第29話:ヒトが未だ克服できぬモノ
鳴神くんの頑張りによって、様々な事態が動き出した。
先ずはクソ亀は切り落とされた自分の部位を捕食して傷の修復に努めていた。
10キロの肉を食えば10キロの肉が再生されるわけではなく、足りない箇所は土や石を食べて修復させていた。
そう…近くをうろついている外来異種を捕食せずに傷を回復させたのだ。
恐らくだが、突然の強襲をかけた鳴神くんとの戦闘で仲間がいる場合の優位性を悟ったんだと思う。
そしてクソ亀は大量の取り巻きと一緒に、駅のあるこちらに向かって一直線に突き進んでいる。
狙いは多分、鳴神くんだろう。
個人単位で甲種の脅威となる鳴神くんがこちらに逃げてた事を見ていたクソ亀は、完全にトドメを刺す為に向かっていると予想している。
政府の方は進路方向から富山駅が危険である事を発表し、付近にいる住民への避難を呼びかけている。
そのおかげで九割の人員はすでにこの場から離脱してる……そう、一割残っているのだ。
道路で事故が起きたので電車で逃げることを選択した人達なのだが、肝心の列車でも不備が発生して戻るのが遅れてしまっている。
こんなことなら最初から車で逃げていたとパニックになる人や、走って逃げようとする人、大きな建物に立て篭もろうとする人などなど…わりとパニック映画じみたことになっていた。
政府もこの状況を解決すべく、富山空港で待機していた自衛隊の一部隊を駅に向かわせて時間稼ぎをするそうだ。
たった一部隊で何が出来るのだろうか、何もしなかったと言われることを避ける為なのかもしれないが、それにしたってこんな場所まで向かわせられる人達を不憫に思う。
それと同時に、こうも思った……なんと都合がいいのだろうと。
彼らが頑張れば頑張るほど、囮になってくれる。
これほどのチャンスは二度とないといっても過言ではないほどだ。
さぁ、あのクソ亀にクソみたいな人類の生き汚さというものを味わわせてやろう。
国道四十一号線、自衛隊の人達はそこに車両によるバリケードを築いて待機している。
俺はバレないように遠目から見ている、見つかったら絶対に後方に連れ戻されるからだ。
まぁ場所が場所だから絶対にバレないと思うが、それでも静かに彼らの動きを監視していた。
地面が揺れた気がした、それが合図になった。
様々な外来異種の遠吠えや威嚇の声が聞こえ、その全てが発砲音でかき消された。
それでもなお侵略は止まらない、バリケードを超えて襲い掛かる外来異種を相手に善戦しているものの、その物量は圧倒的だった。
しかもトドメにクソ亀が圧縮した消化液を吐き出してくる。
量こそは少ないものの、その速度と射程距離はまるで銃であった。
皮膚に触れれば強酸を浴びたかのように火傷するものだ、四十一号線を死守していた部隊は一斉に退いていった。
前までならあのクソ亀は、人がどうこうしようとまるで気にしていなかったことだろう。
けれども、鳴神くんという存在のせいで人そのものに脅威を感じている。
そしてそれが、俺の作戦にとって最高の状況を作り出した。
富山城の近くまでクソ亀が近づいた事を確認した俺は、堀の水の中から飛び出した。
外来異種はどいつもこいつも俺のこと気に止めずに自衛隊の人達を追っている…何故か?
それは俺が丁種である鱗蛭を全身にまとっているからだ。
外来異種は基本的に外来異種を襲わない。
つまり、今の俺はやつらと同じ外来異種と認識されているのだ。
ぶっちゃけ死ぬほど気持ち悪いし、ずっと水の中にいたせいで寒くて身体が震えていた。
どうしてこんなことしなけりゃならんのだと何度も何度も思っていた。
それもこれも全部あのイケメンが悪い!
訂正…一割くらいはイケメンが悪い、残りは今この場にいるクソ共だ、くたばれクソ共。
俺は網とロープを組み合わせたものをクソ亀に投げつけ、身体に引っ掛けてそれを伝って上に登る。
近くのビルやマンションから飛び移るという手も考えたのだが、飛距離が足りなかったら死ぬので安全策をとったのだ。
なんとか首の近くまでよじ登り、そこからは小さなナイフを刺して足場にしながら登っていく。
クソ亀は何か違和感を感じているかもしれないが、それよりも目の前にいる自衛隊の皆様にご執心のようなのでこっちに気にかけてる暇はないそうで。
いやぁ、囮にしてしまったようで本当に申し訳ない。
一人だけこんな安全でほんとごめんって思ってる。
そう思った瞬間、顔の横を何かが通り過ぎた感覚があった。
……やべ、流れ弾のことはまったく考えてなかったわ。
まずい、まずい、まずい!
このままじゃフレンドリーファイアーで死ぬぞ!?
もし死んだら末代まで枕元に立って俺の顔を死ぬまで拝ませてやる!
俺は死ぬ気で首を登りきり、なんとか顔の近くに辿り着いた。
先ほど消化液を吐いたせいだろうか、死ぬほど口が臭い…。
ただ何度も吐いたせいなのか呼吸が荒いので、吸う瞬間を狙って病院でパク……落ちていたものを口の奥へと投げ入れた。
これで俺のやれることはやりきったので、急いでクソ亀から降りて駅の方面へと逃げ出した。
「あれは…新種のヒト型外来異種を確認しました! 発砲許可を!!」
「俺は人間でええええええっす!!」
そうだった、鱗蛭を纏ってるせいでホラー映画の登場人物のような風貌になっているんだった。
スグにまとわりついた鱗蛭を落とすと、銃口を下げてくれた。
「君はいったい何を……早乙女、民間人を後方まで護衛しろ!」
「ハッ!」
そう言うと、早乙女と呼ばれた自衛隊員が俺を持ち抱えてくれたのだが、他の人がこのまま残っていたのでは無駄死にである。
「逃げるなら全員で逃げましょう! もうすぐで効果が出てくるはずです」
そう言うと、何人かの自衛隊員はクソ亀の様子がおかしい事に気付いたようだ。
「あいつは食ったものをそのまま肉体に取り込んで再生する性質を持ってます。なので、とびっきりのものを食わせたんですよ」
「ど、どんな毒物を……?」
クソ亀は痛みに苦しみ、のたうちまわっている。
それに周囲にいた外来異種が巻き込まれ、同士討ちをし始めたやつも出てきた。
まぁそうなるわな、あんなもん取り込んだら。
「病院にあったがん細胞です」
いやー、マジで残っててよかったわ。
俺も一度よく分からない腫瘍を手術でとったとき、お医者さんにそれを見せられたことがあったから、どっかで保存してることを覚えていてよかった。
クソ亀はコンクリを取り込めばコンクリの皮膚を、土を食えば土の皮膚で再生される。
有機物だろうが無機物だろうが、取り込んでその性質を発現させるその長所が仇となったのだ。
あれだけの巨体だ、新陳代謝も相まって今ごろは各所にできたがん細胞がドンドンと異常増殖していることだろう。
何を食おうと、何をしようと、もう逃れられない。
多くの治療薬や手術を経ても未だに勝てない人類の脅威だ、そう簡単に克服されてたまるかってんだ。
クソ亀の皮膚にもガンが転移したのか、所々に黒い斑点が出てきている。
あとは放置しといても勝手に死ぬことだろう。
……気のせいか、クソ亀と目が合った気がする。
大きな咆哮、そして震える大地……もしかして、俺がやったってバレタ?
「逃げましょう!」
そう言って俺は全力疾走で駅に向かった。
数秒で後ろにいた自衛隊員の人に追いつかれた。
苦しいし悲しい、主に呼吸と心臓が。
一際大きな咆哮が聞こえ、首筋から危険信号を受け取ったので横のビルに飛び込んだ。
そしてすぐに大量の消化液が空から降り注ぎ、何人かの悲鳴が聞こえた。
確かにあいつは放っておいても死ぬ…だが、いつ死ぬかまでは誰にも分からない。
つまり…このまま駅に残っている人達の方が先に死ぬ可能性も十分なのだ。
うまくいくかと思ったけど、そう上手くいくわけがないか。
俺の人生、こんなんばっかや。
「オラッ! お前の相手はこっちじゃい!!」
消化液による負傷で自衛隊員が落とした銃を拾い、クソ亀に向けて乱射する。
当たったかどうかは分からないが、こちらに気付かせることには成功した。
俺がここで一秒稼げば、一秒分だけ死人が減る。
十秒稼げば十秒分、60秒稼げば60秒分の命が助かる…秒単位で計算される命のなんと安いことよ。
まぁ今から吹き飛ぶ俺の命ほどではないんだが。
とにかく近くのビルに逃げ込んで篭城戦だ。
崩されたら次のビルに移動して、また誘導して……途中で死ぬ頃には、駅の人達は逃げてるだろ。
逃げてなかったら知らん、そこまで責任とれるか、死ぬ気で誘導するだけマシだと思ってくれ。
兎にも角にも先ずはビルに避難しなければ話にならない。
急いで近くのビルに駆け込むと、誰かとぶつかってしまった。
「イタタ…あっ、荒野さん!」
自分の時間が止まったかのような錯覚に陥った。
未来ちゃん、とっくに県外に避難したんじゃなかったのか、どうしてここにいるのか、危ない、巻き込む、どうなる、どうすべきだ……混雑した情報が一気に頭の中を駆け巡る。
そして俺は銃を投げ捨て、未来ちゃんの手をとって外を走り出した。
自前の質量だけでビルを崩すようなやつだ、あんなん石の棺桶にしからなん!
だから今やれることなんて、とにかく走って逃げることしかない。
未来ちゃんの手を引くように全力で走る。
後方で異音がしたので振り向くと、クソ亀の皮膚や尻尾が自壊しているのが見えた。
その痛みで再び消化液を吐こうとしたようだが、喉のヒビからいくらかの消化液が漏れており、口の中の消化液はこちらに届く途中で地面に落ちた。
それでも強力な消化液である、ハネた消化液がこちらに飛んできたので、咄嗟に未来ちゃんを庇う。
右腕と、そして右足に消化液がかかった。
本当に焼けるような痛みが襲い掛かってきたが、涙を流しながらも歯を食いしばって堪えた。
まだだ…まだ走らないといけない。
「荒野さん、こっちに!」
未来ちゃんが俺の右半身を支えるようにして一緒に走ってくれてるが、先ほどと比べると段違いで速度が落ちていた。
それでもこの子は俺を見捨てたりせず、そして俺を信じるような目で一緒に走ってくれていた。
俺はこの子を守る為にも、走らなければならない義務がある。
クソ亀の自壊はかなり進んでいる、足も半分が千切れて再生せず、生々しい臓器がいたるところから見えている……だというのに、まだ死んでいない。
喉から何かの体液が漏れているのが見える…どうやらまだこちらに消化液を飛ばせるようだ。
もう隠れることも、距離を引き離すこともできない。
クソ亀がドス黒い消化液を雨のように降らせてきたのを見て、咄嗟に未来ちゃんに覆い被さった。
俺が死ぬのはもう仕方がない、そういう人生だったのだろうと諦められる。
そもそも、こんな状況になったのは俺がおかしなことを企んだことが原因なのだ。
生きる為ではなく、ただの自己満足の為に多くの人を巻き込んだ、死んで当然である。
でも……それでも、この子は違うだろう!?
ただ俺よりも若くて、未来も希望もある…巻き込まれただけの、不幸な女の子なのだ。
「大丈夫です…大丈夫ですよ…!」
自分自身も不安だろうに、こんな時でも俺なんかを励ましてくれている。
世の中の不条理なんてものは何度でも味わってきたが…それでも、この子が死ぬのは違うだろう!?
今この場で死んでいいのは、俺だけのはずだ!
生温い液体が全身に降り注ぐ。
何があろうとも、胸の中にいるこの子にだけは絶対に浴びせないように強く抱きしめる。
だが来るはずの痛みはなく、代わりに大きな地響きが鳴り響いた。
起き上がって後ろを見てみると、そこにはひび割れたアスファルトに倒れ伏した巨躯があった。
どうやら最後に吐いたあれは消化液ではなく、死ぬ間際の吐血だったようだ。
「ほらっ、やっぱり大丈夫でした!」
未来ちゃんが立ち上がり、俺をまた抱え起こしてくれた。
小さな女の子に支えられながらその死骸に近づくと、凄まじい異臭が漂ってきた。
周囲を軽く見てみた感じ、完全に死んだように見える。
しばらく観察していると、遠くから俺と一緒に逃げてきた自衛隊員の人がこちらに走り寄ってきた。
「こいつは…死んだってことでいいのか?」
「これで死んでなかったらとっくに人類は絶滅させられてますねぇ」
それにしても、ようやく終わったのか。
こんなに疲れる帰省は生まれて始めてだ、まぁもう帰る事もないだろうけどさ。
「爆発する可能性もある、この周囲は立入り禁止にしておかねば」
「ああ~…こいつが中国製だからですか?」
「……死体の腐敗ガスが集まり、体が膨張して爆発する事がクジラなどでも確認されています」
そうか、中国だからといって必ずしも爆発するわけではないのか、安心した。
もしも合ってたら、これから先ずっと中国で確認された外来異種は全て爆発すると思い込むところだった。
一瞬、死骸が動いた気配がした。
俺は隣の未来ちゃんの前に立ち、自衛隊の人達は銃を構える。
マジでまだ生きてるのだろうか……こっちで切れる手札はもう全部切っている、これ以上は絶対に死ぬことを確信できている。
しばらく待つと、ひび割れた表皮が破れてそこから肉汁のようなものがこぼれて流れてきた。
「このクソッタレめ、死んだ後も驚かせやがって!」
だが、もう死んでいるのだ。
俺が何をしようと、こいつは何もできない…ざまぁみろ!
「なんだこれは……蛆か?」
自衛隊の人が流れ出た体液をすくうと、そこにはビチビチと動く虫のような生物がいた。
そこで俺は前に不破さんが言っていたことを思い出す。
外来異種の死骸を放置していると、蝕という外来異種が発生するという事を……。
この巨大な怪物の中にどれだけの外来異種が潜んでいるのかということを考え、それがコロニー化に十分な量だと気付くと背筋に寒気が走った。
このクソ亀…最後の最後に、なんて厄介な置き土産を残しやがったんだ!!
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