第32話 会いたかった
握りしめていた携帯が震えた瞬間心も震えた。
映し出された着信画面を見て慌てて通話ボタンを押した。
どうしよう、もうすでに泣きそうだ。
こんなに簡単に心を揺さぶられてしまう自分が情けなくて、こんなに簡単に心を揺さぶって来る丹羽が心底憎らしい。
「亜季?」
「もー電話遅い!!メールも送ったのに!!時計見た!?」
すでに待ち合わせ時間から40分が経過している。
駅のコンコースは徐々に人が少なくなっていた。
平日の20時すぎ。
夕飯だけでも、と約束をしたのが4時間前の事だった。
ゴメンと謝った丹羽の声は明らかに疲れ切っていた。
「見た、知ってるゴメン。ちょっと仕事でトラブってた。携帯見る余裕も無くて・・ってのは言い訳だけど、ほんとゴメン」
丹羽の声に亜季は胸を撫で下ろすと同時に苦しくなる。
連絡がつかなかったこと自体が不安だった。
このまま会えないんじゃないか?
何か事故に巻き込まれたとか?
会社で何かあった?
もしかして・・嫌われた?
冷静な思考は完全に停止して、稼働を放棄。
ネガティブな妄想で頭を支配されて、それ以外なにも浮かばない。
これまでの自分じゃ考えられない位色んなバロメータが丹羽に傾いている。
丹羽の心配をしながら、丹羽に嫌われて落ち込んだ自分の心配をしている。
どこまで身勝手なのよ自分。
狭量すぎる自分の容量を叱責しつつ極力優しい声音で問いかける。
「仕事・・大丈夫?」
「もう落ち着いた。すぐ行くから」
「そう・・とりあえず、連絡取れて良かった」
「亜季、まだ駅にいるよな?」
「うん」
「亜季の家に帰っててもいいけど・・いや、やっぱり駅で待ってて」
「いいよ、帰ってるよ?岳明も疲れてるでしょ。なんか適当に作っとくから・・」
「もう遅いし、1人で帰らせるの嫌だからもうちょっと待ってて。駅前のコーヒーショップに居て」
「遅くないし、大丈夫」
「大丈夫じゃないから」
きっぱり言い返されて、疲れている相手にこれ以上無駄な問答させるわけにも行かないな、とおずおず引き下がる。
「分かった・・」
「ごめん、後でちゃんと謝るから。でも、夕飯は家で食べよう」
「うち冷蔵庫残り物しかないよ」
「駅前のスーパー寄ろうか。で・・・俺、そのまま泊まっていい?」
絶妙のタイミングで飛び出した言葉。
亜季は一瞬黙ってから言った。
「Yシャツアイロンかけてあげる」
その答えに丹羽がほっとしたようにありがとうと言った。
付き合いだしてからこちら、丹羽は過剰な位亜季の心配をする。
もともと気の利く男だと思っていたけれど、彼女になるとさらに過保護気味になるようだった。
亜季はといえば、当然これまでの恋愛でそんな風に扱われた事が無かった。
友達の延長のような交際ばかりして来たし、過去の恋人たちは自立したしっかり者の亜季と付き合うの事を好んでいた。
悲しいかなお世辞にも可愛げがあるとは言えない自分が、夜道を一人歩きしたところでどうなるとも思えないのだが。
そんな”大事に”されるような存在じゃない。
だから、素直に”ありがとう”が言えない。
亜季が言えない言葉を、丹羽はいつもあっさり口にする。
好きだよも愛してるよも。
★☆★☆
「んで、あんた今どこにいるのよ?」
携帯越しの佳織からの問いかけに亜季は駅前のコーヒー専門店の名前を上げた。
目の前にはSサイズのキャラメルラテがひとつ。
「先に帰ってりゃいんじゃないのー?」
「そう言ったんだけどね」
「なによ」
「・・・1人で帰るなって」
「はーあ?」
「だから・・」
「なに、1人で帰るのは危ないから待っとけって?」
「そ・・そうらしい・・」
「わーあんたいつから愛され上手になったの!数年遅れでか弱き乙女デビュー?おめでとう!絋平にも言っとく」
「あるわけないでしょー!言うな。年考えてよっ!許されないわよ!世の中の女の子に申し訳立たないってーの!!」
自分でも痛いくらい分かっているのだ。
亜季の声は店のBGMと雑音とざわめきにあっという間にかき消されていく。
「そこまで言わなくっても・・いーじゃない。大事にされてんのね。なんか安心したわ。で、あんたは惚気たくて電話してきたの?やるじゃない」
「違うわよ馬鹿、ちょっと・・訊きたくって」
「何を?」
「ど・・どうやったら可愛くなれんの?」
だってこんな間抜けな質問出来る相手は他に居ない。
酸いも甘いも嚙み分けて来た志堂の女帝が可愛さを求めているだなんて。
亜季からの本気の問いかけに、たっぷり30秒は黙り込んで佳織が言い辛そうに返した。
「あー・・・うん・・10年・・いや5年遅かったね」
「かーおりーいい」
地の底を這うように名前を呼べば、電話越しに大爆笑が聞こえて来た。
「あははは!!ごめん、嘘よ嘘・・あ、何よっちょ・・」
「どーやったら可愛くなれるかって?」
急に電話口が変わった。
聞き慣れた樋口の声だ。
「聞いてたの!?盗み聞きすんなっ」
「目の前で晩飯食ってたら聞こえて来たんだよ」
「聞かんでいいー!」
「まあ待て、イイこと教えてやっから」
「何よ」
「先手必勝だ、頑張れよ」
それだけ言って一方的に電話は切られた。
亜季は携帯を握りしめて眉根を寄せる。
それのどこがイイ事なのか。
万年佳織馬鹿の樋口からまともなアドバイスが聞けるわけがなかったのだ。
げんなりと液晶画面を睨みつけていたら、再び着信が入った。
丹羽だ。
「今駅着いたよ」
ガラス越しに手を振る姿が歩道に見えた。
大急ぎでキャラメルラテを飲み干して、店を出る。
駆け出してしまったのは無意識だ。
”先手必勝”
目の前に迫る丹羽の顔を見たら、樋口から助言が頭を過った。
挑むように丹羽を睨みつける。
負けてたまるか。
「すっごい会いたかった!」
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