第19話:いつも心に一枚の退職届を
八月中頃、区役所の裏側にある処理場へ駆除した丁種の死骸を運ぶ。
金額は微々たるものだが、安全に仕事の経験を積めるということで駆除したものだ。
処理場でサインを済ませて、区役所の中に入る。
手続き所で三人が何かをやっているのを遠くの椅子に座っている近衛さんが見ていたので、自分も一つ席を空けて隣に座った。
「ふぅ……なんか、初めてのお使いを見ている父親みたいな心境ですね」
「それは私の事を母親と言いたいのでしょうか? それとも私も含めて父親であると認識してるのでしょうか?」
ぶっちゃけそこまで考えてなかったのでどうとでも言える。
口に出すのは無粋だと思い無言で笑いかけたのだが、露骨に嫌そうな顔をされた。
やはりこういうのはイケメン以外が使うと火傷をするというか、使用者が火ダルマになってしまう悪魔の凶器らしい。
「…失礼、少し席を外します」
人がトイレに向かうのを見ると自分もしたくなる症候群が発症し、自分も椅子から立ち上がるのだが、近衛さんに制されてしまう。
いやいや、一緒のトイレに入るわけじゃないですからね!?
「二人ともこの場からいなくなるわけにはいきません」
そう言われてハッとした。
確かにあの三人をそのままにしておくわけにはいかない。
そしてこの場を自分に任せてくれるということは、近衛さんから任されるだけの信用があるということでもある。
「お母様…ようやくわたくしの事を認めてくださったのですね!」
「その言い方ですと、まるで私が姑のようですので止めてください」
じゃあ息子になりますと言いたいところだが、顔がまったく似てないので連れ子説が濃厚になる。
血の繋がっていない親子…有りだ!
そんな馬鹿な事を考えている俺を無視して近衛さんはさっさと立ち去ってしまった。
今までと比べるとパーフェクトなコミュニケーションではなかろうか。
そんなわけで、色々な手続きをしている三人を見る。
まだ学園一年生だというのに色々な書類を見たり書いたりしていることだろう。
ちなみに自分がそういうのに触れたのは上京してからなので…十八歳くらいの頃だろうか。
あの頃の自分は若かった、なにせ源泉徴収という言葉を聞いた時に"えっ、うち温泉とかないんだけど"とか言っていた頃だ。
会社の人がみんな大爆笑しており、社先輩が教えてくれるまでその勘違いが続いていたのは良い思い出である。
……その社さんも、まさか皮剥にやられていたというのは意外であった。
結婚していたようだけど、仏壇に何かお供えでもしに行った方がいいのだろうか。
いや、奥さんに嫌な事を思い出させてしまうだろうし止めておこう。
それにしても、三人がまだ何か手続きをしているのだが何かあったのだろうか?
気になって様子を見に行くと、俺の名前だけ赤線で強調されている用紙を見ているようだった。
「あ、荒野さん。実はその…クレームがあったらしくて……」
マジか、俺の顔にクレームをつけられてもどうしようもないんだが。
「どうも荒野様。私、こちらの区での外来異種関連の業務を担当しております犬山と申します」
「あ、どうも。一応、こちらの三人を任せられている荒野です」
担当されている職員さんは自分よりも年上そうに見えるが、とても腰の低い人のようだった。
うやうやしく二人で頭を下げた後、どういった内容のクレームなのかを説明してくれた。
「先ず"小さな子供に声をかけている"、"近所をうろついている"といったクレームが数件…これについてはしょうがない部分もあると思います」
「まぁ子供には危ないから離れるように言わないといけませんし、近所をうろついてるって言われても仕事ですからねぇ」
業者の悪い噂がニュースで何度も流れれば不信感を抱くのも致し方ない面もある。
「他にも別の駆除業者の方から"仕事の邪魔になった"、"未成年を連れて仕事をしていて不審である"といった内容もきておりまして……」
後者はまだ分かるのだが、前者の"仕事の邪魔になった"というのは何の事だろうか、まったく身に覚えが無い
あれか、同業者が邪魔だから嘘のクレームを入れたとかそういうのだろうか。
「普通ならこちらで処理して終わりなのですが、荒野様の免許が一度も更新されていない事もあり、少しばかり調査が必要ではないかという話が出ていまして……」
まぁ普通はさっさと免許を更新するだろうに、何年も前からずっと同じ免許を使っているのだから、何か裏があるかと思う人もいるだろう。
一つ一つの案件は問題なくとも、立て続けにあると疑ってしまう…三人成虎である。
街に虎が出たと一人が騒いでも嘘だと判断するが、二人…三人と続くと本当であるかのように信じてしまうという故事である。
まぁ漫画で見た内容なので間違ってるかもしれないが、そこは別にどうでもいいので横に置いておく。
「そこで、一度荒野様の免許を預からせて頂きまして、慎重な協議をさせて頂ければと……」
「ちなみに、断った場合はどうなりますか?」
「過去に免許の預かりを拒否した方が免許を悪用した事があった為、次は強制力のある方法で対応させていただく可能性が……」
職員の犬山さんが申し訳なさそうな顔をしてさらに縮こまる。
きっと何度もこういったやり取りで怒鳴られたりしたことがあるのだろう。
おれはこの人自身は悪くないということは理解できているので怒鳴ったりはしないのだが……まぁこういった事態に流され慣れているし、溜息一つで諦めることにした。
「分かりました。それでは、そちらにお預けします」
ゴネたところで結果は悪い方向にしか転がらないので、俺は免許を差し出す。
両手で丁寧にその免許を受け取った犬山さんはペコペコと頭を何度も下げていた。
外に出てから近衛さんと合流し、免許預かりの件を共有する。
小言で何かを言われるかと思ったが、いつもと変わらない顔をしていた。
「では私の方から区役所に荒野さんの行動に問題はなかったという活動記録を送ります。この件はそれで一旦様子見といたしましょう」
よかった、変な事してなくて本当によかった。
うっかり三人と一緒に川辺に行って合法的に服を濡らそうとかしてたら見捨てられてた。
なんなら免許が剥奪されて代わりに前科が縫い付けられるところだった。
「あ、あの! 抗議文とかじゃないんですか?」
近衛さんのやり方に疑問だったのか、未来ちゃんが手を挙げて質問を投げかける。
「今はまだ問題があったのかを調査と協議をする段階です。その時点で無実を訴えかけても、逆効果になる可能性があります」
「あー…確かに。まだ何も調べてない状態で"何もしていない! 無実だ!"って騒がれたら、逆に受け入れづらいですもんね」
強い言葉と行動は相手に強制力を持たせようとしてしまい、逆に抵抗されることが多々ある。
相手が暑がってるのを見て、"服を脱いだらどうですか?"と提案したら逆に警戒されてしまうという話だ。
いや、違うか…多分違う話だなこれは。
「物事には適切な順序というものがあります。風邪を引いたら安静にしつつ薬を投与するように、その時々に応じて適切な対処をしなければ、余計な問題が発生する可能性があります」
その台詞に感じ入ったのか、三人は尊敬の眼差しを近衛さんに浴びせている。
俺はどうすればいいか分からなかったので、取り敢えず笑顔で誤魔化してみたが嫌な顔をされた、解せぬ。
「問題は、あちら側の調査や協議がいつまで掛かるかというものですね。その間、荒野さんは収入がないのですが、大丈夫ですか?」
「それくらいなら貯金もあるから平気ですよ」
それを聞いた近衛さんは何かを言おうとして動きを止めたが、何かを諦めたかのような顔をした。
「……何かあったら連絡してください」
仕事をしている時ならまだしも、仕事してなかったら何も無いと思う。
近衛さんったら心配性なんだからもー☆
まぁ長期休暇が取れたと思ってゆっくり休ませてもらおう。
数日後、布団の中でひたすらゴロゴロする俺がいた。
別に病気じゃないし怪我もしてない、狂ったわけでもない。
休んで一日目は休暇を思いっきり堪能していた。
見られなかった海外ドラマや映画、ネット動画を漁る幸せな一日だった。
二日目も同じように堕落の限りを尽くしたかのように遊び呆けていたのだが、その夜にふと頭によぎってしまったのだ。
"もしも、このまま収入がなかったどうなるのだろう"と……。
失業保険なんてものはない、生活保護もたぶん受け取れない、貯蓄は日々減る一方…まるで真綿で首を絞められていくような毎日を想像してしまった。
それからはもう恐怖を紛らわせる為に現実逃避をするのだが、何をしてても必ず貯金という文字が気になって集中できなくなっていた。
仕事…仕事がほしい……。
仕事がないというだけで、まさかここまで今の生活が頼りなくなってしまうとは思いもしなかった。
いや、本当にほしいのは仕事じゃない…安全と保証がほしいのだ。
たぶん近衛さんの言っていた"何かあったら"というのはこの事だったんだろう。
助けを求める為にスマホに手を伸ばそうとして、その動きを止めた。
もしも電話したらどうなる…たぶん理事長も知ることになる……ダメだ、これは最終手段にしよう!
そもそも、今の俺にはコネがある。
そう…鳴神くんのいるフィフス・ブルームで働くという手があるのだ。
友達だもんね、助け合わないとね、というわけでいざ電話をかける!
「えっ…免許を取られたって何したんですか?」
軽く事情を説明したらドン引きされてしまった。
誤解されてはお祈りメールが届いてしまうので、"自分は悪くない"ということと"悪いのは地球温暖化のせいなんだ"と説明する。
「非常に言いにくいことなんですが、ウチの第一課に入るには新世代じゃないといけなくて……」
ああ、うん…だから乙種とか駆除できてるんだろうね。
まぁそこは無理だから諦めよう。
「続いて、調査が主な仕事となる二課なんですが…こちらも新世代の人か乙種免許以上を持ってて審査をパスした人じゃないとダメでして…」
うんうん、調査は大事だもんね。
そんじょそこらの奴には任せられないよね。
「そして三課なんですが……予備人員のようなものなので、こちらも最低限乙種免許を持ってないと…」
他は…他にはなにかないんですか!?
「あっ、事務関係の資格とか持ってますか? それならなんとか推薦できるかもしれませんよ」
「そんなんあったら最初からこんなクソッタレな仕事してねぇよバーカ」
いかん、思わず口が悪くなってしまった。
というか学歴的には多分あっちの方が頭がいいのでブーメランが俺の頭にヘッドショットしている。
「でも、今から資格を取る為に勉強しても遅くはないですよ!」
「資格を取れる奴は資格を取れる奴なんだ、資格を取れない奴は資格を取れないんだよ!」
自分でも何を言ってるか分からない負け惜しみを残して電話を切る。
さて、次のコネは……警察の大山さんか。
いや…公務員だからコネとかでどうにかなる問題じゃなかったわ。
せいぜい"留置所に入れる時は涼しい場所をお願いします"くらいしか頼めないと思う。
じゃあ不破さん! 無理、死ぬ! 正確には死ぬまで働かされる!
最後、ブンさん! ……嫌な予感しかしない!
とはいえ、このまま座して死ぬわけにもいかないので、相談するだけしてみよう。
もしかしたらなんかイイ感じの補助金とかあるかもしれないし。
「君は本当に…本当にさぁ~~~~……」
事情を説明したら今までに無いくらい長い溜息をつかれてしまった。
「生きるの下手! 不器用すぎ!」
骨身に染みるくらいに分かってる、なんなら自分が一番よく理解してる。
「もっと早く相談しようと思ったんですけど、同じ都内の区役所職員で知ってるなら二度手間になるかなぁと思いまして」
「あのね、同じ都内だからってお互いの仕事を全部把握してるわけじゃないの。人間、そこまで万能じゃないの」
もっともな話である。
人間様がもっと優秀なら、世界の問題の半分以上はとっくに解決してたはずだ。
「いいかい、私らは死んだ時にだって人に迷惑を掛けるんだ。なら迷惑を掛けながら生きていくのはなーんにも恥ずかしいことじゃないんだよ? 君は真面目すぎて、そこんとこ分かってなさそうだ」
正論が…正論が刺さる…どうして正論はこんなにも鋭いのかしら…。
多分、自分でも自覚してるからよく刺さるんだろうね…。
「はぁ~……お仕事はあるよ。なんなら君にピッタリかもしれない」
「マジですか!?」
自分にピッタリの仕事とは何だろうか?
今まで外来異種を駆除する仕事しかしてこなかったので、まったく想像できない。
「清掃業者だよ」
「清掃業者…っすか……」
え~と、それはビルとかをお掃除する的なアレだろうか。
それとも清掃というのは隠語で、何かヤバイのを拾って綺麗にする特殊職業のアレでしょうか。
「君もよく知ってるやつだよ、外来異種を駆除した場所を綺麗にする専門の業者」
「あぁっ!」
区役所の仕事をこなしたら、いつも清掃業者が来るようにスマホでマーカーを設定していたことを思い出した。
あれ…清掃業者なら外来異種を駆除しなくていいから危険がない。
つまり、ビクビクしながらお金を稼ぐ必要もない。
これはもしかしたら……本当に俺の天職なのではなかろうか!?
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