第94話:泡沫
こちらの訴えなど素知らぬ風に犬走が装輪戦車の点検を行い、自分は燃料を探す。
ガソリンならそこら辺にあるから簡単だろうと思っていたのだが、ディーゼルエンジンだから軽油じゃないと駄目らしい。
幸いガレージ横のタンクに軽油が入っていたのでそこから容器に入れて何往復もして、燃料の補給が完了した。
そうして全ての作業を終えたので運転席の犬走がエンジンをかける。
すると、けたたましい音と排気音がガレージ内に響き渡った。
「よしよし、ちゃんと動きそうやな! ほんじゃ、軽くコイツについて説明するで。元々はおフランス様の戦車やったんやけど、色々改造してこうなったんや。口径は75ミリで砲塔は限定旋回……この威力を横向いて撃ったら横転するかもしれへんからな」
犬走がハッチから顔を出して、嬉しそうにそう説明する。
まぁいきなりこんな強力な兵器が手に入ったのだから、顔もにやけるものだろう。
「へぇ~……ちなみに、どうして今になってこの戦車があるって教えたの?」
そう、こんな凄いものがあるのなら最初に言ってもよかったはずだ。
だというのに、どうして今このタイミングでこれを回収しに来たのか……。
「そりゃあ戦車に乗れへん奴がこれ使うたところでどうしよもないやろ? あんさんなら使えると思うたから、わざわざここまで来たんや」
「いや、俺戦車とか乗れないけど」
しばしの沈黙、そして……。
「なんでや! 自衛隊で特別な訓練したんやろ!?」
「特別でもなんでもねぇよ! ひたすら走らされたり筋トレさせられたり銃撃たせられたりしただけだわッ!!」
あんな訓練で戦車やヘリを操作できるようになってたまるか!
「はぁ~……マジかいな。くたびれ損の骨折り儲けやんけ、砲弾入れれへんかったらただの車やん。すまんけど、それ元に戻しといてくれへんか」
装輪戦車の近くで鈴黒と鈴銀が大きな砲弾を二人掛かりで必死に持っていたのだが、犬走は落胆した顔をしてそれを仕舞うよう手振りで伝える。
「砲弾? それならそれっぽいところに入れればいいんじゃない?」
「あんなぁ、弾入れても撃てなかったら意味ないやろが」
う~む、少なくとも人間が使うものなんだから、そんな複雑にはなってないはずだ。
「ちょっと失礼!」
「うわっ、狭ッ! ちょう、狭いやんけ! 何すんねん!」
鈴黒と鈴銀が抱えていた砲弾を受け取り、装輪戦車の中に入る。
にしてもマジで狭いな、これ二人か三人しか入れないんじゃなかろうか。
「え~っと、ここだな」
装輪戦車内部の後方にある薬室から砲弾を入れ、閉口装置を起動したあとに横にあるレバーでロックする。
そして横にある砲手の席で表示されている画面を確認すると、しっかりと弾が込められているアイコンが表示されていた。
「うん、これでいつでも撃てるけど」
「なぁ……戦車、乗れんとか言ってへんかったか? なんでそんなスムーズにやれるねん」
「え? いや、アニメの知識だけど……。あと自衛隊の人達とそのアニメの話で盛り上がって、ちょっと中を見せてもらったり説明してもらったりで」
まぁ内部構造はかなり違うが、基本的な構造というか機能は似たようなものだったおかげで何とかできたというわけだ。
「……で、使えるんか?」
「当てられるかどうかは別として、一発撃つくらいならいけんじゃない?」
可能なら練習で何発か撃ちたいところだけど、一発しかないのでぶっつけ本番で撃つしかない。
……いや、撃つって何に対してだよ?
これ人に撃ったら榴弾じゃなくても尊厳も含めて身体がドカンするよ!?
「まま、これで強力な兵器が手に入ったわけや。取り敢えずアジトに横付けするわけにもいかんし、どっかに隠しとこか」
そうして北区で荷物を調達し終えてから、全員で装輪戦車に乗り込んで出発する。
車内は狭いのでもしかしたら姉妹のどちらかとラッキー接触でもあるかと思ったが、二人共運転席にいる犬走の方に寄っていった。
いいもん、いいもん!
おかげでこっちは広いもんね!
あー快適だなぁ!
誰かを気にしなくていいからすっげー居心地いいなぁー!
そう思いながら背を伸ばすと周囲の壁やら何やらにぶつかってしまった。
なんだろう、同じ檻の中にいるのにこの待遇差は?
そんなことがありながらも装輪戦車を中央地区の近くに隠し、アジトに帰還する。
何か起きなかったかと留守番をしていた人に聞いてみたが、特に何もなかったようで安堵する。
「それと、言われた通りに肉を道端に置いておきましたけど、あれは何の理由があってあんなことを……?」
あぁ、そういえばそっちも確認しなきゃいけないのか。
留守番の人に一番近い肉の場所へ案内してもらってどうなっているか観察すると何やら小さな羊みたいな外来異種が群がっていた。
肉を食べてるのかと思ったのだが、なんか身体をこすりつけてる……?
なんかちょっと可愛いじゃんと思って回り込んでみると、目が合った。
体の正面にあった大きな一つ目がじっとこちらを見ながら、ひたすら肉に体をこすり付けている。
中々に自分の正気を疑いたくなる様相だ。
しかもよく見たら足があれだ、あれ……えーっと、発光ダイオードの下の方についてる細いあれ。
あんな足でよく折れないな……。
というかあの毛並み、本物の羊の毛と同じなのだろうか?
ちょっと気になってモップの柄で軽く突いて見ると、クッションよりも柔らかく中にめり込んでいった。
「お、おぉ……」
危険はなさそうなので直接触ってみるのだが、これまた凄いモフモフしている。
見た目はともかく、感触はヌイグルミに負けていないくらいに柔らかく弾力がある。
「あんさん。それ沈みすぎると溶かされるから、あんま触らん方がええで」
ちょっと顔面ダイブしようかと考えていたら、何処からとも無く現れた犬走がそんなことを言い出した。
「そいつは中国の外来異種でな。日本語で言うたら……"食羊毛"(しょくようもう)ってやつや」
「え……この毛、食えるの?」
「ちゃうちゃう。そいつの毛、めっちゃ沈むやろ? そうやってどんどんのめり込ませていくと取れへんようになって、そしてその部分を溶かして吸収するんや。体をこすりつけとるのもそのためや」
「危ねぇなオイ!?」
慌てて飛びのいて距離をとるのだが、"食羊毛"はこちらを気にせず肉に体をこすりつけている。
「ちなみに、クッションとして使われとるで。使い心地はそれなりにええで」
よくもまぁこれをクッションにしようと思ったな……。
自分だったら怖くて使えないぞ。
「それで、こんなん集めて何する気なんや?」
「そりゃあもちろん―――」
そこまで言って、腹時計が鳴り出した。
そういえばお昼を食べずにずっと作業してたせいで、もう空腹どころか虚無腹になりそうだった。
これで腹の肉も消えてくれればいいのに。
「もしかして……食べるんですか?」
「食べませんけど!?」
ここに案内してくれた人がドン引きしながらそんなことを言い出したので即座に否定する。
というか高級食材がたんまりあるここで、わざわざ外来異種を食べる理由が皆無だよ!
「そういえば、脱出艇のある場所ってどこなの?」
「ん? 東側にある白いゲートの先やけど、それがどうしたんや?」
「まぁちょっとね。悪いけど余りそうな食料とロープ持ってきてくんない? こいつらをそこまで移動させるから」
「……あんた、ほんまに何を考えとるんや」
別にひどいことは何も考えてない。
それどころか人命救助に必要な措置である。
まぁ失敗したらそれまでの労力が全て無駄になるんだけどね!
その時はその時だ、いつもの事だし、また別の方法を考えよう。
それからは早めにご飯を食べたり、ガソリンとビンを集めてみたり、あとオマケでまた中央地区の塔に前と同じ外来異種を煙と一緒にダイナミックエントリーさせたり……。
ちなみにドライアイスの調達がめんどくさくなったから車の発炎筒を使うことにした。
というかこっちの方が楽だった、最初からこっちにしとけばよかった。
それにしても、後になってからああしとけばよかったとか、こうしとけばよかったってことばっかりだ。
まぁ二度と取り返しがつかないなんてことはもうこの先ないだろうし、別にいいか。
さて、全てが上手くいけば、明日で全てが終われる。
中央地区の塔にいる未来ちゃんと他の患者さんを助け、一緒に逃げる人を集め、残り二枚のキーカードを手に入れて、最後に甲種の"マウスハンター"にバレないように脱出。
明らかに三人しかいない八部衆からキーカードを奪うのはちょっと骨が折れるかもしれないが、別に倒したりする必要はない。
カードさえ奪えれば、あとはこっちが逃げ切ってやるだけだ。
そうして全ての準備を整え、三日目の朝が来た。
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