第5話:契約したけどこの首輪はおいくら万円?
あれから消防車も来ることになったが、幸いにも初期の対応で火の手を弱めたおかげですぐに鎮火した。
消防署員の方も残り火がないことを確認して一段落…ということにはならず、自分は夜の理事長室にいる。
当たり前だが理事長さんと二人っきりというわけではなく、警備員さんも一緒である。
「荒野さん、本当に病院に行かなくて大丈夫ですか? 九条さんと水無瀬さんを助けた後に意識が定まらず、火の中に向かおうとしていたと聞きましたが」
「はい、大丈夫です。あの時はちょっと軽くパニックになってただけなので」
ちなみに旧校舎の中で失くしたと思っていたIDカードは飛び込んだ池の上で浮いていたところを発見された。
危うく存在しないものを探す為に炎の中に突っ込むところだった。
自分を止めてくれた未来さんと大勢の大人の方々には感謝しかない。
「さて、先ずは我が学園の生徒を助けていただいたこと、深く感謝しております。この一件に関しまして、我々の危機意識が不足していたことを痛感いたしました」
そう言って理事長さんが深々と頭を下げる。
「あ、いえ、お気になさらずに。別に俺が何もしなかったとしても、他の方が助けていたと思いますし」
どうも各生徒が所持しているIDカードにはGPS機能がついており、どこに誰がいるかを把握していたようだ。
だから旧校舎に取り残された人がいたとしてもすぐに救助に迎える体制だったわけで、別に自分が必死こいて走る理由なんてなかったのだ。
「はい、そうかもしれませんね。火災時のマニュアルもあったからこそ、旧校舎は小火で済みました。生徒が中に取り残されていたとしても、他の職員が助けていたことでしょう」
理事長さんはそこまで言った後、呼吸を整えてから真っ直ぐにこちらを向いて言葉を続ける。
「ですが、実際に助けたのは荒野さんです。他の誰かがやるはずだったことであろうとも、我が身を省みずに生徒を救助してくださったのは、他ならぬ貴方です。本当にありがとうございました」
そしてまた頭を下げられた。
個人的にはこんなお偉いさんに頭を下げられるようなことではないと思いながらも、これ以上なにか言ってもどうしようもないので受け入れることにする。
「えっと…お力になれたのであればよかったです。ところで、あの二人は大丈夫でしたか?」
「しばらくは検査入院することになりますが、軽く診てもらった限りではすぐに退院することができそうです。これも手早く救助してくれた方のおかげですね」
そう言って理事長さんはニコニコと嬉しそうな顔をしてこちらを見てくる。
なんだろう…すごく苦手なタイプである。
今までは外来異種駆除の業者と聞けば嫌な顔をされることの方が多かったせいか、こういう良い人には慣れていない。
どうしたものかとしどろもどろとしていると、理事長さんが何かを思い出したかのように手を叩く。
「今回の一件から、我々も外来異種に対する危機意識を改めなくてはなりません。ですが、駆除業者の選定をわたくしの一存で決めるわけにもいきません」
「はぁ……」
理事長といっても何でも出来るわけではないということらしい。
やっぱりお嬢様学校だと、何かするにしても卒業生や保護者からの理解も必要になるのだろう。
「また、糸籤や他の外来異種がまだ潜んでいる恐れもある中で、時間をかけるのもよくないことでしょう」
それもそうだ。
今はまだ見つかっていないだけで、丁種くらいならまだどこかにいる可能性もある。
「そこで、一時的に荒野さんにその対応をお願いしたいのですが、如何でしょうか?」
突然の提案で何を言っているかが分からなくなってしまった。
理事長さんが言ってる内容は分かるのだが、理解が追いついていないという状況だ。
「正式な雇用ではなく、臨時対応としてのお仕事の依頼となります。給与につきましては……日給でこれくらいでどうでしょうか?」
そうして理事長さんが手元の携帯端末を操作し、画面をこちらに向ける。
細かな文字と数値が羅列されているが、一番下の合計金額を見て目を疑った。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……万!?」
日給でこれだけ!?
しかもちょっと頑張ったら桁がもう一個増えるよコレ!?
「あの…これ、桁を間違えてませんか?」
「いいえ、それで合ってますよ」
もう一度端末の画面を見る。
「これを……俺が支払えばいいんですか?」
「いえいえ、我々が荒野さんにお支払いするんですよ」
端末の画面と理事長さんの顔を交互に見る。
「………もうちょっと安くなりません?」
「それは本来、我々が言うはずの提案ですね」
時間をかけてゆっくりと事実を頭の中で咀嚼する。
何度咀嚼しても頭が受け付けないので反芻までやってる。
「えっと…ここで働くには信頼と実績が足りないってお話だったはずですが……」
「そうですね。ですがその信頼と実績のある専門家に依頼する場合、先ずはその選定から行わねばなりません。それですと時間がかかってしまいますので、一先ず荒野さんにお願いしたいのです」
問題が起きた後に会議ばかりして何のアクションも起こさなかったらそれこそ問題があると見られるということだろう。
だが、その理由があったとしても自分でなければいけない理由というはないはずだ。
「その…俺は丁種免許しか持ってません。丙種以上の外来異種がいた場合、対応できない可能性が高いです」
「はい、問題ありません。その場合は大きな駆除業者への依頼を行います。荒野さんはあくまでも調査を重点的にお願いいたします」
金額が金額なので実はヤバイのがいるって可能性を考えたが、問題を投げていいのであれば安全は確保できる。
「俺一人で調査すると時間がかかりますし、見慣れない男が学園内を歩き回ることになります。それはそれで問題があるかと……」
「生徒には荒野さんについて連絡いたしますし、警備員を一人か二人同行させます。何かありましたら警備の者に相談してください」
警備員さんが同行するというのは監視の役割もあるのだろうか。
いや、この場合は逆にその方がありがたい。
ずっと見てもらえるということは、自分の無実も証明してもらえるということになるのだ。
「調査の期限につきましては特に設けておりません。荒野さんの気が済むまでお調べになってください」
何だこの好条件、条件がよすぎてちょっと怖いくらいだ。
「えっと、お仕事の内容については把握できました。ただ……この条件なら俺よりも良い人がいくらでもいるはずです。それこそ理事長が仰っていた信用と実力、そして実績のある人をいくらでも選べるはずです」
腹芸みたいなことは出来ないので真っ直ぐに聞いてみる。
緊張したせいで少しばかり声が上ずってしまったが、正直に話してもらえるのだろうか。
「貴方は既に我々へ信用と実力…そして実績を示されました。荒野さんが考えているであろう他の方が見せていないものです」
自分の不安を払拭するかのように、理事長は微笑みながら優しい顔で諭してくれる。
「貴方は我が学園の生徒を三名を、その身を挺して守っていただきました。これならば、臨時対応を任せられる方だとわたくしは判断したのです。他の方が何を言おうとも、わたくしの責任を以って任せられる御方ですよ」
ここまで言われてしまうと、こちらとしては何も反論できないし断ることもできない。
自分のような人間がこんな待遇のいい仕事を受けていいのかという後ろめたい気持ちがあるものの、ここで断ることの方が失礼になってしまう。
理事長さんの誠意に応える為にも、この仕事を頑張らなければならない。
「分かりました。学園内の外来異種の調査、引き受けさせていただきます」
「ありがとうございます。それでは契約書の方は明日の夕方までに準備いたします。IDカードにつきましては新しく権限を追加したものを発行いたしますので、そちらをお使いください」
IDカードと聞いて少し体が震えてしまった。
失くさないようにストラップまで貸してもらったというのに失くしてしまったのだ。
これはもう鎖とかそういうのを自前で用意すべきかもしれない。
いや、いっそ学園に飼い馴らされているという意味も込めて首輪という手も…?
「詳しい勤務内容につきましては明日にでも警備担当者なども交えてお話してください。わたくしは同席できませんが、責任者と決めたことであれば問題ないでしょう」
ふと、責任という言葉に引っ掛かった。
自分はこういうタイプの人が苦手だ、それは善人を相手にすることが少なかったということもあるが、それだけではない気がしてきた。
「荒野さんも彼らのように仕事の責任を果たすよう、期待させていただきますね」
そういって嬉しそうな顔をこちらに向けてきた。
この人あれだ!
良い人だけど、それだけじゃなくて上に立つ人間でもあるんだ!
あの日給の金額は金銭感覚がおかしかったわけじゃない……。
"これだけの金額を支払うのだから、相応の責任を負うこと"ということを目的にした鎖だった!!
安い給料なら重い責任を課せられてもそんなん知るかと投げ捨てられるが、ここに来てお金の重さが責任の重さとセットでついてきてしまった!!
「あの、理事長……日給につきましては…やはりもう少し減らしたほうが、いいんじゃないかなぁと……」
「大丈夫ですよ、自信をお持ちになってください。何かあっても、ちゃんとわたくしも一緒に責任を取りますので、安心なさってください」
アカン!
この人ってばお金だけじゃなくて自分の信用も上乗せしてきたぞ!?
クソみたいな経営者だったらお前も一緒に死ねという心構えでいられるが、良い人が自分のせいで泥を被るってことを考えると心が痛くなる!
そんな自分の葛藤など露知らずといった顔で理事長さんはずっとニコニコとした顔でいる。
「期待しておりますよ、荒野さん」
この日、自分は"善人"と"厄介な経営者"が両立するということを初めて知った……。
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