第115話:ファースト・ペンギン

【ワシントンD.C:モンスター総合対策省】


 現在我が国は最悪の状況を迎えている。


 まずアメリカ合衆国のトップシークレットともいえるルビコンの脱走。

 各情報機関からはモンスターを飼っていた理由、脱走した原因、そして対応について求められるだろう。

 これについては公開できる情報を精査した後に発表すればいい。


 ルビコンへの対応についてだが、現状やつはホードに合流しようと動いているらしく、都市への破壊活動もなかった為、被害は最小限といってもいいだろう。

 ……死傷者が出ているにも関わらず、最小限の被害というのもやりきれない話だ。


 次はルビコン研究所の倒壊に巻き込まれた久我が行方不明だったこと。

 これについては先ほど偶然現地にいた少女が救助したとの連絡があり、一先ずは胸を撫で下ろした。

 久我は人体実験まがいのガン治療のため、秘密裏に研究所に足を運んでいた。

 このスキャンダルのおかげで、日本政府からの抗議はあれど、外交的には穏便に着地できるだろう。


 問題は……サンフランシスコ空港で起きたモンスター騒動である。

 日本のエージェントがゲートでモンスターだと検知され、イーサンやエレノアと共にその場から離脱。

 空港の封鎖最中に施設を破壊して外へ離脱し、ザイオン救済団体の支部へと逃走。

 支部を警察に包囲されるも、ルーシーを人質に車で強行突破。

 その後車は発見されるも目的のエージェントと他の人物は行方不明。


 …………どうしてこうなった?

 いや、あのエージェントが問題行動を起こす事そのものは理解できないものの予想はできた。


 私が予想していなかったのは職員達の行動だ。 

 モンスターの検知後、ゲートの不具合を考慮せずに銃を向けたこと。

 空港から逃走した後、ザイオン救済団体の支部に対する包囲の早さ。

 包囲から逃げ惑う民間人がいる中、許可なく発砲した警察官。


 杜撰で不自然なことが多すぎる。

 しかし、そちらを調査しようにもルビコンへの対処や連絡でどうしても後回しになってしまう。


 とにかく、あのエージェントへの排除命令だけは解除―――。

 

「アイザック長官、失礼いたします」


 ノックもなしに扉が開けられ、騒がしい足音を立てながら治安維持人員が入ってくる。

 それに遅れて、国土安全保障省のモンスター鎮圧局の局長であるマットがいた。


 私がモンスターの利用を含めたハト派であるならば、彼は徹底的なまでにモンスターを排除するタカ派の人物である。


「やれやれ、こんなに大勢を引き連れてこなければ私の部屋に入れないほど臆病だったのか?」


 皮肉を込めた言葉と共に一瞥する。

 いつもならば不機嫌な顔を露にするというのに、今の彼には余裕が見えた。


「あぁ怖いとも。アナタがあんなモンスターにリードをつけてなかったせいで、今やアメリカ中がパニックだ。この部屋にも何かいるんじゃないか?」

「目標Rについては対応中だ、モンスター鎮圧局の出番はないぞ」

「それがそうでもないらしい」


 そう言って薄ら笑いを浮かべたマットが緊急連絡用の携帯端末を私の机に置いた。

 端末を手に取り、相手を確認する。


「大統領……」

『アイザック長官、残念ながらキミの権限は一時的に凍結させてもらった。……Rについての情報がリークされた、この件の原因でもあるキミが対応するのは問題があるという意見が多く届いている』

「大統領、私は祖国の為に犠牲になることも、泥を被る覚悟もあります。ですからこの一件については―――」

『キミの献身を疑ってはいない。しかし……私は独裁者ではない、民主主義による選挙によって選ばれた大統領なのだ。国民の意思を無視することはできない』


 私もこの国で生まれ育ったからこそ、自由と民主主義を愛している。

 だがこの時に限っては、その民主主義の……いや、人の不完全さを呪いたくなってしまった。


「……こうしている間にも、Rによる被害は出ております。その責任を私以外の誰が取るというのですか」

「何を言ってるのやら。アナタの起こした災害です、何があろうともアナタが責任を取るに決まっているではないですか。そうそう、この件は私が引継ぎますので安心して拘留されていてください」


 マットが嫌らしい笑みを隠さないまま口を挟んできた。

 どうやらこの愚か者と、それを担いでいる愚衆の浅知恵のようだ。


 私が生贄になるというのであればそれは望むところである。

 だが……だが、無能の指揮によって犠牲となる国民が不憫でならない。


『それと国民の犠牲を最小限に抑える為にもデフコン・Cを発動することになった』


 デフコン……戦争への準備態勢をレベル化したもの。

 通常時でレベル5、レベル4で情報収集の強化と警戒態勢の上昇、レベル3では更に高度な防衛準備となり、レベル2では準戦時態勢、レベル1では国家総力戦を想定し戦略爆撃機が戦略哨戒するようになる。


 このデフコン・Cは対モンスター戦でのレベルとなっている。

 Aであれば州軍による鎮圧、Bであればアメリカ陸軍と海兵隊が鎮圧に向かう。

 Cともなれば海軍や空軍も加わる。


 昔と違い、今は兵器の性能が格段に向上している。

 もしかしたならば、Rとのリベンジマッチに勝てるかもしれない。

 それでも十年前のイーサンとエレノアが巻き込まれたホードを知る私にとっては、まだ準備不足だと言わざるを得ない。


 人類がモンスターを克服するには、まだ何か決定的な一手が必要なのだ。

 しかし、今の私にはもうどうすることもできない。


 ただ静かに犠牲者が一人でも少なくなるよう祈ることしかできないロートルに過ぎない。


 そんなこちらの気持ちなど知らずに、マットが得意げに話しかけてくる。


「そうそう、アナタが最後に出した命令はこちらで握り潰させてもらいました。国内に紛れ込んだモンスターを排除するのが私の仕事でもありますから」

「彼は人間だ。人間でなければとっくに死んでいるだろう」

「ええ、そうかもしれませんね。でも何か問題が? 日本はTier-4のモンスターを相手にしすぎたせいで、発言力が大きすぎる。Tier-4キラーの二人の内、一人くらいはここで削って発言力を削がねばなりません」


 どうやら彼をモンスターだと誤認させて排除しようとしたのはマットの計画だったらしい。

 賛同はできないが、気持ちは理解できなくもない。

 あのエージェントの危険性は計り知れないものがある。

 人間、理解ができないものを目の当たりにすれば排除に動こうとするものだ。


「アナタの手駒であるイーサンもいるようなので、私の三部隊ほど送らせてもらいました。明日にでも決着がつくでしょう」


 ……………は?

 今、この男はなんと言ったのだ?


 部隊を送った?

 機甲師団どころか……レンジャー連隊でもないと……そう言ったのか?


 口の中が急速に渇いていくような錯覚を覚えながらマットに尋ねる。


「何故……彼を狙った?」

「ミスター・クガは日本政府の重要人物、排除するには影響が大きすぎる。エレノアは期待の新世代であり、イーサンは彼女が心を許している数少ない人物なので除外。イヌバシリ氏は拉致被害者であり、排除すると国民に悪感情を持たれる可能性があった。……端的に言えば消去法ですな」


 あぁ―――神よ…………どうしてこの男に、生を授けてしまったのか。


「大統領、今すぐデフコン・ゼロを発動してください!」

『アイザック! そのコードは機密事項だぞ!?』


 マットを含め、その場にいた私以外の全員が呆気に取られている。

 しかしそんなことを気にしている余裕はもうない。


「ええ、知っています。アメリカ本土が敵国、モンスターに侵略された際に自国に対して戦略兵器及び核の使用を許可する存在してはならないコード……それを使う時が来たのです!」


 早まる鼓動と口調を何とか抑えつつ大統領に意見する。

 いや、もはやこれは懇願に近いのかもしれない。

 だがマットが私の手から携帯端末を奪い邪魔をする。


「どうしたアイザック、いつもの冷静さはどこに落とした? 奴の作戦記録と監視データは私も確認したが、そこまで恐れる理由が分からんよ」

「いいか坊や、あのエージェントは人類におけるファースト・ペンギンだ」


 思わず殴りかかろうとしてしまったが、治安維持員が止めてくれたおかげで何とか暴力沙汰にはならずに済んだ。


 海にはペンギンの天敵が多くいる。

 けれどもペンギンはエサとなる魚を獲る為に、天敵が住まう海に入らなければならない。

 臆病なペンギン達にとって、それはあまりにも恐ろしいことだろう。

 

 だが、その天敵がいる海の中へ誰よりも先に飛び込むペンギンがいる。

 他のペンギン達はその一匹に付き従うように後へと続く。

 その最初の一匹こそがファースト・ペンギンである。


 誰もが踏み出せないその領域へ一歩を踏み出し、そして生還した男……それがあのエージェントだ。

 だというのに、ここにいる愚者はそれを理解していない。


「あのな、アイザック……確かに様々な作戦から生還したことは認めよう。だが、いくら調べてもあの男には新世代のような特別なものは何もなかった。ただダイスの目が良かっただけの、怯えたペンギンにすぎないのだよ」

「一度や二度ならば私も同じ判断をしただろう」


 だが彼は何度絶望的な状況から生還してみせた?

 富山生物災害ではTier-4のモンスターが二匹も上陸した。

 イラクではラスールと呼ばれた超巨大モンスターがいた。

 チェルノブイリはモンスターどころかテロリストの巣窟だった。

 蓬莱ではモンスターだけではなく新世代まで敵対し、Tier-4マウスハンターいたというのに、彼はその全てから生還してみせた。


 ダイスの目が良かっただけだと?

 逆だ、彼は圧倒的にダイスに恵まれておらず、日常においては1か2の目しか出せない。

 だが極限状態においてのみ、それは反転する。


 ……いや、訂正しよう。

 人類の誰もがダイスの6を出した所で死を免れない状況において、彼は生還してみせた。

 彼は6までしか存在しないダイスで―――7を出してみせたのだ。

 それは奇跡という言葉ですら生温い、もっとおぞましいものだ。


 彼はただの適応世代であり、人間だ。

 だからモンスターよりも……あのルビコンよりも恐ろしいのだ。


「いいか青二才、どうしてもアレを殺したいならば止めはしない。だが殺すならば国家の総力を以って殺せ。あらゆる犠牲を許容し、全ての手段を行使して殺せ。でなければ……アメリカの総人口が九十パーセントを下回ると思え」

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