第98話:車輪剥ぎ
【金吒視点】
―――激痛と騒音によって、暗いまどろみの中から無理やり意識を引きずり出される。
重い瞼を開けて一番最初に見えたものは車輪だった。
野獣の咆哮のようなエンジン音と、それに対抗するかのように唸りを上げている車輪……。
そう、高速で回転している装輪戦車のタイヤが眼前にある状態だった!
誰かが僕の頭を後ろから掴んで持ち上げており、もしもその手を離されたら目の前のタイヤに巻き込まれることだろう……。
それを何とかしようにも、両手両足が縛られているせいで身動き一つ取れない状態だ!
「キーカードの在り処は?」
「な、なに……?」
僕の後頭部を掴んでいる誰かが尋ねるが、こんな状況でまともに答えられるわけがない!
だから思わず聞き返したのだが、それが気に食わなかったと言わんばかりに後頭部からタイヤへと押し付ける力が強くなった!
「キーカードの在り処は?」
「ひぃいっ!? と、とにかく手を離してくれ!」
後頭部に込められた力がさらに強くなり、タイヤが顔の表皮を削ろうとしてくる!
「これで最後だ。キーカードは?」
「か、カード? 脱出艇がある格納庫に入るキーカードか!?」
「そうだ」
そこまで言ってようやく力が緩められたが、装輪戦車のタイヤはまだまだ猛りながら回転数を上げている。
だが相手の目的が分かればまだ交渉の余地は十分だ。
「取引しよう! 僕を逃がせばキーカードを―――」
そう言った瞬間、顔の側面だけが凍りついたかのようにヒヤリとした。
違う……冷たいんじゃない、あまりの摩擦熱によってそう錯覚しただけだった!
「あっ、わぁぁあああああああ!?」
先ほどまでハッカ油のようにスースーしていた頬から激痛が広がる!
こ、こいつ……本気で僕の顔を高速で回転するタイヤに押し付けてきた!!
「キーカードは?」
再び僕の顔を後ろに引き寄せ、尋ねて来る。
声色は先ほどと一切変わっていない。
自分の手で人の顔を摩り下ろしておいて尚、まるで作業であるかのような口調だ……。
「だ、駄目だ! 言ったら殺す気だろう!? なら言わない、言うはずがない!」
相手の要求に唯々諾々と従うのは奴隷だ、選ばれた人間のやることじゃない!
少なくとも僕を殺さずにこうやって拷問じみた尋問をしているならば、それだけキーカードを重要視しているということだ。
ならばまだ打てる手が残っている!
「こ、こちらの身の安全を保証してくれ。そうすればキーカードの在り処も教えるし、なんなら僕が取ってきてもいい!」
話しながらも意識を集中して周囲のガラスに対して力を行使する。
相手の気を逸らしている今なら…ッ!
だが後ろの相手は僕の頭と、そして顎を掴んで真っ直ぐにタイヤに近づけた。
「イッギィィイイイイイイ!?」
今度は顔の側面どころではない。
鼻先が削れ、抉れ、視界の正面が真っ赤に染まった!
「俺の手にはガラスがある。次、何かしたら頭ごと突っ込ませる」
しまった……こちらからはどこにガラスがあるのか見えないから、手当たり次第に動かすことしかできない……。
つまりガラスを操作しようと瞬間、今度こそ僕の頭が車輪の中に突っ込まれるということだ……。
「……で、キーカードは?」
「ち……中央区域の……近く……貸金庫の…中……。でも、僕の指紋と悟空が持ってるカギが必要だ……」
「詳しい場所は?」
「何か地図は……あ、パンフレットでも大丈夫だ。えっと……ここでいうEの六にある……」
先ほどまでの凶行に恐れてしまい、相手の求める情報を全て吐いてしまった。
つまり……彼にとって、僕はもう用済みということであり―――。
「お、お願いだ! 助けて! 僕を生かしておけばきっと役に立つ! 本当だ!!」
プライドも、余計な考えも全て捨てて命乞いをしてしまった……。
でも仕方がないだろう!?
生きるか死ぬかの状況なんだ!
例えみっともなかろうとも、生きてさえいれば後でいくらでも挽回できる。
だけど、死ねば僕が今まで積み重ねてきたもの全てが無に帰す……。
それだけは絶対に嫌だ…ッ!
「なぁ! 人質でもいい、ここから出た後に金を払ってもいい! だから、だから…!!」
必死になって後ろを振り向く。
いったいどんな凶悪犯かと思ってみれば、どこにでもいそうな平凡な男が、普通の表情でこちらの瞳の奥底を掘り返すように覗いていた。
これが……こんな普通の奴が、こんなことをするのか!?
「な、なぁ! 鈴黒と鈴銀からも何か言ってくれよ! 僕達、一緒に辛い仕事を乗り越えてきた仲間だろう!?」
あの男には何を言っても無駄だ。
だから懇願するならば知り合いの二人しかいない!
「……ガラスさえなければ無害です。なら、あとで警察に引き渡した方が」
やった、やった!
予想外だったが鈴黒が僕の助命を申し出た!
そのおかげもあってか、僕の後頭部を掴む手も若干緩んだ気がする。
あとは鈴銀もこれに加わってくれれば―――。
一瞬、何か虫のようなものが飛んで来た。
それは鋭く、透明であり……そして僕にとって一番見慣れたものが、男の目尻に刺さった。
それと同時に僕の手足を縛っていたロープも切れる。
ガラスだ。
どこからともなく飛んで来たガラスが、僕を自由にした。
僕しか使えないはずの、僕だけの力なのに、どうして。
頭を掴んでいた手に再び力が込められ、現実に引き戻された。
顔を見る。
何も変わっていない、だが確実に自分が助からないということが理解できてしまった。
「ち、違う! 今のは僕じゃ―――」
腕に力が込められ、そのまま体重を乗せて押し込んできた。
向かう先は人を喰らうかのような黒い車輪。
どうして!?
うまくいってたのに!
なんでこうなったんだ!?
あ…………最後に鈴銀が笑っていたように見え……。
まさか……まさか、まさか!?
もしも、もしもガラスが濡れていたとしたら―――。
「あっ、あっ―――あああああああああああぁぁ!」
回る回る回る!!
僕を食べるように車輪が真っ赤になりながら!!
激しいエンジン音がまるで咀嚼のように!!
削れる削がれる!!
僕の顔が!!
僕の中身が!!
僕の―――――………。
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