第63話:封印の鐘

「全員、部屋に入れぇ! 招きさえしなければ中に入れん!」


 シドのお爺さんが大声を出し、廊下にいた全員が近くの部屋に避難した。

 訂正、自分とイーサン以外の全員だ。


「アユム、イーサン!? 早く入らないト!」

「いやぁ~それは逆にヤバイかなって」


 自分も最初は部屋の中に入ろうとしたのだが、そうなると大きな問題がある。

 逃げ道がなくなるというものだ。


 相手の立場になって考えてみよう。

 獲物を追い詰めていたのに、いきなり胴体を真っ二つにされ、さらに手榴弾で吹き飛ばされた。

 うん、殺すまで追いかけるよね!

 俺だって殺すよ、真っ二つの時点で死んでるけど。


 そんな相手に篭城なんてしたら、出てくるまで扉の前で待ち続ける事だろう。

 つまり、誰かがアレの相手をしてココから引き離さないといけないわけだ。


 そうこうしている内に霧が廊下の中に入り込み、影のような手が窓にかかる。

 もう考える時間すらないようだ。


「イーサンは下! 俺は上!」

「分かった!」


 二人で一緒に逃げれば二人共やられる。

 だからこうやって二手に逃げれば片方は助かり、援護ができるというものだ。


 俺は必死に階段を駆け上がるが、自分が助かる算段は十分にあった。

 普通、逃げるなら下だ。

 そして下から外に出ればどこに逃げたか分からなくなる。

 ならば追跡者は下へ逃げたやつを優先するだろう。


 まぁイーサンならきっと大丈夫だ。

 元軍人なんだし、何とかする作戦を考えるだけの時間は稼いでくれると信じてる。

 できないっていうのは、嘘つきの言葉なんだってテレビで見たしね!


 そうして空の見える最上階に辿り着き、下を見る。

 外に出たイーサンとそれを追う霧の狼が見えるかと思ったが、霧と高さのせいでよく見えなかった。


 まぁそれならそれで心を落ち着かせて考えるとしよう。

 エレノアの力や手榴弾でもダメだとしたら、何が効くだろうか?

 少なくとも単純な物理的手段ではダメだろう。

 招かれないと部屋に入れないというのは、まるでヴァンパイアのような性質だが―――。


『ギイイィィ……』


 自分が出てきた扉が開く音がした。

 もしかして他の人達が部屋から出てきて俺の方に来てくれたのだろうかと思い振り向くと、そこには赤頭巾ちゃんに出てきた狼よりも恐ろしい霧の狼さんがいた。 


「なんでこっちに来るんだよおおおぉぉ!!」


 今の心境は、さながら森の熊さんに出会った女の子である。

 こんな事ならイヤリングかピアスでもつけておくべきだった、それなら童謡と同じように届けてくれただろうに。

 いや、童話とかだと狼に追いかけられたら食われるのがお約束か。

 確かにあのメンバーの中では俺が一番美味そうかもしれないけど、肉だけじゃなくて野菜も食え!


 そんな俺の思いも虚しく、霧の狼はこちらへ駆け寄ってくる。

 俺はリュックに入れていた電動ジップラインを取り出して地面に向けて射出する。

 皇居に侵入した時に便利だったから借りてきたけど、マジで役に立った。

 手早くフレームを組み立てたらハーネスをつけてスグに移動を開始する。

 大きな口がこちらを捕える前に、なんとか空中へと難を逃れる事に成功した。


「アバヨ! 次会うときはベジタリアンになってろ!」


 離れていく霧の狼を見ながら中指を立てたのだが、それがいけなかった。

 霧の狼はお行儀よく遠くへ行く俺を見送るわけもなく、最上階に設置された電動ジップラインのフレームに噛みつき、持ち上げた!


「オーケー、俺が悪かった。だからそのまま何も―――」


 こちらの釈明を聞き終えることなく、電動ジップラインのフレームを口から離す。

 地面への支えがなければ張られたジップラインは弛み、落ちるしかない。

 そしてそれは俺も同じ事であり……空中から一気に地面に落ちてしまった。


「オ……ゴゴ…カ……アッ!」


 不幸中の幸いか、それなりに低い場所まで降りていたおかげでトマトジュースになることはなかった。

 しかし思いっきり背中を打ったせいで、しばらく呼吸ができなかった。


「アユム、起きろ! 奴がくるぞ!」


 そこでタイミングよく階段を降り終えたイーサンが来てくれた。

 イーサンの手を借りて起き上がり、一緒に走って逃げる。


「イーサン! やっぱりロケラン持って来るべきだったよ!」

「それで倒せるかも疑問だがな!」


 イーサンは後ろから追いかけてくる霧の狼を銃撃で牽制しながら走る。

 それでも俺より足が速いのは何だろう、納得がいかない。

 いや、それよりもこのままじゃ俺が先に食べられるよ!


 確かに肉食系の彼女に食べられるのがちょっと夢だったけど、オスかメスかも分からない獣に襲われるのは性癖にかすりもしない!


「アユム、キミはこのまま真っ直ぐ走れ!」


 そう言ってイーサンは道を逸れて川の方向へ走っていく。

 先ほどまで撃たれていたせいか、霧の狼はイーサンの方向へ走っていく。


 先ほどから何十発以上も撃ってるというのに、敵さんからは血の一滴すら出ていない。

 それを知っているからか、イーサンも顔を中心に狙い、傷をつけることよりも目を潰して追跡の手を緩めようとしていた。


 しばらく走ると教会に辿り着いたので呼吸を整える。

 イーサンはどうなったのかを目を凝らして見てみると、姿が見えなかった。

 霧の狼が川辺で匂いを嗅いでいることから、恐らく水中にいるのだろう。


 普通の狼ならば相手が水中にいようとも噛みつけるのだろうが、霧の狼は水上を漂うように待ち構えている。

 水の中に入れないということは、やはり霧が何か大きな意味を持っているのかもしれない。


 さて、問題はここからだ。

 イーサンが水中で難を逃れたといっても、エラ呼吸ができないイーサンなのでこのままでは溺死する。

 だからあいつはイーサンが出てくるのを待っているのだ。

 エラ呼吸できないイーサンって何だよ、まるでエラ呼吸してるイーサンがいるみたいだ。


 そうなると俺がなんとかしないといけないのだが、まったく何も思いつかない。

 水に弱いという可能性はあるものの、ちょっとぶっかけた程度で死ぬとは思えない。


『アユム! イーサン! こっちは霧が晴れましたけど、二人は今どこデスカ!?』


 通信機から逼迫したエレノアの声が聞こえてきた。

 霧が晴れたということは、あちらの安全は確保されたと見ていいだろう。


 今ならエネルゲティック文化会館へ逃げ込めば俺は助かる。

 しかし、イーサンを見捨てて逃げることはできない。

 俺はまだ、イーサンから借りをしゃぶりつくしていない。

 絶対に死に逃げだけはさせん。


「エレノア、そっちから教会って見える?」

『エット……霧がありますけど、かろうじて輪郭が見える程度なら』

「よし、じゃあ合図を鳴らしたら教会の一番高い屋根を崩す感じでよろしく!」

『エッ!?』


 エレノアの返事を待たずに通信機をしまい、代わりに拳銃を取り出す。

 初弾の装填は終わっているので、安全装置を外せばいつでも撃てる。

 さて……じゃあやるか。


「何が霧の狼だ! 男のケツを追いかけるメスイヌがぁ!!」


 教会の入り口から川の上でイーサンを狙う霧の狼に向けて何発か銃撃する。

 こちらの罵倒を理解しているのか、それとも狩りの邪魔をされたことに怒りを覚えたのか、こちらに向き直って一気に迫ってきた。


 こちらに来るまでわずか数秒……急いで教会の中に入り、奥にある壇上に上った。

 そして狼はすぐさま教会に入ると、勢いを殺さないままこちらへと突っ込んできた。


 俺は急いで頭上の吹き抜けから見える大きな鐘を銃で撃ち、机に隠れる。

 しかし小さな机程度では狼の突進を防ぐことができず、机ごと後方に転がってしまった。


 これでいい、あくまで一瞬だけ足止めできればいいのだ。

 コイツには聞こえていない、俺と机を吹き飛ばした音を出したせいで、天井が真っ二つになった音が。


 支えていた天井が裂けたことで、大きな鐘はそのまま自重に任せるように落下すると、そこには獲物を目前にした狼がいた。

 そして……重く響く勝利のゴング音が鳴り響いた。


「ふぃ~……なんとかなったか」


 霧の狼は身体のほとんどが鐘の中に封じ込まれ、身動きがとれない状態となっていた。

 銃弾がすり抜けたように、こいつは物理攻撃を受け止めることができない。

 どんな攻撃でも無効化する代わりに、どんな攻撃だろうと防ぐことができないという事だ。


 中にいる狼が何とか動こうとしているものの、ギッチリ詰まりすぎて爪を立てることすらできないようだ。

 少しだけ外に残っている下半身は必死に元に戻ろうと鐘へと向かうが、それを動かすだけの力は残っていない。


「これがロシアン壁尻か……」


 ケモナーでもないし壁に埋まった子に欲情する性癖もないのだが、心臓がドキドキする。

 新しい性癖の夜明けなのかもしれない。

 そんな黄昏の性癖にはもう一度眠りについてもらい、イーサンを迎えに行った。

 ずぶ濡れになっていたので、教会で着替えてもらう事にしたのだが、嫌でも霧に包まれた鐘に注目してしまう。


「さて、コイツをどうするか」

「このまま安珍する?」

「アン……チン……? オーブンやトースターという事か?」


 チンはチンでもそっちのチンじゃないよ。

 美形の僧侶が女にウソついて追い掛け回されて、鐘の中に逃げ込んだらそのまま焼き殺された清姫伝説の事だよ。


「いやでも火で焼いて歪んだりしたらそれこそ危ないし、このままにしとこう」


 急場しのぎではあるが、これで襲われることもないから安全だ。

 そんなこんなで、イーサンのセクシー生着替えを眺めることはせず、適当に銃の弾込めをしながら時間を潰してから、二人でエネルゲティック文化会館に戻った。


 そんな俺達を玄関で出迎えてくれたのはエレノアだけではなく、ザイオン救済団体の人達だけでもなく、そしてこの場所に住んでいる人達だけでもなく―――。


「まぁ……あれだけ暴れたら仕方ないか」


 こちらの味方を人質にとっていた≪コシチェイ≫の組織員たちも顔を並べていた。

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