第5話 最悪からの再会
呼び出したのは亜季の方だった。
あろうことか新婚家庭で酔い潰れてそのまま泊まってしまったお詫びと、久しぶりに楽しい時間を過ごせたお礼を兼ねて。
そして、この間の最低な合コンの記憶を払拭するべく、リベンジの女子飲み会に佳織を誘ったのだ。
実は、あの最悪な出来事を除けば店の雰囲気も出される料理も酒の種類も申し分なかった。
いや、むしろ大満足だったのだ。
他のメンバーと異なって目当ての”誰か”を探して必死に自分を繕って営業をする必要もない亜季は、十分すぎる位料理には満足していた。
創作料理居酒屋というだけあって、定番のシーザーサラダや焼き鳥の盛り合わせも、工夫がされていて凝った作りになっていた。
さらに贅沢を言えば、メニューに載っていた”和リキュール”なるものを飲んでみたかったな・・と。
ついお決まりのビールばかり飲んでしまったことだけが心残りだった。
そこで、どうせなら、佳織とふたりで気兼ねなく飲もうと思い、わざわざ樋口が本社会議の日を指定して誘ったのに。
2人掛けのテーブル席で頬杖をついて1杯目のビールを先に飲んでいた亜季は携帯から聴こえてきたセリフに思わず
「えーっ!!来れないー!?」
と大声を上げてしまった。
電話の相手は、待ち合わせをした佳織から。
帰る寸前に備品の発注ミスが発覚したらしい。
しかも、問題のブツは週明けの会議で使う社章入りの特注備品。
間違いなく午前様残業でリカバリーのパターンだ。
「ごっめん、ほんっとにごめん!」
謝り倒す佳織は、電話をしながらパソコンを叩いているらしい。
本当ならこの時間も惜しい位だろう。
「いーよいーよー。仕方ない。仕事だもん」
「絶対埋め合わせするから!」
「期待してるー・・」
「うん、ほんとにごめんね!私も滅茶苦茶楽しみにしてたから、ちゃんと別日設定するわ」
「うん、また改めてね。それより仕事頑張りなよ、じゃあね」
最後は機嫌よく電話を終える。
役目を終えた携帯を握って亜季はひっそりと溜息を吐いた。
お互い、後輩を持つ立場になったからこそこういうミスの時は最後まで残って残務処理に追われる。
きっと佳織は深夜残業確定だろう。
同じように尻拭いに追われて、会社で朝を迎えた過去が過ぎる。
こればっかりは不可抗力だから、誰かを責めたってしょうがない。
ぬるくなったビールのグラスをぼんやり眺めて、よし、と亜季は立ち上がる。
どうせ飲み直すなら馴染みの店か家の方が良い。
今日は木曜だし、お店は空いているだろう。
でも、改めて一人になると、なんとなく飲む気がそがれてしまった。
ひとりで飲んでも美味しくない。
ここ数日の目まぐるしい非日常について、佳織に聞いて欲しかったのだが、現実はなかなか上手く行かない。
目的地を居酒屋から、自宅へと再設定し直して、伝票手にレジに向かおうとした亜季に、向かいのカウンター席のサラリーマンが声をかけてきた。
「なんだぁ、ふられたのかぁ?」
「・・・」
さっきの電話のやり取りを聞かれていたらしい。
無言のまま視線を向けると赤ら顔が明らかに面白がった表情でこちらを見てくる。
ズボラをして、お店の外に出なかった事を、今更ながら後悔しつつ無視して通り過ぎようとすると、腕を掴まれた。
「彼氏来られないんだろー?まあ、座って飲みなって」
「・・結構です」
極力冷静な声を出す。
が、いかんせん相手は酔っ払いだ。
一向に腕を離してくれそうにない。
7分丈のカットソーなので、握られた手首から伝わってくる酔っ払いの体温が気持ち悪い。
「そー言わずに、どーせさーあんたもひとりで寂しいんじゃないの?」
「あの・・お客様・・」
カウンターの中の店員が気づいてそれとなく声をかけるも全く無視だ。
「いいじゃないのお姉ちゃん、まあ座んな」
「・・・っ」
さすがに我慢の限界で、触らないで!と声を上げようとしたら、横から伸びてきた別の手が男の腕を掴み上げた。
「ご心配なく」
一拍置いて聴こえてきた低い声。
聞き慣れないその声に視線を上げるより先に二言目が飛んできた。
「連れならいるんで」
・・・は、誰!?
反射的に視線を上げる。
その先に見えた顔を確かめて亜季は思わず叫びそうになった。
が、その前に男がサラリーマンから奪還した亜季の手を掴んで歩き出す。
「こっち」
「へ?」
「・・・・ええ?おいおいーなんだぁ、彼氏いたのかぁ」
目を丸くしたサラリーマンを放置して男は亜季を連れて店の奥に進む。
「あの・・・ちょっと・・」
「いいから」
「いえ、良くないし」
きっぱり言い返して、前を歩く丹羽の後ろ頭を睨みつける。
なんであんたがここにいる?
「あの・・なんで・・」
「聞き覚えのある声がしたから、気になって来てみたら、あの状況だろ?」
困ってるんじゃなかったの?と視線で訴えられて亜季は言葉を濁す。
「・・・それは・・」
「ほっといた方がよかった?」
「・・・そんなことは・・」
「じゃあ良かった」
穏やかな顔で笑う丹羽。
あの夜の最悪なやり取りが嘘のような営業スマイルに、逆に胃が痛くなる。
お礼を言うのも癪だし、あの日の事を忘れるのも癪だ。
けれど、何も言わないでいるのも社会人としてどうかと思う。
いやいや、先に失礼したのそっちだからね!?
でも今の状況は明らかに助けられたよね?
だからって笑顔でありがとう、とか無理だから!
頭の中でこの後の回答を逡巡している亜季を振り向いて丹羽が言った。
「ちょっと、俺に付き合う気ないかな?」
「え・・」
「さっきのサラリーマンもまだいるみたいだし・・ほとぼりが冷めるまで、どう?」
ちらりと店のカウンターを視線で示されれば何も言い返せない。
この状況で、丹羽を振り切って店を出る勇気も無かった。
「え・・でも・・」
迷う亜季の指から伝票をするりと抜き取って丹羽が決定打を放った。
「俺も、上司と飲みに来ててね。ひとりじゃないなら、問題ないでしょ?」
そう言って、側に来た店員にこれ、こっちに付けてと指示を出す。
これ以上何か言い返して、注目を集めるのはもっと嫌だ。
仕方なく亜季は丹羽の後について行くことになった。
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