第89話:小さな小さな戦争の始まり
「………ごめん、よく聞きたくなかったからもう一度言わないで」
「しょうがないなぁ。脳みそに届くまでなんべんでも言うからな」
聞きたくねぇつってんだろ!
っていうかマジで何がどうなってんの!?
目の前の胡散臭い奴の名前が无题じゃなくて犬走 俊哉って名前で、二十年くらい前に誘拐された日本人で、なんかいきなり正気に戻ったとか。
……どうしろと?
いやこれだけならまだいいよ、何もできないから聞き流すだけだし。
問題はその後の話だよ!
この計画は最初から予定されていて、"蓬莱"に入るまでの道が破壊されてるから誰も入れなくて、その間にテロリストがやってきて、各国の権力者とその子供をまとめて浚って、身代金を要求したりあとなんか色々して……。
なにそれどこの悪の組織の活動!?
もしかして世界征服とか狙ってたりするの!?
「ってか、これバレたら戦争起きるんじゃない……?」
なにせ世界規模のテロ行為だ、問題が炎上すれば文字通り炎の雨が降る可能性が十分にある。
「ヒャッヒャッ! そんなわけあるかいな。もっとクソ面倒なことになるのが目に見えとるわ」
だというのに、犬走は警戒に笑って否定する。
「ほな例え話をしよか。はいバレました、中国政府の一部が関わってました、そんで……どうなる?」
「まぁ実際に加担してた人は逮捕されて、何も知らない関係者の人は更迭とかかな」
これくらいは最低限やるだろうとは思うが、その先についてはちょっと想像できない。
賠償金とかそういう話が出てくるのだろうか?
「そこら辺が無難なとこやな。そしてそんな無難な対応で皆が納得すると思うか?」
「いや無理でしょ。そもそも浚われた人の知り合いはもっと過激な処罰を望むだろうし、ただ中国が憎いってだけの人はそれを利用して声をあげるだろうし」
「そして中国はこうコメントを出すわけや」
『一番の悪はテロリストである。批判されるべきはこの卑怯な犯罪者集団であり、我が国ではない。そもそもこちらも被害者なのだ。今やるべきことは、我々は一丸となってこの問題の解決に向かって動き出すべきなのだ!』
犬走がまるで演説家のように声をあげる。
しかし、それは……その…………。
「炎上……しない?」
「するで、当たり前やんか」
確かにテロリストが悪いのは当然である。
そして各国が協力して対応するのも間違ってない。
だからといって、こう言われて素直に『はい!』と言えるほど人間は人間ができていない。
「さぁ炎上しました! だけど中国はこれ以上の賠償とかはする気はない……さぁどうする?」
「どうって……遺憾の意?」
まぁこれは日本だけだと思うが、海外だとどうなるんだろ。
署名運動だろうか?
「強い手札を使うなら中国にとって必要な物資の輸出、それと輸入の禁止やな。まぁ他にも色々な手があるやろ。はい、強カードを切りました! さぁ中国はそれを大人しく受け入れるか!?」
「……無理」
中国からすれば、皆で手を組んで何とかしようってときにそんなことをされたらむしろ妨害しているように思うだろう。
むしろこの事件をダシに中国を弱体化させようとする作戦だと思うかもしれない。
「ちなみに、輸入と輸出を止めたところでいきなり国が亡くなるなんてこたぁない。そしてジワジワと痩せ衰えていくくらいなら、規制をかけた国に戦争吹っかけるかもしれん。あぁ、そしたらまたテロリストを捕まえる余力がなくなるなぁ」
俺は頭を抱えた。
「ちなみに、中国人のコミュニティは色々な国にであるで。もしもそいつらがおかしなことを考えたら、色々な国から火の粉が振り撒かれるやろうなぁ」
「そんなの、もう国中の中国人を捕まえるしかないじゃん!」
「おっ、中国人だからという理由で全員逮捕するんか? 中国人であることが罪ってことなんか? この人権意識やらが高くなった世の中でそんなことしたらどうなるんやろなぁ」
抱えた頭が痛くなってきた。
「ちなみに敵は中国人だけやないで、自国内にも沢山おるわい」
「はぁっ!?」
「よぉ考えてみぃ、国の偉い人が浚われたいうても大多数にとっては関係ないことや。やけど、一部の奴らにとっては好都合な展開や」
一部の奴らって……反政府組織とかそういうのだろうか?
「反権力者とか反ブルジョワ人とでも言おうか、要は上の人間が邪魔って奴らや。そういう奴らは積極的に政府を批判して邪魔するし、中国人を強制逮捕でもしようもんなら、ガソリンぶちまけたくらいに炎上させるで。なんせ、それで上の人間を失脚させることが目的なんやからな」
頭どころか胃まで痛くなってきた。
ちょっと真面目に痛み止めがほしい。
「そう、大多数にとっては関係ないことで、一部の奴らにとっては都合の良い事態や。こうならないために穏便に着地させようとすると……どうなると思う?」
「もう聞きたくないんだけど」
「『中国に屈したのか!? 賄賂を貰っているんだろ!!』と騒ぐ奴らが出てくる。そんでそれの対応やら何やらでリソースが削れる。結果、どっちを選んでも最高にぐっだぐだになる」
なんだこれ、地獄か?
わりと地獄だわこれ。
「しかもあれやで、中国が本気で開戦したらヤバイで。なんせあの国には核兵器あるんやからな」
進むも地獄、退くも地獄。
問題が大きくなりすぎて誰も身動きできないのに、身体が勝手に動いて大変なことになるやつだ。
「ッスゥー……よし、この話やめよっか!」
「せやな!」
そうそう、俺なんかが考えたとこで何の意味もないからね!
こういうのは全部久我さんに投げるのが一番!
「えーっと……そんでテロリストが浚いに来るって言ってたけど、どうやって?」
「ワイもよぉ知らんが、潜水艦で一気に運ぶらしいで」
「テロリストが潜水艦って……待った! 逆に言えば、潜水艦があれば他の国から救助が来るんじゃないの!?」
「あー、ムリムリ。ここの近くに"マウスハンター"の巣があるからなぁ」
マウスハンター…マウス……マウ……ス……。
「甲種の"鼠狩り"がいるの!?」
世界で数少ない甲種の一匹、アメリカで確認された海にいる巨大な外来異種。
姿そのものはフクロウに似ているのだが、その体は羽ではなく鱗で覆われている。
こいつは光が届かない海底でじっと獲物を待つ習性がある。
目標を見定めたら一気に浮上して鋭く大きな爪で獲物を捕え、そのまま海底に引きずり込んで捕食する姿から、鼠を狩るフクロウのようだと言われている。
ちなみに、こいつは人間の乗る船も海底に引きずり込むことが確認されている。
それどころか近くを飛んでいたヘリまで捕えられたことから、本当にフクロウのように空まで飛べるのだ。
ちなみに情報源はイーサンである。
話してるときはマジで苦虫を噛み潰しているみたいな顔してたな……。
「いやいやいや! なんで甲種の巣が近くにあるのにこんなの建造したの!? ってかよく無事だったね!?」
「そりゃあここを一つの極小コロニー化にさせとるからな。外来異種がわざわざコロニーを攻撃せんっちゅう習性を利用しとるんや。セキュリティとしては最高の場所やろ?」
そりゃあそうだろうね!
外来異種が寄ってきてもコロニーを攻撃しない、そしてもしも他国の潜水艦が来ても甲種が勝手に排除してくれる。
万全の守りと言ってもいいかもしれないが、それでも外来異種にそこまで命を預けられるのか!?
「でも、それならテロリストも潜水艦で来れなくね?」
「大丈夫や! 今は中国政府がテロリストを逃がさんように海上封鎖しとるが、他の国も介入してくる。そんで六日後に中国政府が折れて他国の船も受け入れるんやが、そこで"マウスハンター"が大暴れ! そのどさくさに紛れて人質回収して撤退って流れや。安心したか?」
何も大丈夫じゃないし、安心もできない!
つまり外からの救援は不可能と言っているようなものだ!!
「なんか、こう、非常時の脱出口みたいのないの!?」
「あるで、脱出艇がな! それを使えば海上まで出られるで!」
良かった、あった!
ならそれを使って逃げればいいじゃないか!
「まぁそんなん使って脱出したら"マウスハンター"が遊び半分で捕まえてグシャっといくんやけどな」
俺はまた頭を抱えた。
それだけじゃ足りないので身体も抱えるように丸めた。
「あと脱出艇のある場所に行くには三枚のキーカードが必要で、一枚はワイが持っとる。ちなみに裏切り防止のためにもう二枚は金吒・悟空・天魁が持っとるから、それを奪わにゃならんで」
「クソがああああああ!!」
思わず叫んだ、というか叫ばずにはいられなかった。
地上は地獄だと思ったら、海底も地獄だった。
「こうなると打てる手は二つやな。一つは篭城戦、入ってくるテロリストを迎え撃って追い返そうって案。もう一つはテロリストが入ってくる前に逃げるって方法なんやが、新世代の二人と頭領を倒さにゃならんで」
「……ん? 新世代? 二人が新世代なの?」
まぁガラスのカッターで外来異種を切断したり、"大口頸"の砲弾喰らっても無事だったから新世代かなとは思っていたけど、もう一人は違うのか。
「そういえばそっちの説明をしとらんかったな。先ず金吒、こいつはガラスを操れるで。飛ばしたり集めて固めて斬ったり色々できるな」
へぇ~、便利そう。
集めたり固めたりできるってことは、砕けても武器がなくならないってことか。
「ほんで悟空は岩肌や。銃弾も弾けるくらい硬いし、速さもある。あと質量と重量もエグいな」
日本で活動してたときの動きを見るに、何百キロという速度の岩で殴られるようなものか。
というかタックルしただけで車も壊せるんじゃなかろうか。
「最後に頭領の天魁。この人は顔も見たことないからよぉ分からんが、パワードスーツにだけ気をつければええな」
「そうなの? なんかトンファーで"鉄面樹"をブン殴ってたから、マッスルパワーとかそんな感じの力があると思ってたんだけど」
「あぁ、それは……まぁ……なぁ」
どうにも歯切れが悪いのだが、言いにくいことでもあるのだろうか。
しかし、しばらくしてから意を決したように顔をあげた。
「実はな、あれはトンファーに秘密があんねん」
「パイルバンカーとか!?」
「そういうマトモなもんやったら、良かったんやけどなぁ……」
自分で言っておいてなんだが、パイルバンカーを腕に装着するのはマトモじゃない気がする。
それにしても犬走が言いよどむなんて、どんなヤバイ代物なのだろうか。
「抗体世代については知っとるか? 外来異種に対して強い世代やな。ロシア人が素手で外来異種をぶち殺した動画あるやろ?」
……パワードスーツを着た相手の話をしているのに、どうして抗体世代についての話が出てきたのだろうか。
「あれを見てどこかの馬鹿がこう思ったわけや、あれを兵器に利用できへんかってな」
「……ねぇ、俺の気のせいだったら悪いんだけど、その人確か行方不明になってなかったっけ?」
確か……ミハイルって名前だったはずだ。
だが犬走は俺の質問を無視して話を続ける。
「抗体世代は外来異種に強い。正確には、生きてる抗体世代の肉体が外来異種に対する特効薬みたいなもんや。つまり、生きてさえいれば……それは武器になるっちゅうわけや」
「ちょっ、もしかして―――」
「お察しの通りや。あいつらがロシア人のミハイルのおっさんを使って実験した結果、生きた武器が完成した。あいつはそれを使うとるんや」
あまりのおぞましさに吐き気がした。
最初見たときはまるで腕のようなトンファーだと思っていたが、違った。
腕そのものを武器にするためにトンファーとして使っていたのだ。
「定期的に血液の交換とかのメンテナンスが必要になるが、殴ればほとんどの外来異種は死ぬ。逆に言えば、ワイら人間には関係ないことや。だからまぁ、忘れてくれでええで」
腹の奥から何かがうねりだした感覚がしたので、落ち着くために深呼吸をする。
一回……二回……三回……。
―――よし、落ち着いた。
取り敢えずこの件を考えるのは止めて頭の隅に置いておこう、必要になったら取り出せばいい。
「それで、犬走にはなんかすげーパワーとかはないの?」
「ワイか? そうやな、簡単にパフォーマンスしてみよか」
そう言ってポケットから硬貨を取り出して、それを右手の指で弾く。
弾かれた硬貨は何回転かし、左手の上に表側になって落ちた。
それから何度も右手で硬貨を弾き、その全てが左手の同じ場所に、表側になって落ちた。
「なにこれすげぇ! もしかしてめっちゃラッキーとかそういうの!?」
「ちゃうちゃう、ラッキーやったらそもそも誘拐されとらんわ。ワイのは肉体操作や。力の調節も、どう動かすかも、それをどれだけでも繰り返せるっちゅー力や」
「つまり……ケツから手を突っ込んで奥歯をガタガタ言わせることも?」
「あんさんで実演してもええで?」
残念ながら男からはノーセンキュー!
……いや、女の人からでも嫌だけどさ。
「まぁ好きに泣いたりできるから演技には便利やけど、戦力としては期待せんといてくれ」
十分に凄いとは思うのだが、相手がビックリ超人共なのでどうしても格が落ちてしまうのは否めない。
「ちなみにあそこでこっちをじっと見とる姉の鈴黒は指から擬似神経糸を出せてな、そいつ外来異種にブッ挿すと一時的に操れるで」
名前が聞こえて呼ばれたと思ったのか、その子は小さく手を振り、その指先からは細く小さな糸が揺れていた。
あぁ、日本で小三足烏を飛ばしてたのはその擬似神経を使っていたってことか。
コロニー化してる地域でもドローンを飛ばせると考えると悪くない力だ。
「そんで最後に妹の鈴銀。なんと水を操れるで!……まぁ、そんな凄い力は出せんけどな」
あ~……崖下に落ちた俺のジュラルミンケースを回収するときにロープが濡れていたのはそのせいか。
あらかじめロープを濡らしておけば水を操る要領でロープを動かせると。
「じゃあロープを使って全員を絞首刑とか!」
「そこまで力は強くないから無理や。ってか、恐ろしい方法をさりげなく提案すなッ!」
二重の意味で駄目らしい。
まぁ女の子に同郷の人を首吊り死体にしてくれと頼むのもあれか。
「そんで、ウチらの手札はこんなもんや。さぁ、どうする大先生?」
どうすると言われても、やることは決まっている。
「三人ぶっ倒してキーカード手に入れて皆で脱出しかなくない?」
「ほぉ、その心は?」
「テロリスト迎撃してる最中に三人が襲ってくるかもしれないじゃん。それなら援軍が来る前に目の前の敵を叩く方がまだ勝率があるよ」
確か六日後に各国の船が海上に集まって甲種が暴れるんだっけ。
じゃあ五日以内に倒して、さらに捕まってる人を解放して、脱出すればいいんだな!
……文字通りデスマーチだこれ!!
前の会社で働いていたときの労働環境の方がまだ安全だったよ!?
「そういえば一つ懸念点があるんだけど……あの二人は大丈夫なの?」
そう言ってこっそり鈴々姉妹を指差す。
裏切り防止のためにキーカードを分配していたというのなら、あの姉妹も敵になる可能性があるのではなかろうか。
「あぁ……あの二人は大丈夫や。絶対にワイを裏切らん」
「どうしてぇ!?」
「あんま良い扱いされとらんかったからな。やから沢山甘やかして、外からの接触もワイが守って、どっぷり依存するようにしたんや」
そう言って犬走が笑顔でピースを向けると、あちらも笑ってピースを返した。
俺もピースをしたのだが引かれるどころか怯えられ、妹さんの方はお姉さんの背中に隠れてしまった。
ちょっとムカついたので犬走に向かって頭突きをかます。
「イッダァ! いきなり何すんねん!?」
「痛み分けってやつだよこの女の敵がぁ!」
問題は肉体面での痛みはお互いに平等に味わったが、心への痛みまではどうしようもなかった。
世の中本当にクソである。
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