第84話:水底での再会

 中国の山東省、煙台市には蓬莱区という場所があるが、ここは目的地ではない。

 ここから海に続くトンネルがあり、小さな高速列車でその長いトンネルの中に入る。

 そして何枚もある隔壁を何度も開けながら進み、大型エレベーターに乗り込む。


 そうして水深千メートルに到達することでようやく入ることができるのが、この人類初の海底都市"蓬莱"なのである。


『シートベルトを外し、順番に列車から降りてください』


 アナウンスの指示に従て順番に乗客が降りていくので、自分も着馴れない高級スーツを正しながらその後に続く。

 ちなみにスーツは結構な高級品が必要とのことでレンタル品にしたのだが、これ買うと何十万もするらしい……。


 列車から降りて周囲を見渡すと、そこはガラス張りのドームであり、明るくライトアップされた海底の幻想的な風景が広がっていた。

 海の底といえば恐ろしいイメージがあるものだが、ここを見る限りはそれがまるで嘘のように感じた。


 ドームの奥にはさらに大きなドーム……そしてその中に大小様々な建築物が見えた。

 あれこそが"蓬莱"そのものなのだろう。


『入場検査を行います。列に並び、順番にお進みください』


 そうして再び入念な検査が始まる。

 個室に入り、二人の警備員が随伴して荷物の一つ一つを改められていく。


 チケット・パスポート・身分証明書の照会はもちろん、ノートPCの中身なども見られた。

 エッチなやつは全部外付けのハードディスクに入れ、日本に置いてきてあるので何もやましいものはない。

 問題は自分の眼が届かない場所なので、もしも誰かに発掘されて見られたら死ぬということだ。

 ……大丈夫、大丈夫なはずだ、背中から這い寄るこの感覚は、きっとそれとは別のはずだ。


「そちらの杖ですが、足が悪いのですか? そういった記述はありませんでしたが」


 そして手に持っていた杖についても尋ねられる。

 ここで預かってもらえれば、もし何かあっても杖が暴走するとかそういった危険から逃れられるのだが、流石に巻き込むのはかわいそうなのでやめておこう。


「これはファッションです。杖、カッコイイじゃないですか!」

「主任、X線検査でも異常がなかったので問題ないのではないでしょうか」

「問題なかったんですか!?」


 いかん、ついうっかり本音が出てしまったせいで警備員さん達から疑いの目が強くなってる。

 とはいえ、爆発物とかそういうのじゃないのなら持ってても安心だな!


 ……いや逆に怖いわ、あの人らこの杖に何を仕込んだんだよ。

 何かと組み合わせたら核分裂が起きるとかじゃないよな?


「しゅ……主任! これを!」


 警備員さんが九条さんから預かった未来ちゃんノートの中身を見て声を荒げるのだが、何かおかしなことでも書いてあったのだろうか。


「何やら専門用語のような記述があります。もしかしたら―――」

「キミ、ちょっといいかな」


 警備員さんが腰にある警棒のようなものに手をかけるのが見えた。

 あれ、もしかして産業スパイか何かだと思われてる……!?


「ま、待ってください! それは俺のノートじゃないです! 知り合いの女子生徒のノートなんです! ほら、字とか女の子っぽいでしょ!?」

「言われてみれば確かに……」


 必死に弁明したおかげでなんとか難を逃れられそうだ。

 まさかここに来る切っ掛けになったノートのせいで捕まりそうになるとは思いもしなかった。


「で、なんでキミは女子生徒のノートを持っているんだ?」


 ……なんででしょうね、俺にも分かりません。

 いや届けるように頼まれたからなんだけど、それ説明しても絶対に信じてもらえないという確信がある。

 だってわざわざそんな物をここに直接来て渡す理由がないしね!


「取り敢えず、中に何が書かれているのかを確認するために翻訳者を呼んでこい」

「分かりました!」


 そして自分はそのまま個室で待機ということになり、同室の警備主任さんと気まずいひと時を過ごすことになった。

 ここが銃社会のアメリカだったら、今ごろ頭に銃をつきつけられていたいたかもしれない。


 それから数分後、ようやく事態が進展したと思ったら、見覚えのある胡散臭い笑顔がやってきた。


「はいはい。そんで私に見てほしいものは―――って、日本にいたボランティアさんやんか! こんなとこでどうしたん?」

「そーちーらーはー………無題だっけ?」

「无题や! 意味はそっちで合っとるけどな」


 そうだ、无题だった。

 それにしても、まさかコード・イエローラビットの人とこんなとこで出会うとは思いもしなかった。


「无题はここで何を?」

「ここの警備みたいなもんや。逆にあんさんは何をやらかしたんや」

「違う、無実なんだ!」

「犯人は皆そう言うんやでぇ」


 冤罪の人だって言うよ!

 というか冤罪の人が"私がやりました"って言っても解放されないよ!


「まぁええわ。それで、なんぼだす?」

「なんぼって……もしかして賄賂? 賄賂渡さないとここから出られないの?」


 ヤバイな、カードしか持ってきてないから文字通り文無しなんだが。


「いや、金くれたらこの人らにあんたのことを日本で超有名なイケメン俳優やって紹介したるで」

「ドブに金を捨てるようなもんじゃねぇか!」

「されどここは海の底ってな、探せば金が落ちてるかもしれへん」


 イケメン俳優とか秒でバレる嘘をついてどうする。

 こんなとこで見栄を張ったところで顔の見栄えは変わらんぞ!


「まぁそんな非生産的な嘘は置いといて……ほぅほぅ、これは確かにただの学校のノートやな。別におかしなもんはないで」


 そんなことを言い合っていると无题はノートをパラパラとめくり、問題ないことを証言してくれた。

 おかげでなんとか無事に解放されたので渡された灰色の腕章をつけて、ようやく"蓬莱"に入る門の前まで来ることができた。

 門の前にはすでに検査を終えた人が集まっており、他の人の検査が終わるのを待っているようだった。


「そういえばここは電波が届かへんから、外と連絡するときはお金払って許可証もらってから門の外に出て専用の設備がある施設に行かなあかんで」


 外への連絡かぁ。

 久我さんは中国に来たときに電話したけど忙しいのか通話中だったから簡単にメッセージだけ送ったから別にいいし、無事に到着しましたって連絡する相手もいないから必要ないかな。

 あ、スマホゲーのログインが途切れる……イベントにも参加できない……周回も……周回から、解放された……?


「そういえばこれからここに入る前に簡単な説明があるんやけど、その後はどうするつもりや?」

「知人を探して、その後のことはそのときに決めようと思ってるけど……。え、何? もしかしてついてくる気?」

「ほら、他のお客さん見てみれば分かるけど、一人で来る奴はおらんのや。だから寂しゅうないようにワイが賑やかし兼案内役でもやったろうかと仏心をチューブを捻るように出しとるんや」


 確かに周囲は集団だったり家族連れだったり夫婦っぽかったりで、一人なのは自分だけだった。

 ただ、これ監視じゃないだろうな。

 まぁ悪いことする気はないから別にいいんだけどさ。


「そういえば、他のコード・イエローラビットの人達もここにいるの?」

「おるでおるで、仰山おるで。一人見たら百人いると思ったほうがええ」


 百人もこんなとこで何してんだよ。

 ……いや待て、本当にどうしてだ?


「无题、ここって安全なんだよね?」

「せやで。外敵から、そして外来異種からも完全に守られた絶対防御の海底都市や」

「じゃあ、"何"から守るためにここにいるの?」


 しばらくの沈黙……そして无题はただ笑顔を見せるだけだった。


「ぼくお家帰る!」


 踵を返そうとしたのだが、无题が肩を掴んで引き止めてきた。


「まぁまぁ、まぁまぁ! 安心しぃや、今回はたまたま来ただけや。ほら、ここは最新の研究設備も揃うとる。やから、外来異種の検体を運ぶときにアクシデントがあっても大丈夫なように待機しとるだけや」

「映画だとそれが逃げて大パニックだよね」

「映画の見すぎや。誰かが逃がそうとせん限りは平気やし、逃げたところでワイらが何とかする。そもそも、そんな奴は入口で弾かれるからなーんも問題あらへん」


 まぁ確かにここに来るまで厳重なセキュリティ体制だった。

 それに奥多摩で活躍してたコード・イエローラビットの面々であれば大丈夫だろう。


 それでも、絶対というのはない。

 俺の今までの人生が、それを証明してる。


 そんなことを話している間に全員の検査が終わり、門の前に集合した。

 それから職員さんが中での規則や禁止事項を説明する。


 腕章は身分証明にもなっているから絶対に外さないでほしい、海底のせいで気温が低いので上着などをしっかり羽織るように……とまぁ、そんなことばかりであった。


 そしてようやく全ての説明が終わり、門が開かれた。

 光がほとんど届かない海底でありながら、それを払拭するかのように光で照らされたビルが立ち並び、まさに海底都市と言うのに相応しい光景だった。


「というわけで、"蓬莱"へようこそおいでやす! 海の底にこんなんがあるとは、亀に乗ってやってきた浦島太郎もビックリ仰天やで」

「中国にも浦島太郎いるのか」

「ん…まぁおるで。それで、知り合いさんは探さんでええんか?」


 そうだった!

 人が集合している今の内に探さないと死ぬほど面倒なことになる!


「无题も女の子を捜すの手伝って!」

「分かった、警備員呼ぶわ」

「そういうのじゃないからッ! ここに治療に来ている子だからッ!!」


 そんな掛け合いをしている間に人がはけてきたのだが、ちょうど見覚えのある車椅子が見えた。


「すみません、未来さん!!」

「はい? その声は……荒野さんでしょうか?」


 なんとか見失う前に研究所で見た未来ちゃんのお父さんと、お母さんを見つけることができた。

 それにしても、声だけで自分が誰なのかを判別するのは凄いな。

 何回か電話で話したことがあったけど、かなり前のことだ。

 やっぱり偉い人はこういうところのスペックも自分なんかとは段違いなんだろう。


「いつも娘がお世話になっております、未来 清澄(みらい きよすみ)と申します。こちら、妻の識名(しきな)です」


 そう言って隣にいた儚げな女性と一緒に恭しく頭を下げられたので、こちらも慌てて頭を下げる。


「え……荒野はん、女の子をお世話しとったん? 警備員呼ぼか?」

「ちょっとややこしくなるから黙ってて」


 あとついでに隣にいた无题の頭も下げさせる。

 あっちが頭を二つ下げるなら、こっちも二つ下げないと不公平だからね。


「それで、荒野さんはここで何を?」

「あ~……まぁ、その……し、仕事の一環……ッスゥー……ねぇ」

「なるほど。確かにここ"蓬莱"には様々な技術と知識が集まるとか。外来異種に関する新たな知見を得られるために来られたとは、まだお若いのにとても素晴らしい姿勢です」


 ごめんなさい、嘘です。

 多分ここで勉強しても一週間で忘れる自信があります。


「あっ、そうだ! そういえば雅典女学園の九条さんからノートを預かってまして、未来ちゃんにお返ししますね!」


 気まずくなったのでカバンからノートを取り出して未来ちゃんに渡そうとする。

 しかし車椅子に座っている未来ちゃんはずっとうなだれたままだ。


「わざわざありがとうございます。この子が起きたら渡しておきますので」


 そう言って未来ちゃんのお母さんがノートをしまう。

 やはり未来ちゃんは寝ている時間が長くなってきているようだ。


「さてさて、それで御三方はもうホテルは決まっとるんですかな?」


 ここで静かにしていた无题が口を挟んできた。

 当初の目的は果たしてどうしようかと思っていたので、ありがたいといえばありがたい。


「我々はまだです。先ず先に娘を病院に連れて行こうかと」

「ほなちょいと失礼。娘さんの腕章は赤……確かに患者さんやね。"蓬莱"の中心にあるデカい摩天楼みたいな建物あるやろ? あそこが病院ですわ。」


 无题が指差す方向を見てみると、確かに一際大きくて高いビルが見えた。

 わざわざ海底にいるのにあんな高い建物を作って何か意味あるのだろうか。


「そんでそちらさんの腕章は黄色と。病院近くのホテルを使えるんで、好きなとこに泊まるとええですわ。"蓬莱"にはそれなりに人がおりますけど、流石に満員になるほど人は受け入れておらんので、当日チェックインも余裕ですわ」


 受け入れ人数も絞ってるっぽいし、それなら何処にでも泊まれるわけか。


「ちなみに荒野はんの腕章は灰色。患者さんでもなければ家族でもスポンサーでもないから、内側やのうて外側のホテルしか泊まれへんからな」

「マジかよ。やっぱ内側の方が豪華だったりするの?」 

「そりゃあそうや。中央ほど栄えるのはお約束っちゅうもんや。ちなみに外側いうても北側はまだ開発区域やから入らんようにな」


 まだ工事とかしているわけか。

 まぁ将来的にはもっと大勢の人に公開して高級リゾート感をアピールしたりするんだろう。


 それから未来ちゃんのお父さんとお母さんは改めてお礼を言い、その場で別れた。

 さて……やることなくなったけど何しよう!


 先にホテルを探して部屋を取るべきか、それとも身の回りの品物を買い揃えるべきか。

 どうしようかと頭を悩ませていると、无题が胡散臭い笑顔のまま肩を叩いてきた。


「あんさん、暇ならちょうワイに付き合ってくれへんか?」


 これが可愛い女の子なら一も二もなく飛びつくところなのだが、相手は男である。

 しかもずっと胡散臭い笑みを浮かべたままの、映画なら裏切るポジションのような男だ。


 今ここでこいつを倒したら、俺の背筋で感じている違和感が消えたりしないだろうか。

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