第135話:地獄色の天使達
―――濁流から五分が経過し、施設の機能が全て停止した暗闇の中、人が起き始めた。
先ずは交代世代・適応世代であるイーサン、御手洗、荒野の三人。
次に新世代である犬走とルーシー、最後にエレノアとフォーティーが目覚め……トゥエルブがいないことに気付いた。
「アイツ、何処に行きやがったんだ」
「恐らく我々が倒れているのを見て助けを呼びに行ったのだろう、捜しに行かないとな」
いらつくルーシーをイーサンが宥める。
いつもならばエレノアの出番なのだが、彼女とフォーティーはまだ風邪をひいたかのように意識が朦朧としていた。
「御手洗はん、この二人のこれって副作用ちゃいます?」
「この二人は体内のC粒子汚染度が高い方だったからね、それがこういう症状に出たのかもしれない」
ならば起きている時は常にC粒子を放出していたトゥエルブが動いて部屋を出て行ったのはおかしいのではないか?
荒野はそう思いながらも何も言わずに痛む身体を動かし、十全に動くことを確かめた。
「エリーは私が運ぼう、フォーティーはルーシーが頼む」
「しょうがねぇなぁ」
イーサンと荒野が持っていたライトを点けて部屋を出ようとすると、御手洗が呼び止めた。
「皆さん、聞いてください。皆さんに注射したC粒子抗体薬なのですが、まだ試験段階である為、意図的に効果時間が短くなっており、今はもう効果がありません」
「つまり、再び汚染があった場合に気をつけなければならないということか」
「あぁ、いえ……そうでは……なく……」
いつもズバズバと何でも言う御手洗が珍しく言いよどむ。
「その、私が言いたいのは……大気中の汚染率が八十パーセントを越えた場合、その中の……生物は……外来異種になったものと考えてください」
「分かった、ドクター。注意しよう」
「……覚えておいてください、それはもう元の生物ではありません……外来異種です」
この時、エレノアとルーシーは何のことか理解できていなかった。
イーサンとルーシーはトラブルに慣れていることもあり、実験動物のモンスター化と戦闘を予想した。
そして残った二人は―――。
トゥエルブの隔離室を出た一行は、先ず無事な人達と合流する為に備品庫へと向かう。
「にしても、あれは何やったんや。壁とか天井にもなんかキショイもんがへばついとるし」
そう言って犬走は壁にべったりとこべりついていた鈍色の液体を指差す。
犬走の言うアレとは、トゥエルブと合流した後に起きた洪水のことである。
洪水が起きたかと思えば全員が一斉に気絶し、起きたあとには施設が停止しているのである。
先ず間違いなくアレが関係していると考えてもおかしくない。
「あの洪水については私にも分かりません、何か手がかりでもあればいいのですが……」
御手洗は実際にあの洪水については何も知らない。
ただ、鈍色のものについては心当たりがあった。
けれどもそれについては話さない、話せない……話せるわけがない。
そうして沈黙の中、備品庫に到着する。
既に扉が開放されていたおかげでこじあける手間が省けたものの、中には誰もいなかった。
「オィ、誰かいねぇのか!」
ルーシーが備品庫中に響き渡るほどの声をあげるが、返事どころか物音すらしない。
「……もしかしたら皆さんもう外の避難したのかもしれません、我々もここから脱出しましょう」
荒野は「トゥエルブの個室で倒れていた自分達を放っておいて?」と、思いはしたが言わなかった。
言って変わるのは、何かが起きる前だけ。
起きた後は何を言おうと、何をしようと変わらない。
変えたいと思いたいものほど、どうしようもないものであった。
その後も施設内に取り残された人がいないか見て回ったが誰もいない為、真っ暗なエレベーターシャフトを通って夜の地上に出る。
嫌な湿り気があるせいか、どうにも気持ち悪い空気を感じ取っていた。
なにせここまで来て誰とも遭遇していないのだ。
もしかしたら、自分達以外はもう死―――。
≪ズリ……ズリ……≫
≪―――ん……まぁ………≫
大きなものを引き摺る音と、何かの声が聞こえた。
少なくとも誰かがいることに何人かは安堵した。
≪ま……ん………ぁ……≫
気のせいか、声がいくつも重なって聞こえる。
いや、そもそもこれは本当に声なのだろうか?
声というよりも、鳴き声の方が近いのかもしれない。
≪ズリ、ズリ、ズリズリ……ッ!≫
引き摺る音が徐々に大きくなり、そうしてその音と声の正体が―――分からなかった。
その体はバスよりも大きく、鈍色の巨体である。
大きな頭に大きな口、しかし目も鼻も耳すらない。
背中にある小さな小さな翼を動かしながら四つんばいになり近づいてくるそのはまるで―――赤子のようでありながら、化物のような天使であった。
≪まぁ、ん、まあ≫
これこそが人類の到達点を越えた末路である。
≪んまあああぁぁ………んんん……まああぁぁぁ……≫
鈍色の天使がルーシーへと近づく、動けない。
イーサンと御手洗が叫ぶ、それでも動けない。
何故ならその声が……あまりにも、自身の知る子供達の声と似ていたからだ。
鈍色の天使がルーシーとフォーティーの真上に辿り着く。
無垢な鈍色の天使は、悪意も害意もなく―――ただ、食欲を以ってその大口を彼女に向ける。
誰もが眺めることしかできなかった鈍色の天使に強烈な衝撃が叩き付けられる。
犬走が自前の武器で鈍色の天子の顔を弾いたのだ。
そして逸らされたその大口の中に、荒野は先ほど拾った特殊部隊のショットガンを突っ込み、引き金を引いた。
喉奥が弾ける、鈍色の天使が仰け反る。
上顎から上が消し飛ぶ、鈍色の天子は痙攣している。
ヘソに穴を開け、そこに膨張弾を突っ込む……体が炸裂してなくなった。
ルーシー達は言葉を失っていたが、荒野も何も言わずにショットガンを捨て、新しい銃を拾っていた。
鈍色の天子についていた管……ヘソの緒が動く。
繋がっていた先からまた何かが引き摺る音と声が聞こえてきた。
≪ん……まぁ………≫
≪ね………ちゃ………≫
―――いや、先ほどよりも大きく、それでいて多い。
建物の影から鈍色の天子が三体……そしてそれよりも大きな個体が出てきた。
天子達は全て同じヘソの緒で繋がっており、大きな個体は他の天子とは違い、不完全な目や口が残ってしまっていた。
そしてその手には、彼女とつい数時間前までここで笑いながら喋っていた門衛のロメールが……いや、その食べ残しが握られていた。
「あ……ウ……ェッ……!」
それを見たルーシーが嘔吐してしまった。
かつての知り合いだったもの……それだけならば、彼女もここまで追い詰められなかっただろう。
彼女が見たものは親しき友人だったもの……それを握り締めていた鈍色の天子に、かつて自分が救おうとしていた少年の顔の面影があったからだ。
「う……うそ……だ……」
ルーシーの独白に返事をするように、鈍色の天子達が声を出す。
≪るぅ……し……≫
≪ま……ぁ……≫
鈍色の天子達は手に持っていたモノを捨て、ルーシー達に向き直る。
ここでようやく全ての点と点が繋がった。
何故トゥエルブがいなくなっていたのか。
どうして施設の中に誰もいなかったのか。
そして―――鈍色の天子達から懐かしい気配がしたのか。
≪るぅぅうううしぃいいい! おねぇええええちゃぁああああ!!≫
≪まぁあああああ! まぁああああああ!!≫
「なんでだよぉぉおおおおおお!!」
鈍色の天子達は、ナキゴエを上げながらルーシー達の元へと駆け寄る。
そしてそれを邪魔するように荒野はアサルトライフルを鈍色の天子達へと乱射する。
痛みなどないが、それでも人間だった頃の反射によって鈍色の天子達の足が止まる。
勢いがついたせいで転んだ天子はそのまま荒野の近くまで滑っていき、腹に膨張弾を突っ込まれて破裂した。
残り―――二匹と一体。
弾切れになった銃を捨て、荒野は再び銃を拾いそれを鈍色の天子達に向けて撃つ。
≪やあああぁぁ……やぁあああああだぁあああああ!!≫
銃の音と痛みに怯えて天子達が逃げ出すが、荒野は追い詰めるように銃を取り替えながら近づく。
一体の天子が反撃するかのように暴れる。
まるで駄々っ子のような動きなのだが、巨体であるが故にその殺傷力は高い。
それでも銃の射程には勝てない……そう思っていたのだが、天子が暴れたことで、からまったヘソの緒が鞭のようにしなり、それが荒野に直撃した。
吹き飛ばされた彼はまるでポイ捨て去れた空き缶のように転がり……止まった。
それを見た天子は上機嫌に手を叩いて笑う。
それが癪に障ったのか、荒野は何でもなさそうに立ち上がる。
そして腰から"霞の杖"を取り出して、カプセルを限界の五つ入れる。
杖の先から高濃度の霧が噴出する。
やがて霧は荒れ狂う暴風のようにうねりをあげ、ある形を作り上げた。
全てをえぐる狂乱の八本爪、そして全てを噛み砕く三つの顎(あぎと)が顕現した。
荒野は歩み、その手に握られている暴力を押し付けていく。
≪ちゃ……や―――≫
一番近かった天子が爪によって引き裂かれ、血煙となった。
残り―――一匹と一体。
≪ま、まん、ま―――≫
次に近かった天子が三つの顎によって噛み砕かれ、血粉となった。
残り―――一体。
≪た……たし……たしヶ………ぉ…ねぇ―――≫
霧の怪物は逃げる天子の足に噛み付き、引き摺り、爪を立て、そして貪り尽して何も残さなかった。
外来異種はもう残っていない。
荒野が杖を操作して霧を元のカプセルに封じ込めた瞬間、光が大地を照らし上げた。
≪ゴォォォオオオオオオオオ!!!≫
それは爆発。
かつて重巡洋艦すら沈めたルビコンの砲撃であった。
着弾地点は大きく外れたものの、その余波だけでプロビデンス周囲の施設は吹き飛び、荒野は地面で摩り下ろされるかのように転がる。
顔の半分が痛む気がする。
本当はもっと別のところも痛くなければいけないのに、顔と身体だけが痛む。
立ち上がり、砲弾が飛んできた方向を……未だ見えぬ、次の駆除すべきものを見据える。
荒野は再び杖にカプセルを―――。
≪キキイイイィィー!≫
入れる前に、後部ドアが開いたままバックしてきた装甲車に轢かれ、中に入ってしまった。
車内には既に荒野以外のメンバーが乗り込んでいた。
しかし、その誰もが荒野よりも憔悴した顔をしている。
唯一の例外は両手に鈍色の液体が付着している犬走くらいであった。
「なぁにアホなことしとんのや!」
荒野は車の床に頭をぶつけたので軽く頭をさすると、手に鈍色の液体がついた。
「なぁ、もしかしてこの車の中に―――」
「あぁおったで、んでブチ殺した。他に忘れもんは? ないな? ほなケツまくって逃げるで!」
犬走は猛スピードを出して南へと車を走らせる。
車内には様々な感情が渦巻いていた。
驚愕・恐怖・悲痛・罪悪感・自責……そして無力感。
しかし荒野にはその中のどれも持ち合わせていなかった。
何故なら彼の頭の中にはそんな余裕などないからだ。
彼は今もなお、あらゆる手段を思考しているのだ。
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