第56話:倫理の境界線
命の洗濯という言葉がある。
自分の場合はもっと色々なものも含めて洗浄した方がいいかもしれないが、やりすぎると存在そのものが洗い流される可能性があるので程々でいい。
そんなわけで、イラクから帰ってから即スーパー銭湯に来ている。
日本人的には毎日風呂に入りたいのに、あっちじゃ水浴びすらできなかったからだ。
おかげで髪にまだ砂が入ってるような気がしてならない。
ちなみにいつもよりちょっとお高めの場所だが、経費はちゃんと出るらしい。
久我さんは「大ごとの後なんだから温泉くらい贅沢してもいいと思うよ、なんなら予算くら都合するから」と言われたが、そういうのではないのだ。
贅沢がしたいんじゃなくて、とにかくガッツリ休みたいんです……。
そんなわけで軽く風呂で身体を温めてから、大広間の休憩スペースで軽食を食べつつボーっとしながらテレビを見る。
イラクで発見された外来異種は空軍によって完全に駆逐されたらしい。
まるで天から硫黄と火が降り注ぎ滅んだとされるソドムとゴモラの最後のようだ。
それと、外来異種の名前は"ラスール"ではなく"ハラム"と命名されたらしい。
イスラム教にとって禁忌を意味するらしいが、あんなもの流石にもう出てこないから名前をつけてもなぁという気がしないでもなかった。
他にも犠牲者の数などが報道されていたが、それを興味深く見てるような人は周囲にいなかった。
そんなもんだ、目の前で起きなきゃこれが当たり前の反応だ。
見えないところにまで神経使うほど真面目に生きてる人は、そんなに多くない。
知らない何千人が死ぬよりも、目の前の知り合いが死んだ方がツライものなのだ。
ちなみに事の顛末について久我さんにだけ話したのだが、「絶対に他言しないように」と言われてしまった。
まぁイーサンあたりは何か察してるっぽかったけど、何も言ってこないってことは、そういう事なんだろう。
俺の頭じゃどういう事かサッパリだけど。
あ、そういえば研究所の御手洗さんから怒られたっけな。
調査の為に種を借りたのに使って失くしたって報告したら、「どうして使った相手のサンプルを採取してくれないんですか!」って。
いや無理だよ、あの大乱闘の中に突っ込むとか死ぬよ。
まぁ悪い事したとは思うので、いつか埋め合わせはしてあげたいと思うのだが、下手に言質とられると解剖されそうだから怖いんだよなぁ。
偏見だけど「あとでちゃんと元に戻すから! 大丈夫だから!」とか言いそう。
そんなとりとめもない事を考えていると、缶ビールを片手に持ったイーサンが隣に座ってきた。
「あれ、イーサンがビールなんて珍しい」
「……流石に疲れたからな」
「だろうね。あれで疲れなかったらターミネーターだよ」
長時間飛行機乗って、イラクについてからまたずっと車に乗って、それから今度は馬に跨って、休む間もなく現地でボランティアして、かと思えば武装集団に拉致られて、そのあとは世代を超えた外来異種による親子喧嘩に巻き込まれて……生きて帰れたのが奇跡だよコレ!
ビール程度のアルコールじゃ足りないでしょ、メチルアルコールくらいキツイやつ飲まないとやってられないでしょ、飲んだら死ぬかもしれないけど。
「あー、でも映画だったらフラグだよね。安心してビールを飲んだ瞬間に……ってやつ」
そう言うとイーサンはビールを飲もうとしていた手を止める。
「……冗談だよな、アユム?」
「うんうん、冗談だって。だから安心して飲んでいいよ。なんなら二杯目だって持って来ようか?」
「いや、一杯だけにしておこう」
別に帰りは電車なんだし気にせず飲めばいいのに。
「そういえば、あの武装した男達の最後の言葉を覚えてるか?」
「あぁ、なんか松尾芭蕉がどうとか―――」
まさかイラクでその名前を聞くとは思わなかった。
もしかしてイラクでは日本人は全員松雄芭蕉という事になってるのだろうか?
嫌だよ、現代まで俳句と共に受け継がれる松尾芭蕉シリーズとか。
「あれはロシア語だ。意味は……まぁ、汚い言葉だ」
「……イラクでロシア語?」
なんだろう、とてつもなく聞きたくない質問をしてしまった気がする。
「これに目を通してみろ」
そう言ってイーサンから大きめの情報端末を手渡された。
今ここで電源を切って寝てしまいたい気持ちに従いそうになりながらも、好奇心で中身を読む。
あの外来異種の周囲には逃げた人、追われた人、そういった弱い人が集まった。
軍ですら手出しできない場所だ。
その時、集まった人達は弱いだけではなくなった。
そしてそれを利用とする組織も出てきた。
軍や治安組織が手出しできない場所……犯罪の温床としては絶好の環境であった。
彼らはそこへ逃げてきた人を迫害こそしなかったが、汚い仕事で勢力を大きくしていった。
あの種もその一環である。
そして、それはさらに大きな力を呼び寄せることになった。
外来異種によるテロを行う『コシチェイ』による支援によって、あの場は異界となってしまった。
手始めに外からの迫害から守る外来異種を使徒"ラスール"と呼ばせ、集団の主柱として過激な主張を浸透させた。
追い詰められた側にとっては、その刺激は心地の良いものだっただろう。
さらに外来異種によって互いに手出しできなかった事によって、口でなら何でも言える環境となり、そうやって徐々にタガを外させていった。
他にもラスールの名において、住民を様々な犯罪に加担させていた事が発覚。
もちろん逆らった者は殺される。
だが、逆らう人はほとんどいなかった。
当たり前だ、最初からソレができる者はそんな場所に来ていない。
宗教に殉じるか、迫害によって命を落としている。
彼らは追いやられてその地へ招かれたのだから。
皮肉なものである。
楽園を目指して辿り着いたその土地は、エデンから最も遠い場所だったのだ。
「……イーサン、この時点でもうお腹いっぱいなんだけど」
「キミの腹ならまだ入るだろう?」
ハハハ、こやつめ。
まぁ毒を食らわば皿までだ。
これが古き伝統通りのイギリス料理だったら皿だけ食うところだが、それよりかはマシだと信じて続きを読む。
今まで『コシチェイ』と名乗る組織は何度も摘発していたが、そのどれもが名前を冠しただけの末端であった。
究極的な話、『コシチェイ』と名乗ればそれが『コシチェイ』というようなものであったのだ。
そんな組織がごまんといるせいで本物が見つけられなかった。
しかし今回、新世代が数人確保できたという事で本物が動いた形跡があった。
騒動そのものはスグに鎮火したのでそこまで多くの情報は得られなかったが、問題のあった日付を集中して捜査すれば本物に近づけるかもしれない。
各国の工作員がいる中、今回イラクでロシア語を使用した工作員が発見された為、そちらを重点的に調査している。
場合によっては、再び専門家の力が必要になるであろう。
「イーサン、この専門家って―――」
「フゥー……風呂のあとのビールはいいものだな」
チクショウ、こんな大事な情報をさらっと渡しやがって……さっき俺がやった事の仕返しか!?
俺はただ、美味そうにビールを飲まれたら悔しいから、からかっただけなのに!
いいもん、いいもん!
俺も忘れるくらいにコーヒー牛乳飲むもんねー!
あ、そういえばイーサンに一つ聞きたいことがあった事を思い出した。
「そういえば、ザイオン救済団体っていつまで日本にいるの?」
ぶっちゃけ、俺の監視ならもう十分だと思う。
一人じゃ何もできない非力な一般人です。
鳴神くんとかの方がよっぽど監視対象として遣り甲斐があるよ。
「アユム、このことは秘密にしておいてほしいのだが、実は日本へエリーの亡命を打診している」
「ブッフォ!」
あまりに突飛な発言が飛んで来たせいで、口に含んでいたコーヒー牛乳を噴出してしまった。
「どういう事なの!?」
「アユムはエリーがこれまでどう生きてきたかは知らないだろう。だが……その結果としてどうなったのかは、キミも目の当たりにしたはずだ」
あぁ、人を助ける為なら平気で自分の命も犠牲にしようとしたアレのことか。
言葉でそれを是とする人は数多くいるだろうけど、実践までする人は見た事がなかった。
「エリーは今までずっと人を救う事を善き行いであるという言葉を浴びせ続けられてきた。そして実際に人を救う事で称賛された。その道は何も間違ってないと、誰もが彼女を讃え、祭り上げた」
人を救う事が正しいを教え続けられて、そしてそれを褒め続けた、求め続けたって事か。
こわ……洗脳じゃん。
「彼女にとって、あの国は猛毒の林檎蜜のようなものだ」
聖書になぞらえて、禁断の果実ってか。
それにしてはエレノアはまだマトモなように見える。
まぁイーサンみたいな人が近くにいたんだろう、だからイラクの時に止まることができたんだと思う。
「だからあの国から脱出しなければ彼女はずっと偶像のままだと思っていたのだがな……。思いのほか、キミの厳しい優しさは効果があったようだ」
「なにそのソフトSMみたいな矛盾した言葉」
厳しいのか優しいのかどっちかにしてほしい。
いやまぁエレノアから避けられてる気がするから、引かれてるんだとは思うけど。
「なら端的に言おう。キミは不器用で面倒くさい男だ」
「もっとオブラートを三重くらいに包んで言って!!」
止めろ! 事実は人を殺せるんだぞ!
なんなら今ここで死ぬぞ!
スーパー銭湯殺人事件の凶器は言葉とか、迷宮入り間違いなしだよ!
「この一件が片付けば、亡命の件も進むかもしれん。すまないが、もう少しだけ手伝ってくれ」
そう言ってイーサンは飲みきったビールの缶を持ってどこかに行ってしまった。
……あれ、もしかして否応なく巻き込まれてる?
巻き込むなら俺みたいな一般人じゃなくて鳴神くんとかそういった超人みたいなやつにしてくれよ!
そう思いながらもう一本コーヒー牛乳を買いに行こうとしたら、今度はフィフス・ブルームの三人組がやってきた。
「鳴神くん、こんな公衆の面前でえっちなのはイケナイよ」
「ちょっと待ってください。今この場面でどこにそんな要素がありました?」
「だって湯上りの異性と一緒にいるとかえっちじゃん」
「これでえっちだったら、この空間にいる人みんながえっちですよ!」
そう、人類は皆えっちなんだ。
ここでビールを飲み干して寝てるおっさんも、足を開けっぴろげしてるおばさんも、皆えっちなんだ。
中々に絶望的な光景だ、死にたくなってきたぞ。
「それにしても、今回は本気で疲れましたね。しばらくは大学と会社を休みたいくらいですよ」
「そういえば大学三年生なんだっけ。会社で働きながら大学っておかしくない?」
「そうでもないですよ。大卒って肩書きは便利ですし、もし他の会社に転職する時にも便利ですから。ほら、どこかの誰かは資格がないせいで仕事がないって言ってたじゃないですか」
「それな。高卒で上京したせいで人生積みかけたよ」
駆除業者の免許とられると俺、マジで何もやれることなくなるのな。
まぁ専門清掃業者の経験を積ませてもらったから一応そっちに転職することもできるだろうけど、一年も経たずに辞めたせいで印象が最悪なの間違いなしである。
宝くじ当たればいいのに、買ったことないけど。
「っと、牧さん大丈夫?」
「うん……ちょっと疲れただけだから」
天月さんが少し体勢を崩し、それを鳴神くんが支える。
まるで王子様とお姫様だ。
王子様もお姫様になればいいのに。
そういえば、今年はまだ初詣に行ってなかったっけ。
よし、明日にでも初詣に行って鳴神くんを女の子にしてもらおう。
いや無理だな、十年くらい彼女ほしいって願ってるのにまだ神様から既読チェックついてないもん。
もしかしたら、五十六億七千万年後じゃないと仕事してくれないのかもしれない。
「確か二階にリクライニングチェアがあるから、そこで少し寝るのは?」
「そうですね。牧さん、そこで少し横になろう」
「ごめんね、結くん。荒野さんと軽井さんも、またあとで…」
そう言って鳴神くんが天月さんを支えながら歩いていった。
あっちの国では地面から出てくる外来異種を注意する為に、常に力を使っていたせいか、やはり疲労困憊のようだ。
時間はそこまでではなかったかもしれないが、やはり極限状態だと普段と違うものなのだろう。
「取り敢えず、お疲れ様。海外旅行って疲れるね」
「私、何もしてなかったですけどね」
「囚われのお姫様やってたじゃん」
「メインは天月さんで、私は添え物みたいな感じだったと思いますけど」
まぁ軽井さんは狙撃担当みたいなところあるし、銃がなかったらどうしようもないよ。
むしろ武器無しでアクションヒーローばりに活躍してた鳴神くんがおかしいだけだ。
「―――それよりも荒野さん、なんともないんですか?」
「俺が飛行機で寝てる時に何かしたの!?」
「いえ、そういうことではなく……今回の事件についてです」
「あぁ……いつも通りクソ面倒だったなぁとは思うけど」
そう言うと、まるで信じられないものでも見るかのような顔をされてしまった。
もうちょっとオブラートに包むべきだっただろうか。
「いつも通り……ですか? あれが?」
「いや、命の危機って意味ならそうそうない事だけど―――」
「相手は人だったんですよ!?」
―――あぁ、そういう意味か。
「私、外来異種を駆除する仕事の危険については知ってます。だから銃だって撃ちます。だけど、人を相手に……あの時だって手元に銃があっても撃てなかったと思います」
まぁ外来異種なら撃てるという人は多いだろう。
なにせ生理的に気持ち悪いやつばっかりなんだから、鹿とかに比べれば心理的ハードルは低い。
「荒野さん、貴方は―――人を撃てるんですか?」
「どうだろうね。俺も知りたいよ」
少なくとも、人の形をしたナニカを殺した経験があるとは言えなかった。
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