第67話 失くしたもの
「オープンセールだからって意気込むんじゃなかった・・・」
途切れない人の流れに沿ってエスカレーターに向かいながら、亜季は階下に見えるフロアの盛況ぶりに溜息を吐いた。
後ろからついて歩く丹羽が妻に向かって苦笑いする。
「開店と同時に行くから絶対混まないって言ったの誰だっけ?」
「あたしです~」
「なら仕方ないよね」
「そうです~」
唇を尖らせてファッションフロアに降り立つ。
連休にオープンしたショッピングモールのセールに行きたいと言い出したのは亜季で、時期をずらせば?と提案した夫の意見をあっさり却下して土曜の朝8時起床、9時出発というタイムスケジュールを組んだのも亜季だ。
だからこの状況に文句なんて言えるわけがない。
本来なら、さあ行くぞ!と人込みをかぎ分けて戦地に赴きたい所だが、予想外の人の多さに戦意も喪失しそうになる。
「さっすがすごい人気だなー」
亜季が広告を見て騒いでいた海外メーカーのショップは、家族連れやカップルがひしめき合っている。
丹羽の言葉に頷いて、亜季はぐるりと視線を巡らせた。
オープンして最初の週末。
混雑しない訳がない。
分かっていたのだけれど・・・
「何か戦える自信がない~。折角残業しまくって仕事終わらせたのに」
土曜日をフリーにする為かなりのハードスケジュールをこなしてきた。
そのしわ寄せか、睡眠不足と疲労感で歩き回る自信がない。
「ぶらっと見て回れば?気に入るの服が見つかったら、テンション上がるかもしれないし」
「人ゴミ平気?」
「俺の心配しないでいいよ」
「どっかで待っとく?」
女性の買い物は無駄に時間がかかる。
引っ張り回すのも気が引けて亜季が問えば、丹羽が即座に否定した。
「ここまで来てその選択肢はないよ。時間は気にしなくていいから」
「・・・イライラしないー?」
「大丈夫だって。なんなら、俺が服選ぼうか?」
イメチェンしてみる?と悪戯っぽく笑いかける丹羽の腕を叩いて、亜季が後で文句言っても知らないからね、と付け加える。
こういういかにもデートらしいデートには慣れていない。
夫婦になったからって、急にスタンスは変えられない。
それでも、佳織以外の誰かに洋服について意見を訊くのは楽しい。
よもや自分が男連れで買い物するとは思わなかった。
男に選んで貰った洋服を着るなんて、と思っていたし、恋人の好みでスタイルを変えるなんて、馬鹿女の典型だと思っていた。
誰と恋をしても、誰に愛されても、いつだってあたしは、あたし。
変わらない、譲れないものをしっかり持ってる強い女性。
それが、亜季の理想のイメージ。
そして、おそらく回りが亜季に抱いているであろうイメージも。
だけど・・・
手にしたマキシスカートを手に迷っていると、隣で同じようにスカートを選んだ若い女性の声がした。
「ねー、見てみて」
「なんだよ?」
「どう?」
腰にスカートを当てて首を傾げる彼女。
亜季が視線を上げると、姿見の前で悩んでいる女性の姿が見えた。
「どうって、和花、それ歩きづらくねぇの?」
「うん」
「お前の好きそうなカッコ」
「他に何かリアクションないの?」
「どーゆうリアクションを期待してんだよ、お前は」
「似合ってる?可愛い?」
「・・・こっちの赤いのがいい」
盛大に溜息を吐いた彼の手がグレーに赤のボーダー柄のマキシスカートを指差す。
「え、そっち?」
「こっちのが可愛い」
やや投げやりな彼のセリフに彼女が更に問いかける。
「ほんと?」
「ほんとだって」
頷いた彼の言葉に満足げに微笑んで、彼女がスカートを手にレジに向かう。
可愛らしいカップルのやり取り。
それを横目に見ていた亜季の耳元で丹羽が笑った。
慌てて我に返った亜季がバツが悪そうに視線を下げる。
「羨ましい?」
「え、ええ!?なにが!?」
しらばっくれた亜季の短い髪を撫でて丹羽が窘める様に視線を合わせる。
「可愛い?って訊いてよ」
「なっ・・・言えるわけないでしょ!
ああいうのをあたしに求めてるなら無理だから。
キャラじゃないし、ああいう可愛げはとっくの昔に失くしてる」
先手を打った亜季の手からスカートを取り上げて丹羽が、そうかな?と呟く。
「失くしてないと思うけど?」
「そういうフォローはいらないから」
会話は終わりと言い放った亜季の指先を掴んで丹羽が誰もいなくなった姿見の前に連れていく。
「亜季が、忘れてるだけだよ」
さらりと告げられた一言に亜季は思わず言葉に詰まらせた。
”忘れてる”
そうだ、そういう”女の子らしさ”とか”可愛らしさ”は、いつからか、ずっと遠い場所にあった。
働くうえで、必要なのは賢さと強さ。
”女だから”を言い訳にしないと決めてからはさらにそれに磨きがかかった。
宝飾品メーカーという女性向けの企業に就職した事もあって、女性蔑視な視線に晒されることはなかった。
むしろ、女性の意見が尊重される職種だからこそ、意地でも負けられなかった。
”できません”なんて言えなかったし、泣き言なんてもっと言えなかった。
勤続年数が上がるにつれ、男顔負けなんて言われるようになった。
役職が就けば、責任も増える。
掛かってくる重圧も、期待も。
抱える仕事の量と比例して、どんどん逞しくなった。
自分の事は自分で面倒を見る。
責任も自分で取る。
誰にも寄り掛からない、甘えない、弱みを見せない。
そういう自分は楽で、好きだった。
だから、こんな自分に一番、あたしが驚いている。
鏡に映る自分の姿をぼんやり眺めていたら、丹羽が別のスカートを持ってきた。
「亜季にはグリーン系が似合うよ」
そんな言葉と共にグリーンのマキシスカートが当てられる。
青みがかった萌黄色は亜季の来ている淡いニットにも良く似合う。
瞬きをした亜季は、隣に立つ夫の姿をどこか夢見心地で見上げた。
「どうした?」
黙り込んだままの亜季を怪訝に思ったのか、丹羽が問いかけてくる。
「え、あ・・・ううん・・・なんか、信じられなくて」
「なにが?」
「こうやって、洋服選んでもらうなんて」
茫然としたまま呟いた亜季の頬を指で突いて、丹羽が目を細める。
「これから何回だってあるよ」
「え、そ、そう?」
「亜季が望むなら」
丹羽が悪戯っぽく微笑む。
てっきり罵詈雑言が返ってくるかと思ったのに、亜季はあっさり頷いた。
「・・・うん・・・・」
あまりに素直な反応に、丹羽が返事に困って黙り込む。
そんな丹羽の顔を覗き込んで亜季が顔を赤くした。
「何でそこで照れてるのよ!」
「いや・・・そういう反応に対する返事は用意してなかったから」
「わ、悪かったわね!」
プイっとそっぽ向いて唇を尖らせる亜季。
丹羽は慌てて亜季の肩を抱き寄せる。
「ごめん・・・急に素直になるんだもんな・・・参るよ」
照れたように呟いて、丹羽が亜季にこれにすれば?と問いかける。
「あ、うん・・・そうする」
亜季の返事に気を良くした丹羽が続けた。
「次の買い物も付き合うよ」
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