第3章

第080話 海は広いもんだ


 俺は船に揺られる感じが不快で目が覚めた。

 飛空艇はそこまで揺れることはないのだが、海を走る船はどうしても揺れる。

 それに飛空艇には何度も乗っているが、船は数える程度しか乗ったことがない。

 船酔いという言葉があるようにこの揺れはあまり気持ちの良いものではない。

 さすがに気持ち悪くなって吐くという感じではないが、気になる程度には不快なのだ。


 俺は上半身を起こし、隣のベッドを見る。

 俺の右隣にはリーシャが相変わらずの素っ裸で気持ち良さそうに寝ていた。

 掛け布団を抱くように寝ており、身体は見えないが、艶めかしい右腕と右足が見えている。

 リーシャは裸族ではなかったはずだが、冒険をするようになって…………というか、マリアと同室で寝るようになってからこうなった。

 まず、間違いなく、マリアに対する牽制だろう。


 そして、俺は今度は左隣を見る。

 左隣のベッドにはマリアが仰向けでスヤスヤと寝ていた。

 マリアはこれまでリーシャを真ん中にし、リーシャを挟んで寝ていたが、今は俺の隣で寝ている。

 これは俺がマリアを側室に迎え入れると言ったからである。

 正直、身分的にどうなんだという思いもあるが、まあ、奴隷商に捕まり、売られそうになって男性恐怖症になったマリアが憐れだし、別にマリアのことも嫌いではなく、むしろ、可愛らしい子だとは思うので問題はない。

 あるとしたら嫉妬の塊の下水正室である。


 昨日の夜、ここでこれからのことを話そうと思っていた俺達だったが、話していると、さすがに疲れから眠気が襲ってきたのですぐに休むことにしたのだ。

 その際、どこのベッドで誰が寝るかでひと悶着あった。

 この部屋はベッドが3つある船内の休憩室であり、これまでなら俺、リーシャ、マリアの並びだった。

 しかも、大抵はマリアが遠慮し、俺とリーシャがベッドに横になった後に最後に空いている端に行っていたのだが、昨日の夜はマリアが我先に左のベッドに行った。

 俺はマリアの意図がなんとなくわかったため、リーシャが動き出す前に真ん中のベッドに行くことにした。


 その時のリーシャの顔は忘れない。

 リーシャは親の仇でも見るような目でマリアを見ていた。

 マジで目で人を殺すっていうのはあれのことだろう。

 だが、マリアはそんなリーシャを無視し、さっさと寝始めた。

 というか、うつ伏せでベッドに倒れると、そのまま動かなくなったのだ。

 まあ、あんなことがあった後だから仕方ないだろう。


 俺はマリアに掛け布団をかけてやると、さっさと寝ることにし、自分のベッドに戻り、就寝した。

 リーシャもまた、何も言わずに空いているベッドに行き、寝始めた。


 これが昨日の夜の出来事である。


 俺はベッドから降りると、再び、まだ寝ているリーシャを見る。


 あー、こいつに説明と報告をするのが面倒だなー……


 俺はちょっと嫌な気にもなりつつ、船室を出ると、甲板まで行く。

 甲板に着くと、外はすでに日も昇りきっており、晴天で気持ち良かった。


 俺はいつもリーシャがかっこつけて仁王立ちしている甲板の先まで行くと、どこまでも続く海を見る。

 そして、しばらくそのまま海を見続けた。


「海だなー……」

「海ですね」


 声がしたので振り向くと、そこには服を着たリーシャが立っていた。


「海だな」

「はい。殿下、マリアのことですけど…………」


 リーシャが何かを聞きたそうな目で俺を見つめる。


「この状況でそれか…………まあいい。マリアを妻に迎えることにした」

「そうですか…………妾ですか?」

「いや、側室。本人がそれじゃないと嫌なんだそうだ」

「男爵令嬢風情が偉そうですね」


 まあ、偉そうだ。


「あいつ、実はイアンやケビンからもそういう話があったそうだぞ」

「ケビン様は聞いていましたが、イアン様もですか…………やはり殿方はああいうのが良いんでしょうかね?」

「さあ? 女の好みなんて、人それぞれだしな」


 ああいうのが良いと思う。

 でも、とりあえず、しらばっくれておこう。


「まあ、そうですね。しかし、側室ですか…………」

「不満か?」

「はい。格というものがあります」


 確かにある。

 確かにあるのだが…………


「今の俺にそんなものがあるか? たかがミールの辺境伯だぞ。それに国に戻れるかもわからん」

「そうですね…………マリアがエーデルタルトでどういう扱いになっているのかがわかりませんが、わたくしと殿下は指名手配犯でしょう」


 そういや、マリアはどうなってんだ?

 共犯か、人質か……


「そういうことだ。俺達はこの先どうなるのかもわからない冒険者でしかない。マリアを側室に迎える…………いいな?」

「普通、そういうことは事前に相談するものです」

「決まったのが昨夜なんだ。あいつ、男性恐怖症になったらしい」

「まあ、あんなことがあればねー…………」


 リーシャが思案顔をする。


「可哀想だろ」

「そんな理由ですか?」

「そんなわけないだろう」

「ハァ…………まあ、いいでしょう。何となくそうなると思っていましたし、早いか遅いかです。マリアなら問題ありません」


 全然、そう思っていない顔だなー……


「嫌ならそう言え。なかったことにする」

「それは最悪です。マリアが海に身を投げます」


 えー……そこまでするー?

 まだ何もしてないし、この話は俺達以外誰も聞いてないぞ。


「さすがにせんだろ」

「状況を考えてください。マリアには殿下しか頼れる人がいないんです」


 まあ、そうかもしれない。

 マリアが頼るというか、俺達は一蓮托生の仲間だ。


「しかし、嫌なんだろ?」

「嫌は嫌ですか、殿下が側室を持つことの覚悟はしていますし、推奨をしなければならない立場でもあります。だったら気心の知れたマリアを側室に置き、他をシャットアウトします」


 シャットアウト……

 俺が他にも欲しいって言ったらどうなるんだろ?

 別に面倒なだけだからいらんが……


「まあ、お前がそれでいいならいい。どちらにせよ、ウォルターに着いてからだ。じゃないと、お前と祝言をあげることもできん」


 さすがにした方が良いだろうな。

 このまま婚約者のままではマズいだろうし。


「そうですね。本来ならエーデルタルトの大聖堂で祝言をあげるのが一番ですが、水の都であげるのもそれはそれで憧れの一つです」


 エーデルタルトの王族は王都にある大聖堂で結婚式をする。

 一方でウォルターには水の神殿という美しい建物があり、身分に問わず、あそこで式をあげるのが女子の憧れでもある。

 なお、これは絶対に言えないが、俺はどっちでもいい。

 昔、この話を弟のイアンにしたら絶対にリーシャには言うなと釘を刺されたことがあるくらいだ。


「伯父上に頼んでやる」

「お願いします。では、そのためにもさっさとウォルターに行かねばなりませんね」

「そうだな…………マリアを起こしてこい。いくら疲れているとはいえ、さすがにそろそろ起きるだろ」

「そうですね。では、呼んできます」


 リーシャはそう言うと、踵を返し、船室の方に向かう。

 俺はそれを見送ると、空を見上げた。


「あー、怖かった……」


 正直、いつ刺されるんだろうと思っていた。


 俺がホッとして、しばらくすると、リーシャがマリアを連れて、甲板に戻ってくる。


「マリア、おはよう」


 俺は毛先が跳ねているマリアに挨拶をした。


「おはようございます、殿下。いい天気ですね」


 マリアはとっても笑顔だ。


「そうだな。見てみろ。空も海も青い」

「本当ですねー! すごーい! 海だー!」

「昨日は夜で何も見えなかったもんな」


 夜の海は怖いが、昼の海はきれいで気持ちが良い。


「本当にすごいです! 海だー! あおーい、海だー……って、海しか見えないじゃないですかー!? 陸はどこーー!?」


 マリアの絶叫が一面の海に鳴り響いた。

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