第99話:シャボン玉

 四日目の夜、色々な処理を終えてようやくアジトに戻ってこれた。

 返り血でまたスーツが汚れてしまったので水洗いしてくれって頼んで脱いだら涙目になられた。

 そしてそれを庇うように鈴黒が震えながら自分の前に立つ。


 なんだろう、ちょっと心にささくれができた気がする。

 いいけどね、慣れてるし。


「―――とまぁ、そんなことがあったわけで」

「そりゃ当たり前やろ。人間の顔摩り下ろすような奴が脱ぎ出したら警戒するわ」


 ちなみに個室で安静中だった犬走の方は目を覚ましてすっかり元気そうだった。

 本人はもう動けると主張しているが、まだ休んでいないと駄目だと鈴黒から念押しされた。


「そんで一個確認なんだけど、ガラスを操る奴の能力ってさ、見えない位置のとかも自由に操れるの?」

「本人じゃないから分からへんけど、無理とちゃうんか。見えないやつも操れんなら、あんさんの火炎瓶とか投げる前に操っとったやろ」


 だが実際にこちらへガラスが飛んできて、自分の顔を刺し、奴の拘束していたロープを切断した。

 自分が持つガラスの破片は動かず、正確に狙ったかのように。


 そもそも、あいつは最後に「違う」と言っていた。

 今まさに死ぬかどうかという瀬戸際において、逃げもせずに言い訳をしたのだ。


 外来異種ならばあの場で襲われない理由がない。

 誰かが救出するためならば、たったあれだけしか行動しないというのもおかしい。

 つまり、間近で自分を見ていた誰かが怪しいわけで―――。


「しゃぼんだま、とんだ、やねまで、とんだ」

「やねまで、とんで、こわれて、きえた」


 ふと鈴黒と鈴銀の方に視線を移すと、歌いながらシャボン玉を作っていた。


「ねぇねぇ、日本語で歌ってるんだけど、あの子らも浚われて来た子なの?」

「いや、あれはワイが教えた歌やで。あの子らは親に売られた方やけど、それでも前よりも暮らしやすいって言っとったわ」


 なにその中国の闇。

 売られるって単語もそうだけど、そっちの方が幸せだったとか聞きたくなかったんだけど。


「ちなみに、ガラスを操る奴に何かされたりとかは?」

「なんかようちょっかいかけられとったから、ワイが間に入って依存するように優しくドロドロに甘やかしとったけど、それがどうかしたんか?」

「あの………いや、何でもない。幸せに暮らしてね」


 自分の勝手な推測で犬走を困惑させたくないからね、仕方ないね。


 あれだよ、あの男を殺したいほど憎んでいて、あと犬走への重い愛が抑え切れなかったんだってことにしとけばいいんだよ。

 それで皆幸せになれるんだ、幸せってことにしといた方がいいんだ。


「……ちなみに、私はどうしてこの場に呼ばれたのだ?」


 そうだった、明日にはここから脱出するからその予定を共有するんだった。


「あー、明日には全部終わらせる予定なんで、明日の朝に非常脱出口の近くにある仮拠点に移動してもらいたいなと」

「つまりキーカードの入手は問題ないと?」

「ええ、何とかする"手"は見つけたので」


 そう言うとアイザックさんは俯きながら眉間に手を当て、犬走は笑いを堪えている。

 なんだよダジャレじゃねぇぞ!?


「フゥ……キミがエレノアを連れてこなかったのは賢明な判断だったな。教育に悪すぎる」

「へぁ? エレノアならイーサンと一緒にロシアじゃありませんでしたっけ?」


 チェルノブイリ生物災害に関する仕事を終えて日本に移住する予定ではあるものの、全治数ヶ月の重傷者であるイーサンの看病をするということで、まだロシアにいるはずだ。


「いつまでも彼の側に置いておく必要もないだろう。数日前に日本に出立しているはずだ」

「じゃあ入れ違いみたいですね。いやまぁ来なくて正解だったと思いますけど」


 こんな事件に巻き込まれるからというのもあるが、もっと大事な理由がある。

 エレノアは"切り開く力"を持っており、それは雲にも届き山すら動かした。


 そんなものを、こんな海底で使えばどうなるか?

 ……下手したら"蓬莱"が真っ二つになって崩壊するね!


 だからまぁ、今回は本当に運が良かったと言えるだろう。

 代わりに自分の運気が最低最悪まで落ちてるけどいつものことだし気にしないようにしよう。


「なんや、あんさん。そんな性格しといて外人のガールフレンドさんがおるんか」

「顔は関係………性格は関係ねえだろうがよぉ!!」

「いや、関係あるやろ。顔も性格も財力も、モテる要因やで」

「口が悪いくせにモテる奴は言うことが違うなちくしょう」


 まぁいいや、俺がモテるかモテないか問題は鉛製の箱に入れて封印しておこう。

 シュレディンガーのネコみたいに、箱を開けない限りは俺がモテる可能性が潜在しているはずだ。


「それで、アイザックさん! "食羊毛"を捕まえてもらってたじゃん? あれも一緒に連れてってください。脱出艇に放り込んでおけば、甲種の"マウスハンター"に襲われないはずです」

「……どういうことか、しっかり説明してくれ」

「ありゃ? 特別な条件が無い限り、外来異種が外来異種を襲わない習性については知ってます?」

「それは勿論だ。だがそれに何の意味がある? 脱出艇の中にモンスターを入れたところで、それが見えなければ意味がないだろう」

「脱出艇の外側にでも貼り付けるんかいな? けどその習性って生きてるやつだけが適用されるんやから、こんな海底で"食羊毛"を貼っ付けてもすぐに死んで意味ないやろ」


 アイザックさんだけではなく、犬走の方からも疑問が飛んで来た。

 まぁ確かに普通に考えればそうなのだが、外来異種は普通ではないのだ。


「外来異種は何千と言う種類がいて、その中には目が見えない・耳が聞こえない・そもそも触覚がないやつらがいます。そしてそいつらは何も分からないのに他の外来異種を攻撃しません」

「つまり……モンスターは我々の五感以外の何かで判別しているというわけか」

「まぁまだ検証段階らしいですけどね。だから最初に"食羊毛"とそこの胡散臭い男を入れた脱出艇を先に出して、それが安全だったら同じ方法で脱出しようかなと」


 駄目だったらどうしよっかな。

 まぁそのとき考えよう、頑張れ明日の俺。


「ちょう、何さり気にワイを生贄にしようとしてんねん」

「いの一番に脱出できる権利だから咽び泣いて喜んでいいよ」


 キミが口説き落とした依存症の双子が怖いからそれも一緒に連れて行ってくれるとほんと助かる。

 なんかもうあの子らと一緒に行動するの怖いもん。


「さてと! それじゃあ俺は最後の準備してきます。えーっと、ポリタンクと、あと発泡スチロールを腐るほど集めないとな」


 それを聞いて犬走は頭にクエスチョンマークを浮かんでいるような顔をし、アイザックさんはまた俯きながら「ジーザス」と呟いていた。


 自衛隊の人達にね、絶対にやったら駄目だよって言われたことがあってね。

 それはつまりやれってことだからね、仕方ないよね。

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