第65話:バーバ・ヤガー

 悪の秘密組織から一人脱出したものの、途方に暮れてしまう。

 今までは大体イーサンが指示出してくれてたし、それについて行くだけでよかったから、楽だった。

 これからは全部自分で考えて自分で行動しないといけない、めんどい。

 だからこそ誰かと一緒に逃げたかったというのに、全員が足止めするとかどうなのよ。

 映画でよくある一番最初に逃げたやつで、必ず報いを受けるかのように死ぬパターン入ってるよ。


 そんな事を考えてたら、遠くからエンジン音が聞こえた。

 そうか、こんな場所でノコノコ歩くよりも車の方が安全だもんね。

 とにかくココに留まっていたらマズイので、移動を開始する。


 俺が伝説のベトナム帰還兵であればワンマンアーミーで全員ぶっ殺して救出とかできるのだが、生憎とただの駆除業者だ、プロには勝てない。

 教会に行けば通信機があるので、コロニー化しているプリピャチ市から脱出さえできれば救援を呼ぼう。


 その為にも……先ず、ココどこだろうね!

 近くに錆びまみれの戦車があるんだけど、まだ乗れるだろうか。

 いや、無理だな……そもそも一人で動かせるようなもんでもないし。

 とにかく川だ、川を探そう。


 そうして俺は外来異種が蔓延るプリピャチ市をひたすら歩く事になる。

 とにかく道に沿って真っ直ぐ歩くことだけを考えて歩みを進めると、連れ込まれた病院を見つけた。

 ここからなら、エネルゲティック文化会館までの道のりが分かる!

 あとはあそこから遊園地を探して、そのまま真っ直ぐ歩けば川まで辿り着けるはずだ。


 外来異種からの襲撃もなく、夕暮れ頃にはエネルゲティック文化会館の隣にあるホテルに到着できた。

 そういえば俺らは捕まったけれど、ローザお婆さんやシドさん達は無事だろうか?

 確認する為にも中に入って人を探すと、ここの最上階で見かけた人達がいた。

 

 どうやら無事なようで一安心したが、どうしてこの人達はこのままなのだろうか?

 ……あぁ、そういう事か。

 この人達も≪コシチェイ≫にとってはモルモットなのだ。

 コロニー化した場所で人類が生活した場合にどうなるかというデータを取るにはピッタリな環境だ。


「アルチョム! アルチョムじゃないか! あぁ良かったよ、心配したんだよ」


 後ろからいきなり声をかけられて手を握られたかと思うと、そこにはローザお婆さんがいた。

 そういえばこの人ずっと俺の事をアルチョムだって勘違いしてたな。

 ボケているっぽいから夢を壊さないようにと思ったけど、なんか騙しているようで申し訳ないという気持ちが勝ってきた。


「あー、お婆ちゃん? 俺は―――」


 日本語が通じないとは思いながらも何とか意思の疎通をしようとした矢先に、車が停まる音がした。

 十中八九、≪コシチェイ≫だろう。

 窓からこっそりと見下ろすと、車から降りてきた二人の内の一人がこちらの建物に入っくるのが確認できた。

 クソ……二人共入ってきたならば、車を奪って逃げるという手もあったのだが。


「ほらローザお婆ちゃん、隠れよう」


 他の人も車の音を聞いて近くの部屋に入ったので、自分もローザお婆さんの手を引いて中に入る。

 部屋の外からは男の足音と、扉を開けたりする音がする事から、しらみつぶしに探しているらしい。


 さて……ここからバレずに逃げるにはどうしたものか。

 ロープでもあればこっそり窓から脱出という手も使えるのだが、生憎と翻訳で使うスマホ以外は全て奪われてしまった。


 あぁ、そういえば最上階に洗濯物を干してたロープがあったっけ。

 アレ使えば……俺の体重に耐えられず千切れそうだけど、無いよりかはマシか。


 最上階のロープを回収する為にこっそりと部屋の外に出ようとすると、ローザお婆さんが引っ張って止めてきた。


「ダメよ、アルチョム! 危ないわ! ここに隠れてなさい!」

「いや、むしろ俺がここにいた方が危ないというか……」


 こういう時、自分の使ってるアプリの不完全さを実感する。

 数ヶ国語の言語を自動で翻訳してくれるのはいいのだが、逆翻訳……日本語から他国への言語変換はしてくれないのだ。

 イーサン達がいるから別にいいだろうと思っていたが、こんな状況では不便だ。

 ……いや、こんな状況を想定してたら頭おかしいか。


「もうあなたを失ってたまるもんですか。ほら、この中に入りなさいアルチョム」


 ローザお婆さんはそう言って逆さになったバスタブを持ち上げて、その中に入るように促される。


「いや、だから俺は―――」

「早く! アルチョム、早く!」


 追っ手の足音は二手に別れており、一人の足音がこちらに近づいてきた。

 このまま騒がれてはわざわざ居場所を教えるようなものだ。

 仕方がないので、一旦逆さになったバスタブの中に隠れて機を窺う事とにする。


「おい、逃げた男がいるだろう。出せ!」


 イヤホンから聞こえる音に耳を集中していると、追っ手の声が聞こえた。

 どうやらこの部屋に入ってきたようだ。


「あんたらにアルチョムは渡さないよ! 出て行きな!」

「チッ、この老いぼれがッ!」


 誰かが倒れる音が聞こえる。

 まぁ荒事を専門としている男とローザお婆さん、どちらが突き飛ばされたのかは簡単に分かる。

 しかし地面を這いずる音とローザお婆さんの声、そして男の怒声が聞こえるのでまだもみ合いのような状態なのかもしれない。

 飛び出したい気持ちはあるが、自分が出て行ったところで事態が余計にややこしくなるだけだ。

 俺の首筋にはまだ、危険を知らせる悪寒が感覚が残っていた。


「あたしは今度こそアルチョムを守るって―――」

『パン』


 渇いた音と、何かが倒れる音がした。

 バスタブを少しだけ持ち上げて、見る。


 動かない身体と、赤黒い液体が見えた。




 背 筋に あっ た   感 覚が 消え た。




 俺はバスタブを担いだままで立ち上がり、勢いに任せてそのまま男に激しい体当たりを敢行する。

 突然の強襲によって男は左手に持っていた拳銃を取り落とし、右手のライフルからは手を離していた。


 状況を理解できていない内に男の右手にある親指以外の指を両手を使って折った。

 相手がどれだけ強かろうと、指で手に勝てるはずがない。


 男が叫ぶので、手近なところにあった瓦礫を口の中に突っ込む。

 念の為に左手の指も四本折る。

 声にならない叫び声が聞こえた。


 俺は男の頭を掴み、近くにあった死体の方へ顔を向けさせた。

 頭から血を流すその死体は、もう動かない。


「なんで撃った?」


 日本語が通じるはずがないし、口に瓦礫を突っ込まれてるせいで喋れない。

 俺は男の顎を下から思いきり殴りつける。

 赤く染まった瓦礫を口から出してやり、もう一度聞く。


「なんで撃った?」


 男の顔をさらに死体に近づけて聞く。

 いくら察しの悪いやつでも、何を言いたいのか分かるだろう。


 ローザお婆さんの体格がそれなりにあるといっても、老婆だ。

 あまり気持ちのいいものではないが、殴ったり蹴るという方法でも良かったはずだ。

 俺を撃つならともかく、この人を撃つ理由はどこにもなかった。

 俺が血まみれの瓦礫を持ち上げると、男は怯えた目をしながら口を開いた。


「ぅ……う……鬱陶しかったからだよ…ッ!」




 ―――――そうか。


 そりゃあ―――仕方ないよなぁ……。


 理解できるよ。

 何故なら、俺も外来異種のクソ共を殺すとき同じ気持ちだからだ。


 いつも、いつも、いつも。

 何度駆除しても、どれだけ駆除しても、何年駆除しても鬱陶しいくらい沸いてくる。

 生き物を殺すのに大層な理由なんて必要ない。


 人間の形をしたクソを殺した時もそうだった。


「なら……お前らも同じ気持ちで殺さないと不公平だよな」


 外来異種はよくて、人間がダメだなんて誰が決めた?

 どっちも同じ命だ。


 俺は赤く染まった瓦礫を、両手を使って男の頭に振り下ろした。

 死体がもう一つ増えた。


 部屋の外から気配を感じて目を向けると、シドさんがいた。

 他にも毛布を持った老人が居り、その人達は中に入ってローザお婆さんを優しく包む。


「……昔、ローザの子供達以外にも、何人かの家族とここで暮らしていた」


 ポツポツと、シドさんが語る。

 その場にいた全員が静かに聞くことしかできなかった。


「だがある日、アルチョムが病気となった。ここには医者が居らず、いくら看病してもよくならなかった。そして彼らは運び屋と一緒にここから出て行き……帰ってこなかった」


 シドさんはローザお婆さんの目を閉じ、こちらに向き直った。

 ローザお婆さんが死んだ事への罵声か、それとも巻き込んだ事への恨み言か―――。


「感謝する、ヤポンスキー。彼女はお前からアルチョムを見出した。そして、あの日助けられなかった贖罪を果たす事ができた。彼女は最期に―――救われたのだ」


 そんな事はないと声を大にして言いたくなった。

 たとえ最初はローザお婆さんの勘違いだとしても、俺はそれを訂正しなかった。

 これまで何度もその機会があったというのに、それを怠った。

 

 どんな理由があろうとも、騙していた事には変わらないのだ。


 しかし、真実を告げるべき人も、俺を裁く人も……今はもう、いない。

 俺は安らかなローザお婆さんの顔を見ながら、手を合わせた。


 どうしようもない事が、また一つ背中に圧し掛かった気がした。

 

 だからといって止まることはできない。

 俺は最上階に向かってロープを回収してから、男の死体を二階に運ぶ。


 外にいるやつは何発かの銃声で俺を殺したと思っている事だろう。

 なにせ軍人でも傭兵でもない日本人だ、勝てるはずがない。

 ただ、それでも周囲が暗くなっても戻らない事に不安を覚えてホテルの中に入る。


 そして倒れた仲間の身体を見つけて警戒する。

 銃を構えながら、ゆっくりと仲間のもとへと歩く。

 声を荒げながら呼びかけるが、死体が喋るはずがない


『おい! しっかりしろ!』


 しかし、その死体からは声がした。

 正確には死体の下にあるスマホからだ。

 イヤホンを外した状態で翻訳アプリが機能したせいで死体が喋ったように聞こえただけである。


 だが、予想外の返事によって生きていた男の意識がそちらに集中してしまった。

 後ろにいた俺には気付けなかった。


 俺は牧場育ちであるイーサン直伝の投げ縄結びをしたロープを男の首に引っ掛け、そのまま窓の外へと飛び降りた。


 地面から数メートルというところで落下は止まったのだが、すぐに地面へと落ちてしまった。

 なんとか足で着地できたが、少し痺れる。

 ついでに上から首の骨が折れた死体も落ちてきた。

 俺の体重と落下の衝撃が加わったのだ、当然だろう。


 これで二人殺した。

 あと何人だ?

 何人でもいいか、関係ない。


 この二人が持っていた銃を使ったところで、俺じゃあ銃で武装した犯罪者集団に勝てるわけがない。

 だが、アメリカの部隊がそんなもの関係ないと立証してくれた。

 俺達の前任者達がここに潜入した時に壊滅した事が、その証明だ。


 空はもう黄昏時を過ぎ、闇が濃くなってきている。

 暗闇に住まう外来異種のクソ共の時間だ。


 この中では俺も死ぬかもしれない。

 だが、俺はこんなこと何度も味わってきた。

 たとえ異国の地であろうとも、俺にとってはホームグラウンドのようなものだ。


「ローザ、あれはアルチョムではなかった」

「バーバ・ヤガー……」


 ホテルの中から見送る人達の声を背に、俺は闇夜の中へと入っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る