第88話:浚われた子供達、生き残った子供
【犬走 俊哉視点】
"俊足の勇者シュン"は最初から足が速かったわけじゃなかった。
むしろ元の世界においてシュンはクラスで一番足が遅かった。
そんなシュンが、足の速さで勝負する異世界に飛ばされてしまったのが一番の不幸なのかもしれない。
足の遅いシュンは誰にも求められず、元の世界に帰ることもできず……走ることしかできなかった。
一つ救いがあったとすれば、その世界は最初から足の速さが決まるのに対して、シュンだけは成長できるということだろう。
シュンは走り続けた。
一心不乱に、がむしゃらに走り続けた。
走り続けたシュンはやがて一人抜き、二人抜き、どんどんと抜き続けた。
ときには負けて、それでも走って……ライバルの走り方を学んで、走り続けていった。
そして彼は国で一番足の速い勇者となった。
誰よりも速くなった彼は皆に認められ、讃えられ、全てを手に入れた。
全てを失ったシュンは、自分の足で全てを手に入れたのだ。
そんな彼を、元の世界の一人の神様が迎えに来た。
「さぁ、家に帰ろう」
けれども人々はすがりつくようにシュンを引き止める。
「ここから帰って何になる? ここで手に入ったもの全てを、そして速さもなかったことになるのに!」
そうしてシュンは再び全てを失って帰るか、異世界に残るか悩み……。
それが僕が見た最後の話だった。
何故ならその翌日、知らない男達に車で浚われた。
何時間か、それとも何日間か……両手を縛っていた縄と目隠しを取られたときにはもうそこは海の上だった。
僕以外の子も何人かいて、泣いてる子が多かった。
そんな子達は大きな声で怒鳴られたり、叩かれたりした。
だけど、そんなことをしない大人もいた。
「いいかい、あの国はもうおしまいだ」
「助けるために連れてきたんだ」
優しい言葉をかけながら皆を慰めていて、皆がその大人に懐いていた。
僕だけが距離を置いていた。
だって僕は覚えているから。
あの日、あの場所で、袋の中に入れられたときに、静かになるまで蹴られたあの足を忘れていない。
口ではなんと言おうとも、やられたことは忘れられない。
その後、僕らはとにかくずっと中国語の勉強をさせられた。
全然覚えられない子はご飯が貰えず、声を押し殺して泣いていた。
だから皆が一生懸命に勉強してなんとか喋れるようなった頃、ようやく陸地にあがることが出来た。
一人いなくなった。
陸地に上がった僕らは人の居ない倉庫に連れて行かれ、知らない大人達に品定めされた。
当時は何を喋っているかは分からなかったが、あれはロシア語だった。
一人が逃げて、いなくなったことにされた。
それからの生活は、まぁ前よりかはマトモになった。
刑務所みたいな場所に入れられたが食事は三食出るし、お風呂にも入れるようになった。
勉強は英語が追加され、筋トレもさせられた。
しかし、生活に余裕が出てくると余計なことを考える機会も増えてきた。
「ここを抜け出そう」
リーダーシップのある子がそんなことを言った。
ずっと一緒に暮らしていたこともあり、僕らには特別な何かがあることを知っていた。
だからその力を使えば家に帰れるんだと、浅はかな仲間達は勘違いしたのだ。
翌日、三人の子供が施設から脱出する前に、一つだけ約束した。
「ボク達がもしも失敗したら、誰かが代わりに助けを呼びに行こう」
上手くいけば逃げられるだろう、だが少しでも運が悪ければ―――。
三日後、訓練のときに三つの動かない袋が届けられた。
最初に大人が手本として殴り、次に僕らに殴るよう命令された。
拒否すると、今度は僕らが殴られた。
殴られた痛みが怖くて、一人が棒を持って袋を叩くと、大人は満足そうな顔をして頷いた。
叩かない奴は食事がなくなると言われ、また一人が棒を持って袋を叩いた。
そうして一人ずつ叩いていき、僕もやろうと棒に手を伸ばす。
袋が動いたように見えた。
ご飯が貰えなかったのは僕だけだった。
それでも耐えられたのは、好きだったアニメ"俊足の勇者シュン"と自分と重ねたからだ。
彼が異世界に飛ばされて全てを失ったように、僕も浚われて全てを失った。
だからこそ、いつかきっと強くなってここから抜け出せると信じていたからだ。
それからはずっと勉強と訓練、そして僕らが持つ特別な力についての練習も行うようになっていった。
病気で一人倒れ、戻ってこなかった。
五年くらいが経った頃、実戦演習ということで外来異種の始末もするようになった。
日本で見たことのないものばかりで、たまに自分で動くこともできない死にかけも始末して掃除した。
大人達が失敗作がどうのこうのと言っていたの。
失敗作ということは、それはつまり……人為的に外来異種を作っていたという意味だろうか?
それから数年後、外来異種の駆除を行う団体に所属することになった。
もちろん逃げようと思った奴もいただろうが、それが出来ない理由があった。
「組織はいつもお前達を隣で見ている」
三つの動かないはずの袋を思い出した。
その言葉の意味は、内通者がいるということを意味していた。
過酷な仕事環境、凶暴な外来異種、そして先の見えない未来。
最初の仕事で一人、一ヶ月経って慣れた頃に一人、体調を壊してまた一人。
心が折れた奴から先に死んでいった。
そんな日常を続けて十八歳になった日、記念に生き残った皆で酒盛りをやった。
少ない賃金だったが、安くて度数の強いアルコール飲料は簡単に手に入った。
日々の疲れや将来の不安から目を逸らし、酔った皆は弱音を吐き出した。
皆が酔いつぶれた頃、一人が罪を懺悔した。
僕はその子の罪を許すと言うと、憑き物が落ちたかのような顔をして眠りに落ちた。
翌日、密告者が仕事中に凶暴な外来異種に襲われる。
他の皆がそいつを助けようとしたが、僕は動けなかった。
僕はその日、勇者の資格を失ってしまったのだ。
残ったんは、一番出来が悪いと言われとったワイだけやった。
翌年、新しい団体に移籍することになった。
どうやら多数の国での活動を視野に入れとるらしく、複数の言語を通訳できる人材が必要やったんやと。
これが黄兎鳴声(コード・イエローラビット)の前身組織や。
それからは今までの生活がまるで嘘かっちゅうくらいに羽振りが急に良ぅなった。
マンションの住民が全員組織の人間でやったが、念願の一人の部屋で自由に過ごせるようになったんやからな。
高級なもんは無理でも好きな食いもんを毎日食べられるし、暇潰しの道具だって自由に買えるようなった。
仕事だって前に比べれば格段に安全や、なにせ新世代って呼ばれとる奴らが面倒なやつをぜーんぶ片付けてくれたからな。
ワイの仕事と言えばたまに通訳、あとビクビク怯えとる姉妹の相手役や。
あの男共が強い言葉で迫るからそれを守る防波堤っちゅうことやな。
こんなことで給料が貰えるのが申し訳ないと思うくらいや。
そうそう、ついでに日本語の勉強もさせられたわ。
日本人が日本語の勉強して何になんねんと思いながらも、復習していくうちになんて面倒な言語やと何度も悪態をつくことになった。
そうして何年も自由な生活を満喫して、姉妹からの信頼も十分に手に入れた頃に、日本に向かうことになった。
聞いたことのない地名、見知らぬ街並み、見たことない顔ばっかり。
ワイにとって日本はもう異国の地になっとった。
それもそうや、日本で暮らしてたときよりも、中国で暮らした時間の方が長いんやからな。
今はもう、日本で何しとったかすら思い出せんようなってしもうた。
それでも未練が無ぅなったわけじゃない。
自分でも何を失くしたか分からんまま、手当たり次第に子供の頃の思い出を漁った。
続きが見れなかった漫画を探して、とっくに打ち切りになっていて、覚えている人もほとんどおらず、まるでワイだけが過去に取り残された気分になった。
その中でも"俊足の勇者シュン"の最終回がなかったことがショックやった。
ワイと似たような名前やったからこそ、思い入れが強かった。
だから日本に帰ったら絶対に最終回を見よう思っとったんに、それが存在しないと分かって愕然としてもうたわ。
けどまぁ、どんな最終回になるかは予想できとった。
あいつは自分の脚で皆に認められて、ほしかったもんを全部手に入れた。
そんな奴が今更帰ってなんになる?
ワイとおんなじや。
誘拐されて、全部失って、だけど頑張ってほしかったもんを手に入れた。
手に入れたもん全部失って、速くなった脚も捨てて帰る理由がどこにもない。
だからあいつもきっと、あの世界で満足しとるはずなんや。
やからワイもこの大きな仕事を終わらせたら綺麗な女の子でも侍らせて、好きに生きたってええやん。
ふるさとは遠きにありて思ふもの。
こちとら誰にも助けられず、今まで一人で生き残ってみせたんや。
それくらいはやっても、バチは当たらへんやろ。
そう思ってた。
諦めたはずの……存在しないはずの……二十年越しのあの主人公を、この光も届かない海の底で見るまでは。
最初は嘘だと思っていた。
しかし、その映像が確かに本物であると僕の中に埋もれていた記憶が囁いた。
二十年振りに見る彼は、あのときと変わらないままに映像の中に生きていた。
そんな彼を見て、これこそが自分の未来なのだと目を離すことができなくなっていた。
元の世界では足が遅いとからかわれていた。
だけど今はもう誰も笑ったりしない。
元の世界ではいつも最下位だった。
だけど今はもう一番しかない。
助けてほしくて、でも誰も助けてくれなくて……。
だから走り続けて、ここまで走ってこれたのだ。
だというのに彼は元の世界に帰ることを選んだ。
何故か?
それは、神様の服についていた匂いで思い出したからだ。
あの日、この異世界に来るまえに嗅いだ、楽しみにして夕飯を。
帰りを待ってくれる人がいることを、自分が走り出した理由を思い出したのだ。
その瞬間、僕の中に埋もれていた思い出が掘り起こされた。
事あるごとに僕を可愛がってくれた姉を、毎日たくさんご飯を作ってくれた母を、そして子供が言ったプロ野球選手になるという戯言を本気で喜んだ父を。
そして心の奥から強迫観念のような感情がこみ上げてきた。
"帰らないと"
例え皆が僕のことを忘れていたとしても、あそこが僕の家なのだ。
帰る場所はいつだってあそこなのだ。
それにあの日、僕は彼と約束したのだ。
「ボク達がもしも失敗したら、誰かが代わりに助けを呼びに行こう」
僕の命はもう僕だけのものじゃない。
運命を共にした仲間との約束が、散らばった皆を帰すためにも、ここで足踏みをしている時間はない。
心の奥底にしまっておいた皆との約束と、望郷の念を抱えて走ろう。
ここにはもう惜しむ物は何もない。
さぁ、家に帰る時間だ。
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