第64話:狂気と進化論

 銃で武装した十人ほどの集団に装備品を没収され、両手をあげさせられながらプリピャチ市を歩く。

 一応、スマホは返してもらえた。


 スマホは指示を翻訳させて聞かせる為に必要だからだ。

 四色ボールペンも返してほしかったのだが、分解して何も仕込まれてないと確認したくせに、ボールペンで人を殺す映画を見たという理由で返してもらえなかった。

 お気に入りの車をパクられたり、犬を殺されたりしてないから安全なんだけどなぁ。


 そんなこんなで≪コシチェイ≫の組織員に銃を突きつけられながら病院の廃墟らしき場所に到着する。

 中にあるボロボロになった診療台や新生児を寝かせるベッドを見ると、ホラー映画としては完璧な配置であると思った。

 これが映画だったら怨霊の怒りを買った≪コシチェイ≫が皆殺しの目に遭う事だろう。

 幽霊は信じていないが、なんかそれっぽい外来異種でも突然変異で沸いてこないだろうか。

 ……いや、捕まってる自分らが対処できないから、むしろこっちが最初の犠牲者枠になるか。


 廃墟の病院の階段から更に下へ階段を降りていくつかの部屋を抜ると、病院には不釣合いに見える錆びた大きな隔壁が出迎えてくれた。

 まるで核戦争を想定したシェルターだ。

 半開きとなっている隔壁の向こう側はそれなりに荒れているものの、プリピャチ市の外と比べれば雲泥の差だ。

 放置されていた場所を利用しているというよりも、ずっと使われているといった方が正しいか。

 それはつまり、チェルノブイリ原子力発電所事故が起きてからという意味であり―――。


「ジェイコブさん、なんか空気変わりませんでした?」

「何言ってんだ。捕まってから空気はずっと悪いままだ」


 隔壁の奥へと進んでいくと、何かおかしな気配が身体にまとわりついた感覚があった。

 なんとも粘っこく、気色の悪い……ああ、そういえば富山で甲種と対峙したときに感じた感覚と似ている。


 通路を進むと透明なケースに入れられた未知の外来異種が見えてきた。

 生きて暴れてるやつもいれば、体液で中が見えないやつ、中身が零れてるやつもいた。

 まるで漫画に出てくるマッドな研究所そのもので、エレノアや一部の人は顔を背けている。


 俺は仕事のせいで慣れてる……慣れたくなかった。

 こんなのよりも女の子に囲まれてイチャイチャする状況に慣れたかった。

 まぁ今生でこれだけ苦労したんだから、来世はきっとそれに見合った素晴らしい人生になるはずだ。

 ならなかったら転生を司ってる赤い鳥を殺そう、そうしよう。


 通路を歩き、扉が増えてきたと思ったら一つの部屋の中に入れられた。

 そこは小奇麗ながらも黒板に様々な数式や情報が書かれており、いくつもある机の上には沢山のファイルが乱雑に置かれているのが見えた。


「так、так。ようこそお客さん、歓迎するよ」


 書類の山の向こう側から声がし、痩せ細ったメガネの男がこちらに顔を覗かせた。

 見た感じ、三十代前半……イーサンよりも少し下くらいだろうか。


「うん、うん。まさか世界で五本の指に入るほど凄い新世代の子が来るなんて夢にも思わなかったよ」


 まるで品定めをするかのように男がエレノアをなめまわすように観察する。


「イーサン、あいつ絶対に童貞だよ。研究の為だとか言って女性の裸を見るやつだよ」

「それなら色仕掛けといきたいところだが、我々の顔では無理だな」


 お互いに困ったように肩をすくめると、後ろにいた構成員に思いっきりどつかれて地面に倒れてしまった。

 ちなみにイーサンは少しよろめいた程度だ、やはり鍛え方が違う。


「おう、おう……ヤポンスキーまでいるのかい。初めて見たよ」


 まるで珍獣扱いだ。

 豚とかカバと言われなかっただけマシかもしれないが。


「日本語分かるんすか? できれば常識の方にも期待したいんですけど」

「いや、いや。人様の敷地に勝手に入ってきた黄色い猿には説かれたくないねぇ~」


 染みが目立つ白衣を着た男が大仰に手を振る。

 それにしても日本人を見て黄色い猿とは……これまたレトロな価値観だ。

 ゲームのことを今でもピコピコと言ってそうだな。


「おっと、おっと。こんなのはどうでもいい、大事なのはキミだ。国の威信にかけてキミにだけは危害を加えないことを誓おう、聖女様」

「フン、犯罪組織がどの国の名誉を守るというのだ。むしろ損なわせるのが目的だろう」


 銃をつきつけられているにも関わらず、イーサンは怖気づくことなく言い放つのだが、白衣の男は不思議そうな顔をして首をかしげている。


「いや、いや。犯罪組織というのは語弊だよ。確かに≪コシチェイ≫には秘密組織という側面はあるものの、国益の為に国によって設立されたものさ」

「ウソッ!?」


 それを聞き、エレノアは思わず大きな声を出してしまう。

 もちろん、ザイオン救済団体の人達の顔にも驚きの色が出ている。


「おや、おや。それなら最初にちゃんと紹介しておこうか」


 よれよれの白衣を正し、ネクタイを締めなおす。

 そしてうやうやしく頭を下げて、こう言った。


「ようこそ、ようこそ。国立進化促進論証明組織≪コシチェイ≫へ。ここの責任者であるトレーチィが歓迎しよう」


 その言葉を聞き、さらに動揺が広がった。

 国立という言葉もそうだが、進化促進論証明組織という単語が引っ掛かった。


「アノ……トレーチィさん、進化促進論証明組織というのハ……?」


 エレノアも同じ疑問を持ったのか、その単語について尋ねる。

 興味を持ってもらったことに機嫌をよくしたのか、トレーチィと名乗った男が説明を始める。


「そこ、そこ。ヤポンスキーは猿が進化して人間になったというのを信じているかな?」

「へ? まぁそんな事を習った気がしますけど……」

「よくできました、よくできました。正確には猿と人間のルーツは同じで、別方向に進化した結果が今のような状態というものだね」


 トレーチィはこちらへ笑顔と拍手を送るが、どう見ても馬鹿にしているようにしか思えない。

 そんな彼が突然、その拍手を止めて手を大きく叩いた。


「―――そんな、そんなわけない。少し方向が違うだけで人間なんてものが生まれるわけがない」


 先ほどまでとは一変、彼の顔は苦悩に歪んだようなものへと変わった。


「どんな、どんな進化をしたらこんな生物が生まれる? ありえない、ありえないものなんだよ!」


 まるで何かに取り憑かれたかのような顔色をしている彼を見て、エレノアが不安そうに返答する。


「ありえないと言っても、実際にソウなってマスシ……」

「いいや、いいや、それは立証されていない。現に我々は人間とチンパンジーを利用したモノを三千世代以上も世代交代させたというのに、我らのような知的生命体にはならなかった!」


 何か不穏な言葉が聞こえてきた気がする。

 それに三千匹じゃなくて、三千世代?


「猿やチンパンジーの生殖サイクルは知らないが、流石にそんなポコポコ世代が進む事はおかしくないか?」


 呼吸を乱しながら荒ぶってるマッドを気にせず、イーサンが尋ねる。

 その質問で少しは落ち着いたのか、マッドは呼吸を整えて答える。


「えっと、えっと。確かラスールだったか? アレの種を使えば、かなり短いサイクルで世代交代が可能だよ」


 ラスール……イラクで見つけた外来異種か。

 確か摂取することでその生物を変異させる種で、これまで変異させてきた生物の特性も引き継ぐとかなんとか。

 つまり、人間と猿に対して交互に種を摂取させればドンドン世代交代させられるというわけだ。


 ……いや、それかなり歪な実験方法ではなかろうか。

 それで進化しろって方が無茶な気もする。


「そこで、そこで! 我らが先駆者達はこう考えた、第二のカンブリア爆発によって我々は生まれたのではないかと!」


 そういう専門用語で説明するの、マッドの悪いクセだと思います。

 とはいえ話を中断して聞くと馬鹿だと思われるので小声でイーサンに聞く。


「……イーサン、カンブリア爆発って何だっけ」

「簡単に言えば、爆発的な進化が発生して多種多様な生物が誕生した現象の事を指す」


 あぁ、それまで少なかった生物の種類が突然増えたっていうやつか、スッキリした。

 で、それで人間が誕生したと……なんかおかしくない?


「失礼、ドクター。その仮説は面白いのですが、あまりにも突飛すぎるし証拠となるようなものもないかと」


 自分と同じ疑問を抱いていたのか、ザイオン救済団体の研究員の人が尋ねる。

 だが、そんなのは先刻承知だといわんばかりにマッドの顔は笑みを浮べている。


「証拠ならもうあるじゃないか。今から五十年前に証明されたはずだ」

「もしかして……モンスターの発生!?」

「宇宙にすら手に届いた人間の叡智を以ってしても解明できない生物だ。アレこそが第三次カンブリア爆発であり、我々はそれを地球による進化促進だと考えているのだ!」


 マッドは楽しそうだなぁ、わりとどうでもいい。

 というか地球による進化促進って聞くと、まるで地球が生きてるように聞こえる。

 科学というよりも宗教に足を突っ込んでないか?


「アノ……それで結局、コノ組織は何をしているのデスカ?」


 話が脱線していったのを、エレノアが修正してくれた。

 なんかもう話があっちこっち言ってるせいで全然頭が追いつかなかったから助かった。


「失礼、失礼。過去、この進化促進によって様々な生物が淘汰されていきました。そして今度は人間が淘汰される可能性がある。だから我々はそれを防ぐ為に、人類を新たなステージに導こうという組織なのです!」


 マッドは相変わらず熱を込めてエレノアに話しかける。

 なんかもう熱心な宗教勧誘にしか見えない。


「ねぇ、イーサン。俺、渋谷であれと似たような人を見た事ある。聖書を片手に持ってた」

「そうか、よかったな。サインを貰っておけ」


 イーサンの返し方が雑になってきた。

 もっと真心を込めてからんでよ。


「そして、そして! その進化の可能性こそ、新世代の方々なのです! 貴女方の子供こそ、人類の未来なのです!」

「ハ、ハァ……」


 アメリカで信者相手に聖女様をやってたエレノアだが、あまりにもグイグイきてるマッドに圧されてる。

 あいつ一人で何人分の信者の圧力になるんだろ。


「ああ、ああ。ご安心を。貴女は貴重な母体ですから、無茶な事はいたしません。新世代の男はこちら側で調達いたしますので、貴女は産むことに専念してください」


 ……なに言ってんだアイツ。


「まるで家畜を繁殖させるような言い方だな」


 そこでイーサンが口を挟んだ。

 表情筋は動いていないが、怒りが表に出ないように抑えているのが分かる。


「いいえ、いいえ。家畜とはとんでもない……彼女にはこれからの新世代を産む聖母となってもらわねばならないので」


 ……それを聞いても、俺はキレたりしなかった。

 ただ、心の中でコレを同じ人間だとは見れなくなった。

 そして、そこで隣にいたイーサンの食いしばってた歯が割れるような音がした。


「ふざけるなよ! 国立組織だと言っていたな? そんな事をして各国の理解を得られるとでも思っているのか!!」


 今にも掴みかかりそうなイーサンを見て、背後にいた≪コシチェイ≫のメンバーが地面に突き飛ばす。

 二人の男に押さえつけられながらもイーサンがマッドの方から視線を離さない事から、彼の怒りが凄まじいものだと分かる。


「いや、いや。理解とは結果で得られるものだよ。私も心苦しいのだが、祖国に命じられているんだ……仕方のないことなのだよ」

「その子の人生を! "仕方のない"の一言で片付けるな!」


 イーサンがここまでキレるのは驚いた。

 しかし彼とエレノアが生きてきた境遇を考えれば当然なのかもしれない。


 子供の頃に特別な力で市民を助けたエレノアは多くの人に助けを求められ、そして救っていった。

 やりたい事もあっただろう、やりたくない事もやったことだろう。

 そして決まってこう言われたに違いない。

 "大勢の人の為なのだから、仕方のない事だ"と。

 だからイーサンにとってソレは禁句なのだ。


 エレノアが今まで"仕方のない"という理由で色々なものを奪われてきたからこそ、彼はソレから彼女を守りたかったのだ。


「あまり彼に乱暴はしないでくれ。彼女が拒否した場合、彼らを使って説得しなければならないのだから」

「何が国立進化促進論証明組織だ! お前らはただの犯罪組織だ! いや、それにも劣るクズの集まりだ!」


 説得に使う……まぁ字面からして、パーツ毎に使うのかもしれない。

 地面に組み伏せられているイーサンを、マッドは本当に哀れなものを見るように見下していた。


「ヘイ、マッド。ちょっと聞いていい?」


 イーサンの怒りも理解できるし、これから自分の身体で因数分解を実演させられるのも気になるのだが、どうしても聞きたい事がある。


「あんた、≪コシチェイ≫が国立組織って言ってたけど……それ、どこの国?」


 今までコイツは国立組織という事は喋ったが、具体的な国名までは明かさなかった。 

 ロシアか、ウクライナか、それとも―――。



「はは、はは。どこも何も……決まってるじゃないか、ソビエト連邦だよ」



 まるで時間が止まったかのように、場が静まり返った。


「……ソビエト連邦は、もう存在していないぞ」

「いいや、いいや。まだ残っている。ここが残っている。ソビエトの崇高なる意思と使命は、消えていないのだ!」


 それを聞き、先ほどまで暴れていたイーサンすらも言葉を失って呆然としていた。

 俺はなんというか、そんな感じだろうなぁと予想していた。

 というか国立組織ってところでもう疑ってた。

 あんなテロ紛いなことに関わる国立組織があってたまるか。


 エレノアは目の前でイカレている狂人を前に青ざめた顔をしていた。

 そしてそれを勘違いしたのか、マッドが安心させるように穏やかな声で言う。


「おや、おや。もしかして出産が不安なのかな? 大丈夫、安心してくれ。ここで産まれ、育った成功例もちゃんとある。なにせ、私が三番目(トレーチィ)だからね」


 ああ―――――通りでイカレてるはずだよ。

 こんな場所で産まれて、マトモに育つわけがねえ。


 首筋の悪寒も最高潮に達しており、このままでは間違いなく死ぬことが確定している。

 ただ……ここからどうすれば脱出できるのか思いつかない。


 地面や机に武器になりそうなものはない。

 こちらは拘束されていないにしても、そもそも銃をもった奴らが何十人もいるのだ。

 伝説の殺し屋がいたとしても、絶対に犠牲が出るシチュエーションである。


 しかしマッド言葉がトドメになったのか、エレノアはマッドを思いっきり両手で突き飛ばしてから、手を広げる。


「ミンナ、逃げテ!」


 どうやらエレノアの力はしっかり手を組まなくても使えるようで、彼女が手を広げた先の天井が裂けて空が見えた。

 エレノアの体勢が傾いているせいで亀裂もナナメになってしまっているが、ここから脱出するならむしろ好都合だった。

 俺は急いで起き上がってから机に乗って飛び上がり、天井の裂け目によじ登る。


「早く!」


 手を下に伸ばすが、エレノアは首を横に振る。


「ワタシは無理です。この手を解いたら、裂け目が閉じてしまうカラッ!」


 ならばせめて他の人をと思ったのだが、全員が銃を持った相手と取っ組み合いをしていた。


「俺達が抑えてる! お前だけでも逃げろ!」


 なんだ、なんだ、お前ら全員自己犠牲の塊か!?

 これじゃあ一番最初に逃げた俺が悪い奴みたいじゃねぇか!!


 さぁどうしたものかと考える暇もなく、隣の部屋から不審な音を聞きつけた男達がやってきて、銃をこちらに向けてきた。

 流石にこれ以上はもうどうしようもない。

 というかエレノアの手をどうにかされたら、俺が潰される。


 必死にナナメになった壁をよじ登って地上に這い上がると同時に、地面の亀裂が閉じた。

 さて……孤立無援の状態である、どうしたものか。

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