第96話:敗戦処理
「それで、ここからどうするつもりだ?」
「地図の代わりにパンフレットをどうぞ」
自分が渡したパンフレットには様々な矢印やマークが細かに記されている。
土地勘がないのでこれが命綱である。
「この矢印は逃走ルートか?」
「そうです。外の移動は危険なので、基本的に安全を確認した建物の中を通ってこちらのアジトまで向かいます」
表側はシャッターが閉まっているが、非常口などは解錠してあるので通るだけなら何も問題ない。
「移動ルートについてだが、ストレッチャーでも通れるのか?」
「ストレッチャーって、寝たまま移動させる台ですよね? 流石に無理っす」
車椅子は計算に入れていたが、流石にそこまで大きいのは視野に入れていなかった。
というかストレッチャーで人を運ぶって、そこまで動けない人も脱出するのは予想外だよ。
「仕方がない、歩けない者は手を貸すか背負って移動しよう。それすらも難しいのであれば、ここに残った方がよかろう」
「まぁ生命維持装置ごと運ぶのは不可能ですからねぇ」
というわけで、細かい説明についてはアイザックさんに任せることにした。
権力と信用があるおかげで皆がちゃんと耳を傾けてくれるはずだ。
犬走は胡散臭いし、自分にいたってはなんかよく分からん日本人だし、トラブルになる予感しかしない。
さて、その間に本来の目的というか、ここにきた理由に会いに行く。
「ど、どうも。未来ちゃんの様子、どんなもんでしょうか?」
「はい、どうも。今はまだぐっすり眠ってるようです」
未来ちゃんのお母さんが未来ちゃんの乗る車椅子を押し、お父さんがこちらに説明してくれた。
肝心の未来ちゃんは病院用の衣服のまま、ここに来たときと同じように眠っている。
「腕にガーゼが貼ってありますけど、何かあったんですか?」
「ああ、これは採血した場所なので怪我ではないです。ここに来たおかげか、心なしか顔色は前よりも良くなっている気がします」
外来異種が脱走して、テロリストも来訪予定で、さらにオマケで甲種の"マウスハンター"もいる場所で顔色が良くなるってどういうことなの……。
もしかして身体が闘争を求めてるとかそういうやつ?
自分だったら悪夢だと思ってもう一度寝て現実逃避するよ。
……いや、悪夢だったら意地でも起きようとするか。
それにしても、顔色変わったかな……?
そもそもあんまりじっくり見たことないし、顔見て話すと通報される可能性があるからずっとおでこ見てて、おでこの印象しかない。
「あの、あまりまじまじと見られるとこの子も恥ずかしいので……」
「すいません! 警察だけは勘弁してください!」
いかん、いくら日本の治外法権といっても中国にだって法律はあるんだから疑われることはしない方がいい。
そんなこんながありながらも、避難に関する説明も終わり移動を開始することになった。
塔の外は最初のドンパチが嘘だったかのように静まり返っており、こちらにとっては好都合だった。
ずらりと並んだ何十人もの列で道路を渡り、建物を経由して進んでいく。
電動自動車が使えればもっと楽だったのだが、所々で事故や瓦礫のせいで塞がれている道ばかりであった。
なら装輪戦車で瓦礫を踏み潰してしまえばいいじゃないと思ったのだが、それなら重機を持ってきた方がいいと言われた。
歩兵を蹂躙し、鉄条網を打破する戦車も万能ではないらしい。
ちなみにアイザックさんにキミは戦車を持ち込んだのかと問い詰められたが無実である。
もしもこんなことが起きると予見してたら必要なものは戦車じゃなくてミサイルだ。
まぁそんなもんブチ込んだら中の人ごと巻き添えになるので使えないんだけど。
それと、装輪戦車や電動自動車が使えないのには別の理由もあった。
「あの、後ろから誰か来てます!」
周囲から外来異種が近寄ってこないか警戒していると、隊列の一番後ろにいた人が何かを見つけたようだ。
さて……この状況で一番最悪なのは外来異種でも、予定よりも早く来るテロリストでもない。
「ここぞというときにやってきたな、中国御三家」
コード・イエローラビットが誇る最強のメンバーが、道路の真ん中を堂々と歩いてこちらに近づいてくる。
やはりこれだけの大人数で行動してバレない方がおかしいか。
「アイザックさん、パンフレットを渡しますのでその道順の通りに移動してください! 自分らはあれの足止めしときます!」
「了解した、"蓬莱"を破壊しない程度に頼むぞ」
頼まれても壊せんわ!
あの人は俺のことを何だと思ってるんだ!?
そんな問い詰めたい気持ちを抑えながら周囲の状況を確認する。
あの三人は一人ずつ、かつ準備を整えた北区域で相手をするのが理想だった。
今は避難する人を逃がさねばならず逃げられない、しかもあっちは三人同時に襲ってくる。
これはもう最悪の展開と言っていいかもしれない。
「さて、どうやって戦うか……あれ、犬走は?」
隣にいると思っていた胡散臭い男が見当たらない。
鈴黒と鈴銀へ尋ねるように目線を送ると、静かに首を横に振られる。
「あの野郎! 逃げやがったな!」
やっぱりあれは裏切る奴の顔だった!
必ずやかの邪知暴虐な胡散臭い男を除かねばならぬ!
とはいえ、先ずは目前の脅威である。
まぁ倒す手段は限られているが手がないわけではない。
真っ直ぐこちらに向かってくるのなら銃の餌食だ。
パワードスーツを着ている天魁と岩肌の悟空には効かないだろうから、ガラスを操る金吒に向かってマガジン内の弾を全部撃ち込む。
足だけを狙撃とか器用なことはできない、すまないがこれで死んだとしたら運が悪かったと思って割り切ってもうらうしかない。
撃ちきったマガジンを捨ててリロードする。
これで一人落ちてくれれば格段に戦いやすくなると思ったのだが、そうはいかなかった。
撃たれたことに全く動じず、硝煙の向こう側から足取りを緩めずにこちらに近づいて来ている。
一発くらいはあたると思っていたのだが、掠り傷一つすらなかった。
いや、待った……いくらなんでもあれはおかしい。
撃たれたのなら伏せるか隠れるくらいはするはずだというのに、全く意に介さないで歩いてくるのは明らかに異常だ。
よく目を凝らして相手を見るとその理由が分かった。
ガラスの壁で守りながらこちらに近づいてきているのだ。
しかもご丁寧に跳弾するよう斜めにしている。
銃が効かない相手が二人だと思っていたのだが、まさか全員に効かなくなるのは反則ではなかろうか。
だが流石にこれまでは防げないはずだ。
腰に巻きつけておいた、ガソリン入りの火炎瓶を思いっきり投擲する。
これなら防がれても炎の壁ができて時間が稼げるはずだった。
しかし投げたビンが、まるで何かに掴まれたかのように空中で静止してしまった。
しまった、ビンの強度を計算して一番いい瓶を持ってきたが、ガラス瓶だったせいであちらに制御される代物になってしまった!
このまま投げ返されてはこちらが火達磨になるので、銃を乱射して火炎瓶を割る。
中身のガソリンが辺りにぶちまけられ、さらに火がついたのでその隙に別の建物の中へと避難した。
こうなると火炎瓶はもう使えないが、それならそれでまだやりようがある。
あちらがこちらを追って建物の中に入ってきたので、火炎瓶を火災報知機目掛けてブン投げてわざと小火を起こしてスプリンクラーを起動させる。
あとは自分達だけが外に出て、そのまま外から鈴銀が水を操る。
そうすればびしょ濡れになった三人に対して一方的に―――思っていた俺が馬鹿だった。
天魁と悟空がその肉体で無理やりシャッターをぶち破り、その衝撃でこちらは道路のど真ん中まで吹き飛ばされてしまった。
こうなっては悠長に水を操作とかやってられる状況ではない。
一刻も早くこの場から離脱しなければならないのだが、先ほどの衝撃でまだ足元がフラついてしまう。
必死に倒れた鈴黒と鈴銀を引っ張りながら道路の向こう側にある建物に入ろうとするのだが、どう考えてもあちらに捕まる方が早い。
それどころか自分は灰色の腕章……今ここで殺されることだって十分に考えられる。
だがそんなマイナス思考を吹き飛ばすかのように、けたたましいエンジン音が近づいてきた。
あ、これあれだ!
ヤバイ奴がヤバイもん持ってきやがった!
そう……逃げたと思っていた犬走が、装輪戦車でやってきたのだ!
もちろん一人で運転しているので砲手がいない、つまり主砲は使えない。
だが、数トンの鉄塊は猛スピードで走るだけで質量兵器になる。
これ全員ミンチになるな、ちょっと同情する。
先ずは岩肌の悟空が無謀にも装輪戦車の前に立ち……いや、体勢を低くして片方の車輪に潜り込んだ!?
これが人間なら潰れて肉塊になるのだろうが、潰れずに装輪戦車はその身体に乗り上げる形になってしまった。
装輪戦車は悟空に乗り上げ車体を傾かせながらも、さらに後方にいる二人へと襲い掛かる。
だが障害物を乗り越えたあともその車体は傾いたままであった。
何故なら、まるで誘導するかのようにガラスの道が敷かれていたからだ。
材料がガラスではすぐに崩れるが、勢いはそのままに突き進んでしまう。
そこへパワードスーツを着た天魁が傾いた車体下部から、突き上げるように体当たりをブチかます。
数トンもの重量を持つ装輪戦車のバランスが崩れてしまった。
そうして生身の人間にはどうすることもできないはずだった陸上兵器は滑り転がり、後ろからビルに衝突し、横倒しになる。
一発も撃つことなく、一人も殺すことなく、こちらの最終兵器は無力化されてしまったのだった。
しかしあちらの全員が装輪戦車を相手にしたおかげで、何とか鈴黒と鈴銀を建物の中まで引っ張って来れた。
問題は装輪戦車に取り残された犬走である。
まだ生きているのか、死んでいるのか。
意識があるのか、それとも無いのか。
どちらにしても、このまま見捨てるのは寝覚めが悪い。
あちらが眠っている可能性も考えて、銃を乱射してこちらに注意を引きつける。
そのせいでこちらの方が脅威であると認識したのか、金吒が空中に大量のガラスの矢を展開する。
あ……死んだわこれ。
見捨てりゃよかったのに、慣れないことするからこうなるんだよな。
それでも最後に頭を撃ち抜けないかと悪足掻きで集中砲火する。
もちろん、そんなことできるはずもなく―――突如、大きな咆哮が周囲を振るわせた。
「グォオオオオオオオッ!!」
まさか外来異種が乱入してきたのか!?
それならまだここからワンチャン逃げられると思い、その方向を見てみる。
二メートル以上もの大きな体躯、返り血まみれの黒い毛皮、そして一本角……。
そう、前にこちらを襲ってきた実験動物の熊がこちらに走って来ていた!
そうだよね!
あんなどんちゃん騒ぎしてたらキミは来るよね!
流石に俺よりも熊の方が危ないと判断したのか、ガラスの雨が熊へと降り注ぐ。
しかしそれを物ともせず、さらに速度を増して例の三人に襲い掛かった。
岩肌の悟空が前に出て押さえ込もうとする。
しかし一瞬の隙で首元に喰らいつかれ、そのまま振り回されて地面を転がる。
装輪戦車のときとは違い、様々な方向に力を加えられたせいで姿勢を維持できなかったのだろう。
次にパワードスーツの天魁が腕に装備した巨大なトンファーで思いっきり殴りつける。
熊は少しよろめいたものの、大きな腕と爪による反撃で倒れこんでしまう。
あの武器は対外来異種用の装備であり、野生生物には特別な効果がない。
もちろんパワードスーツの力があるのでそれなりの威力はあるものの、熊を殺せるほどのものではない。
そして金吒はガラスの盾をこちらに構えながら熊に破片を飛ばしているが効果は薄そうである。
つまり、あの熊は外来異種を駆除する者にとっての天敵なのだ。
ならばこちらのやるべきことは簡単だ、戦わなければいい。
そもそも、こちとら最初から逃げるのが目的だ。
わざわざあんなのに付き合う義理なんざ爪の垢ほどもない。
全員があの熊に注目している隙に装輪戦車にこっそり近づいてハッチを開けて中に入ると、運転席に気絶している犬走がいた。
普通ならば動かさずに安静にしているべきなのだが、今の状況でそんなことをしている暇は一切無い。
「オラッ! 起きろ!」
なので、今までの恨み辛みとあと真心を込めてビンタをかます。
「うぉっ!? な、なんや? 何があったんや!?」
「お前が装輪戦車で轢き逃げしようとしたけど失敗してその間に熊がやってきたから逃げるところだよ!」
「……は? ど、どういうことや!? 何が起きとるんや!?」
「うるせぇいいからはよ逃げるぞ!」
なんとか目を覚ましてくれたおかげで、引き摺りながら逃げなくてもよさそうだ。
そのまま混乱している犬走を無理やり引っ張って外に出ると、三対一だというのに熊はまだまだ元気に暴れていた。
もうお前がこの"蓬莱"のチャンピオンでいいよ。
「なんやこれ、地獄か?」
「最初からここは地獄だったよ!」
外の惨状を見て呆けている犬走の背を叩いて走り出す。
このまま逃げ切れさえすれば、あとでどうにでも挽回できる。
だがそれを許さないといわんばかりにガラスの破片がこちらに飛んで来た。
熊に対して効果が無いのだ、こっちにターゲットを切り替えてきても不思議ではない。
「ギャァアアアアア! 刺さった! 今なんか背中に刺さった!」
「安心せぇ! 魚の小骨みたいなもんや!」
走りながら犬走が背中の破片を取ってくれたものの、チクチクと傷口が痛む。
それからも破片どころかガラスの杭のようなものが何度も飛んで来たが、なんとか建物の中に避難し、入口を全て閉め切って難を逃れた。
ただし、自分達の後を追われてアジトがバレたらまずい。
だから別の建物を経由し、ときには屋上や窓から別の建物へ移動して……。
襲撃から数時間後、ようやくアジトに帰ることに成功した。
「し……死ぬほどくたびれた……」
「まぁ……当初の目的は…達成、したんや……今は…ゆっくり……休もか…」
「いやいや、そうもいかんでしょ。さっさとあのスーパーチャイニーズトリオを何とかしないと」
今回は海の底にいた街の熊さんに助けられたものの、次はそうはいかない。
一番ベストなのは熊があの三人を食べてしまうことだが、それは不可能だろう。
確かに外来異種と違い、あの三人にとっては相性は最悪である。
だからこそ最初は力任せに振り回されていたことだろう。
けれども、熊に勝ち目はほとんどないのだ。
何故か?
それは天魁のパワードスーツ、そして悟空の岩肌をどうにかする方法がないからだ。
なんなら金吒だってガラスのドームを作り、壊される度に作り直せばそれでいくらでも時間を稼げる。
つまり、最初の奇襲で誰も殺せなかった時点で熊の負けは確定していたのだ。
だからこそ一刻も早く対策を練らなければならないというのに、こいつは地面に座り込むどころか、地面に突っ伏してしまう。
―――そこでようやく、背中からおびただしい血が流れていることに気がついた。
「この馬鹿! そういうのは最初に言えよ! すいません、誰か救急箱を!」
大声で人を呼ぶのだが、犬走がこちらの腕を強く握り締めてきた。
「なぁ……頼みが、あんねん……もし、ワイが…死んだら……代わりに、ウチらの両親に……謝っといて……くれへんか…」
「男の両親に挨拶とか気まずくて死ぬわ! いいから大人しくしてろっての!」
そこでようやく救急箱などの治療道具を揃えた鈴黒と鈴銀がやってきた。
このとき既に犬走は意識を失っていたので、勝手に服を脱がして患部をさらけ出す。
血塗れだった犬走の背中の血と刺さったガラス片を、鈴銀が水を操って洗い流す。
血の汚れはとれたものの、その背中はまるで獣に噛まれ続けてきたといっても過言ではないくらいにズタズタになっていた。
こんな小さなガラス片でどうやってここまで傷がつくのかと思その破片の一つを持ち上げてみると、何か違和感があった。
動いている……ガラス片が何かを探すかのように動いていたのだ。
つまり、逃げるときにガラス片が背中に刺さり、ここに来るまでずっと動いて傷口を抉り続けていたということか。
まるで呪いである。
もしもあのとき、こいつが俺の背中に刺さったガラス片を取らなかったら、俺もこうなっていたのかもしれない。
幸いにも鈴黒が応急処置と得意としていたので、任せることにした。
鈴黒は大きな傷口を縫うのだが、犬走はまるで死んでいるかのように動かず、俺と鈴銀は何も出来ずただ黙ってみることしかできなかった。
一通りの処置を終わった後、大人組が協力してベッドまで運ぶ。
暴れたりしないので運ぶのは簡単だったが、大人しすぎてそれが逆に不安になった。
本当に息をしているのか不安になり口元に耳を近づけると、何やらうなされているようだった。
「ごめん……みん、な………ぼく……やく、そく……にほん……かえれ……なくて…」
悪夢でも見ているのか、目尻から小さな涙が流れた。
「もしかして、ちょっとヤバかったりする?」
犬走を運び終えた後に鈴黒を呼び止めて話を聞く。
「ちょっとじゃない、凄く危険。血を流しすぎて、体温も下がってきてる……」
そうなるとここから動かすことはできない。
だがこうしている間にも、あの三人は建物をしらみつぶしに探していることだろう。
だからといってここから逃げようにも、病人や重傷者を抱えているこちらが不利だ。
なんなら移動中に普通に見つかり、普通に殺される可能性の方が高い。
つまり、この状況を打破するにはあの三人の息の根を確実に止めねばならないということだ。
――――なんだ、いつも通りじゃないか。
外来異種を殺すときのように、テロリストのクソ共を殺したときのように。
今度もまた殺せばいいだけだ。
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