第57話:届いた祈り

 失敗した。

 それはもうとてつもなく、取り返しもつかない失敗だ。

 こんな事、生涯で一度あるかどうかの大失敗だ。


 イーサンは重大な用件があるとのことで、朝早くから出かけてしまう。

 そして取り残される自分とエレノア。

 おかしい、美少女と二人っきりという甘ったるい空間のはずなのに空気が重い。

 別にケンカとかしてるわけではないのだが、この前のイラク騒動からどうにもお互いにどう接せばいいのか分からない距離感である。


 手持ち無沙汰に仕事道具の整理や点検をするも、スグに終わってしまう。

 というか、エレノアも同じ気持ちなのか、こちらの背中に穴が空きそうなくらいに見られている。

 これが逆の立場だったら自分が逮捕されている、不公平極まりない。

 ……いや、こんなツラを見ているとか拷問だから、むしろこっちが加害者なのは変わらないか。


 ザイオン救済団体の人達に助けを求めようにも、アッチはアッチで日本の外来異種国立研究所の面々と妙な化学反応を起こしてこっちの事なんて気にも留めてない。

 昨日なんかハラムの種で実験してたら進化の行き止まりを見つけたとかではしゃいでたっけな。

 進化を止めたいならBボタンを押せばいいのに。


 そうだ、散歩に行こう。

 外に出れば新鮮な空気を吸えるはずだ。

 あと運動にもなるから健康にもいいし痩せるはずだ。


「あー……エレノア、ちょっと外に散歩してくるから」


 決してエレノアと二人でいるのが気まずいとかじゃない。

 これは逃走ではなく、勇気ある転進なのだ!


「ア、じゃあ準備してくるカラ、ちょっと待っててクダサイ」


 そうだった、忘れてたけど俺を監視する為にイーサンとエレノアが来たんだった。

 逃げられないじゃんこれ!

 お願い助けてイーサン! イーサンがいないと俺、どうにかなっちゃいそう!



 そうして曇り空の中、二人で適当に歩く。

 外国人の可愛い女の子と一緒とかまるでデートのようだというのに、二人して一言も喋らない。

 おかしい……アニメや漫画で見たデートはこんなのじゃなかったはずだ。

 これがデフォルトなら、二次元のラブコメは嘘だったというのか!?

 ……創作だったわ、やっぱ現実ってクソだな!


「あ……」


 そんな馬鹿な事を考えながら歩いていると、パラパラと小さな水滴が空から落ちてきた。

 もうすぐ梅雨だからだろうか、徐々に雨脚が強まってきた。


「やっべ、傘もってきてねぇや!」

「アユム、こっちデス!」


 エレノアが喫茶店の前で手招きしたので、慌ててその店内に入った。

 休憩も兼ねてしばらく店内でゆっくりしようとカウンターへ向かうと、よくわからない文字が羅列された

 その喫茶店はいわゆる注文形式が無駄に面倒で長いことで有名な場所であり、メニューの値段とカロリーもそれなりのものばかりであった。


「ッスゥー……日本語メニューってありますか?」

「アユム、それはちゃんと日本語のものデスよ」


 だって、だって!

 こんなのいきなり見せられたって分かんないよ!

 全然分からない俺は、エレノアに任せてガラス壁の側にある席で待つ事にした。


「お待たせしまシタ。これ、アユムが好きそうだったので頼んでみました」


 そう言って彼女が持ってきた飲み物は、バニラクリームがなみなみと注がれたカフェラテであった。


「これは……デブはいつもこういうの飲んでるよなっていう偏見だったりする?」

「え、いえ? アユムはいつも甘いものを食べたり飲んだりしてましたカラ、こういうのがいいのかなッテ」


 チクショウ! 正解だよ!

 身体が糖分を求めていて、こういうのが大好きなんだよ!

 一口飲み、ダイエットという単語が頭の中から吹き飛んだ。

 そうそう、こういうのでいいんだよ、こういうので。


 それから初めてのちょっと意識高い系のカフェラテを飲んでいるのだが、会話は一切ない。

 互いに黙ったまま、飲み物を飲むだけの時間が過ぎていった。

 昼ドラだったら確実に別れ話を切り出すシーンである。


「……俺達、もう終わりなのかな」

「エ? あ、イエ、そういう話はまだ来てナイデスヨ」


 そうだった、そもそも関係が始まってなかった。

 よかった、別れ話を切り出されて酒に溺れてアル中になって公園で凍死するかわいそうな俺はいなかったんだね。

 いやまぁ何ひとつ関係を持っていない今の状況の方が悲惨なのかもしれないけど。


「まぁ亡命ってなると色々と面倒もあるから、時間がかかるかもしれないね。イーサンも今それで忙しいんだと思うし」


 そう言うとエレノアは驚いた顔をしてこちらを見ていた。


「イーサンが、そんなコトを……?」


 やべっ、もしかしてこれエレノアには秘密だったんだろうか。

 でもイーサンに秘密にしておけって言われなかったし!

 いやでもエレノアに関する問題を本人に話すのってダメなんだろうか。

 多分、こういうところでデリカシーが欠如してるんだろうな。

 まぁ喋っちゃったのはしょうがないし、説明しても仕方ないよね、うん!


 それから俺はイーサンから聞いた話をざっくりとエレノアに話す。

 エレノアにとっては存在意義にも関わるような話なので激昂したりするかとも思ったのだが、彼女は静かに話を聞いてくれた。

 そしてしばらくの沈黙の後、エレノアは口を開いた。


「……アユムは、どう思いマスカ?」

「イーサンが実はロリコンなんじゃないかって話?」

「イエ、そういう話は一切なかったデス」


 ないらしい、残念だ。

 昔助けた子供に対してずっと付き従っているのだから、そういう線もあるかと思ってたのに。

 ただ、そういった茶化した空気が一気に消し飛ぶくらい不安そうな顔で、彼女は俺に尋ねた。


「ワタシは、間違っていまシタカ?」


 言葉にすると短いが、その"間違い"という言葉の中に込められているモノはかなり大きな範囲だろう。

 人を助けることが、求められた助けに応えることが、そもそも今までの生き方が……。

 正直、まだ人生経験が二十四年程度の俺に投げていい問題じゃないと思うよコレ。

 とはいえ、たとえ薄っぺらい俺の人生観だろうと、問われたのなら応じなければならない。


「逆に聞くけど……間違ってたらアカンのか?」

「……ェ?」

「いや、俺なんて間違いだらけの人生を歩んできたけど、普通に生きてるよ?」


 訂正、普通じゃない待遇だけど、まぁ生きてはいる。

 社会的にも死んでないのでまだマシな方だ。


「それともアレか、エレノアは間違いだらけの俺は死んだ方がいいって思う?」

「ソンナこと、思うわけないじゃないデスカ!」


 よかった、これで死んだ方がいいって言われたらどうしようかと思った。

 ある意味ご褒美かもしれないが、そういう趣味に傾倒するのはもっと性に奔放になってからにしたい。


「今までの事が正しかろうと間違ってようと、もうどうしようもないんだ」


 俺は一息ついて、諦めたように言う。


「いいじゃないか、間違ってたって」


 少なくとも失敗と間違いと後悔だらけでありながらも、ここでデカいツラで生きてるやつがいるのだ。

 それを考えれば、多少の間違いくらいは「神様ごめんネ☆」くらいで済むはずだ。

 いやまぁ犯罪をおかしたら、刑罰に処される必要はあるけど。


 そんな俺の言葉をどう受け止めたのか、エレノアはポケーっとした顔でこちらを見つめている。

 う~ん、やっぱりざっくりしすぎているせいかうまく飲み込めていないのだろうか。

 そういえば人を救う事について強い使命感を持っていたんだっけ。

 それならそっち方面についても言及した方がよさそうか。


「小さい頃の話になるんだけど、親から初めてもらった小遣いを募金箱に入れた事があるんだ。小学校じゃあ善い事をしましょうって習ったからね」

「は、はぁ……」

「そしたら、あの二人は何したと思う?」

「えっと、褒められたのデハ?」

「いや、おかんは"あ~あ、そのお金があればお菓子が買えたのに勿体無いねぇ~! 自分の為に使えばよかったのにねぇ~!"って煽ってきた」


 いま思い出してもあの顔はムカつく。

 実の息子に対してあそこまで煽り倒してくる母親はそうそういないだろう。


「それで俺は思ったんだ、"じゃあ自分の為にお金を使う事が正しいのか?"って」

「そう思わなかったのデスカ?」

「おとんが"お前、千円募金したんだって? こっちは一万円だ"って金額でマウント取ってきた」


 しかもタバコを吹かしてちょっとポーズ決めてたのがさらにイラっときたな。

 息子にやっていい態度じゃないだろあれ。


「それで俺は聞いたんだ、あのお金はどうすべきだったのかって。自分の為に使えばよかったのか、千円を募金したのは間違いだったのかって」

「ソレで……なんと言われたんデスカ?」

「善行なんて趣味でやるもので、無理したり見返りを求めてやるもんじゃない……ってさ」


 たとえば誰かを助けてお礼を言われたら気持ちいいだろう。

 しかし、お礼を期待して何も言われなかったら裏切られたと思う、それが人間だ。

 それはドンドンと内側を蝕んでいき、いつの間にか心がささくれだらけになってしまう。


 だからといって善行を否定するわけではない。

 困ってる人を見捨てたら嫌な気持ちになる、それも人間だ。


「だから趣味程度でいいんだ、それくらいがちょうどいい―――ってさ」


 だからだろうか、俺が今まで外来異種の駆除をやってこれたのは。

 悪く言えば、人に期待していなかったから、何があっても裏切られたと思う事がなかったということだ。


「それにほら、仕事で人助けするのと趣味で人助けするの……後者の方がなんかイイじゃん?」

「ソウ……デスネ……。誰かに言われるでもナク、義務でもなく……タダあるがままの心で人を助けられるのであれば……それは、素晴らしいことなのかもしれないデス」


 そこには、先ほどまでの迷いなど最初から無かったかのような顔をした彼女がいた。

 俺はカフェラテを飲みながらガラスの向こう側にある空を見る。

 そこには晴れ上がった青空と、ずぶ濡れになった道路、そして不破さんがいた。


「よぉ、ご機嫌じゃねぇか」

「………ッスゥー」


 いや、見間違いだな。

 こんな所で会うわけないし。

 きっと虹と同じように光の反射とか屈折でおかしなものが見えただけだろう。


「あ、荒野先輩!」


 おかしいな、今度は社さんの息子さんである勲くんの幻覚まで見えてきたぞ。



「あの、アユム。お知り合いデスカ?」

「俺には何も見えない」


 どうやら糖分を摂取しすぎたようだ。

 早く家に帰ってココアをキメなければ。

 その場から逃げるように席を立ったのだが、誰かが背後から頭蓋骨を掴んできた。


「ど こ に 行 く つ も り だぁ~?」

「イダダダダッ! 割れる、割れる! 少ない中身がこぼれちゃう!」


 勲くんの方に注意を向けていたせいで、いつの間にか背後にまで近寄ってきていた不破さんに気付けなかった。


「っていうか、不破さんはこんなとこで何してんですか!?」

「見りゃあ分かるだろ、社んとこのガキに仕事教えてんだよ」


 頭を掴む力は弱めないまま、俺の首を無理やり曲げて外にいる勲くんの方へ向ける。


「ったく……俺らが雨ん中で仕事してたってのに、お前は女連れでカフェってか。そのツラで」

「顔は関係なくないですか!?」

「いや、関係はあるだろ」


 そうですね、関係ありましたね。

 こんなツラした奴が女連れとか先ず犯罪を疑うべきですよね、はい。


「まぁいい、濡れたついでに銭湯代も稼ぐからお前も来い」

「待って!? 俺、今オフなんですけど! 仕事道具とかないんですけど!」


 しかし、不破さんは俺の抗議などお構いなしに外まで引き摺っていく。

 せっかく美少女と二人っきりで楽しくお喋りしてたのに、これはひどすぎるんじゃなかろうか!?

 どうしてこんな事するの神様!!

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