第9話:非日常の侵略
【未来 六華サイド】
梅雨明けもあと少しというところ…あたしと九条さんは水無瀬さんのマンションで試験勉強をしていた。
小火騒ぎからこの二人とはよく一緒になることがある。
他の人達が二人と距離をおいているからこそ、あたしが二人の側にいてあげたいと思ったのだ。
今もまだ少しクラスで余所余所しい雰囲気はあるけれど、少しずつ良くなってきている。
これなら夏休み明けの修学旅行が始まる頃には元の雰囲気に戻っているはずだ。
「未来さん、古文の解釈問題についてなのですが」
「はい。過去のテストと同じ問題は出てこないと思いますから、逆にテストに出ていないものに焦点を当てるといいかもしれません」
その修学旅行前に夏休みがある。
悪い点数を取ってしまうと怒られてしまい、夏期講習に毎日出席することを義務付けられてしまう。
だから今は勉強に集中すべきだと頭では理解しているのだが、数日前に言われた台詞があたしの中で燻っている。
滅私奉公という言葉を体現したかのように身を挺してあたし達を守ってくれた人。
お父さんやお母さんと同じくらいに尊敬している人。
その人がいたから、そのお仕事があったからあたし達は助かった。
人を助けることは良い事だと誰もが言うし、あたしもそう思っている。
今まで見ることしか出来なかったあたしが誰かを助けられる手助けを出来たとしたら、それはなんて素晴らしいことなのだろうと思っていた。
なのに、その人は人の弱さと…悪意と…そしてどうしようもない部分を突きつけてきた。
あたしは自分の周りには良い人ばかりだと思っていた。
TVのニュースに出てくる悪い人は別世界の出来事で、自分には何の関係もないものだと思っていた。
だけど、あの人はその周りの人に追い詰められるということを語った。
今までだったら信じなかったことだろう。
どうしてそれを信じられるようになったかと問われれば、九条さんと水無瀬さんがいたからと答える。
この二人は失敗してしまったものの、わざと小火を起こしたわけでもないし、善意でモンスター駆除をしようとしていたのだ。
けれどもクラスの皆はこの二人から距離をとってしまった。
別にこの二人が誰かを傷つけたりしたという事もないのに皆が離れていった。
悪口を言ったりイジワルをしたということはないけれど、その距離こそが二人を傷つけていた。
これこそが、あの人の言っていた事なのだと理解した。
親しい人からの拒絶こそが、心を痛めつけるのだと。
それを知っているからこそ、あの人は拒絶したのだ。
それを聞きあたしは落ち込んだけれど、それと同時に少し嬉しくもなった。
あの人は誰も教えてくれなかった人のどうしようもない所を教えてくれた。
あたしのことを真剣に考えてくれたからこそ、ああいった厳しい発言をしてくれたのだ。
厳しいけれど優しい人なんだ、ちょっと分かりにくいけれど。
ただ…だからこそ気になることがある。
どうしてあの人が外来異種駆除業者をやっているんだろうか?
あのお仕事を好きだと思っていないなら、別のお仕事をしたらいい。
なのに五年以上前からあの仕事を続けている…続けなければならない理由でもあるのだろうか?
それが気になってしまって、どうにも勉強に身が入らない。
ふと、窓から外を見かけると夢で見たのと同じ雲の形が見えた。
朝から変わらずにずっと同じ形で空を漂い続けている。
夢の中ではあの人と一緒に河川にいて、あたしは外来異種駆除の仕事を見つめていた。
穏やかだけど、面白い夢だった。
だから本当ならあの人と一緒にいるべきなんだけど、それはあの人を困らせる事になるから、あたしは今ここにいる。
気になることもあるし会いたい気持ちもあるのに、理屈をつけてそれを止めている。
思ったままに動けない事…これが大人になるってことだろうか。
だとしたら………とても窮屈だ。
突然、バン! という音がして皆が驚いた。
窓を見ると黒くて大きな虫が窓にぶつかった音だった。
「マンションの十階でも虫がくるんだね」
「そうだね。今までなかったからビックリしたよ」
気持ち悪い虫を見ないようにする為に水無瀬さんがカーテンを閉めようとする。
バン、バン!
また同じ虫が何匹かぶつかってきて、驚いた水無瀬さんが尻餅をついてしまった。
九条さんが水無瀬さんを起こそうとしている横で、あたしはスマホのアプリを起動する。
あの人に教えてもらった探知アプリだ。
だいじょうぶ、だいじょうぶなはずだ。
あれはただの虫で、たまたま窓にぶつかってきただけなんだ。
『外来異種 丁種 陰虫 ヲ 検知 シマシタ。駆除 スル 場合 ハ 区役所 カ 付近 ノ 業者 ニ 連絡 シテクダサイ』
瞬間、頭の中が真っ白になり、スマホを床に落としてしまう。
「水無瀬さん懐中電灯はどこ!?」
"どうして"や"なぜ"という言葉は頭の中に浮かばなかった。
自分の頭の中が自分のものではないかのように、ただ必要な動作だけが勝手に出力されていく感覚があった。
「ど、どうしましたの未来さん?」
「あとで説明するから!」
あたしは急いで部屋中の明かりを強くして、他の部屋にも勝手に入って電気をつけていく。
そして水無瀬さんと一緒にリビングの戸棚にあった緊急避難用のリュックを持って部屋に戻る。
その部屋の窓には何十匹という虫が蠢いていた。
「ヒッ…!」
あまりにもおぞましい光景に二人が悲鳴をもらす。
「口を開けちゃダメ!」
あたしは両手を使って二人の口を塞ぐ。
陰虫…あの人から聞いたことがある。
光を苦手として、常に暗い場所に潜むと言われている虫だ。
積極的に人を襲うわけでもないので一番低い丁種とされているが、特定の条件においてその習性は恐ろしい惨劇を引き起こしたらしい。
とある業者が昼間に廃家の陰虫を駆除しようとした時、楽をする為に壁や屋根を壊して光を入れてそこから追い出そうとした。
陰虫は崩れた家屋の下に潜り込もうとするがスペースが足りない。
だからその虫は業者の口や耳の中にある暗闇を察知してそこに潜り込み、その業者は虫まみれになってしまったという話だ。
あたしは緊急避難用のリュックから懐中電灯を取り出し、陰虫を照らす。
ギィギィという不快な音を鳴らしながらも、陰虫はその場から離れていった。
「こ……こわかったぁ~」
「未来さん、ありがとう!」
窓から虫がいなくなったことで、皆が安堵した。
咄嗟の行動だったけど上手くいってよかった。
まぁ陰虫は窓ガラスを壊せるような外来異種ではないので放置しても大丈夫だったと思うのだけど、それでもあんな光景は心臓に悪いものだった。
それにしても、あんなに沢山の陰虫が出てくるなんて何かあったのだろうか。
しばらくは外に出ないようにした方がいいかもしれないと思いながら、床に落ちたスマホを拾う。
バン、バン、バン、バン、バン!
また窓を叩くような音が聞こえる。
知らない虫が、沢山の虫が、ここを開けろと脅すように窓にぶつかってくる。
『外来異種 丁種 銅蝿(どうばえ) ヲ 検知 シマシタ。駆除 スル 場合 ハ 区役所 カ 付近 ノ 業者 ニ 連絡 シテクダサイ』
『外来異種 丁種 弟切虫(おとぎりむし) ヲ 検知 シマシタ。駆除 スル 場合 ハ 区役所 カ―――』
『外来異種 丁種 雨蜘蛛(あめぐも) ヲ 検知 シマシタ――――』
『外来異種 丙種 糸絡蝶(いとくりちょう) ヲ 検知――――』
知らない、知らない、知らない…全部知らない!
通知音が怖くなったのでアプリを終了させて、部屋にあるカーテンを全て閉める。
見えないように、居ないように、何も無いと主張するように。
「ハァッ、ハァッ……助けを呼びにいかないと!」
「待って!」
水無瀬さんが玄関を開けようとするのを止める。
何かを言いそうになるその口を塞ぎ、耳をすませる。
カリカリと、何かを掻くような音が扉の前から聞こえた。
静かに、ゆっくりと、扉の前にいるナニカに気付かれないように後ろに下がる。
何が起こってるのか分からない、どうしたらいいのかも分からない。
こういう時は…とにかく警察に連絡してみよう。
警察に助けを求める為に110番を入力して通話ボタンを押したけれども、ツーツーという音しか返ってこなかった。
何度も何度もボタンを押しても何も変わらなかった。
「ど、どうしたの未来さん!?」
「多分…他の場所でも似たような事が起きてるんだと思う」
水無瀬さんと九条さんの気が動転しているおかげで少しだけ冷静さを取り戻せた。
今、警察に通報する人が沢山いるせいで電話回線が混雑していて繋がらないんだろう。
つまり…あたし達に今できることは何も無くなったということだ。
そう考えた瞬間、足元の床が無くなったかのように感じた。
こわい、こわい、こわい!
目の前に危機が迫っているというのに何も出来ないということが、ただただ怖い!
泣きたい・叫びたい・逃げ出したい!
だけど、そんなことをしても意味がないから何もできない……いや、まだ出来ることがあった。
スマホの連絡帳の一番上にある名前、この人に連絡して助けを求めればいいんだ。
助けを求めることは何も悪くないと、この人が言っていた。
そしてあたしは電話を掛けようとして……その指が止まった。
あの人を、この場所に呼ぶ?
好きでもない仕事をしているあの人を?
外にも、中にも、おぞましい何かがいるこの場所に?
あたしは、この地獄のような所に……命の恩人を引きずり込もうとしていた?
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