第128話 求婚記念日
「丹羽さん、これ見ました?」
差し出されたスマホの画面に表示された今話題のになっているキーワード。
「へえ・・今日って求婚の日なのか」
喫煙スペースの一角で、煙を吐き出しながら問い返せば、後輩がそうみたいですね、と人当たりの良い笑みを浮かべて見せた。
毎日が何かのアニバーサリーだったりする昨今。
昔よりずっと増えた特別な日は、平凡なサラリーマンにとってはただの一日と変わりなく。
けれど、求婚となれば話は違ってくる。
「あれ?興味あります?丹羽さん既婚者でしょ?」
「ああ、そうだけど・・・こういう日にかこつけて勇気出す男もいるんだろうな」
「でしょうねぇ。俺のツレも大慌てで婚約指輪買いに行ってましたよ、こういうきっかけがないと踏み出せないって」
「なるほど・・・お前は?他人事でいいのか」
「俺はまだ結婚は考えられないですよー。今の彼女とは三か月目だし、将来なんてとんでもない」
「それが意外と急に意識したりするもんなんだけどな」
「それって実体験ですか?」
「さあ・・どうだろうな」
柔和な笑みで誤魔化して、残りの煙草を灰皿に押し付ける。
出会いのインパクトが強すぎたせいか、穏やかとは言い難い二人の始まりは、不思議な縁となって現在に繋がった。
好みだったか否かと端的に問われれば答えは否。
ましてや他の男を熱心に追いかける女に興味なんてある筈もない。
学生時代のようにがむしゃらに好きになって、熱意と情熱で口説き落とすような恋愛は、大人になってからしたことなんてなく。
雰囲気に惹かれて、お互いの空気を探り合って確信を持ってから始める微熱加減の恋が、社会人にはちょうどよい。
大やけども大けがもごめんだ。
それなりに割り切って、それなりに楽しんで。
それに飽きたら無難な相手を選んで結婚するのかと漠然と思っていた。
柄にもなく必死になって口説き落とした自覚があるだけに、求婚というワードは未だに無関係とは言い難かった。
落ち着いたスマートな大人として評価されている職場でのイメージ死守の為に、何があっても口にしたりはしないけれど。
公私は綺麗に分ける主義の丹羽が、珍しく口説く前から上司である緒方に紹介した初めての女性が亜季だった。
思えば、あの頃から本能ではそういう相手だと認識していたのかもしれない。
本当はもっと分かりやすく可愛いタイプの方が好みの筈なのに。
頭に感想が浮かぶと同時に、悪かったわね!と眉を吊り上げてこちらを睨み付ける恐妻モードの亜季が脳裏に浮かんだ。
恐妻モードなのに思わず笑ってしまうのは、怒りよりも拗ねている割合が多いから。
会社での”女帝”の顔が板についている彼女は、自分がどんなイメージを持たれているのか誰よりよく分かっている。
そして、それを利用している節もある。
けれど、それが夫である丹羽に通用しない事も理解しているので、こういうやり取りの際はいつも分が悪い。
毛を逆立てる猫の喉元を擽るように、顎の下を擽って隙をついて抱きしめてしまえば、反撃に出る間もなく亜季は、降参!と白旗を上げるのだ。
ジタバタもがいてどうにか腕の中から逃げ出して、態勢を立て直そうと試みる彼女を宥めて、懐柔するのはお手の物。
既婚者として、後輩に一つアドバイス出来ることがあるとするならば。
「とりあえず、結婚相手は、膨れ面も可愛いと思える女の子を勧めておく」
「それって奥さんの事でしょ!」
「そうだな」
「怒っても可愛いとか、どんだけ美人なんですか?しっかり者の姉御キャラって聞きましたけど、家では違うんですか?」
「そんなのお前に教えるわけないだろ」
さらりと言い返して煙草とジッポをポケットに収める。
山下亜季ではない妻の顔を知るのは自分一人で十分なのだから。
「どうにか無事にこの日を迎えられたわねぇ」
「ほんっと・・怒涛の納品ラッシュだった・・ほんっと冬イベント多すぎ」
「まあ儲かるからいいけどさー・・・コーヒーもう一杯飲む?」
「飲むー・・ああ肩凝った・・・この間までの忙しさが嘘みたい・・」
亜季の空のマグカップを持ち上げた佳織が、コーヒーメーカーからお代わりを注ぎながらほんとにね、と頷いた。
昼下がりの静かなオフィスを先週までは駆け足で人が行き交っていたのだ。
クリスマス、バレンタイン、ホワイトデーの間に追加された求婚の日という新たなイベントを、宝飾品メーカーが見過ごすわけがない。
立ち上がった企画案件の新規商品の生産で、工程管理は上を下への大騒ぎ。
連日連夜の残業でどうにか指輪とネックレスのセットを各店舗に納品して、ようやく一息つくことが出来た。
「でもさー、今頃日本中でプロポーズしたりされたりする人がいるって思うと、その幸せの一端を担えて良かったって思うよねぇ」
「ジュエリー業界の人間はみんなそう思ってるでしょうねぇ」
「うちの独身女子社員たちは、キラキラした目で商品見てたわー」
「それはうちも一緒。たまーにチクチク妬み嫉みの視線もあったけどー」
「樋口の愛情表現容赦ないから」
結婚後も変わらず時間があっても無くても妻の部署に顔を出す愛妻家を夫に持つ佳織の苦労はきっとこの先も絶えないだろうが、こういう苦労なら羨ましい限りだ。
俺様気質の樋口は一見亭主関白に見えるが、実の所夫婦の力加減は圧倒的に佳織が上。
終始妻の機嫌を喜んで取る溺愛夫に甘やかされている事を知っている亜季としては、砂を吐きたくなる。
「ほんっと家でも外でも態度変わんないのはどうにかして欲しいわ」
「嘘、変わってるでしょ」
「おんなじよ、おんなじ」
「いや、それは無い。だって家にいる時の樋口もっと甘いもん、客が居てもベッタベタしてるし」
「相手があんただからよ」
「うん、だからその顔は会社では見た事無いから、一応アレでも公私の区別は付けてるのよ」
「・・・それは・・まあ・・」
「はいはいご馳走様、ご愁傷様」
「うっわ、なにそれイヤミ?」
「そうよー。だって社内恋愛には一生縁がないもーん」
「淋しいなら丹羽さんに甘えればー?」
「え!?なんでそこでこっちに矢印振るのよ、あんたんとこの夫婦の話でしょ」
「顔に書いてありますー羨ましいってー」
「ないないない。胸焼けするもん、そういうの苦手なの向こうも分かってるし、うちは樋口夫妻とは違うんですー」
「違わないわよ。男のタイプが違うだけよ、丹羽さんも亜季にデレデレじゃない」
「それフィルター掛かってるよ、違うからね」
きっぱりと言い返して、熱々のブラックコーヒーを一口。
甘ったるい話題を中和してくれる苦みにホッとしつつ、机の上に置きっぱなしのスマホを引き寄せれば、まるでタイミングを見計らったかのようにメッセージが届いていた。
「あ・・」
「なに?電話?」
「ううん・・違う・・っはあ!?」
タップして開いたアプリ画面に表示されていたのは短いメッセージと、一枚の写真。
素っ頓狂な声を上げた亜季に驚いて、佳織が身を乗り出して来た。
「なによ、何かあったの?」
「え、いや、なんか写真が・・・」
「写真・・・わ!綺麗な薔薇!」
赤と白のマーブル模様の花弁が美しい一凛の薔薇。
透明のフィルムで包装されたそれと共に送られてきたメッセージは。
”買ってみたよ。求婚の日だから”
なにこれなにそれないよそれは!
「撤回するなら今のうちだけど、どうするー?」
ニヤニヤとしたり顔で佳織が亜季の頬を突いて来る。
背中に凭れかかって来る親友の温もりを受け止めながら、なんでこのタイミング!?と心の中で百回は唱えた。
「・・撤回・・する」
「よーし!許すわ。定時まであとちょっと、頑張りなさいね」
ぽん!と肩を叩いてマグカップを手にフロアに戻って行く佳織の勝ち誇った美しい笑顔を見上げながら、ノロノロと返事を打つ。
”ありがとう。嬉しい”
写真を添えてメッセージを送るようなタイプではないのに。
返って来た返信に綴られていた言葉は。
”1本の薔薇の意味、ちゃんと調べておいて”
そんなの知ってるわよ!とは言えず、火照った頬を隠すべく亜季は机に突っ伏した。
定時まで、後二時間。
絶対不可能恋愛 宇月朋花 @tomokauduki
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