第7話:サラバ雅典女学園 前編

 我輩は荒野 歩である、前科はまだない。

 いやこれから先も原罪以外は背負うつもりもない、責任も背負いたくない、逃げたい。

 それはそれとして、児童外来異種被害事件から二日後、未来様の証言のおかげで檻の中に送られることもなく、こうやって平和な日々を享受できている。

 ああ、娑婆の空気が美味しい、あと女学園の空気も美味しい、おかわりしたいくらいだ。


「荒野さん、行儀が悪いのでスマホを見ながらの飲食はお控えください」


 そんな馬鹿なことを考えながら食堂で昼食を食べつつスマホでニュースを見ていると、監視とお手伝いを兼業してもらってる女性警備員の近衛さんに注意されてしまった。

 口の中に物を含んだ状態で喋ると汚いので、しっかりと飲み込んでから喋ることにする。


「スマホを見たらいけないってルールありましたっけ?」

「一般マナーのお話です。生徒が真似したらどうするんですか」


 お嬢様学校に通う女子がスマホ見ながら食事をしているシーン……ちょっと見てみたい気もする。

 だけど実際に見てしまったら自分が抱いているお嬢様への幻想が音を立てて崩れ去る……いや、むしろ親近感が沸いてちょっと距離が縮まるのを考えれば有りかもしれない?


「雅典女学園に通うお嬢様がそんなお行儀の悪いこと真似するわけないざますよ。むしろ、ワタクシがみっともない姿を見せることで反面教師になりますわよ」

「………周囲から奇異な目で見られることになりますが、気にならないのですか」

「それはいつものことだしなぁ」


 作業着を着てうろついてるだけでそんな目で見られる毎日だ。

 むしろ聞こえるような陰口を叩かれないだけ、学園内の方が安心して仕事ができる。

 それを察してなのか、近衛さんの口調も落ち着いたものに変わる。


「荒野さん、貴方はしっかりと責任を果たしています。だからこそ、謂れのない評判を集めることは好ましくありません」

「ん~、そこら辺はもう当たり前のようなもんですから気にするだけ無駄っすよ」


 なにせ区役所で依頼された仕事をこなしたのに現地で罵詈雑言が飛んでくることもあるくらいだ。

 なにをやっても批判されるのだから、諦めたくもなるさ。


「……私は、誰かの為に頑張る人が貶されるのは好きではありません」

「うん、俺もそう思う」


 近衛さんは知り合いの誰かと俺を重ねて見ているのだろう。

 自分みたいな奴にもそういう人は何人かいたから気持ちは分かる。

 まぁ数年前の社長のやらかしでみんな死んだけど。

 ……訂正、先輩の不破さんは生きてたわ、というか今も元気にバリバリ仕事してる。

 あの時だって不破さんだけは仕事をキッチリと片付けてみせた。

 命が惜しくて逃げた俺とは大違いだ。

 

「トレー、返して来ましょうか?」


 近衛さんは空になった食器を指差してこちらに尋ねてきた。

 ボーっとしていたせいで自分でも食べ終わったことに気付いていなかった。


「これくらい自分で返してきますよ」


 そういって席を立ち上がり返却口までトレーを返しに行く。

 歩いている途中、女子生徒の皆が道を空けてくれたのは皆が優しいからだと思う。

 いやーここで働けて幸せだなー!!


 ついでに飲み物を買ってから席に戻ると、自分のいたテーブルに人が増えていた。

 未来様は遠目からでも分かったが、もう二人は見覚えはあるものの名前が出てこない。


「え~~っと……前にお会いしましたっけ」


 近衛さんから鋭い視線が飛んで来た。

 よくよく考えてみればナンパの常套句だアレ!

 ち、違うんです! 別にそういうやつじゃないんです!

 下心はトッピングマシマシで盛ってますけど本気じゃないんです信じてください!!


「以前、旧校舎で貴方が救助した九条さんと水無瀬さんです。……どうして憶えてないんんですか」

「いやぁ…だって名前と顔を見て助けたわけじゃないですし」


 自分の日常に関わってこない人の名前と顔は正直憶えていられない。

 自分にとっては助けた時点でもう終わった話なのだ。

 そんな自分を近衛さんは呆れたような顔で見つつ、女子生徒の三人は何故か嬉しそうな顔をしていた。

 

「九条 雅音です。我々の誤った行動のせいで危険に巻き込んでしまい、誠に申し訳ありませんでした」

「水無瀬 友衛です。危ないところを助けていただきまして、本当にありがとうございました」


 そう言って二人は深々と頭を下げる。

 別に自分がいなくとも助かっただろうし、小火だって誰か大人が見てれば防げた事なのでこの子達には特段言うことは何もない。

 せいぜい面倒なことは大人に丸投げしましょうねってことくらいだ。


「あの、こちらお礼の御品物になります」


 そう言って九条と名乗った女子生徒から綺麗な包み紙で梱包されている箱を手渡された。


「……山吹色のお菓子とかじゃないよね?」

「時代劇の見すぎです」


 すかさず近衛さんからツッコミが飛んで来た。

 ずっと一緒にお仕事してたせいか、意外と愉快な人だということが分かっていたからこそのネタ振りである。

 

「これ、開けてみてもいい?」

「はい。早めにご賞味いただければ」


 貰ったお礼の品を目の前で開けるっていうのはちょっと失礼だと思うのだが、お嬢様学園で貰えるお礼の品がどういったものか気になる好奇心の方が勝ってしまった。

 丁寧に梱包用紙を外して見ると、そこには木箱に納まったサクランボが見えた。


「これはガーネットチェリーですね。それにしては木箱への印字などがされていませんが」

「はい、父がお礼の品として流通品を送るのは誠意に欠けるということで、なるべく状態の良い物を詰め合わせたものを送ってきてもらったそうです」


 お嬢様だ! いま自分の目の前にお嬢様がいる!!

 いや、今だって何度もお嬢様を見たというか、この閉じた世界の中だとお嬢様の方が比率が多くて自分はそこに迷い込んだチンパンジーみたいなもんだけど……。

 それでも"コレだ!"というインパクトがあるものはこれが初めてだった。


「あの、九条さんのと比べると見劣りしてしまうのですが、私からはこれを…」


 そう言って水無瀬さんは可愛く包装されたクッキーを貰った。

 ………まずいな、俺は明日にでも死ぬかもしれない。

 ちょっと涙が出てきた。


「荒野さん、嬉しいのは分かりますが流石に泣くのは大仰ですよ」

「いやこんなん泣きますって。俺、女性からプレゼント貰ったの生まれて初めてですよ」

「またそんな大袈裟な冗談を……」

「フフフ……冗談だったら、よかったのにね…」


 その場にいた全員が信じられないものを見たかのような顔をする。

 クックックッ…君達の世界じゃあありえないことかもしれないけど、俺の日常だとそれが当たり前なのよ。

 というかバレンタインデーですらウチの母ちゃんからチョコを貰ったことがない。

 当然の事ながらクリスマスのプレゼント交換会なんてイベントも自分の人生では未実装だし、御誕生日会なんてものも存在しない。

 ドラマとかアニメでやってるああいうイベントは全てフィクションだ、何もかもがジョークとフィクションだ!!


「あ、あの…私達そろそろ行きますね。本当にありがとうございました」

「し…失礼しました」


 そう言って二人の女子生徒は遠巻きにこちらを見ていた女子生徒集団の元へと帰っていった。

 うんうん、君達の帰る世界はあっちだ、こっちじゃないよ。

 そして現場に残されたのは何とも言えない空気のわだかまりと未来、そして近衛さんであった。


『それでは次のニュースです。先日区内の工事現場で小学生児童が外来異種に襲われました』


 自分がテーブルに置いておいたスマホから、ニュースの音声が聞こえる。

 どうやら未来が大活躍した一件について放送しているようだ。


「そういえば、あの子ってどうなったか知ってる?」

「はい。お礼を言いに来てくれた保護者の人が言うにはすぐに息を吹き返して助かって、念のために胃洗浄とかの処置もしたみたいです」


 野生生物と外来異種の粘液って毒とか病気まみれな気がするからそれくらいやらないとダメか。

 まぁその子も特別な能力を持ってないなら自分と同じ適応世代だし、おそらく大丈夫だろう。


「そういえば荒野さん、あの時ナメクジにかけた粉って何だったんですか?」


 ナメクジにかけた粉…あぁ、工事現場にあった袋の中身のことか。


「あれはセメントと石灰だったね」

「へぇ~、セメントと石灰が効くだなんて初めて知りました!」

「俺も初めて知ったよ。いやぁ、やってみるもんだね」


 とにかく手当たり次第に試した甲斐があったというものだ。

 ちなみに弁償しなきゃいけないかと思ったが、工事の責任者の人からは気にしなくていいという御言葉を貰っている。

 まぁお値段もそこまで高くはないし、何より工事現場に出た外来異種のせいで子供が危険な目にあったのだ、わざわざ損害賠償を請求したら外聞が悪くなるのだろう。


「あの……知らないのにやったんですか?」

「工事現場にある袋の中身とか絶対に有毒でしょ。飲み込まれそうになってる子供に被害がないなら、ぶっかけても別に損はしないからね」


 今まで仕事をしてきて培ってきた経験から、使えるものは何でも使うべきだと思っている。

 というかそうでもしないとやってられないような状況ばかりであった。


「未来さん、真似してはいけませんよ。この人だからやってよかったというか…」

「あ、はい。ちょっとあたしには無理そうです」


 自分だって別に喜び勇んでやっているわけではない、心外である。

 

『また、現場では外来異種駆除業者の対応が遅れたせいでこのような事態になったのではないかという意見もあります。先日のビル街で起きた事件でも――――』


 いつの間にかニュースの内容はいつものように駆除業者叩きに移行していった。

 それを見た未来は不満そうな顔をして画面を指さしてる。


「荒野さん、これおかしくないですか!? あのナメクジを駆除したのも、助けに来てくれたのも荒野さんじゃないですか!」

「まぁその方が視聴者ウケがいいんだろうねぇ」


 これについては自分は生まれる前からあることなので諦めてる。

 自分は世論の流れを変えられるほど強くもないし、恵まれてもいないのである。


『この件について、フィフス・ブルームの天津さんはどう思いますか?』

『そうですね。やはり外来異種駆除業者は数こそあれど、その質の保証がされていないことが大きな要因だと思います』


 TVには日本で一番有名な外来異種駆除会社の代表取締役が映っていた。


 世界には支配・戦争・飢餓・病気という四つの問題がある。

 そして外来異種の登場によって五番目の問題が人類に立ち塞がった。

 その五番目の問題を綺麗に片付ける為の箒、それがこのフィフス・ブルーム……というのをニュースで聞いた覚えが有る。


「そういえばここへの引継ぎって今日でしたっけ」

「ええ、そうですよ」


 自分の疑問を近衛さんが答えるのだが、それを聞いた未来が動揺する。


「ど、どういうことですか荒野さん!?」

「どうもこうも、俺は臨時で働かせてもらってるだけだから、正規の業者がくるならお払い箱だよ」


 少し前に北小路理事長に学園内の調査が終わり、問題がないということを報告したのだ。


「何度も大丈夫かって念押しされたけど、あれ以上の調査は個人じゃ無理だからね。早めに大きな会社を呼んだ方がいいって話したんだよ」

「あの、荒野さん…それって、荒野さんへのお礼の為にお仕事を長引かせようとしたんじゃ……」


 その言葉を聞き、思考が止まる。


「荒野さんのおかげであたし達は助かったけど、お金をあげて終わりってやりにくいじゃないですか。だからお仕事という体裁でお礼をしようとしたんじゃないかなって……」


 え、そうなの?

 マジで?

 なんでそんな回りくどいことするの!?

 いや、そんはハズはない…未来の言うことには矛盾がある!


「ははは、考えすぎだよ。だって調査を依頼されたのに時間をかけてたら逆に無能だって思われるじゃないか」

「……雅典女学園の調査を一週間で終わらせた。雅典女学園で一ヶ月働いた。後者の方が高く評価されますよ」


 ここでまさかの近衛さんからの一言が突き刺さった。

 もしかして、この人最初から知ってて何も言わなかったの!?


「近衛さん、なんで教えてくれなかったの!? あんなに一緒に仕事したのに!」

「いえ…何か考えがあるものだとばかり。まさか本気で気付いていないとは思ってませんでしたよ」


 いいや、絶対に知ってて黙ってたはずだ!

 その証拠に口元の笑みを手で隠してる…隠しきれてないけどさ!!


「どうしますか? 今から理事長の所に取り消してもらいますか?」

「……今さら言っても困らせてしまうだけでしょうし、やめときます」


 これが区役所のブンさんとか相手なら恥も外聞も投げ捨てて縋りつくところだけど、あの理事長さん相手にはちょっと無理だ。

 自分みたいな底辺側の人間の為にこれ以上の労力を割かせたくない。


「えっと……あ、ガーネットチェリーでも食べて元気出しましょう! ほら、アーンしてください」


 机に突っ伏してうなだれる俺を励まそうと未来がわざわざチェリーを口の中に入れてくれる。

 夢にまで見たというか夢でも見なかった女子学生にアーンされるとかここは天国か。

 そしてその天国から自分から出て行く判断をした俺は真性の阿呆だ。

 死にたい。


「ほら、もう一個どうぞ。美味しいですか?」

「んん……超ウマい」


 厳選された高級品だ、不味いはずがない。

 今まで食ってたサクランボが出来損ないかと思うくらいに美味しいのだが、それでもテンションが上らない。

 ここから出たらまたクソみたいな世界が待ってるかと思うと死にたくなってくる。

 いっそここで死んで自縛霊になって一生ここにいようかと考えて始めていた。


 ふと、食堂の入り口から女子生徒達の声が聞こえてきた。

 何かあったのかと思ったのだが、悲鳴ではなく、どちらかといえば黄色い歓声のようなものだった。

 気になってそちらに視線を移すと、入り口に立っていた男と目が合った。

 この日本において、数少ない甲種を駆除した実績を持つ者…鳴神という男がそこにいた。

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