第59話:ダーティー・イーサン

【イーサン視点】


 夜になり、ようやくパルチザンビルに戻る。

 アユムにとっては何か思い入れがあるらしいが、このビル名はどうにかした方がいいのではないかと思う。


 そういえば、エリーの警護としていつも一緒にいたせいか、こんなに長く離れることはあまり無かった。

 私がいない間も仲間が警護してたので、ある意味、あの子にとって久しぶりの自由な時間だったかもしれない。

 とはいえ、どうも二人の間に隔たりがあるような雰囲気があった為、あまり良いものではなかったかもしれない。


 アユムのコミュニケーション能力が高ければ隔たれた二人の距離も少しは縮まっていたかもしれないが、彼の性格からして難しいだろう。

 彼にはどんな苦境をも全て任せることに不安はないのだが、女性をエスコートすることについてはかなり厳しいと判断している。

 男としてどうかと思うところもあるが、そこまで期待するのも酷というものか。

 

 せめて互いに一歩踏み込めればと、思いながらビルのエレベーターで三階の部屋に入る。


「オカエリ、イーサン。もうすぐで夕飯がデキルヨ」


 私を出迎えたのは鼻腔をくすぐる香辛料らしき匂いと、朝と違って朗らかな笑顔であったエリーだった。


「あれ、イーサン帰ってきたの? ちょっとこっち来て!」

「ど、どうしたアユム?」


 急変したエリーの態度に驚きながらも、アユムに呼ばれたのでそこへ向かう。


「カレーの隠し味としてチョコと牛乳とヨーグルト、それにソースも入れようと思ってるんだけど、イーサンも何か入れたいものない?」

「アユム。隠し味を隠したいのか、それとも引きずり出したいのか、どっちかにしてくれ」


 結局、辛い物が苦手というエリーの意見から牛乳を入れることで話は落ち着いた。


 配膳のときに聞いたが、今日は二人で出かけたおかげでわだかまりが解けたそうだ。

 心なしか、アユムの顔もいつもより緩んでいるような気がした。


「ワタシ、思ったの。間違いを正す事よりも、受け入れる事の方が大事ナンダッテ」

「アユム……日本には一夜の過ちという言葉があるが―――」

「エレノアはそんな事する子じゃないやぃ!」


 私はキミが彼女に迫ったのではないかと言うつもりだったのだが、彼の返答からしてその線は限りなく薄い事を察した。

 そこは一安心といったところなのだが、今度は逆に彼はこのままで結婚できるのだろうかという不安が出てきた。

 まぁ彼の人生は彼のものだ、私が口を出すような問題でもない。

 仕事を言い訳にしてずっと独身でいるような気もするが……。


 夕飯を食べ終えてエリーが後片付けをしている間、回収してきた資料を机に広げてアユムと一緒に見る。


「ここに書かれているものは、これまで≪コシチェイ≫を追う際に手に入れた情報をまとめたものだ」

「先生! 支給された翻訳アプリは会話しか翻訳してくれません!」


 そうだったな、そういえばアユムはこういうのが苦手だったか。


「……要約すると、これまで≪コシチェイ≫という組織を何度も潰してきたが、何度も復活してきた。だから、あくまで模倣犯……架空の組織を犯罪組織が共有して、 捜査を混乱させるものだと考えられてきた」


 なにせ世界各地でその名前が出てくるのだ。

 常識的に考えれば、そこまで大規模な組織ならば、摘発や施設への攻撃に対してもっと派手な抵抗があってしかるべきなのだ。


「考えられてきた……過去形?」

「ああ。イラクで≪コシチェイ≫の工作員らしき人物がロシア語を咄嗟に出した事から、そちらに絞って情報を収集してきた。その結果、その組織が実在している事が判明した」


 そう言ってある写真が掲載されている資料を手渡す。


「これって……原子力発電所?」

「そう、有名なチェルノブイリ原子力発電所だ」


 1986年4月26日、様々な要因によって暴走事故が発生、未曾有の大災害となった忌まわしき名前だ。

 当時、旧ソ連はこれに対し様々な対処を試みたが、運悪く外来異種によるコロニー化が近辺で発生。

 これによりあらゆる手段を放棄し、近辺にまるごと石の壁を建造して全てを封じ込めた。

 これがキエフ封鎖区域である。


「それ、ただの原発事故って話じゃありませんでしたっけ……」

「公式にはそうなっているというだけだ」

「どうしてそう知りたくない情報をいきなり投げつけてくるのかなぁ!」

「必要な事だからな」


 アユムが露骨に嫌そうな顔をするが、無視して話を続ける。


「本国の諜報員によって≪コシチェイ≫の本拠地がこの地にあることが判明し、先日、本国とロシアからいくつかの部隊が送り込まれた。」

「おぉ!」

「そして、その失敗報告書がこれだ」


 上げてから落とす、期待したはずの結果報告ではないせいでアユムの顔がさらに歪む。


「送り込まれた部隊は過去に≪コシチェイ≫の施設を破壊した実績のあるメンバーだった。……にも拘(かかわ)らず、失敗した。上層部が思う以上に、コロニー化されたあの地は厄介であったというわけだな」

「もう空爆で焼けばいいんじゃないっすかね……」

「それは複数の観点から不可能と言わざるをえない」


 ひとつ、空爆でまとめて破壊した場合、証拠なども消える事になる。

 ふたつ、それだけの大規模な作戦を立案すれば、何処からか漏れる可能性がある。

 みっつ、空爆すれば嫌でも世間の目がそこに集まる。そうなれば歴史に埋もれさせるべき恥部を掘り起こされる可能性があり、最悪国家間の対立が起こりえる。


「め……めんどくせぇ…ッ!」

「その面倒くさい事をやり続けてきた事で、国家は強大な力を得られたのだ」


 国家を支えるものは国民だ。

 そしてそのマンパワーが力に直結している。

 それを対立・陰謀・そして裏工作によってコントロールしているからこそ、国家は力を振るえるのだ。

 それに失敗した国がどうなったかは、数多の歴史によって記録されている。


「そして本国はこの問題に対して、我々プロフェッショナルへ託す事にした」

「ねぇ……その我々の範囲、どこからどこまで?」

「安心しろ、ザイオン救済団体のみだ」


 本来ならば日本の秘密部隊である"外来異種瀬戸際対策の会"も加わるはずだった。

 しかし自衛隊員にもしもの事があった場合、遠い異国の地において存在するはずのない自衛隊員の死体が出てしまった場合、大きな国際問題となる。

 もしもそれが原因で現政権が陥落してしまった場合、どうなるか?

 次の政権も我々と共同歩調を取るかどうか分からないのだ。

 そういったリスクを抑える為にも、彼らを動かすわけにはいかなかった。


「―――そして唯一自由となる戦力としてキミがいるのだが、新世代でもなく、抗体世代でもない。数値上のスペックも優れているわけではない。……おっと、このスペックというのは、顔などの外見的な意味は含まれていない」

「そんなもん知ってらぁ!!」


 その知っているというのは、どちらの意味だろうか。

 スペックに外見的な要素が含まれていないという意味か、それとも優れていないという意味か。

 ここでフォローしては逆に彼を傷つけかねないので、あえて聞き流す事にした。


「だからキエフ封鎖区域に向かうのは我々だけとなっている。アユムに危険はない」


 それを聞き彼は安堵するも、すぐに気まずそうな顔をする。

 それもそうだろう、自分の安全が保証されたといっても私は違う。

 キミは自分自身の傷よりも、人の傷を悼む人間なのだから。


「ただ、それでも私には未練があってな」


 そう言って懐から一枚の封筒を取り出す。


「これはアユムの分の航空チケットだ。私はキミに、アドバイザーとして同行してもらいたいと思っているのだが……どう頼めばいいのか迷っていてな」

「今すぐライターで灰にするのが正しいと思うのですが」


 ああ、その通りだ。

 キミの為を思うのならばそうすべきだろう。

 だが残念な事にその願いは叶えられない。

 何故なら、あの子を救うためならば私はどんな手も使うと決めたのだ。


「だから、彼女に頼む事にした」

「へぁ…?」

「エリー、ちょっと手伝ってくれないか」


 私が手を叩いて呼ぶと、洗い物をしていた彼女は手を拭きながらこちらに来てくれた。

 これから起こる事を察したのか、アユムの顔色が変わる。


「どうしたの?」

「私からでは受け取ってくれなくてな……代わりにキミからこれをアユムに渡してくれないか」


 そう言って、私は航空チケットの入った封筒をエリーに渡す。

 彼女は中身が何かは知らないが、きっと生活費か何かだろうと思い、満面の笑みでアユムにそれを差し出した。


「はいアユム、ドーゾ!」


 それを見て、アユムはエリーと私の顔を交互に見ることしかできなかった。

 だが私は助け舟を出さない。


「アユム、それを受け取らないのであれば、彼女の目を見てきっぱりと断る事だ」

「それは禁じ手でしょイーサンンンン!!」


 イラクにおいて、彼は何かしらよくない事をしただろうと私は推測している。

 けれども、それだけが彼の人間性ではないのだ。

 この状況に絶叫するアユムを見て、私は彼の善性を確信した。


「アユム、先ほども言ったが断ってもいいんだ。キミにはその権利がある」


 しかし彼は断れないだろう。

 無垢な顔をしたエリーを直視し、最悪の未来を想像した彼は、それを見捨てられるだけの器用さも、図太さもない。

 彼自身は自分本位で生きようとしているというのに……どうにもこうにも、生き方が面倒な男だ。


「やればいいんだろ、やればさああぁ!!」


 結局、少しばかりの逡巡から、彼は奪い取るようにエレノアの持っていた封筒をひったくった。


「ありがとう、アユム。キミに心からの感謝を」

「チクショウ、イーサン! これが終わったら覚えてろよ!」


 覚えてろ……か、頼もしい言葉だ。

 すでにいくつもの部隊が壊滅した危険地帯に向かうというのに、彼はその後の事をしっかり考えている。

 生きて帰ることを確信しているのだ。


 この問題さえ解決すれば全てに決着をつけられる。

 神よ……もしも我らを見ているのであれば、どうかこの若者達が背負うはずの苦難を我に授けたまえ。

 アーメン―――。

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