第125話 Healing

「だから、その話は前も聞いたってば!もう、忙しいって言ってるでしょ!?あのねぇ、こっちは明日も仕事なの、おんなじ話なら、もう切るよ」


自分でも素っ気ないとは分かっていながら、つい遠慮のない物言いをしてしまうのは親子だからしょうがない。


向こうも勝手知ったるもので


『はいはい!あー結婚した途端冷たくなるわー娘ってば、じゃあね』


と通話を切られた。


だったら電話架けて来るな!と言いたい気持ちをぐっと堪える。


仕事が忙しくて、その事で頭がいっぱいなのに、ちょうど生理前で神経過敏になっていて、ちょっとした事で苛立ってしまう。


だったら電話に出なければいいのに、それでも気になって出てみたら、やっぱりどうでもいい親戚の子に子供が生まれた、という話だった。


正直本気でどうでもいい。


今の所子供の事は考えていないし、出来たとしても数年先だと思っている。


時代は晩婚、高齢出産も珍しくない世の中だ。


後2,3年位全然余裕だろう。


と開き直っている娘と反対に、子育てを経験済みの母親は、一歳でも若いうちの方が・・・と心配してくる。


有難い、けれど、今はごめん、相手してる余裕が無い。


真っ黒になったスマートフォンの画面を睨み付けて、この苛立ちをどうにか抑え込もうと考えていると、電話が架かって来たタイミングで、気を遣って、風呂入るよ、と言ってリビングを出た丹羽が、戻ってきた。


「亜季ー」


「後にして!」


呼びかけを遮るように、鋭い声を出してしまった。


今のこのドロドロの醜い感情のままで、丹羽と向き合いたくなかった。


でも、今の言い方は無かった。


だって、丹羽は何も悪くないし、関係ない。


完全な亜季の巻き込み事故の被害者だ。


言った後で、自分のキツさにぞっとして、慌てて丹羽のほうを振り返る。


「ごめん!違うの、待って・・・ほんっとに・・・ごめ・・・」


余裕のない自分を曝け出すわけにはいかない。


本当に?


だって、そんなところ見せたら、嫌われるかもしれない。


本当に?


「岳明・・・ちがうの・・・あたしが・・・ごめん・・・」


信じられない位声に力が無くなって行く。


何が悪いの?全部だ、何もかもだ。


何が辛いの?自分含め、自分を取り囲むもの全て。


こんな風に泣くつもりじゃなかった。


身勝手に感情をぶつけて、そんな自分を棚上げして、みっともなく泣きじゃくるなんて、思春期の子供じゃあるまいし。


情けない、みっともない、恥ずかしい。


浮かぶ感情が増えれば、増える程、涙は溢れて来る。


「・・・亜季、俺は何も言ってないよ・・・?ちょっとタイミング悪かったんだろ?気にしてない」


「違うの・・・ちがうのぉ・・・・」


「大丈夫だから、飲み込もうとしないでいいから、我慢しないで、泣いたらいいよ」


「やだ・・・」


子供のように首を横に振る。


「どうして?」


「お、大人なのに・・」


「・・そこはもう、気にしなくていいんじゃないかな?大人でも辛い時はあるし・・・」


くすりと笑った丹羽が、亜季の前までやって来ると、そっと腕を広げて包み込むように抱きしめた。


抱きしめる、というよりは、抱き寄せる、と言った方が正しいような力加減だ。


亜季がふりほどくなら、それでもいいと思っているような、こちらに選択権を残している仕草。


「だからって・・・こんな・・・八つ当たりして泣くとか・・・あたしもうやだあ・・・・」


「うん、大丈夫だから、ほら、一人じゃないんだから、俺がいるんだから、泣きなさいって」


「よ、余計嫌・・・」


だって、これまで泣くのも取り乱すのも全部一人の時だった。


不思議と誰かがいると泣けなくて、泣きたい時は、佳織を呼んで、べろんべろんに酔っぱらった勢いで泣いた。


そういう経緯をすっぱ抜いて、抱きしめてくれる旦那を前に嫌とかあり得ないだろうと思ったが、意外にも丹羽は気にしていないようだった。


「意地っ張りめ。でも、一人で泣くのって辛いだろ?」


それは辛い、けれど、こんなぐちゃぐちゃの気持ちのまま、傍になんていられない。


「でも・・こんなとこ見せられない・・・」


「もう見てるし、俺たちは夫婦なんだから、そういう妙なプライドは、いらないんじゃないの?山下亜季は、お休みしなさい」


鉄壁の鎧を纏った山下亜季はまさに女帝だ。


どんな無理難題も、持ちうるコネと情報網でどうにかやってのける、工程管理のスペシャリスト。


皆が亜季を頼りにしている。


けれど、丹羽亜季は?


目の前の丹羽の妻としての亜季は、どんな女性なんだろう?


急に彼の目に映る妻の姿が気になった。


ぐすりと鼻を啜って涙目で見上げれば、丹羽がどうしたの?と視線で訴えて来る。


「丹羽亜季は、どういう女なの・・」


馬鹿みたいな質問を投げた。


妻からぶん投げられた問いかけに、丹羽は、一瞬瞠目して、それからうーん・・と天井に視線を向けた。


「どんなって・・・そうだなぁ・・」


尋ねたはいいものの、急に不安になってくる。


大した事など出来ない事は百も承知。


けれど、丹羽は、亜季を唯一選んでくれた大切な相手だ。


その相手から下される評価が、亜季の価値のほとんど全てといっても過言ではない。


ぎりぎり及第点が貰えるかどうかの微妙なラインを予想して、ごめんなさい、やっぱりいいです、と言いかけたその時。


「・・放っておけない人だよ」


山下亜季指し示す言葉とは正反対の単語が飛び出して、亜季は息を飲んだ。


亜季の性格をよく知る佳織は、亜季の事をそんな風に表す。


けれど、それはお互いが似た者同士で価値観や感覚、思考が似通っているからこその、同族意識だ。


悲しいかな、これまで付き合った彼氏に、そんな風に言われた事は一度も無かった。


しっかりしていて、地に足のついた大人の女性。


そういう見た目を裏切らない行動を取って来たし、責任感も強い方だと自負している。


「・・・」


「意外そうな顔するんだ・・」


「あたし、結構しっかり者だと思うんだけど・・・」


「うん、しっかりはしてると思うよ。任されたらそれ以上の結果を出そうとする所あるし、基本負けず嫌いだよな」


「・・・まあ・・」


視線を逸らして誤魔化したものの、実際、今の立場を得るまでには、色々あった。


そのほとんどが、やってやるわよ!見ときなさい!と言って、意地と根性でどうにかしてきた事ばかりだ。


「恰好よく啖呵切るわりに、意外と後からグチグチ悩んだりするよね。サバサバしてるけど、酒が入ると愚痴っぽくなるし、ガードも緩くなる」


「・・・そ、れは・・一緒に飲む相手によると‥思うけど」


そこら辺の男と飲んでも潰れない自信がある。


だからこそ、一緒に飲む相手は本当に気兼ねなく付き合える相手が良い。


そして、亜季が羽目を外すときには、必ずと言っていい程佳織がセットなので、必然的に、同期組で集まる事がこれまで多かった。


あのメンバーで集まって、ガードが緩いとか、固い、とか、考えた事なんて無い。


「亜季がこれまで努力で積み上げて来た山下亜季は、かっこよくて頼りになる女子が憧れる女性なんだろうけど・・・俺が、知ってる丹羽亜季は、意外な位普通だよ。


料理の出来に一喜一憂して、髪が上手く巻けないってイライラして、お気に入りのスカートにテンションが上がる、そういう普通の奥さん。


だから、しんどい時はそう言えばいいし、俺の前でまで片意地張る事無いから。


我慢して、押し込めるのなんて、もうとっくに限界が来てるんだろう?


だったら、ちゃんと俺がいるところで泣きなさいって。慰めてやれるから」


「・・・あ・・たし・・面倒くさい・・・」


「何を今更言ってるの・・そんなの、最初に会った時からだよ。


気が利いて隙が無くて、その癖自分の事に無頓着な、面倒なタイプだよ」


「なにそれ・・ひっど・・」


「でも、そんな亜季がよくて、結婚したんだから、面倒なんて、いくらかけてくれても構わない」


「・・・うんざり・・しない・・?」


「うんざりするなら、もうとっくに離れてると思わない?俺たち、これまでも何度かこういう事あっただろ?その度に、俺は、亜季の扱い方を学んでる。


だから、次はもっと上手くやるよ」


安心させるように、背中をぽんぽんと叩かれる。


ああ、そうだ。


結婚してもやっぱり不安で、どうにか自分で立て直そうと頑張って、それでも駄目で、その度に手を差し伸べてくれたのは丹羽だった。


こんな自分を呆れず見守って、支えて、明日を迎えられるように癒してくれたのは、丹羽だけだ。


「次・・はこんなみっともない事しないから・・」


「うん、まあ、希望的観測って事にしておこうか」


「・・・信じてない・・」


「そうじゃないけど、それより、亜季が素直に感情をぶつけてくれる方が嬉しいな、と思って。


ここで、大親友を頼られると、俺の立つ瀬がないだろ?」


「佳織・・・?」


「そう。たまには、俺にも格好付けさせてよ」


少しだけ腕に力が籠って、さっきより強く、今度は抱きしめられる。


ぎゅっと肩に頭を押し付けると、丹羽の大きな掌が項を擽る様に優しく撫でた。


襟足を数回往復した後、包み込むように頭を撫でられる。


「ごめん・・・しんどくて、イライラして八つ当たりした」


「気易い距離に居たら、意図しなくても傷つける事はあるし・・・でも、さっきの亜季は、俺より傷ついた顔してたよ」


「・・だって、自分でもぞっとする位キツい言い方したから・・」


「大丈夫大丈夫、俺は気にしてない」


「でも、ごめんなさい・・ほんとに、一番大事にしないと駄目なのに・・・」


「じゃあ、反省はもういいから、気晴らしに飲もうか?」


「・・・」


「身体冷やすからって、始まったら飲まないだろ?だから、今のうちに。気分転換にもなるよ」


丹羽の提案に、揺れていた気持ちがゆっくりと定まる。


だってここは家で、二人は夫婦だ。


「じゃあ・・・ちょっとだけ」


こくんと頷いた亜季に、丹羽が嬉しそうに笑いかけた。


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