第70話:日常への送り狼
あれから数日後……人間ドックも受けされられたが、まったく異常が見つからなかった。
訂正、体重について言及されたが、ソコはまぁ……痩せすぎとか栄養不足に比べれば健康という事で。
そして最初の俺のメンタルテストをしてくれた担当医さんに、苦虫を噛み潰したような顔をして退院を告げられた。
費用についてはアメリカ側で処理してくれたので助かった。
これでロシア側とかも顔を突っ込んできたらどうすればいいのか分からなかったよ。
あと、今後胃カメラだけは絶対にやりたくないと思った。
あんなん胃の中に入れるとかお腹おかしくなるよ。
……よくよく考えたら俺も呑牛に対して似たようなことやったっけ。
もしかして、あの時に死んだ呑牛の呪いなのか?
でも何でも食べるお前さんが悪いのであって、俺は悪くないと思うんだ。
他の人達はまだ検査だったり団体としての体裁もあるのでまだ残るようだ。
そんなこんなで、ロシアから羽田空港に到着した俺を久我さんが出迎えてくれた。
もちろんここで逃げられるはずもなく、俺はなすがままに黒塗りの高級車に乗らされた。
「そういえば荒野くん、帰って来るの遅かったが、何か問題でも?」
「あー……ちょっと心理テストを何度も受けてたので。最後の方は自分からも受けに行きましたけど」
「なんでまたそんな―――」
「人を殺した俺が、本当に日本に帰ってもいいのか気になって」
車内は静まり、エンジン音だけが響く。
それから俺は、ぽつぽつとこれまでの事を話す。
プリピャチ市であった事……≪コシチェイ≫に捕まり、逃げた事……そして壁の外に向かわず、殺しまわっていた事……。
「一応、アイザックの方からも聞いているが」
アイザックというのは、病院で出会ったあの白髪の男性の事だろうか。
まぁあんなこと知ってる人はそうそういないか。
「逃げる選択肢もあったのに俺は殺しました。人の形をしたものとかでもなく、一人や二人でもなく、大勢を殺しました。なのに、何の異常も無いんですよ」
あの時の選択と行動について後悔しているわけじゃない。
何度同じ場面を繰り返したとしても、俺は何度でも同じ選択肢を選ぶだろう。
けど、俺は後悔したかった。
そうすれば"人殺しは悪い事"と思える人間の証明になる。
もしくは異常が見つかれば、その異常のせいにできる。
だというのに、俺には後悔も、葛藤も、そして異常性も見当たらなかった。
まるで"お前はこういう人間なんだ"と、そう決定付けられたようだった。
そして俺がそれを拒絶する事なく、すんなりと受け入れてしまったことが、とてつもなく―――どうしようもなかった。
「俺……日本に帰ってきてよかったんですかね」
あの沢山のパスポートとクレジットカードは、もしかしたらこの事を予想していたから渡されたのかもしれない。
日本で生きてきた在来種が海外で暮らし、そして元の環境で生きていくことができなかった時を考えて。
「それがどうした。政治家なんて、平時には軍人よりも人を死なせる職業だぞ? 殺した数を自慢するなら、私を超えてからにしてくれ」
久我さんから予想外の返答が返ってきて、思わず口ごもる。
「いや、その……久我さんと違って俺は自分の手で―――」
「直接殺した方が偉いと思っているのか? 残念だが、どんな過程だろうと、人命が失われている事に変わりはない」
あまりにもズバズバとした物言いに言葉を失ってしまう。
なんというか……初めて政治家というものを目の当たりにした気がする。
「日本は法治国家だ。キミが何をしようと、法を犯していないなら殺人犯ではない。ただ……罪の意識を持とうとすること、そしてまともであろうとするキミの精神性は、一般人と同じだよ」
「久我さん……」
「―――実はな、日頃の労いも兼ねて温泉宿の予約をとってある。そういう青臭い悩みは、風呂に入ってさっぱり流してしまえばいい」
今までが今までだっただけに、久我さんの心遣いが嬉しかった。
「でも俺富山育ちなんで、本格的な温泉宿よりも好き勝手できるスーパー銭湯の方が好きっす」
「キミのそういう馬鹿正直なところ、嫌いじゃないんだがなぁ……」
だって、だって!
小さい頃に風情がどうのこうのって事で宇奈月温泉に行ったけど退屈だったんだもん!
あの頃はスマホもなかったから時間を潰す方法はかなり限られてた。
おかげで一日五回くらい温泉に入ってた気がする。
いやまぁ風呂好きだからよかったけどさ。
「はぁ~……せっかくメンタルケアの為に女性を呼んでおいたのだが……」
「やっぱ温泉って最高ですよね! 魂の洗濯っていうか……日本人ならやっぱスーパー銭湯より、古来から続く心身共に清められる温泉宿っすね!」
んもー、久我さんったら人が悪いんだからー!
そういう事があるなら先に言っておいてくださいよー!
いやぁ~よかった、よかった!
いつの間にか車が山の方向に走ってたから、埋められるじゃないかと思ったけど、それなら大歓迎だ!
……そういえば、アニメとか映画だと初めて人を殺した主人公を女の人が慰めるR指定な展開もあったよな。
つまり、今なら俺がそれをやっても許されるという事だ!
よーしパパ、今日大人の階段を上っちゃうぞー!!
「そうだ、久我さん。コレ、お土産です」
そう言ってロシアの病院で手渡された封筒を差し出す。
しかし、久我さんは頑なにそれを受け取ろうとしなかった。
「それはキミが貰った報酬だろう? キミが使いなさい」
不発弾の処理をしてもらおうかと思ったのだが、そうは問屋が卸さないらしい。
中身を見ないまま突き返された事を考えると、多分バレてるんだろうな。
……これを使えって、どう使えってんだよぉ!
そして本格的な温泉宿に到着し、仲居さんに部屋へと案内される。
ウッキウキの気分で襖を開けると、そこには才色兼備な女性達が待っていた。
「荒野さん、お久しぶりです! 身体は大丈夫ですか?」
「退院したばかりですから、元気といえば元気かもしれないですね」
そう……広めの広間にいたのは未来ちゃんに近衛さん、さらに北小路理事長まで待ち受けていた。
しかもうっすら頬が赤らんでおり、浴衣を着ている事から、すでに温泉を堪能した事が分かる。
「久我さん!?」
「ほら、メンタルケアの為に呼んだって言っただろう?」
言ったけど、言ったけどさ!
そういう事じゃなくてさ!
「……荒野さん、入り口で何してるんですか」
あまりの状況に驚いていると、さらに驚きの展開が待ち受けていた。
仕事帰りのような風体である鳴神くんと、天月さんがいたのだ。
「鳴神くん!?……俺の為に女の子になってくれたの!?」
「もしもオレが女になったところで、あなたがモテるかどうかは別問題ですよ」
だって久我さんが女の人を呼んだって言ったんだもん!
男が来るなんて言ってないもん!
「久我さん、これはいったい!?」
「まぁ、ほら……ここに居る人達はキミの裏側についても知ってる人達だ。だから、気兼ねなくここで息抜きをするといい」
確かに、北小路理事長は俺の裏の経歴を知っているだろうし、近衛さんもソレに関わっている。
鳴神くんと天月さんなんかは一緒にイラクに行ったくらいだ。
ただ―――。
「未来ちゃんは、アカンのでは……?」
「いや、彼女が一番重要だよ。そもそも、プリピャチ市にフィフス・ブルームを向かわせる決め手と、キミが外来異種の腹の中に居る事を知った切っ掛けが彼女の力だからね」
「ふぁっ!?」
なにそれ聞いてない!
っていうか、プリピャチ市に鳴神くん達来てたの!?
俺、"お腹の中からこんにちわ"した後に拘束されてスグに病院に搬送されたから、それ知らなかったよ!?
「そもそも、イスラムでの作戦にゴーサインを出したのも彼女の予知で無事が確認できたからだよ。じゃなきゃ、あんな危険な場所にキミ達を送り込むはずないだろう?」
「そういう事は先に言っといてくれません!?」
どうして情報を隠すんですか!?
そういう隠し事のせいで色々と事態がこじれたり問題が起きたりするんですよ!?
そんな俺の剣幕に反省したのか、久我さんが申し訳なさそうな顔をする。
「そうだな……こうやって秘密ばかりかかえているから、私は悪い大人だと言われるのだろうな」
うっ……仮にも上司みたいなもんなのに、言い過ぎたかもしれない……。
「それじゃあこれからは隠し事はなしにしよう。実はザイオン救済団体の活動休止に伴い、アメリカ側のパラミリ……準軍事組織側で、ある動きがあってな。≪コシチェイ≫が壊滅したのはいいのだが、まだまだ名前だけを使う組織もいる。その対策として―――」
「すいません、俺が悪かったです! Need To Knowって大事ですよね!」
いきなりそういう情報をこんな場所でぶちまけないで頂きたい!
っていうかもう聞きたくない情報だって事が触りの部分で理解できてしまった。
つらい。
「未来さんの力があれば、どんな機密も暴かれてしまう可能性があります。それを踏まえているからこそ、わたくしも彼女を守る為に久我議員にお願いしたのです」
北小路理事長が不承不承ながらに話す。
それもそうか。
未来ちゃんが予知夢で俺の事も見る俺がたった一人の秘密部隊である限り、そこら辺の機密が筒抜けになる可能性が高い。
それなら抱き込んだ方がまだ安全という判断もあるのだろう。
「そもそも、未来くんが大勢の人が死ぬ場面を見てしまった場合、個人の力ではどうしようもできない。だが何もしなければ、彼女自身が自分を追い詰める可能性が高い。だからこそ、我々に報告してもらう事で、その責任を転嫁してもらうという配慮もある」
おぉ……政治家は人を殺す職業だと言ってる人なのに、こうも配慮してもらえるとは。
いや、別に喜び勇んで殺しているわけではないのだから当たり前か。
職業や肩書きが人を殺すわけじゃないんだから。
「あ…あと、今日もおかしな夢を見たので報告しようと思いまして」
それを聞き、全員が一斉に未来ちゃんの方へと注視する。
なにせこれまで色々な事を予知夢で的中させてきたのだ、絶対にロクでもないことに違いない。
「えっと、その……鳴神さんが、裸で暴れていて……」
今度は全員の視線が鳴神くんに向いた。
天月さんかちょっと身体が倒れそうになっていた。
「あ、しっかりは見てないです! 煙とかがあって、ちゃんと隠れてました!」
未来ちゃんが真っ赤になりながら手をブンブンと振るが、それでも結構アウトな気がする。
「未来ちゃん、ちなみにそれって外だった?」
「はい、外でした!」
「なるほど、外で裸になって暴れてたと……」
俺はスマホで一一○番をしようとしたのだが、隣にいた鳴神くんに腕を掴まれてしまう。
「離すんだ、今ならまだ間に合うから」
「間に合うも何も、オレ何もしてないんですよ!?」
だって、ほら……どうせやる事決まってるんだし。
日本は法治国家なんだから、ちゃんと法律に従ってもらわないとね?
いやまぁ、未遂みたいなもんだけどさ。
それから俺と鳴神くんは、せっかく温泉宿に来たとということもあり、一緒に温泉に入る事にした。
ちなみに俺は監視役である。
もしも気が狂ったりしたらトドメを刺してくれを頼まれたが、そもそも俺じゃあ勝てない。
仕方がないので社会的に復活できないよう、しっかり犯行現場を撮影して世の中に広めるとしよう。
「うわぁ、開放的ですね!」
「ッスゥー……外で全裸になってその感想は、ちょっとヤバイかな……」
「ここ露天風呂だから別に許されますよね!?」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
そこら辺は司法の手に委ねるとしよう。
取り敢えず身体も洗ったことだし、山の絶景を眺めながら二人で露天風呂に入る。
ちょっと熱いが、外の風もありちょうどいい塩梅であった。
「ふぃ~、そういえばプリピャチ市にまで来たんだっけ?」
「ええ。荒野さんが外来異種の腹の中にいるってことで、俺達が派遣されました。頭おかしいですよね」
「その頭おかしいの中に俺は入ってないよね?」
その問いに鳴神くんは曖昧な笑みで返した。
ハハハ、こやつめ。
ここで現行犯やらかしたら覚えてろよ。
しかし、そうなると一つ気になる点があった。
「そうそう、現場で新種の外来異種でさ、霧の狼を見なかった?」
「あ、居ました! 幸い怪我人は出ませんでしたけど、何とか撃退には成功しました」
「マジでか。どうやって撃退したの?」
「あー……どれだけ刀で切っても効果がなかったので、本気の念動力で木っ端微塵に吹き飛ばしました」
こわ……この子の本気ってあれでしょ?
富山で甲種と大乱闘バトルしてた時のやつでしょ?
あれを一個体に対して全力ブッパとか、ちょっとどうかと思う。
「そういう荒野さんはどうしたんですか」
「えーっと……教会の鐘に封印した」
「ゲームのRPGじゃないんですから……」
だってしょーがねーじゃん、倒せねーんだもん!
殺せるなら殺してたよ!
……そういえば、水の中にいたイーサンを襲えなかったわけだし、水没という手段はまだ試していなかったな、今度試してみよう。
そうして俺と鳴神くんは無言で湯船でくつろぐ。
湯煙も濃くなり、その匂いにそこはかとなく懐かしさを感じていた。
もしかして、昔入った温泉と同じ効能なのだろうか?
……いや、この懐かしさはもっと最近のものだ。
もっといえば悪い予感を思い出すかのような匂いだった。
「鳴神くん、なんか湯煙が異常に濃くなってきてない?」
「それどころか、あっちに何かいるみたいなんですけど……」
鳴神くんが指差した場所を凝視する。
鋭い双眸、裂けた口、そして鈍色に光る牙―――。
「送り狼どころかストーカーじゃねぇか!」
「あっ、ちょっ! 先に逃げないでくださいよ!」
鳴神くんの追いすがる声を無視して俺は出口まで走りきる。
後方では追いつかれた鳴神くんと霧の狼による激突音が聞こえた。
すまない鳴神くん、俺はまだ死にたくないんだ!
どんなに間違おうと、失敗しようと、その生き方を許してくれた人がいるから!
キミを犠牲にしてでも、俺は生き残りたい……だから、文句があるなら全部久我さんにヨロシク!!
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