第114話:人類未踏のルビコン

【数時間前:ルビコン研究所】


 荒野くん達が逃げた後、私は本来の目的であるこの研究所に来ていた。

 ここが日本ならば最大限の助力を以って彼を保護することができたが、アメリカでは何もできない。

 だからアイザックに頼むことしかできなかった。


 ……とはいえ、流石に包囲された状態から逃げ切った彼には驚いている。

 作戦記録は目に入れているし頼りになる仲間もいる状態ではあるが、その非常識さを目の当たりにすると何とも言えない。

 蓬莱で彼と行動を共にしたアイザックには同情する。


「ミスター・コウイチロウ、お待たせしました。処置室へどうぞ」

「あぁ、いつもすまないね。今回も無事で済む事を祈るよ」


 いつものように職員に部屋へと案内され、点滴を入れてもらう。

 点滴の中には可能な限り無毒化させた、とある外来異種の体液が含まれている。


 まだ外来異種の分類分けが甲乙丙丁、TIERで区別されていなかった時代……ある外来異種が海上で確認された。


 全長三十メートル以上、体組織の八割が水分で構成されている一匹の外来異種に対して、アメリカは潜水艦や駆逐艦、さらに重巡洋艦という過剰な戦力で挑み……敗北した。


 機銃どころか砲撃や魚雷すらも効果が薄く、それどころか外来異種による超圧縮された高速水弾によって駆逐艦が転覆した。

 重巡洋艦に損害はなかったものの、それが逆に不幸な結末を招くことになる。


 その外来異種は自らを構成している水分をC粒子によって変化させ、それを重巡洋艦に発射し―――大爆発させて撃沈させたのだ。


 しかしこの外来異種も無敵ではなかった。

 同時期にアメリカで発生したハリケーン……アメリカ史上九番目に記録される"ヴィンセント"に巻き込まれ、アメリカ西海岸に衰弱した状態で打ち上げられたのである。


 そしてアメリカ政府はこの外来異種を駆除することよりも、利用することを決定。

 水の一滴すら漏らさない型を作り、そこにハメ込むことで無力化に成功。

 その外来異種は人類の悪辣さと貪欲さを満たす為の"材料"となった。


 例えば現代においても最も威力の高い爆薬とされているヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン。

 これもこの外来異種を利用したことで発見、実現されたものである。


 この外来異種は、かつてローマの皇帝であるガイウス・ユリウス・カエサルが超えた川から"ルビコン"と名付けられた。


 『ここを渡れば人間世界の破滅、渡らなければ私の破滅。神々の待つところ、我々を侮辱した敵の待つところへ進もう―――賽は投げられた』


 我々人類はカエサルの遺した言葉の通り、ルビコンを越えて敵が待ち受けるステージまで昇り詰めたのであった。


 そして今、そのルビコンの体液によってガンの治療を試みているのが私だ。

 外来異種が持つC粒子は環境改変だけではなく、その外来異種の生態そのものを変化させる場合がある。

 そこでルビコンにガン細胞を注入、それを異物だと認識させて排除させることを記憶させる。

 そして記憶させた溶液を使い、ガン細胞を死滅させようという試みである。


 しかし結果は芳しくない、それどころか体調も日々悪化していっている。

 自分の身体で人体実験をしているのだから当たり前だ。


 甲種"枯渇霊亀"にガン細胞を取り込ませ、それを克服させた細胞を利用した治療も検討されたが、肝心の枯渇霊亀が発見できていない為、この手段しかなかった。


 処置が終わったので別室で休憩する。

 窓の外にはあまりにも不自然で巨大な箱が鎮座しており、それを複数のロボットアームが従者のように管理している。


「孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように……か。老いてもまだみっともなく現世にしがみつく今の私を見たら、死んだ親父のゲンコツが飛んできそうだな」


 それでもまだ私は死ぬわけにはいかない。

 みっともなかろうとも、見苦しかろうとも、彼のように生きるのだ。


≪WARNING! WARNING!≫


 そんなことを考えていると備え付けのスピーカーから大音量の警告音が響き渡る。

 緊急事態ならば先ずは避難が先だろうということで扉から出ると、職員や警備員が慌しく走り回っていた。

 そして私を案内してくれた職員が走ってくるのが見えたので声をかける。


「キミ、これは一体何なのかね?」

「ミスター・コウイチロウ! こ、これは……違うのです……こんなはずでは……」

「落ち着きたまえ。何が起きているのか、どうすればいいのかを教えてくれ」


 ひどく慌てている彼を宥めるように肩を軽く叩いたのが、彼は頭を抱えて震えるだけであった。


「アレは常に流れている、だから水流生命体だと思っていました……違うんです! あれは情報なんです! 伝達する生物だったんです!」


 パニックになっている彼をどうやって落ち着かせようかと頭を悩ませていると、ルビコンの箱に起きている異常に気が付いた。


 何十メートルという巨大な鉄と石の箱が、震えているのだ。


「キミ! あれは一体―――」

「箱の中身に異常がないか、毎日必ず超音波で検査してました! L・RADの効果を確かめる為にルビコンの一部で実験しました! 一部分なら大丈夫だと……それが間違いだった!」

「間違い? どういうことだ!?」

「一部分であろうともそれはヤツの端末にすぎない……僅かな隙間から本体へと情報が送信された! L・RADをコピーされた!」


 支離滅裂な彼の言動から推測するに、どうやらルビコンの一部分がL・RADの情報を取り込み、それを本体に共有したということらしい。

 つまりルビコンを封じている箱が震えているのは、L・RADの仕組みを利用した音響振動によって破壊しようとしているということか!?


「作業で使うほんの僅かな隙間から情報を送信された……今日……今日の作業さえなければ気付けた……コウイチロウ! アナタが! アナタさえいなければ―――」


 彼が掴みかかってきた瞬間、空気の壁が叩きつけられた。

 あまりの衝撃により私と彼は、施設の瓦礫と共に吹き飛んだ。


 地面に叩きつけられながらも、痛み止めのおかげで何とか立ち上がることができた。


「キミ、大丈夫か! キミ!?」


 私と一緒に吹き飛ばされた彼を起こそうとするが、後頭部に大きな瓦礫が直撃したようで、どうしようもなかった。


 悪運が強いせいで、また私だけ生き残ってしまった。


 ルビコン研究所はどうなったか見てみる。

 既にそこは廃墟のような有様であった。

 その中央には大きな黒い泥の流体が……人類が超えたはずのルビコンが、かつての威容を保ったまま鎮座していた。

 周囲に飛び散った黒い泥が蠢き、ルビコンへの元と集まっていく。


 ルビコンは声なき咆哮を上げる。

 それは人類への威嚇か、それとも自由への喜びか。


 私はそれを、黒い大きな影に飲み込まれるまで見つめることしかできなかった。

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