第54話:血の報復
日は沈み、礼拝の時間を報せるアザーンが大音量で流される。
言葉も分からない、何をすればいいかも分からない俺は、取り敢えずハキムさんの場所に向かうことにした。
もしかしたら生きているかもしれないからだ。
とはいえ、情報を漏らした事についてはおこなので、それについては誠意ある対応を求めたい。
だが、そこまでだ。
あの人は人質をとられており、どうしようもなかった。
一番悪いのは、人質をとっていた奴らであって、ハキムさんではない。
少なくとも、死ななくてはならないほどではないと思っている。
壁の外に出て黒煙を目指して歩く。
見つけたらどうしてやろうか、医者のところまで連れて行ったら命の恩人ということで恩を三割増しで請求してやろうかとワクワクしながら彼らを探した。
轍の痕の近くにナージーくんを見つけた。
呼吸をしていることから生きていることが分かる。
まだ遠くに見える黒煙、そして不自然な地面の穴。
恐らくはラスールと呼ばれる外来異種にここで襲われそうになり、ナージーくんを投げた。
そしてハキムさんはそのまま囮となる為に走り続けたのだろう。
せっかくどう仕返ししてやろうかと考えたのに、全てが無駄になった。
残念だ。
嗚呼、本当に残念でならない。
俺はナージーくんを抱えて、また壁の中に戻っていった。
ナージーくんを適当な布の上で寝かせて、適当な路上で座りながら考える。
持ち物はほとんど持ち去られ、残っているのは御手洗さんから貰ったペンと紙だけだ。
夜空をボーっと眺めてたら頭がおかしい奴だと思われそうなので、手慰みに紙で鶴を折る。
さて……映画なら俺が皆を救出してハッピーエンドという流れだが、銃を持った集団相手にどうこうできるはずがない。
皆を連れて行ったやつらは壁の外ではなく、さらに奥へと連れて行ったことから、しばらくはこの集落にいることだろう。
しかし、時間をかけてしまってはどうなるか分からない。
打てる手は多くはない、だがゼロではない。
……ところで、ときおりこちらにお金を置いていってる人たちがいるんだけど、何だろうか。
もしかして浮浪者か何かだと思われてる?
まぁ無一文だし間違ってないのだが。
それからしばらくするとナージーくんが目を覚ました。
ゆっくりと起き上がったあと、誰かを探すように周囲を見渡す。
俺は英語がほとんど喋れないけれど、彼の肩を叩き、静かに首を横に振る。
最初はその意味が分からなかったのか呆然としていたのだが、しばらくして目に涙を浮かべ、そして蹲ってしまった。
子供を泣かせるとか親失格じゃないですか、ハキムさん。
でも……子供の命を守ったのだから、一人の父親としては合格か。
数分くらい、ナージーくんは声を押し殺すように泣いていた。
起き上がった彼の目元は少し赤くなっていたが、見ないようにする。
代わりに慰めになるか分からないけれど、さっき折った鶴をプレゼントした。
どういったものか分からないだろうが、興味津々に色々な方向から眺めている。
あれ、そういえばイスラムって偶像崇拝が禁止されてたっけ。
でも前にニュースで千羽鶴を送ったとか聞いたし、芸術品的なものとしてセーフなんだと思う。
けど怖いので一応鶴以外に手裏剣とか折るか、外人さんは手裏剣大好きみたいだからね。
ナージーくんも元気になったようで、そこでようやく大きな問題に目を向けられた。
そう、食糧問題である。
俺は日本語しか喋れないので、食料をどう買えばいいのか分からない。
ナージーくんに通訳してもらえれば何とかなるかもしれないが、英語なんてサッパリだ。
いや……外来語、もしくは俺でも知ってる名詞ならば通じるかもしれない。
「マック、マクド、ケンタ、モス!」
必死にナージーくんへ訴えかけながら、お金を渡す。
「なに言ってんだコイツ」みたいな目で見られたが、三ループ目あたりでこちらの意図を汲んでくれたのか、人通りの多い方へと小走りで向かっていった
これで食料はなんとかなるか。
持ち逃げされなければ。
もしも持ち逃げされたときは、最終兵器のペンを使う事にしよう。
それから数分後、ナージーくんは炒飯……いや、小皿のピラフとコーラを持ってきてくれた。
よかった、あと数分遅かったらヤルところだった。
それから二人でご飯を食べるが、ハシとかスプーンはない。
ナージーくんは右手で食べてるが、流石にちょっと日本人的にそれはキツイ。
カレーは飲み物と偉い人が言っていたので、そのまま小皿のピラフを口の中に流し込む。
………うん、空腹はスパイスとは言うけれど、トマトの酸味がそれすら打ち消した。
いやまぁ全然イケルんだけどね。
そうして腹を満たし、コーラで糖分を補給していると、カラム長老のテントにいた男性がこちらにやってきた。
「■■■■■?」
もちろん何を言ってるか分からない。
ナージーくんが会話してくれるおかげで、取り敢えずは何とかなりそうか?
しばらく話したあと、手招きされたので二人でその人の後について行く。
もしかして追い出されるのかと思ったのだが、そこはカラム長老のテントであった。
午後にも会っていて、また顔を合わせることになるとは……ちょっと気まずい。
まぁ案内されたからには逃げるという事はできないので、中に入る。
しかしテントの中に人はおらず、ここに案内してくれた人もスグ外に出て行った。
それから暇つぶしに紙を使って小物入れを作ったり、手裏剣を作ったりしていると、カラム長老と何人かの男が入ってくる。
銃を持っていないことから、こちらに危害を加えるつもりはないように思える。
「■■■■■■■■■」
カラム長老の側にいた男が何かを言い、ナージーくんはそれに答える。
それからしばらくナージーくんが喋り続けているのだが、声のトーンから察するに、これまでの経緯について説明しているのだろう。
途中で声が途切れそうになるものの、彼はしっかりと話しきった。
心なしか、周囲の大人達も悲しんでいるように思えた。
俺とは違って。
「■■」
カラム長老が短い言葉を告げ、こちらを指差す。
正確には暇つぶしで作った小物入れや手裏剣だ。
側にいた男が手招きするので、それを持って差し出す。
すると、カラム長老はそれを受け取り、それからこちらの手を握って観察し始めた。
静かに何度も頷いたり、悩むような声を出しているのだが、何を見定められているのだろうか。
一分みも満たない時間であるが、カラム長老はこちらの手を離し、今度はナージーくんの手も見る。
それから一言か二言こちらに投げかけると、カラム長老は側つきの人とテントの外へと出て行ってしまった。
取り残されてしまった俺達はどうすればいいのだろうか。
取り敢えずこのままテントの中にいるわけにもいかないので外に出ると、先ほどの男性が装飾されたネックレスのような装飾品と一枚のメモを手渡してきた。
メモの方は大まかな地図のようなもので、ネックレスにはナイフがついていた。
金色のチェーンと装飾品で彩られたナイフを手渡した男性は、そのままどこかに行ってしまった。
もしかして、折り紙との交換という事だろうか。
紙一枚がナイフと交換とか、わらしべ長者もビックリだよ。
それからはナージーくんの導かれるまま後について行くと、小さなテントに案内してくれた。
どうやらここを使えという事らしい。
ナージーくんと最初に出会ったテントではダメなのかと思ったが、皆を浚った奴らに荒らされてるだろう。
それは恐らく、立ち直ろうとする彼の心をまた傷つけるだろう。
周囲も暗くなりさぁ寝るかと思ったのだが、礼拝の時間を報せるアザーンがまた聞こえてきた。
ナージーくんはテントの外に出て、他の人達と同じように祈る。
明日になる前に、どうしても決めておかねばならない事がある。
俺はテントに戻ってきたナージーくんに二つのものを差し出した。
左手には紙飛行機、右手には先ほど貰ったナイフ。
意味はここからの逃避、そして―――。
言葉は通じないけれど、俺の真剣な眼差しから、重要な事なのだろうと感じ取ってくれた。
ナージーくんは悩んだ。
だけど俺は急かすようなことはせずに待ち続けた。
イスラム教には「目には目を、歯には歯を」という言葉がある。
だがその言葉には続きがあり、「その報復を控えて許すならば、己が罪の償いとなる」と言われている。
しかし彼はまだ子供で、大人のような罪にまみれてはいないだろう。
彼は恐る恐る手を伸ばし……武器を選んだ。
大丈夫、キミに科せられる罪はなく、裁かれる罰もない。
そして神の眼もここには届かない。
だから―――その復讐を果たそう。
血の報復は、古来より受け継がれてきたヒトの本能である。
翌日、再び大音量の放送で目を覚ます。
ナージーくんはいつも通りテントの外で礼拝を、俺は準備を整えていた。
朝食はカラム長老と一緒にいた人が持ってきてくれた。
ちょっと冷えた薄いピザのようなものだったが、贅沢はいえない。
感謝しつつ腹ごしらえを終えて外に出る。
とにかく正午までに探さなければならないものがある。
昨晩入ったカラム長老のテントに行き、人を探す。
目当ての人物を見つけたらそのままその人の後をついていく。
途中、何度か人に呼び止められたりはしたものの、ナージーくんがカラム長老の名前を出してくれたおかげでトラブルもなく進む事ができた。
太陽が一番高くなる頃、大きな調理場のような場所に到着した。
厳重な警備が敷かれている事から、ここが供物を用意する場所なのだろう。
そこへ近づくと呼び止められてしまったので、両手を上げて無害である事をアピールする。
所持物の検査では小さなナイフとペンしか出てこなかったせいか、警備の人もこちらを突き飛ばして遠くへ行けとジェスチャーする。
その時、ちょうど正午の礼拝を告げる放送が聞こえてきた。
周囲の人々がするように、俺は隣にいたナージーくんの礼拝を真似する。
そしてそれに紛れるように御手洗さんから貰ったペンを折り、中身を取り出す。
全員が一方向に向けて礼拝を行っている為、タイミングを見計らって中身を完成した供物に投げ入れた。
誰もが礼拝に真剣であり、所作も最低限であったおかげで、誰も気付いていなかった。
その後、俺とナージーくんはその場から離れて様子を見る。
彼は不安げな表情でこちらを見ていたが、安心させるように笑ってみせる。
「大丈夫、もう終わったから」
しばらくして、地面が微かに揺れた。
それどころか遠くから人のものとま思えない絶叫が響き渡った。
パニックになった人達があちらこちらを走っている。
さらに地面が揺れ、大きな影が見えた。
甲種の化物ほどではないにしろ、その大きさと威容は人々を恐怖に陥れるのに十分であった。
しかしその化物は、衛星写真で見たよりも大きく違っていた。
なにせ大きな柱のような茎が二つ、そして象徴的であった球根から、得体の知れない肉がせり出てきているのだから。
そう、御手洗さんから貰ったペンの中には皇居で回収したサンプルを仕込んでおり、それを先ほど供物の中に入れたのだ。
サンプルは小さいおかげでペンの中に仕込むことができ、ペンも武器じゃないから見逃される。
あちらが日本に持ち込んだように、こちらも持ち込んだにすぎない。
「自分で撒いた種だ、自分で片付けろ」
暴れ狂う巨大な外来異種を見て、そう吐き捨てた。
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