第3話:警察署の温度は人肌

 自分はいま警察署にいる、前科はまだない。

 ……そのはずだ。

 取調室っぽい所にはいるけれど、これはあれだ、配慮された結果ここに通されただけで別に悪い意味ではないはずだ、そうであってくれ。


 そんな感じで自分は悪くないと暗示をキメていると、扉からいつも区役所で対応してくれるブンさんが入ってきて驚いた。


「あぁ、遂に……」

「待ってブンさん、遂にって何が遂になの?」

「いつかやるとは思ってたけど、まさかこんなに早くだなんてね…」

「なにその事件現場の近くでTVでインタビュー受けた近所の人みたいな答え方」


 しかも「こんなことする人とは思わなかった」とかじゃなくて「いつかやる」って思われてたことが驚きだよ。


「うん、本人確認も出来たみたいだし問題なさそうだね」


 扉の奥から顔を覗かせてこちらを見ていた刑事さんが入ってきた。

 確か一緒に叫竜(きょうりゅう)にトドメを見届けた人だ。


「いやぁ、悪いね荒野さん。穏便にするためにはこうするしかなくてねぇ」

「荒野くん、警察のお世話になるって何したんだい?」

「仕事ですよ、仕事。叫竜の首切って持ち帰ろうとしたら警察の人に呼び止められて、そのままパトカーでここまで送迎されたんですって」

「二つ付け加えるなら、血まみれた動物の死体のようなものを引きずりながら、女学生を背負って何処かに行こうとしていたね」

「……きみ、警察の人に感謝しときなさい。それはヘタするとスマホで撮影されて晒されて、あることないこと書かれたりされてたよ」


 そうかな、そうかも……。

 確かにあの場で職質されてたら野次馬に撮影されて大変なことになってたかもしれない。


「いやー、それにしてもまさか別れて数分でいきなり連絡がくるとは思わなかったよ」

「私も職員生活は長いけど、まさか担当してた子が警察のお世話になって迎えに来るのは初めてだったねぇ~」

「あの、お二人ともその辺にしてもらえると助かります…」


 これ以上傷口に塩を塗られると地面を転げまわりそうだ。

 これからはもうちょっと外の目を気にするようにしよう。

 先ずはファッションから……いや無理だ、諦めよう。

 普段着が作業着でもいいじゃない、個人業者なんだもの。


「そうえいばブンさん。叫竜の死体を運びたいんですけど、一緒に背負ってくれませんか?」

「嫌だよ、腰をいわしちゃうって。警察の人から外来異種の死骸についても聞いてたから、ちゃんと軽トラで来たよ」


 あの生臭いものを背負って区役所まで歩かなくて良いとは素晴らしい。

 それと同時に、こういった配慮をしてもらうことで、自分が大人としてまだまだ未熟であることを痛感する。


「ところで荒野くん、ここにこういう用紙があってだね」


 そう言ってブンさんはお決まりのように乙種免許の申込書を出し、指でトントンと記入箇所をさす。


「すいません、判子とか持ってきてないんで……」

「サインでいいよ。ほら、今のままだと運送費でお金かかっちゃうよ?」


 アカン、セールストークの類ならいくらきても論破するか頭がヤバイ振りをして逃げられる自信があるけれど、この人のこの圧はちょっとどうにもならない。


「あー、実はそのことでお二人さんにちょいとお話がありまして……」


 刑事さんがとても気まずそうな顔をしながら言いよどむのを見るに、いいお話ではなさそうだ。


「あの丙種なんですがね、警察側が駆除したって体で処理をお願いしたくてね……」

「はぁっ!?」


 それを聞いたブンさんが珍しく声をあげていた。

 ただ、自分は若干そういうことになるんじゃないかなぁと思っていたので、特に驚きはしなかった。


「いや、お二人の言いたいこともよぉく分かります! ただ、今回の一件を軟着陸させる為に必要でしてね」

「本当に分かってたら、これで飯を食ってる人の前でそんなこと言えないでしょう」

「もちろん、報酬の金額については全額荒野くんに渡します。上の人間が欲しがってるのは実績だけでしょうからな」

「その実績っていうのがどれだけ大事か分かってますか? 金を払ってもついてこないからこそ実績という信用の積み立てが大事なんでしょう」


 刑事さんが頭を下げながら説明しているが、それに対してブンさんが自分の為に反論してくれる。

 とても嬉しい。

 ただ、ブンさんの左手にある免許更新用紙のせいで素直に喜べないのは、自分の心が汚れているからなのかもしれない。


「まぁまぁ、ブンさん。いいじゃないですか」

「よくないよ。荒野くんはまだ若いから実績ってものの大事さが理解できてないんだろうけど、仕事をこなしたらその成果を認めるっていうのは当たり前のことで決して疎かにしていいことじゃないんだよ」

「いえ、いいんです。そもそも丙種はそこの刑事さんがテーザーガンで仕留めて、俺はトドメの確認をしただけですし」

「まぁそれも荒野さんが動きを止めてくれていた功績ってのもあるんですがね」


 自分がこの一件に納得しているのは、この刑事さんががいるからだ。

 もしもこの事を知らない人に言われていれば文句の一つや二つ…言わないまでも、心で思うことだろう。

 だけど、あの丙種の駆除に関わった刑事さんが言っているからこそ、その人が上の人間に言われながらも頭を下げているからこそ、その提案を心から受け入れられるのだ。


「まぁそんなわけでして、この一件についてお金が出るなら自分としては問題ありません」

「いやー、流石は荒野さん! そう言ってもらえると、こちらも助かります」

「はぁ…分かりました。けど荒野くん、何かあったら自分だけで抱え込まずにちゃんと相談してね」


 ブンさんからの温かい言葉が五臓六腑に染み渡る。

 だからブンさん、その左手の用紙を今すぐ仕舞ってください。

 もしもその温かさが心にまで届いたらサインを書いてしまいそうなんで。

 そんなこんなで丙種の駆除に関する問題が解決した。


 そして、扉から控えめなノック音がした。

 刑事さんがどうぞと言うと、扉から自分が助けた女の子が入ってきた。


「えーっと…未来さんだったかな。身体はもう大丈夫かな?」

「は、はい。おかげさまで、もう大丈夫です」


 おどおどとしながらも、未来と呼ばれた女の子はしっかりと返事をした。

 身を挺して助けた甲斐もあり、怪我もなさそうであった。


「うんうん、そこの荒野さんにもお礼を言っておくといいよ。…まぁ、キミが気絶しちゃった理由も荒野さんなんだけどね」


 その一言でブンさんが物凄い目でこっちを睨みつけてきたので、誤解を解くために必死で弁明する。


「ち、違うんですよ。丙種が本当に死んでるか確認する為にクビを斬りおとす必要がありまして、その……現場がちょっとショッキングで彼女が倒れてしまって」

「何も違わないよ、キミの責任だよそれ。だからもうちょっと周囲の目と配慮というものをねぇ…」

「はい、はい…その通りです」


 ブンさんにこう言われたらもう頷くことしかできない。

 それに、ガラスのスコールからは助けられたけれど、だからといって気絶させたことはセーフにはならない。

 責任は分割も代えることもできないのだ。


「いや~それにしても現場じゃ負傷者が100名を超えるって話だし、未来さんは本当に運がよかったね」

「あ、いえ、そこのお兄さんについていけば大丈夫って夢で見てたので」


 夢……夢で見てた?

 どういうことだろうか、もしかしてこれが夢女子というものだろうか。

 ということは、自分は二次元の王子様だった……?


「あー…もしかして、新世代の子か」


 刑事さんから初めて聞く単語が出てきた。

 それを聞き、女の子もゆっくりと頷いた。


「新世代って何ですか?」

「俗称というか何というか……」


 刑事さんが言葉を濁すように言いよどむのを見て、ブンさんが言葉を続けてくれた。


「外来異種が現れ始めてから五十年、私達には世代差ってものが確認されていてね。例えば私ら中年は抗体世代って呼ばれてるよ」


 抗体という言葉を聞き、人体の仕組みが頭によぎった。

 ブンさん達が抗体ということは、この場合のウィルスは外来異種…モンスターのことだろうか。


「そして次の世代が適応世代、荒野くんの世代だね。この頃から外来異種が由来とされる薬や料理を摂取しても問題がない子が増えてきた」


 そういえば風邪の時に薬を処方される時も、何故か両親の年齢などを記載することを不思議に思っていた。

 これはつまり、ブンさんの言う適応世代を見分けるためなのだろう。


「最後が新世代なんだけど、これはちょっと分類が特別でね。普通は持ち得ない何かしらの能力が認められた場合に限るらしいよ」

「あたしの場合は夢で将来のことが分かる予知夢みたいなものなんです」


 なにそれメチャクチャ羨ましい!

 もし本当のことなら競馬の結果とかが先に分かるから、いくらでもお金が稼げるじゃないか!


「あ、でも…見たいものが見れるわけじゃなくて、映画のワンシーンだけが再生される感じだから、そんなにいいものでもなかったりします」


 残念、流石にギャンブルで荒稼ぎできるような能力ではなかったようだ。

 そして普通は持ち得ない何かしらの能力と聞き、不和さんのことを思い出した。


「すいません、その新世代って…抗体世代の人もなったりしますか? 例えば素手で外来異種をぶっ殺したりとかする人なんですけど」

「あぁ、ロシアでマッチョな人が駆除する動画のアレ? あの人は普通の抗体世代だね。どうも抗体世代の人は外来異種に対して強かったりする人が多くてね」


 ロシアすげぇ、素手で駆除してしかも動画になってるのか。

 …いや、それを考えると不破さんもヤバイな。

 片手で皮剥の頭を潰したわけだし。


「だから抗体世代の人は強く見えるけど、別に素手でコンクリートを破壊したりはできないからね」

「そいつぁよかった。もしもそんな奴が増えて犯罪者が増えようものなら、俺たち警察の人間からしたら堪ったものじゃないところだ」

「ところでブンさん、そうなると適応世代の俺とかって何か強みはあったりするんですか?」

「………お腹が壊れにくい、とかかなぁ?」


 しょっぺぇ……これ、適応世代だけ弱すぎる気がする。

 外来異種駆除を仕事にするなら抗体世代として生まれてきた方が勝ち組だったんじゃなかろうか。


「まぁまぁ、荒野さんと同じ同業者で若い人も活躍してTVに出てるじゃないですか。頑張ればきっと同じくらい稼げるようになりますよ」


 刑事さんの励ましが身に染みる。

 そうだ、俺だって頑張れば一攫千金を狙えるはずだ!


「あぁ、あの天才駆除ハンターの子? あの子らは新世代だね」


 そしてブンさんの一言でどうしようもない現実に引き戻される。

 やっぱり自分には身の丈の仕事をコツコツこなす人生しかないようだ。


 そんな感じでくさっていたら、女の子がこちらに話しかけてきた。


「あの、改めまして未来 六華です。助けて頂きまして、本当にありがとうございます」


 うやうやしく頭を下げる彼女を見て鬱な気分が吹き飛んだ。

 ウンウン…クソみたいな仕事だけど、こういう子に感謝されるなら仕事のモチベーションも上るというものだ。


「どういたしまして。怪我をしなかったのなら何よりだよ、未来ちゃん…さん?」

「実はお兄さんにひとつお願いがありまして…」

「うん、いくら?」


 そう言ってサイフを取り出すと、刑事さんとブンさんから凄い目で見られた。

 ち、ちが……これは可愛い子へのお布施で…邪な目的はないんです……ッ!


「あの、お金じゃなくて…その……一緒に雅典(あてね)学園に来てもらえませんか?」


 雅典学園と聞いてそこ場にいた全員が驚いた。

 それもそうだろう、お嬢様学校として有名な所だ。

 見たこと無い制服だと思ったが、まさかそんな場所から来ていたとは思いもよらなかった。


「えぇ~っと、未来さん。事件についての説明なら警察側からするよ」

「あ、ごめんなさい。そういうのではなくて、夢のお話なんです」


 彼女の言う夢というのは、予知夢のことだろうか。

 つまり、彼女は自分と一緒にその学園に向かう夢を見たということだろうか。


「荒野くん、悪いこと言わないから止めときなさい。下手なことしたらお縄にかかる程度じゃ済まないことになるよ」

「そうですね、俺もお嬢様学園に入るにはその資格はないと思ってましてよ」

「荒野くん、別にお嬢様学校にいる子がお嬢様言葉を喋るとは限らないよ」


 ヤバイ、身の危険を感じるよりもお嬢様学校に入りたいという欲求が勝ったせいで身体がお嬢様になろうとしている。

 このままでは身も心もお嬢様になってしまう。


「えっと、来てもらえないんですか?」

「ごめんね、ちょっと行く勇気が足りなくて…」


 未来ちゃんの曇った顔を見たせいで心が痛むが、つくかもしれない自分の経歴への傷に比べれば軽いものだ。

 というか女学園で受ける傷とか、恐らく社会的に死傷する可能性まである。


「あの、来ないと大変なことになるかもです……具体的には、あたしは予知夢の通りに動いて無かったら死んでたかもなので、お兄さんも大変なことに――――」

「行きまぁす!!」


 そんなこと言われたら行くよ、行かない選択肢がないよ!

 流石に社会的に死ぬか本当に死ぬかを選ばされたら社会を捨ててでも生きるよ!!


「それじゃあ、おじさんはちょっと事件の後始末とかあるから…」

「丙種の死骸はこっちで処理しとくから、荒野くんは……まぁゆっくりしていくといいよ」


 そのゆっくりしていくといいという言葉は、留置所でとかそういう言葉がつくのだろうか。

 頼りにならない大人に背を向けて、俺は雅典女学院という異世界に向かうことになった。

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