第44話 そして一つの契約を


「んむぅ……?」

 頬をぺちぺちと叩かれてパンダは目を覚ました。

 夜の闇が辺りを黒に染める中、小高い丘の上に寝かされていた。


「起きたか」

 その傍にホークが腰掛けており、パンダの頬を叩いて起こしてくれたようだ。

 上体を起こしたパンダの目に、遠くで燃え盛る館が見えた。

 館は完全に火に包まれ、音を立てて崩れ始めている。


 マリーとの戦闘からさほど時間は経っていないようだ。

 パンダは最後の瞬間、降りかかる瓦礫に押し潰された。その最中に放った魔弾が命中するかが勝負の決め手になるだろうと踏んでいたが、どうやら望む形に機能したようだ。


 とはいえ瓦礫に呑まれたパンダも打ち所が悪かったのか、そこで意識を失ってしまった。

 もしホークが燃える瓦礫の中からパンダを救出しなければパンダの命も危なかったかもしれない。


「終わったみたいね」

「ああ」

「ちゃんと仕留めた?」

「魔断を二発撃ち込んだ。一発目で瀕死。二発目では悲鳴も上げなかった」

「……そう、ならさすがに死んでるわね」

 少しだけ気になる違和感があったが、ホークがそう言うなら間違いないだろう。


 二発目で死んだということは破魔の力はマリーの盟約そのものは破壊できなかったようだが、二発も喰らえば体内の魔力は残らず消滅しただろう。

 それだけでも十分死因に成り得るが、その上あの炎の館の中で今も瓦礫に埋もれているというのなら、どうあっても死ぬしかないだろう。


「よく私を助ける気になったわね」

 茶化すように笑う。

 ホークが苦い顔で視線を逸らした。


 正直、瓦礫の中のパンダを救出するべきか、少し悩んだのは事実だ。

 何ならそのままパンダを見殺しにする手もあった。憎き魔人だ、見殺しにしたとして誰が責められよう。

 しかしホークはパンダを救うことを決めた。


「契約したからな。魔王討伐の旅に付き合うと」

 間接的にも直接的にも、パンダの助力なしにブラッディ・リーチ討伐は有り得なかった。

 パンダは最後までホークを裏切ることなく、その使命を果たした。

 それには応える責任があるとホークは思った。


「それなんだけどさ」

 しかしパンダは突如神妙な表情を浮かべた。

「契約の前提はあなたの妹の救出だったじゃない。それに関しては失敗しちゃったわけだけど、いいの?」

 その言葉にホークはしばし沈黙した。

 だがやがてその瞳に確かな決意が灯る。


「あの時……私は憎しみに支配されていた。今もだ。この憎しみは永劫消えずに私の内にくすぶり続けるだろう」

 ホークは燃えゆく館を見つめる。

 ホークの怒りと共に燃え盛り、マリーの世界やかたを焼いたあの炎はやがて鎮火する。しかしホークの心に生まれた怨嗟の炎が消えることはない。たとえブラッディ・リーチが死した今でも。


「私はあらゆる事柄を凌駕して、奴を殺したいという一念に支配された。それは間違いなく、私が抱いた願いだった」

「そのお手伝いをしてあげた。だから借りが一つ、って思ってくれてるってことかしら」

「そうだ。……業腹だが、お前無くして奴は倒せなかった。――契約内容と齟齬がある、などと詭弁を弄するつもりはない。この借りは必ず返す」

「よかったぁ。じゃ、これからもよろしくね」


 笑顔で握手を求めるパンダ。

 しかしホークはその手を取らなかった。


「ただし、一つだけ条件がある」

「なぁに?」

「魔王を殺す……それはいい。そのための協力はしてやる。だが、それはあくまでお前の目的だ。私はその旅の果てに、私個人の目的を目指す」

「というと?」


「私は人間のためには戦わん。そして、魔人である貴様のためにも戦わん。どちらも滅べばいいと願っている。私にその力があるというのなら……この旅はその足掛かりだ」

 ホークはホルスターからレッドスピアを抜き、パンダの額に狙いを定めた。

「私は魔王を殺し、魔族を滅ぼす。だが、魔王を殺しても貴様は死なない」

「ええ、私は魔王の盟約下にはないからね」


「私はこの旅の果てに、魔族の根絶を望む。この破魔の力は、きっとそのためにある。やるなら徹底的に魔族を滅ぼす。な」

「……ふふ」

 魔断の銃を額に向けられても、パンダは楽しそうに笑った。


「道理ね。『魔族殺し』の勇者なら、殺す対象は私だって例外じゃないわけね」

「お前が先代魔王なら、確かにお前の代では魔族とエルフは戦争をしていなかった。だが貴様には魔族の王として、かつてエルフを虐げた責任を取ってもらう。私の魔断で、いずれ貴様を裁く。――それが不服なら、」

「よろしく、ホーク」


 パンダは握手のために伸ばしていた手を更にホークに近づけた。

「……私になど負けるはずがない、と侮っているなら」

「そうじゃないわ。ほんと言うとね、私心配だったの。割に合わない契約でこの先あなたが私と旅をしてくれるのか。でもあなたにもあなたの願いがあるなら、私たちは対等よ。対等なら、きっと私たちは仲間になれる」

「……」


 差し出された手を見つめる。

 この少女は、今まで見てきたどんな魔人とも違う。

 異様。異質。言葉では言い表せない不気味さがある。

 そして、今でこそ弱体化しているようだが、その内に秘める力は計り知れない。


 パンダは決して正義のために魔王を討伐するのではない。

 だが同時に、悪意を持ってこの世界を見つめてもいない。


「――いいだろう」

 だからこそ、ホークはパンダを受け入れた。

 人間を護るための勇者になれと誘われたなら、ホークは決して承諾しなかっただろう。

 魔族を滅ぼすための旅だが、人間を救うための旅ではない。

 結果的に人類が救われるというだけの話。


 パンダには善も悪もない。ただ我欲あるのみ。

 それはホークも同じこと。彼女もまた自身の望みのためだけの銃を取る。

 ただ皆で楽しく魔王を討伐しようという、そんな誘いこそ、この歪な勇者に相応しい。


 勇者ホーク元魔王パンダの手を握り返した。


 そして――ここに一つの契約が生まれた。











 突如として吸血鬼の襲撃に見舞われた交易都市シューデリアは、現在事後処理に追われていた。

 大量のグールに攻め込まれた都市の被害は甚大で、数千人の死傷者を出した。

 一夜にして死の都へと変わり果てたシューデリアは、一時間も経たないうちに東門が陥落。その後都市の中央区域にまで被害が及ぼうとしていた。


 だがそこで、グール達の動きに乱れが生じ始める。

 主であるブラッディ・リーチが無理矢理に魔力を吸い上げ、半数のグールが死亡。そしてその後ブラッディ・リーチがホークの魔断によって貫かれ、グール達は残らず死滅した。

 ハシュール騎士団が駆け付けたときには、都市には無数のグールの死体が散乱していたが、それ以上の被害が出ることはなかった。


 その後騎士団はブラッディ・リーチの館へと赴き討伐に臨んだが、その時彼らを出迎えたのは、全焼し跡形もなくなった館の残骸だけだった。

 館からは多数の焼死体が発見されたが、損傷が酷すぎて個人を特定することはできなかった。

 しかし明らかな戦闘の痕跡があったことから、ハシュール騎士団は何者かがブラッディ・リーチ討伐を果たしたと結論づけた。


 それがいったい誰なのか。

 その答えに辿り着いたのは、シューデリアの冒険者たちだった。


 昨日、ブラッディ・リーチ討伐の依頼を周囲に持ち掛けて回っていたエルフがいた。

 もしブラッディ・リーチが討伐されたのなら、それはきっと彼女に違いないと、大勢の冒険者が証言。

 ハシュール騎士団はすぐさまホークを訪ね、事情聴取を行った。

 そして――。






「行くのか、ホークよ」

 三日後。

 支度を全て終え、エルフの森を出ようとしていたホークの背に声がかけられる。

 ゼフィール。エルフ族の長であり、ホークにとっては仕えるべき主であり、共に長い時を過ごした盟友だ。


「はい、族長。私はこれよりこの森を離れ、旅に出ます。勝手をお許しください」

「既に許すと伝えたはずだ。それに、最後に大きな手土産も残してくれた」

 正確には、その手土産はこれからホークが向かう先で受け取るものだ。


 シューデリアを襲った吸血鬼を討伐した英雄として、ホークはハシュール国から表彰されることとなった。

 これからハシュール国の王都へ向かい、国王から直々に褒章を受け取る手筈になっている。


 王の使者から、望むものを考えておけ、と言われていたが考えるまでもなく答えは一つしかない。


 ――平和。

 既に結ばれたハシュールとエルフ族の不可侵条約。

 それをより強固に、不変のものとして欲しいとホークは王に望むつもりだ。


 ブラッディ・リーチによって、エルフ族最後といっていい戦闘部隊が壊滅した。

 その上、最後の砦であるホークまで森を去っては、エルフの森の平穏は極めて危うくなる。

 それを護れるのは、もはやハシュール国しかない。

 かつて初代国王が志した、エルフ族救済の意思……それを、今代の王にも改めて望む。ホークの願いはそれだけであり、ホークがこの森に残せる最後の守護だ。


「お主には、何から何まで迷惑をかけた。お主はまさにエルフ族の守護者だ。お主のような側近を持てたこと、わしは心から誇りに思う」

「……光栄の、至りです」

 そう言うホークの顔は浮かないものだった。


 守護者などと、自身をそんな風に思うことがホークにはどうしてもできなかった。

 自分は何も護れなかった。戦争で何人もの同胞を死なせ、そうまでして守り抜いた妹の命すら失った。


「――ミリアのことは、本当に残念に思う」

 ホークの肩が僅かに揺れる。


 ゼフィールはミリアを見捨てた。

 それを全く恨んでいないと言えば嘘になる。しかしそれを責めることがホークにはできない。

 ホークもまた、ミリア以外の者たちに同じことをした。自分だけを棚上げにはできない。


「ゼフィール様に……責はございません」

「……ああ、ないとも。わしは自分の判断が間違っていたとは思わん。もう一度同じことが起これば、わしは同じことをするだろう。……故に、お主に詫びることもできん」

「……」

「だからわしがお主に詫びたいのは一つだけだ。……わしは無力だ。あまりにも無力。戦うことも護ることもできん。果敢に戦い、民を護ってきたお主達に比べ……この身のなんと非力なことか。……その無能を詫びる。お主ばかりに戦わせる非道を詫びる。本当にすまない……ホークよ」


 そう言ってゼフィールは頭を下げた。

 ゼフィールのそんな姿は、ホークも一度も見たことがなかった。

 純粋に時間で考えれば、ゼフィールは最も長くエルフ族の地獄を生きた長老だ。

 日々死地へと赴き果てていく同胞の背を、何度も見送ってきた。

 そんな彼だからこそホークはゼフィールに付き従ってきた。その判断が正しいと信じてきた。


「――許します、ゼフィール様。貴方に限らず、我々は皆弱い」

「いや、お主は強い。心だけでなく、純粋な力もな。――しかしその力も、道を違えればただの暴力。ホークよ、正しき力の使い道……ゆめ忘れるでないぞ」

「……」


 そう諭すゼフィールに即答することができなかった。

 あらゆるものを失ったホークに残ったのは、行き場のない闘志だけだ。

 これから、ホークは護るためではなく殺すための戦いに身を投じる。本当の意味での、ホークの想いを叶えるためだけの闘争だ。


 空っぽになったホークの心に、ただその想いだけがあった。それを成す力があった。だからそれに準じるというだけのこと。

 そんなものは英雄ではない。勇者ではない。誰に誇れる有様でもない。


「……ゼフィール様。今の私は、ただ一発の銃弾と同じです」

 故にホークは、こう答えるしかない。


「一度放たれた以上、ただ突き進むのみ。引き返す道はありません」


 ただひたすらに魔を殺す魔断の射手。

 それが、今のホークの姿だ。






「お。英雄様のご帰還か」

 ガンショップ『ジャンズ・レフト』の店長ボルクハルトは、椅子に腰かけながら来客を出迎えた。

 咥えていた煙草を揉み消すと、紫煙を吐き出して一つ息を吸った。


「生き残ったようだな」

 入店したホークは煙草の悪臭に顔をしかめながらボルクハルトに声をかけた。

「おかげさまでな。なんだ、心配してくれてたのか?」

「残念がっているだけだ」


 軽口を飛ばし合いながらも、初対面のときほどの剣呑さはない。

 あの一件以来、二人は互いの力をある程度認め合っている。

「俺の娘の調子はどうだったよ。悪くねえ抱き心地だったろ?」

「……まあ、多少は役に立った」


 ボルクハルトによって改造された赤の銃『レッドスピア』は、ブラッディ・リーチとの戦闘では一度も不具合を起こさずホークを支えてくれた。

 魔法銃『サーペント』も謳い文句に偽りのない性能で、この二つの銃がなければブラッディ・リーチ討伐も危うかった。

 そういう意味では、吸血鬼退治の影の功労者は彼と言える。


 初対面の印象こそ最悪だったが、少なくとも彼は他の冒険者たちのように自身の利益だけで動いたりはせず、パンダとホークに最大限の協力をしてくれた。

 その点に関してだけは、少しだけ感謝していなくもない。


「まさか吸血鬼を撃つつもりだったとはな。お前さんには感謝してるぜ? お前さんのおかげでうちの評判までうなぎ上りだ。この調子でどんどん有名になって、その銃を見せびらかしてくれや。俺も協力するからよ」

 図々しい話をするボルクハルトに、ホークが鼻を鳴らす。


 ホークが勇者として名乗りを上げるならば、ホークの破魔の力のことは知れ渡るだろう。

 人間領内の魔族絡みの騒動はほとんどがバラディア国が解決しているが、万年人手不足で常に手が回っていないのが現状。

 ならばホークの下には、これから多くの魔族討伐の依頼が舞い込むだろう。


 そうして名を上げれば、ホークが使う銃という武器にも注目が集まる。

 誕生以来ずっと不遇だった銃士という職が日の目を見るまたとない機会だ。


「協力すると言ったな。なら弾をよこせ。吸血鬼に撃ち尽くしたんだ」

「構わねえが、金はあるのか? 報奨金でも出たか」

「出るらしいが、まだもらっていない。持ち金もない。ツケておけ」

「いいぜ。同じのでいいんだろ?」


 ボルクハルトはカウンターの下から、以前渡したものと同じ銃弾を取り出してホークに渡した。

「……」

 その潔さに若干面食らうホーク。

 揚げ足を取るつもりで冗談半分で持ち掛けた交渉だったが、まさかここまであっさりとツケを許すとは思っていなかった。


「……随分話が早いな」

「言ったろ、ツケってのは信頼関係がなきゃできねえってよ。だからお前さんにはツケてやる。そんだけだ」

「…………金は数日中に必ず払う。待っていろ」

「あいよ、信用するさ。なにせ吸血鬼をぶっ倒した英雄様のお言葉だからな」

「――」


 その言葉に、ホークは渋い顔で押し黙った。

「? どしたよ」

「……いや、なんでもない」

 歯切れの悪いままホークは頭を振り、そのまま店を出た。




 ブラッディ・リーチの討伐は、ホーク一人で成し遂げたことになっている。

 実際にはパンダの助力があってこその勝利だが、外ならぬパンダがそれを望んだのだ。


 言うまでもなく、パンダは魔人だ。

 そして魔人は見た目こそ人間と区別がつかないが、神官の神の業に触れたり、レベルシステムによって魂を暴かれたり、あるいはもっと『見る者が見れば』魔人だと露見してしまう可能性がある。


 パンダは冒険者として名を売りたいが、逆にのも問題なのだ。

 下手に注目が集まり過ぎてしまうと、いたずらにパンダが魔人であることがバレる危険性が高まってしまう。

 故にパンダは、その隠れ蓑としてホークを選んだ。

 ホークはいくら叩かれても埃の出ない、純然たる勇者だ。誰に憚ることなく賞賛を受けられる。


 故に、今回の戦果は全てホーク一人に与えられることになった。

 他人の手柄を横取りするなどホークのプライドが許さなかったが、それでも甘んじるしかない。

 パンダの素性を隠すには、これでも温いくらいだ。


 四代目魔王が僅か八年の間に残した数々の伝説は、五〇年森に引きこもっていたホークですら耳にするほど。

 かつて世界の頂点に君臨した最強の魔王。そんな者が人間社会に紛れ込んでいると知られれば、どうなるか分かったものではない。


 それほどに世界から恐れられていたのだ。


「今日のおやつはレン根チップス~♪」


 ……この女が。


「ホークも食べる?」

「いらん」

 ポリポリとレン根チップスを齧りながら、パンダはホークの隣を歩いていた。

 紫のゴシックドレスをたなびかせる美少女の姿は、この都市の名物になりつつある。


 ホークの偉業が知れ渡った直後、多くの冒険者からパーティを組もうと誘いがあった。

 驚くべきことに、その中には以前ホークから話を持ち掛けた際ににべもなく断ったパーティすらあった。

 唾でも吐きかけてやりたかったが、ホークは自制した。


 全ての話を断った孤高の英雄ホーク……その隣にただ一人並んで歩く少女の姿。

 二人がパーティを組んでいるという話はすぐに広まり、疑念と共に様々な憶測を生んだ。

 冒険者管理局でのパンダの扱いも一変し、一躍有名人となった。


「王都へは今日行くんだっけ?」

「ああ。午後にはシューデリアを出る予定だ」

「お土産期待してるわ」

「観光じゃないぞ」

「分かってるって。寂しいから早く帰ってきてねぇん。ぶちゅ~」

「気持ち悪い真似するな」


 パンダの投げキッスを回避する。

「それより、本当に私の弾に金を使ってよかったのか。お前は武器も防具もまだないだろ」

「仕方ないじゃない。弾がなきゃ魔断も撃てないでしょ。パーティの主力なんだから万全でないと」

「……しばらくはこの都市で金策か」

「ふふ~、そのことなんだけど、早速依頼が来てるのよねぇ。魔獣絡みのがもう三つも」

「本当に節操のない連中だな」

「それだけ期待されてるってことよ」


 エルフの森に支度をしに行っている間に三件も依頼が舞い込んだのなら、一週間もすれば相当な数になりそうだ。

「難度は?」

「二つは大したことないわ。でも一つはそれなりよ。S-40ってところね」

「受けておけ。交渉は任せる」


 交渉事はパンダの得意分野だ。せいぜいぼったくってくれるだろう。

 魔族を討伐すれば報酬も高いし、パンダのレベルも一気に上げられる。

 しばらくはシューデリアを拠点にして魔族狩りを進めることになりそうだ。


「オッケー。じゃあ、頑張って王都でアピールしてきてね。魔族殺しの魔断の射手、勇者候補ホーク・ヴァーミリオンのお披露目よ」

 楽しそうにはしゃぐパンダを見遣り、ホークもかすかに笑みを浮かべた。


 かくして、勇者と元魔王コンビの冒険譚が幕を開けた。































 瞼を開くと一面の炎が視界を覆った。

 激しく燃える火は館を焼き尽くし、今では少しずつ勢いは弱まってきていた。

 戦いの決着がついてからまだそれほど時間は経っていないようだった。


「……………………わ……たし」


 状況が理解できないまま――マリー・イシュフェルトは周囲を見回した。


 マリーの記憶は二度目の魔断に貫かれた時点で途切れている。

 そう、マリーはあの瞬間、魔断に撃たれた。二度も。

 盟約は破壊されなかったが、それでも体内の魔力を全て消し飛ばされた。魔族にとってはそれだけでも致命傷になり得る上に、魔力を失っては回復もできない。

 そんな状態で燃える瓦礫に生き埋めにされた。

 しかも腹部には魔弾による大穴が開いていた。生きているはずが――


「――え?」

 そのとき、マリーは自分の腹部が傷一つないことに気づいた。

 しかし腹部部分の衣服は弾け飛んでいる。パンダの魔弾に撃たれたことは間違いないのだ。

 完全に致命傷。どうあがこうとも死ぬ運命しかなかったはず。


 それを覆したのは――



「――目が覚めましたか」



 灰色のフードを被った、一人の魔人だった。


 目深に被ったフードで顔も見えないその人物が魔人だと一目で分かったのは、纏っている空気があまりにも他者と違ったからだ。

 パンダを初めてみたときに感じた危険な匂い。この魔人が放つ気配はその数倍はあった。


「……あなた、は?」

 マリーの問いかけに、その魔人は顔を覆っていたフードを脱いだ。

 灰色の長髪に褐色の肌。マリーがぞくりと興奮するほどの美女だった。


「グレイベアと申します。勝手ながら貴女の治療をさせていただきました」

「……治療?」

「まあ治療というほどのものではありませんが。薬を振り掛けただけです」


 それは瀕死のパンダを治すために用いた、魔王城の秘薬。

 エリクサーに匹敵する最高級の治療薬だ。

 しかしそれも、あと数十秒でも遅れていれば手遅れだっただろう。それほどにマリーの傷は致命的だった。

 ベアがここに来た時には既に死んでいると言っていい状態だった。


 それを救うため、ベアは自らの血をマリーに呑ませた。

 上位の魔人であるベアの血を取り込んだことで、マリーはかろうじて一命をとりとめることができた。

 魂が完全に体外へ出ていなかったのが幸いだった。


 ――そう、それが戦いの後にパンダが感じた違和感の正体。

 パンダのレベルが上がっていなかったのだ。

 ブラッディ・リーチほどの怪物を討伐すればレベルが上がってもおかしくない。その気配がなかったことをパンダは訝しんだ。

 しかしパンダは決着の瞬間、瓦礫に呑まれて意識を失っていたため、ホークが確信をもってマリーを仕留めたと断言したことでその疑いも晴れてしまった。


 ホークがレベルシステムを持っていなかったのも大きい。

 もしどちらか一つでも条件が合えば、マリーの魂がまだ失われていないことに気づけただろう。


「どうして……私を」

「貴女にはまだ使い道があるので」

「……どういう意味?」

「貴女は四天王の一人なのです。貴女が生きている限り、新たな四天王は生まれません」


 ――四天王の数が少なければそれだけ……四天王の一人、カルマディエに近づける。

 全ての魔族はいずれかの四天王に連なっている。

 単純計算、カルマディエに連なる魔族に遭遇する確率は四分の一ということになるが、その数が三人になればより高確率。

 それを辿っていけば、いずれはカルマディエへと辿り着ける。


 カルマディエを殺せば、パンダはグレイベアをパーティメンバーに迎え入れてくれると約束した。

 ならば話は早い。ベアが自ら動き、カルマディエをぶち殺す。

 そうすればベアは再びパンダと共に生きていける。彼女の傍に仕えることができるのだ。

 しかも今度は従者ではなく『仲間』として、パンダと共に世界中を旅できる。そんな未来を想像しただけでグレイベアの心に抑えがたい興奮の渦が巻き起こる。


 ――この吸血鬼はそのための道具だ。

 これはパンダの意思とは関係ない。グレイベア個人の願望だ。


「私が……四天王? 何言ってるの?」

 そんな事情があるとは露知らず、マリーは状況をまるで理解できず困惑するしかなかった。

「全てはパンダ様のため。貴女には生きていただきます」

「どういうこと? 私が生きることが、どうしてパンダのためになるって……」

「簡単な話です。貴女が四天王の盟約を持っていれば、魔王は貴女を殺しにくる。そうすれば魔族の注意は貴女に向く。それだけパンダ様が動きやすくなる」


 それがベアの出した結論だった。

 パンダからは旅に干渉するなと念押しされたが、その命令には反していない。には、一切関与していないのだから。

 加えて、パンダはベアに好きに生きろと言った。ならばこれこそがベアの望みだ。

 彼女を助けること。彼女の役に立つこと。彼女に必要とされること。

 それだけがベアの望み。生きる意味なのだから。


「そんな……馬鹿な話」

「断れば殺しますし、逃げても魔族に殺されるだけです。貴女に拒否権などありません」

「……私に、何をしろっていうの?」


 炎の中佇む灰色の魔人……彼女がマリーを見下ろす瞳は、今までマリーが見たこともないものだった。

 かつての男たちのように欲望に歪んでもいない。

 少女達のように恐怖に濁ってもいない。

 ホークのように殺意に燃えてもいない。


 ――その眼差しは、取るに足らない害虫でも見つめるような冷たさだった。



 そして――ここに一つの契約が生まれた。


「貴女には私と共に魔族から逃げ続けていただきます。パンダ様を助けるため……魔王の注意を引くための、デコイとして」






第二章   魔断の射手   完

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