第93話:海の森の中で

 突如出て来たアイザックさんのせいで、周囲の人達……そして自分も動揺した。


 もしも……もしも会社を仮病で休んだときに、映画を見に街に繰り出したら上司と出会ったとしたら、こういう気持ちなのだろうか。


 そうだよね、アイザックさんも黄色の腕章だからここにいる可能性はあるよね。

 当たりを引いて喜んでたら大凶もセットでついてきた感じだ。


「彼は日本の軍隊、自衛隊からも特殊な訓練も受けており、さらにチェルノブイリ探索隊の生還者でもある」


 アイザックさんのその言葉で、更に動揺が広がった。

 なんだろう、チェルノブイリというかプリピャチ市は普通に中で暮らしてる人もいたのに、そんな地獄のような所だって思われてたのだろうか。


 そこまで騒ぐことなのかと首を捻っていると、犬走がチョンチョンと肩を叩いてきたのでそちらに向き直る。


「なぁなぁ、あんさん。あの人類初の失地帯、外来異種の大型コロニーって言われとるチェルノブイリから生きて戻ってこれたんか?」


 地獄のような所だと思われたらしい。

 そりゃそんな場所から生還してきたとか言われたらざわつくよね。

 というか嘘だと思われても仕方がないと思う、ってか嘘だって思ってほしい、思って!


「それでだ、ミスター。キミは我々の救助を目的にここに来たと思っていいんだな?」

「えっ? いや……そんな、助けられそうな人だけ連れて逃げればいいかって思っ―――」

「……救助に来たということでいいんだな?」

「はい、そうです!」


 あまりの眼圧ならぬ顔圧ではいとしか言えなかった。


 未来ちゃんのお父さんとお母さんだけでも助けられればいっかって思ってたから、いきなり負担がガッツリ増えてしまってちょっと胃が痛くなってきた。

 あとで痛みを忘れるくらい食べよう、うん。


「それで、これからのプランについてはどうなっている? 専門家の意見を聞きたい」

「プラン……プランですか……ぶっちゃけ無いんですよね!」


 周囲にいる全員の顔が一気に落胆したものになってしまった。

 いやでも仕方ないでしょ!?

 いきなり巻き込まれて、突然テロリストがやってくるって言われて、それで即興で色々動かしてるんだから作戦もクソもねぇんですよ!?


 アイザックさんが天井を仰ぐように顔をあげ、やがて溜息を吐きながら下を向く。


「……一つ条件を加えさせてくれ。救助を行うならば、私の娘も救助するよう確約してくれ」

「あぁ、それくらいならついでなんでいいですよ」

「……知っているかもしれんが、あの塔の警備は厳重だ。職員が敵になった場合、何十もの銃口が向けられることになるぞ?」

「はい、だからついさっき煙幕ぶち込んでさらに爆竹つけた外来異種を突っ込ませて同士討ちさせました。これを繰り返す予定です」

「ふぅー……その手段は何度も使えまい。二度目で完全に看破され、三度目には誰も反応しなくなるだろう」

「ええ、それが目的ですから」


 アイザックさんの眉間に皺が寄ったかと思うと、顔も一緒に歪んだ。


「キミは、イラクにいたことでもあるのか?」

「イラクですか? まぁエレノアとかイーサンと一緒に一度だけ行きましたけど」


 そんなことを言ったら小声でジーザスと呟かれた。

 どうやら自分が何をしようとしているのか分かってくれたみたいだ。


「あと、うまくいけば"マウスハンター"に襲われずに脱出できると思いますよ。その準備を今やってます」

「………プランは何も無いと言っていなかったか?」

「へぁ? こんなん計画性も何もない行き当たりばったりな手段ですよ」


 不測の事態が起きたら即ポイする方法である。

 まぁその時はその時で新しい作戦でも考えればいいだけである。


 間違ったり失敗することなら慣れてる。

 何度もやって、妥協できるところまで進めればそれでいいのだ。


 まぁ中国の三人いる四天王を倒す方法についてはまだどの手にするか決めかねてるところだけど。


「……言いたいことはあるが、一先ず置いておこう。それで、我々はすぐにここから脱出してそちらの避難場所に向かった方がいいか?」

「あ~……中央の塔を制圧したら迎えにいきます。ほら、ここから一緒に脱出する人の家族さんが誰かはこっちからじゃ判別できないんで」


 片っ端から連れて行くという手もなくはないのだが、無関係でありたい人の家族を連れ出したら脅迫みたいになっちゃうからね。

 残りたい人は残っててもいいと思う、俺は絶対に嫌だけど。


 そうして話を締めるために、アイザックさんが大きく手を叩いて話をまとめる。


「よし、それでは彼を信じる者は脱出の準備を、それ以外の者はここで救助を待つということに。もしも我々が先に脱出できたならば、それはそれで事態の収束を早めることができる。問題はないはずだ」


 見捨てるのだと言えば、残る人が自分で選んだ選択だとしても不公平だと思うかもしれない。

 それどころかあちらの職員や誰かに密告する可能性すらありえる。


 なにせ、もしも俺が言ってることが本当ならテロリストに捕まり利用されるのだから。

 ならば一人でも多く自分と同じにしてやろうと思う人も出てくる、理論的な行動ではないが、こんな状況で冷静な判断を下せる人ばかりではないのだ。


 だからアイザックさんは、残る人達が不安にならないように救助するために脱出するのだと言ったのだ。

 これならこちらが成功しようがしまいがあちらの安全は保障されるから、邪魔するようなことはしないという考えだ。


 話は決まり、アイザックさんからは頼んだぞと固い握手をして別れた。

 副音声で『くれぐれも危険に巻き込むな』という声が聞こえた気がするが気のせいにしておこう。


 最後に、未来ちゃんのお父さんとお母さんとも話した。

 アイザックさんの言葉もあり、こちらを全面的に信じてくれるとのことだ。

 そして、娘をどうか宜しくとも言われた。


 『まるで娘さんの嫁入りみたいですね!』とは言えなかった。

 言ったら多分脱出直後に始末される、そんな予感がする。


 さて、これで黄色の腕章の人達の避難についてはあと一歩というところまできた。

 あとはキーカードの入手と中央にある塔の攻略だ。


 取り敢えず塔については今日の夜中にもう一度サプライズを仕掛けるとして、問題は三人しかいない四天王をどう倒すかだ。


 まぁ相手は自分とおんなじ人間なんだしなんとかなるだろ、うん。


 そうして道具を調達するために北区域に向かっているのだが、外来異種の死体が所々に散乱している。

 ッスゥー……外来異種が束になっても勝てない奴らと戦うのか、ちょっと後悔してきた。


 とはいえ、安定したお肉を供給してくれている間は敵ではない。

 カバンの中からビニール袋を取り出してその中に地面に落ちてる肉の一部を入れる。


「ねぇねぇ、犬走くん。ぼ、僕、そろそろお腹が、空いてきたんだな」

「どこの大将の真似事やねん。ここいら近くいうたら肉屋があるな」


 肉! 素晴らしき肉! 喝采の肉!

 野菜を食べろとよく言われるが草を食べてる動物には野菜に含まれている栄養素も含まれているからその肉を食べれば野菜も摂取したことになるはずだ。

 つまり肉は万能栄養食!


「それで! その肉は何肉? 牛? 豚? 鳥?」


 ここはセレブの人達が集まる都市だ、どれでも美味しいに決まっている!


「それや、それ」


 しかし犬走が指差すのは地面に落ちているもの。

 ま……まさかッ!?


「外来異種の肉を出してんの!?」

「そんな言うほど悪いもんでもないで? 脂身たっぷりなやつもあるし、肉汁がほとんど外に出ないようなやつもある。家畜化できたら、味もさらによぉなるんとちゃうかな」


 マジかよ、食については中国は日本よりも先に行ってるというか突っ走ってるな。

 問題はその道の先がどうなってるか分からないので、下手したら崖ということもありえる。


 まぁいつか機会があったら食べにいこう、久我さんのお金で。

 もしくはブンさん。

 味がヤバくても被害者が増えればマシになるというものだ。

 実際は不幸の総数が増えるだけで誰も幸せになれてないのだが、世の中そういうものだよね。


 そんなことを考えながら歩いていると、道の先に大きな熊のようなものがいた。

 頭に角が刺さっているようなので、恐らく外来異種だろう。


 なので、スマホを取り出して検知アプリを使うのだが―――。


『外来異種 ヲ 画面 ニ 収メテ クダサイ』


 あれ、もしかして遠すぎて検知してくれないのか?

 だけどもっと遠くにいるやつを撮影したときは大丈夫だった気がするのだが……。


「あんさん、あれは外来異種ちゃうで。熊や、熊」

「熊ぁ? いやいや、熊に角はついてないでしょ」


 馬に角があったらユニコーンだし、アザラシに角があったらそれはイッカクだ。

 いや、アザラシは違うか。


 とにかく熊もパンダにも角はついていないのだ。


「あー……そのな、物凄い阿呆らしい話になるんやけど」


 どうしよう、めっちゃ気まずそうなこいつの顔を見ただけで、恐らく本当にアホみたいな話に違いない。

 今の時点でもう聞きたくないのだが、そういうわけにもいかないので黙って聞くことにする。


「何十年か前に、外来異種のぶっとい角がオッサンの頭に突き刺さったんや。命に別状はなかったんやけど、別のところでおかしなことが起きたんや」


 頭に角が刺さったのに生きてたのか。

 どれだけ刺さりどころが良かったのだろうか。


「そのオッサン、退院してからめっちゃ力が強くなってな。片手で百キロとか持ち上げられるようになったんや」


 マジかよ、刺さりどころか刺さったものが良かったのだろうか。

 自分もそういうのが欲しいと思ったが、流石に頭にブッ刺すのは怖いな。


「まぁそんなことがあってな、研究しとる人らが再現できないかと色々実験したんや。もちろん人間相手にはできへんから動物使ってな」

「あー……つまり、あの熊は……」

「哀れな被験者ならぬ実験動物ってわけや。しかも、オッサンが急にパワフルになった原因は脳みそのツボに入ったせいらしくてな、実験は全部無駄やったって話や」


 馬鹿馬鹿しいにも程があるアルよ、中国だけに。

 まぁとにかくあそこで肉を漁ってるやつは本物の熊ということか。

 なるほど、なるほど……。


「まぁ銃持った集団相手を翻弄したり、"磔刑鼠"を捌いた先生がこっちにはおるからな。熊くらい楽勝やろ」

「え? いや、普通に無理だけど。っていうか今すぐ逃げようぜ!」

「……なんでや?」

「いや常識的に考えてよ! 外来異種はともかく熊は無理だよ!?」

「いや、何言うてんねん。外来異種に比べれば楽勝やろ?」

「馬鹿野郎! 外来異種の方がまだマシだよ!!」


 外来異種は法律的にもブチ殺していいけど熊は駄目だよ!

 あと外来異種はどんなやつか分かればハメ殺せるだろうけど、熊は肉体スペック的に無理!!


 っていうか今の武器ってあれよ、薙刀みたいなもんだよ!?

 槍なら突き刺すって方法もあるけど、この薙刀もどきだとそうはいかない。

 振るうタイミングが速すぎれば二振り目の前に死ぬ、逆に遅ければ"磔刑鼠"の刃が当たらず柄が当たって死ぬ。


 つまりほとんどの確率で死ぬ。


 しかし、そうやって騒いでいればあちらも気付くわけで……。

 わざわざ食事の手を止めてこちらに顔を向けてきた。


 わぁ、可愛いおめめだね。

 しかも牙も赤く染まってて素敵だね☆


 って言ってる場合かッ!

 確か熊と出会ったときって背中を見せずにゆっくり後退していけばいいんだっけ?


「アホ、何しとんねん! さっさと走れや!」


 しかし犬走と二人の姉妹はさっさと後ろに向かって全力ダッシュしていた。


「ちょっ、熊に背中向けるのはタブーじゃなかったの!?」

「馬鹿言え、野生の熊ちゃうんやぞ! さっさと逃げにゃ普通に食い殺されるわ!」


 そうだった、実験のために頭に角をブッ刺された森の熊さんならぬ復讐の熊様だった!

 こちらも置いてかれぬように必死に走るのだが、もちろん熊は追いかけてくる!


「やべぇやべぇ! 熊って時速何キロだっけ!? 何秒で追いつかれるの!?」

「知らんわ! けど、あいつは真っ直ぐ走れんからまだ大丈夫なはずや!」


 全力で走りながらもチラリと後ろを見ると、熊はフラフラと蛇行しながらこちらに向かっており、時折壁にぶつかってもいた。


 とはいえ速度は十分ある。

 このままでは逃げ切れないかもしれない。


「ってちょい待ちぃ!」


 だというのに犬走は突然走るのを止めた。


「なんで止まるの!? 誰か落し物でもした!?」

「いや、目の前を見てみぃ。ここ……前にこんな大きな水溜りあったか?」


 犬走が指差した方向には、道を塞ぐように水溜りがあった。

 いつもならこんなもの無視して進むのだが、これには見覚えがあった。


「これあれや、新種の外来異種やで。水と一緒に擬態して襲うやつや」


 やっぱりあいつらかよ!

 チェルノブイリ、奥多摩に続いてここにも出てくんのかよ!


「……いや、これは逆にチャンスや! 鈴銀、やったれ!」


 そう言うと鈴銀は水溜りに近づき、両手を突き出すように構える。

 すると道を塞いでいた水溜りが浮き上がった。


 そして凶暴化している熊がこちらにあと数メートルというところで、その水の塊を熊目掛けてぶつけた。


 すると水しぶきと共に中からピラニアのような外来異種が出てきて熊に襲い掛かった。


「イッデエエェ!」


 ついでに二、三匹ほどこちらにもやってきて噛まれた。

 幸いスーツのおかげか噛み千切られることはなかったものの、引き剥がすのに苦労した。


 肝心の熊は突然ピラニアもどきに全身噛みつかれたせいか、地面を転がったりしながら必死に引き剥がそうと格闘しているようだった。


 噛みついてきたピラニアもどきを熊に投げて、再び走って逃げる。

 それから数分後、追っ手がいないことを確認して全員が息を整えながら座り込んで休憩した。


「ひぃ……ひぃ……に、逃げ切ったってことで……いいよね……?」

「ふぅー……おう、なんとか撒いたはずや。それにしても外来異種どころか熊まで出てくるとは予想外やったで」


 ほんとそれな。

 テロリストやら外来異種の脱走やら甲種やら色々イベント盛り沢山だったのに、まだ盛られるとは思いもしなかった、まるでサーカスである。


「これはあれやな、現状の装備じゃどうしようもないな。ちょう秘密兵器を調達すべきかもしれへんで」

「秘密兵器とかあんの? それなら最初に出してくれよ!」


 犬走にはこう言ったが、実はこちらにも秘密兵器はある。

 問題は使い方が分からないから効果も含めて秘密になっている兵器だ。

 折り畳んで背中に隠し持ってるけど、これ使うとき来るのだろうか。


「さぁーて、ちょうど北区に来たし回収してしまおか」


 そう言って先に進む犬走の後をついてく。

 北区はポツポツと店舗のようなものがあるものの、まだ工事をしている建物がいくつも目に入った。


 ここならいくら暴れても大丈夫かもしれないが、そもそもここで暴れるような事態は御免被りたいところだ。


 そうしてゆっくりと歩いていると、"蓬莱警察"と書かれた看板が掲げられている建設途中の建物があった。


「なるほど、警察署から銃を借りパクするってことか!」

「ちゃうちゃう、ここには銃はないで」


 そういえば"蓬莱"は銃が存在しない社会のサンプルだとか言ってたな。

 ……ならなんで銃が持ち込まれてるんだよコンチクショウ!

 しかもあれ、自衛隊の人達に教えられた通りならロシア製っぽかったぞ。

 中国だけじゃなくてロシアも絡んでるのか……?


「よし、電気はきとるな。そいじゃご開帳や!」


 建設途中である"蓬莱警察"には、一つだけその場に似合わない大きなシャッターがついていた。

 犬走がパネルを操作すると、まるで錆を削ぎ落とすような音と共にシャッターが開いていく。


 そして中にあったものを見て、自分と双子の姉妹は声を失った。


「どや、ビックリしたやろ? これが"蓬莱"の最終兵器、装輪戦車や!」


 そう……六つのタイヤがついている車体に戦車の主砲が取り付けられている戦車がそこにあったのだ!


「まぁ弾は一発だけで榴弾やのうて徹甲弾。示威を目的にした車両なんやけどな」

「いやいやいやいや! これ戦車だよ? 戦車だよね? いいのこれ!?」

「何があかんのや? 謳い文句どおり機銃はついとらんで」


 そういうことじゃねぇよ!

 銃がないなら主砲をぶっ放せばいいじゃないってか!?


 マリー・アントワネットはいつから戦車兵になったんだよ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る