第55話:偶像のメッキ
悲鳴、絶叫、そして怒号が周囲に響き渡る。
まるで音楽団しか存在しない街の中央に放り込まれた気分だ。
阿鼻叫喚のコーラスに銃声や破砕音のビート……地獄だってもう少し静かなはずだ。
まぁそんなことはどうでもいい。
俺はカラム長老から貰った地図をナージーくんに渡し、案内してもらう。
人の濁流をかきわけて突き進む。
誰かが泣いている声が聞こえる。
誰かが叫んでいる声が聞こえる。
それらを全て振り切って走り続ける。
弱い俺に助けられる人なんてほんのわずかだ。
誰も彼も救えてたまるか。
俺は救世主でもなければ―――神様でもない。
何十、そして何百の苦難を見捨てて走り続けて目的地に到着した。
レンガで造られたその建物の近くでも混乱の渦が巻き起こっており、狂躁に陥ってる化物に応戦している者もいれば、人に銃をつきつけ、そして瓦礫が直撃した奴が見えた。
そして、その渦中には見知った顔も存在していた。
「荒野さん!?」
そこには自由になった鳴神くん、拳銃を構えているイーサン。
地面には武装集団の一味らしき男達が倒れており、彼らが何とか逃げ出したことを悟った。
「■■■■! ■■■■■!」
声のした方向に目を向けると、エレノアが銃を付きつけられて人質になっていた。
相手が何を言ってるかは分からないが、その内容は映画やドラマと同じようなものだろうと予想できる。
「イーサン、あれ相手だけ当てられる?」
「こんな状況でなければ試す価値はあったかもしれないが、それでもエレノアに危険が及ぶ」
あちらへの距離は約六メートル。
引き金を引く前に近づくには遠く、隠れて近づくには近すぎる距離だ。
しかも周囲が大混乱であるせいで人が行き交っており邪魔が多い。
俺は鳴神くんに合図をして前に出て、取り出したナイフを構えて狙いをつける。
それを見て相手の男はエレノアを盾にするようにこちらに向けた。
人質となっているエレノアからは不安の表情はなかったものの、申し訳無さそうな顔をしていた。
残念ながら、これから本当に申し訳ないことをするのは俺の方だ。
左手を前に突き出して左右の方向を定め、ナイフを持った右手を後頭部よりも後ろまで振りかぶる。
「荒野さん……本気ですか……?」
本気だとも。
本気でなきゃこんなことやらない。
人の波が途切れた瞬間……力のままに、流されるがままの体勢でナイフを投擲する。
映画では投げナイフは簡単に刺さるように見えるが、実際はそう上手くいかない。
何時間か練習した俺でも、ちゃんと投げても十回に七回しか刺されなかった。
そして狙った場所に刺さるのなんて十回に一回あるかどうかだ。
こんな場面で都合よく相手にだけ刺さるなんて事はありえない。
―――ならば、逆ならばどうだ?
わざと投擲フォームを崩せば刺さるのか?
否、刺さるはずがない。
それは何時間も練習した俺でも分かる事だ。
そしてこんな場面でだけ運良く刺さるなんてあるか?
それも有り得ない。
俺にとってネットに弾かれたテニスボールは、いつも手前に落ちるものだ。
何度も何度も失敗しているからこそ、失敗に慣れている。
イーサンが投げたナイフを撃つ、当たらない。
銃を持った男はエレノアを盾にする、これで見えない。
そして捻れた回転をしたナイフはエレノアの肩に命中した。
正確には、ナイフの腹の部分が当たったのだ。
だが、これでその場にいた全員が気をとられてしまった。
俺の後ろにいた一人を除いて。
鳴神くんは俺の背中を踏み台にして跳躍する。
群集であふれかえった視界では上空の彼に気付くことはできない。
そして鳴神くんは空中で軌道を変え、そのまま男に襲い掛かった。
「мать вашу!」
突然の急襲で男は銃を落として倒れ、鳴神くんはすぐにエレノアをこちら側へと引っ張った。
そしてイーサンがそのまま男を取り押さえようとするも、人の波に阻まれてしまう。
「クッ、このままでは―――」
「イーサン!」
そのまま追おうとするイーサンを、エレノアが呼び止める。
しばらく逡巡したイーサンだったが、追跡を諦めてこちらにやってきた。
「大丈夫か? 怪我は?」
「ウン、大丈夫。肩がちょっと痛いダケ」
「そうか……。アユム、刺さらなかったからよかったものの、次からはもっと慎重に行動してくれ」
俺は絶対に自分が失敗するだろうと確信できていたけれど、他の人からすれば狂気の沙汰に見えたことだろう。
イーサンから咎めるような視線があったが、それを受け流す。
少しばかり心にささくれたできた気がした。
それから付近の建物に囚われていたいた皆を救出する。
幸い誰にも怪我はなく、逃げることはできそうだった。
逃走方法としては鳴神くんが先頭を走り、その後ろから天月さんが外来異種の予兆を察知して伝える。
あとは壁の外までダッシュといったものだ。
しかし、ここで反対意見が出る。
「ワタシがあの暴れてるモンスターを何とかシマス。皆さんは先に逃げてクダサイ」
「そんな! エレノアを置いて逃げられるわけないだろう!?」
ザイオンの人達が引き止めるも、彼女の意思は固そうだった。
「キミの力なら、ここからでも何とかできるはずだ!」
「アレをなんとかするナラ、根を何とかしないとイケマセン。ココで使えば、地面への亀裂で大勢の人が巻き込まれマス」
エレノアの力は強力だ。
そしてその力が大きいが故に、その影響力は計り知れない。
だから彼女はアレに近づき、地面と根だけを切り開こうとしているのだろう。
「お願い、イーサン! ワタシが行かずに、誰が行くノ?」
エレノアはイーサンに頼み込むも、イーサンは苦悩に満ちた顔をしている。
「よし、それじゃあ俺も一緒に行こう」
「ホントですか? アユムが一緒なら、心強いデス」
やはり一人で行くのは心細かったのか、立候補したら喜んでもらえた。
「任せておいてくれ。キミが怪我しそうになったら俺が庇うし、死にそうな状況になっても必ず先に俺が身体を張って死ぬから」
俺としては珍しく自信満々に宣言したのだが、エレノアの顔は青ざめてしまった。
「ド…ドウシテそこまで―――」
「どうして? 逆に聞くけど、キミはどうしてそこまでやろうとしてるの?」
「ワタシは、一人でも多く助ける為に…ッ!」
「つまり、人数の問題と。一人が犠牲になって大勢を救えるならそれでいいって事だね。……それなら、どうして今ここであの外来異種を駆除しないのかな? 少数が犠牲になって大勢を助けるっていうのなら、同じ事なのに」
とぼけたような口調で話すも、エレノアは答えられない。
「気にすることないじゃないか。大勢の為なら少数が犠牲になってもいい、今キミがやろうとしてる事と同じ事だよ」
少しずつ、一皮ずつ、彼女がこれまで隠していた膜を剥がしていく。
一枚剥がされる度に、その裏にあった彼女の顔が見えていく気がした。
「自分の手を穢すことがイヤなんだよね、分かるよ。当たり前の感情だもの。そして俺がキミの犠牲になる事もイヤだと。そうだよね、自分の行動で誰かを助ける事はできても、自分のせいで誰かが死ぬのは耐えられないんだよね」
エレノアも、そしてイーサンも、誰もが押し黙る。
そして葛藤によって乱れている彼女の顔を見て、俺は安心した。
迷うだけの余地がある事に安堵した。
もしもエレノアが自らの意思を放棄して人を助けるだけの偶像になっていれば、この犠牲を許容しただろう。
けれども、自らの判断によって生まれる自分以外の犠牲を目の当たりにして迷った。
自己犠牲によって舗装された道を止まることができたのだ。
「エレノア。イラク空軍がここを攻撃できなかったのは、人が居たからだ。そしてあの化物が暴れたせいで、もうすぐここには人がいなくなる。キミが何をしようと結果は変わらない、もう終わりは決まっているんだ」
その言葉がトドメになったのか、エレノアは進む事も退く事も……どちらも選択できなくなってしまった。
そんな彼女の手を引いて、俺達は壁の外へと向かう。
「誰も彼も救えるほど、人間が万能であってたまるか」
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