第97話:薄氷の命

【金吒視点】


 自慢ではないが、僕は選ばれた人間だ。

 勉強で分からないところがあっても家庭教師が全部教えてくれるおかげでテストの点数はいつもトップ。

 時間があれば運動していたおかげで体育だって成績優秀で、野球のエースだった。


 父さんと母さんが裕福だからお金に困ることはない。

 御爺ちゃんが偉い人だからイジメられたこともなかった。


 だけどこれくらいなら別に珍しくない。


 誰にも使えない力、自分だけの力。

 他の人は誰もできない"ガラスを操作"する力。

 この力こそ僕が選ばれた人間である証明。


 選ばれた人間は無知蒙昧な大衆に迎合することなく、かつての五帝のように頂点へ君臨しなければならない。

 だからこそ僕の力を知った政府がわざわざ頭を下げて、世界中の手本となる対モンスター組織に勧誘したのだ。


 その組織こそ黄兎鳴声(コード・イエローラビット)。

 人類の前に現れた新たなる脅威であり、未知の資源でもあるモンスターを相手する専門の組織である。


 ここにも僕と同じように選ばれた人達がいた。

 この人達もいずれ人の上に立つことになるのだろう。

 しかし、いきなり庶民が冠位を授けられたところでその血はいきなり青く尊いものになるわけではない。


 だからこそ僕が彼女を導こうとした、優秀な男に付き従うことが女の幸せだからだ。

 だというのにあの男は保護者にでもなったつもりか、ヘラヘラと笑いながらいつも邪魔してきた。


 聞けば无题と言われるこの男、出自も経歴も怪しいものばかりらしい。

 こんな男が同じ組織にいることに怒りを覚え、勝負をすることにした。


 僕が勝てば組織から抜けること。

 逆に无题が勝てばもう鈴銀にちょっかいをかけないこと。


 学校でも優秀な成績を収め続けてきた僕にとってはどんな勝負でも問題ない。

 しかもあちらから提案してきた勝負というのが野球だった。


 十球勝負で一度でも僕が打てば勝ち。

 プロだって狙えると言われた僕にとっては負けるはずがなかった。


 だが力についての取り決めはしていなかったことで、无题は卑怯にもその力を使い、僕は賭けに負けてしまったのだった。


 だからこそ、この"蓬莱"で奴をズタズタにできたときは最高の気分だった。

 黄兎鳴声では失敗した奴が悪いということになっている。


 そもそも自分の持ち場から離れて、あろうことか重要な赤色の腕章と黄色の腕章の人質を中央区域から逃がしたのだ。

 あのまま奴が死んだところで何も問題ない。


 頼るはずの无题が倒れ、鈴銀は今頃何をすればいいのかも分からず右往左往としているはず。

 奴の共犯者として処断されても致し方ないが、僕が庇ってやればこちらを見直すことだろう。

 だからこそ天魁と悟空とは別行動をしているのだ。


 それにしても、最初はただのモンスター駆除と人質の引渡し程度だと思っていたのだが、まさかこうも事態が二転三転するとは思わなかった。


 当初の予定では人質の護衛とモンスターの駆除程度だった。

 しかし今は組織の裏切り者を処罰、実験動物の駆除、さらに装輪戦車の撃破までやってのけた。


 あとは奪取された人質を奪還し、鈴銀を手に入れられれば完璧な結果でこの仕事を終えることができるだろう。


 そうして未来の展望に胸を躍らせながら"蓬莱"の北区域から南下していくと、崩れた瓦礫と煙の中に一人の男が惨めに瓦礫の隙間に震えているのを見つけた。

 灰色の腕章なので殺してもいい奴だ。

 いや……あのスーツは、昨日无题と共に行動してこちらに銃を撃ってきた男のものだ。


 つまり、あれを捕まえれば人質と鈴銀の居場所も分かるということだ。

 そうなればこのアクシデントを解決した功績はほとんど僕のものになるだろう。


 腰のポシェットからガラスを右手で一掴みし、鋭い矢の形にして肩に向けて撃ち込む。

 しかし矢は刺さらず、相手の身体がヒビ割れてしまった。

 周囲の視界が悪いせいで鏡だったことに気付けなかったとは…ッ!


 鏡の割れる音に反応して男がその場から脱兎の如く逃げ出す。

 僕は左手でガラスを操って男の足に向けて放つが、一つも刺さらなかった。


 どうやら衣服の下に何か仕込んでいる様子だが、全身を守ることはできない。

 顔、首、手、狙える場所はまだまだある。


 ガラスの足場を作って屋上に上り辺り一面を見下ろすと、必死になって走っている男を見つけた。

 しかしこちらが狙いをつけている間に近くの建物に入り、出て来たと思えばまた隠れる。

 そのせいで距離が全く縮まらない。


 仕方がないのでこちらも足を使って地上で追うことにする。

 あの体型だ、すぐに追いつくだろうと思っていたのだが、室内では消火器で視界を遮る。

 

 それは外でも同様で、銃を向けてきたと思えば、まるで仕掛けてあったかのような小麦粉の袋やセメントの袋を撃って周囲に煙幕を作り出して逃げてしまう。


 もしかしたら何か罠を用意しており、そこに誘い込もうとしているのかもしれない。

 詰められぬように、離さぬように。


 そうして見覚えのある道までやってきた。

 曲がり角の先に向かった男が何をするのかを確認するため、ガラスを飛ばす。


 そうしてようやくこの男が何をしようとしているのか理解した。

 なるほど、足りない知恵を必死に絞って考えた作戦なのだろう。


 確かにその作戦なら僕を殺せたかもしれないが、奴は一つ勘違いしている。

 それは僕が選ばれた特別な人間であるということだ。


 周囲に散らばっているガラスの破片を全て集め、砲身と盾を作り出す。

 そして曲がり角から飛び出すと―――装輪戦車の砲口がこちらを向いていた。


 ここは无题があの装輪戦車で突撃し、横倒しになった場所だ。

 そう……確かに装輪戦車はあそこで使い物にならなくなっていた。

 だが主砲だけならばまだ使えるのだ。


 瞬間、轟音と共に砲口から徹甲弾が放たれる。


 しかし僕は事前にガラスを圧縮して固めた砲身を遠隔操作で砲口に取り付けておいた。

 この砲身は少しばかり曲げてあるので、真っ直ぐに飛ばないようにしている。


 それでも余りの衝撃でガラスの砲身が砕けてしまった。

 最初はガラスの蓋でもしようかと思ったが、やらなくて正解だった。


 そして全身全霊の力を込めたガラスの盾。

 傾斜をしっかりつけておいたため、弾道が少しだけ曲がった砲弾は逸れて左後方の建物へと着弾した。

 傾斜で受け流したとはいえ、素材はガラスであるため砕け散ってしまった。


 だが防いだ、人間が戦車の砲弾を防いだのだ!

 他の誰にも真似できないこの偉業こそ、僕が選ばれし人間である最大の証明だ!


 さて、砲弾は一発しかないと聞いている。

 そして装輪戦車は横転しているので、これでもうあの男は怯え震え、戦車の中で縮こまることしかできない。


 ―――上から何かが落ちてきた。

 あれは……ガラスか!?


 そうか、あの男以外にも鈴黒と鈴銀がいたということか。

 もしも砲弾を外したとしても、油断した僕をこうやって始末するつもりだったわけだ。

 だが僕の力があれば何の意味もない。


 両腕を伸ばし、落ちてくる大小様々なガラスを操って止めようとする。

 しかしガラスの落下速度に一切の変化がなかった!


 何故、どうして!?

 僕だけの特別な力、選ばれた力がどうして使えないんだ!?


 小さく冷たいガラスの粉が僕の手に触れた。


「あ、これ氷―――」


 ガラスだと思い込んでいた氷塊が、僕に降り注―――。

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