第50話:矛盾のクレタ人

【イーサン視点】


 アユムが会食というものに出かけている間に、本国への連絡文を打つ。

 詳細なデータについては外来異種国立研究所から提供されているので、添付するだけでいい。


 ただ、我々に求められているものはそういったデータというよりも、彼と接して感じた生の情報だ。

 体力や運動能力、仕事の処理効率は平凡ではある。

 だからこそ、彼が甲種の駆除に貢献したというイメージと合致していなかった。

 そう……先日までは。


 確かに日々の彼の働きを見るに、とても平凡な男性であった。

 貶すつもりはなく、むしろ良い傾向であると感じた。

 しかし、本国から送られてきた情報でトヤマに向かったとき、彼の異常性を目の当たりにした。


 翡翠の月……十年前に一度患者と接した私であっても、その正体は分からなかった。

 逃げることしかできなかった。

 だというのに、彼はその場で適切に対処してみせた。

 我々は逃げることしかできなかったというのに。


 科学者は彼の事をアノマリー・キラーと呼ぶが、私の印象は違う。

 ただし、それをどう表現したものか頭を悩ませている。


「イーサン、どうシタノ?」


 レポートを書いていると、後ろからエリーが興味深そうに覗いてきた。


「ちょうどよかった、エリー。アユムへの印象について教えてくれないか?」

「印象って、どういうノ?」

「直感でいい」


 そういうとエリーはしばし考え、そして答える。


「正直なクレタ人……カナ?」


 クレタ人というものは嘘つきの代名詞とも言われている。

 だが、そのクレタ人が「私は嘘つきだ」という事で、矛盾が発生する。

 次にアユムが正直なクレタ人だと仮定しよう。

 「私は嘘つきだ」と言うことで、これもまた矛盾が発生する。


 けれども、両者に対して感じる印象は別物だろう。

 ある意味、彼の人間性を的確に表現できているかもしれない。

 我々は彼の善性を知っている。

 しかし彼は自身の善性というものが見えていないように思えた。


 嘘つきだと評され続けてきた正直者のクレタ人、それが彼だ。

 本国の求める情報とは違うが、報告はしておこう。


「あ、それと皆カラこれも一緒にダッテ」


 エリーから手渡された大きな封筒を開けると、これまた何十枚ものレポートが出てきた。


「これは……翡翠の月に関するレポートか」


 軽く読み流し、重要事項だけを抜粋する。

 

 あれは胞子のようなもので、ヒトの眼に接触することでコンタクトのように広がり、特殊な状況において翡翠の月が空に浮かぶ風景を見せているようだ。

 胞子は軽い風でも宙に舞うらしく、恐らく今回の事例については、エリーが山を動かした結果発生した衝撃波でこちらに届いたものと見られる。

 今回はタバコの煙で対処したがタバコの毒性に意味はなく、煙そのものか別の何かが必要だと考えられている。


 なんにせよ、今まで幻覚を見ていたということで脳に異常があると思われていた症状だったが、これで幾許かの被害者を治療することができるだろう。

 

 そこでレポートの半分であり、もう半分は日本で確認されたとされる外来異種の種についてであった。

 そこに書かれている内容はあまりにも恐ろしいものであった。


 この種は摂取した動物を内側から侵食し、孵化する。

 孵化した生物は外来異種でありながらも、既存の生物としての特性を引き継ぐ。

 そして死に瀕すると、自らの肉体を苗床として種子を生み出し、摂取した対象へ前の肉体の因子を引き継がせる可能性がある。


 現在分かっている内容だけでも辟易とする内容だが、一番厄介なものは次の項目だ。


 日本で回収されたものは、すでに何世代か経過したものである可能性が高い。


 どこかで未確認のモノが確認されていれば、その情報は必ず日本政府から本国へ届けられる。

 だが、国会議事堂での騒動までその報告はなかった。

 つまり……日本でその原因が発生し、それが国会議事堂に入り込んだわけではない。

 何処からか運び込まれた種子に、カラスやネズミにでも食わせて外来異種に仕立て上げたのだ。

 なにせ前の世代の因子を発言させるのだ、大きな動物から種子を取り出し、それを食わせる事でどんな小さな生物でも危険な外来異種に進化させられる。


 新たなるテロの方法が確立された瞬間である。


 外来異種を利用したテロについてはこれまでも確認されている。

 そしてその背後にはある組織の名前が浮かび上がっていた。


 『コシチェイ』、スラヴ神話に登場する不死身の怪物だ。

 その者はどれだけ傷つこうとも死することはなく、魂ある限り甦る。

 彼の魂は針の先にある。

 その針はタマゴの中にあり、そのタマゴはアヒルの中にある。

 だがそのアヒルはウサギの中におり、ウサギは鉄の箱に仕舞われている。

 そして鉄の箱はオークの樹の下にあり、その樹は小さな島にある。


 つまり、それだけ殺すことが困難であるという事を揶揄しているのだ。


 もしも奴らを殺せる者がいるとすれば―――。

 それは、エリーのような選ばれし者か。

 もしくは、不死の神話を終わらせた英雄だろう。


 だが私はどうにも彼ならばやれるのではないかと思ってしまう。

 選ばれたわけでもなく、英雄でもない。

 ただ一人の人間として持ち合わせる原初の本能……生存本能。

 彼の生きるその意思こそが、怪物を殺せるのではないかと。


「……イーサン、大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ。心配ない」


 エリーが心配そうな顔をした為、その不安を和らげる為に慣れない笑顔をする。


「やっぱり、ワタシはアメリカに戻ったほうがいいんじゃ」

「いいや、そんな事はない。キミはこの国来て良かったんだ」


 本国では多くの人がキミにメシアとしての役割を望んだ。

 そしてキミはその通りに、偶像のように生きた。


 だからこそ、私は上層部に強く打診して逃げるようにこの国へ来た。

 そして、それは正しかった。

 歳の近い子と話していたキミは、歳相応の女の子の笑顔を浮べていた。


 あの日、私が皆を救わなければなかった、その義務があった。

 だが、皆を救ったのはキミで、それによって生じた因果を背負っている。

 その重荷を少しでも軽くするのが私の責務だ。


 この場にルーカスがいたとしても、私と同じ結論に到ったはずだ。

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