでもまだ足りないのか、その場に残ったアドバミリスへ襲い掛かった。
アドバミリスの顔に明確な恐怖が浮かぶ。
圧倒的な強者に対する本能的な忌避感が、アドバミリスの身体の自由を奪う。
「アドバミリス!」
リュドミラがうずくまったまま叫ぶ。後衛として援護に回っていたシェンフェルが何らかの魔法を行使しようとするが間に合わない。
頭上に掲げられた両刃の斧がいざ振り下ろされようとしたとき――
キィン、と斧が発光しだした。
神々しく青白い輝きはやがて拡散していき、周囲にいる者たちを飲み込んだ。
そのあまりの眩しさに、リュドミラ達も、パンダも、遠く離れた場所で戦闘を観察していたホークすらも、皆一様に腕で光から目を隠した。
その光はやがて森全体を覆うほど大きくなり、世界が無音に包まれる。
自らが吐く息も、心臓の音すらも聞こえなくなる。静寂とは違う、無音という音だけが存在するかのような時間。
それらが全て収まり、リュドミラがゆっくりと目を開けると……
――そこは森の中ではなく、薄暗い迷宮の中だった。
「……これは……」
もはやなんと言葉を発せばいいのかもわからず、リュドミラはしばし周囲を見回すことしかできなかった。
森に転移するまでの、あの迷宮に戻ってきていた。
陽の光が降り注ぐ森の中から、光源の乏しい迷宮に戻ってきたことで、迷宮は余計に暗く感じられた。
ハッキリと体感温度まで変わっており、森の温かさは無縁な冷たい壁に囲まれ、淀んだ空気が肺に流れ込んできた。
「リュドミラさん……」
不意に声をかけられ、ハッと我に返るリュドミラ。
視線を動かすと、アドバミリスがいた。背後にはシェンフェルの姿も確認できた。
彼らもこの迷宮に戻ってきていた。
「……アリアシオとバルブルはどこだ」
だが、その二人の姿はどこにもなかった。
その場にいるのはリュドミラ達三人と、あと二人。
「――あ」
思わず声が出たときには既に、紫の少女は背を向けて走り出していた。
気づくのが遅れたせいで少女の姿はすぐに見えなくなってしまった。
「くそ!」
森に転移したときもそうだった。
リュドミラ達が困惑している間にあの少女は姿を消しており、探知魔法にもかからなくなってしまったのだ。
常人の神経であればこれほど不可解な事態が立て続けに起こればまずは事態を把握しようとするはずだ。
だがあの少女は違う。常に重要な情報は何かを切り分けて考えられるのだ。
その速度も極めて迅速。味方のエルフにとって有利な森が戦場ではなくなったと見るや否やすぐさま逃走を決断出来るあたり、感嘆に値した。
急いで後を追おうとするが、ガシャン、という音がそれを阻んだ。
あの謎の騎士もそこにいた。斧を杖代わりに膝をつき、リュドミラ達が見えていないかのようにその場で停止している。
あの少女を追うためにはこの騎士の脇を通り過ぎる必要がある。
先程までの騎士の戦闘を思い出し躊躇するリュドミラ。
彼女がそう考えることまで予想してあの少女が逃走したのだとすれば、大した図太さだ。
「……退くぞ」
騎士は今のところ無防備で、一見いま攻撃すればあっさり倒せそうな気もするが……万が一にも起き上がり再び戦闘になっては勝ち目はない。
二人も同じ考えのようで、黙ってリュドミラに従い迷宮の闇の中へ消えていった。
「追ってこないみたいね」
ひとまず窮地は脱したと安堵するパンダ。
突如としてあの騎士が現れあの魔人たちに襲い掛かるのを、パンダは蚊帳の外で眺めているしかなかった。
周到に、十重二十重に巡らせて迎え撃つ予定だった策を全てあの騎士に台無しにされてしまったが、結果的に五人の魔人の内二人を殺してくれたので良しとすることにした。
「本当に謎が多い遺跡だわ……、いえ……」
謎というよりも『法則』だ。
この迷宮にはいくつもの法則が存在するとパンダは感じていた。
現状、起きた出来事を全て並べてみればぼんやりとではあるがこの迷宮の法則も浮かび上がってくる。
「まずはその法則を一つずつ解明していかないとね。そのためには……」
やるべきことは山ほどある。しかも時間はない。
急がなくては。
「姐御!」
前方の曲がり角からキャメルが現れ、心底嬉しそうな顔で駆け寄ってきた。
「……」
よし、と内心でガッツポーズするパンダ。
先程、森ではキャメルは後方に待機させていた。迷宮に戻ったせいで合流できなかったらまずいと思っていたが、あっさりと再会できた。
これで確認したかった『法則』の一つに手をかけられた。
「無事だったんすね姐御! 心配してたんすよ。ほんとっすよ!?」
「今進んだルートを書いて」
キャメルに紙とペンを渡す。
「え、ちょ、なんすかいきなり。覚えてないっすよ」
「直近の三つでいいわ。それすらできないならクビよ」
「ちょ! わ、わかったっす!」
クビ、などと言葉を変えているがそれはキャメルにとっては処刑も同然だ。
冗談にしても心臓に悪かった。
「こ、こうっす。まっすぐ行って、左、右、そこからしばらく進んで、右っす。それでそこの曲がり角に出るっす」
「…………オッケー、分かったわ。やっぱりね」
「やっぱり、って何がっすか?」
「あの森で待機していた場所と、この迷宮の転移位置が関連してるわ。私がいた場所がここだから、そこから南の方角に少し行ったところにあなたが転移したのよ」
「あ、なるほど。じゃあホークの旦那は」
「ここから北に行けば会えるかもしれない。急ぐわよ。私はマッピングするからあなたは曲がり角に印をつけて」
「はいっす!」
駆け足で移動を開始する二人。
曲がり角の度にどちらに曲がるかパンダが指示し、キャメルは短剣で印をつけた。
「ところで、あの魔人たちはどうなったんすか? 策は上手くいったんすか?」
「いいえ、変な騎士が乱入してきて全部ご破算になったわ」
「騎士? 誰っすか?」
「分からないわ。統一性のない装備をしてて顔も隠してたから性別もわからないわ。その騎士があの魔人たちに襲い掛かって戦闘になったの。――右」
「あの魔人たちに一人で突貫とか狂ってるっすね。強かったんすか?」
「五対一だったけど完全に圧倒してたわ。二人も殺したの」
「や……やばいっすねそれ」
「でもこれではっきりしたわ。神隠しは実際に起きてた。あの遺跡に入った人はこの迷宮に転移するのよ。そしてあの騎士に殺される。これが神隠しの正体よ。さしずめ、あの騎士は迷宮の番人ってところかしら」
「迷宮の番人……じゃあルイスの予想は結構当たってたんすね」
ルイスは迷宮に住み着いた亡霊が神隠しを起こしていると予想していたが、その推測は半分以上は的中していたと言えるだろう。
「じゃあもしかして、そのやばい騎士を倒さないとこの迷宮からは出られないんすか!? か、勝てるんすか?」
「他に出口がないかは今調べてるでしょ? 何のためにマッピングしてると思ってるの」
「で、でもまたあの森に転移したら無駄になるんじゃないっすか?」
「だから急いでるのよ。あの森に転移したきっかけが何かは分からないし、この迷宮がさっきと同じ迷宮なのかは分からないわ。どっちを確かめるにも時間がない。休憩はなしよ」
「了解っす」
「それにしてもあの斧……」
「斧?」
「ああ、その騎士が両刃の斧を使ってたのよ」
「そうなんすか。それがどうかしたんすか?」
「……もしかしたらあの斧、とんでもない代物かもしれないわ。もしそうなら、これは……驚くべきことよ」
「なんすかそれ。もったいぶらないで教えてくださいっす」
「あはは、まだ早いわ。それより調べないといけないことが沢山あるからね。――直進して」
自分の命にも関わることなのだから素直に教えてほしいとふれくされるキャメル。
だがパンダの言う通り、しなければならないことは山ほどある。まずはそちらを済ませるべきだ。
「まずはホークと合流を目指すわよ。早ければ早いほどいいわ」
「北に向かうだけで合流できるんすか? 旦那だって迷宮を進んでるわけなんですし」
「私たちがさっきつけた目印がまだ残ってるかもしれない。それをなんとかして見つけたいわね。あるいはリュドミラ……あの女魔人が壊して進んでた壁を一つでも見つけられたらかなり手がかりになるわ」
「あ、そっか。ホークの旦那だってこっちと合流したいと思ってるはずっすもんね」
「そういうこと。私たちが共有してる情報だもの。そこに集まろうとするのは当然でしょ?」
「で、でもそれって逆に、あの魔人たちにとっても私たちの居場所を知る目印になるんじゃ……?」
「だから急いでるの! 何回も言わせないで、ほら走った走った!」
「ちょ、待ってくださいっす姐御ぉ!」
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