第23話 関係の名前

どんどん丹羽のペースに巻き込まれていく。


逃げようとしても逃げ切れない。


ハマればドツボ決定なのに。


抜けだせないって分かってるのに。


がんじがらめに張り巡らされた糸が信じられないほど甘いなんてどーゆうこと?


この状況を受け入れて、しかもすっかり恋人気分になっている自分。


けれど、気持ちを上手に言葉には・・できない。


そんな亜季の顔色を覗いながら丹羽が問う。


「帰る?」


「!!」


ここでそのセリフ!?


思わず目を丸くする。


だって何もかもこれからなのに。


せめてもうちょっと・・・と思ったのに、亜季が無言なのをいいことに坂道を下りはじめる。


駅の方へ。


「ちょ・・!」


そんなあっさり帰らせる?


さっきまでの強引さはどこいったのよ?


ごちゃごちゃ思っていたら自然と手が出ていた。


咄嗟に前を歩く丹羽の手を掴む。


「・・・」


無言のままで丹羽が振り向く。


そして掴まれた手を見て、したり顔で微笑んだ。


その顔を見て亜季はハメられたことに気づく。


まるで、まだ一緒にいたいって、そう口にしたようなものだ。


「帰りたくない?」


掴まれた手を解いて、そっと亜季の冷えた指先だけを握って、丹羽が亜季に問いかける。


こんな言い方って。


「帰りたくないわけじゃないわ!」


「そう」


あっさり引き下がった丹羽の反応に、地団駄を踏みたくなる。


完全にアドバンテージは向こうにあった。


「!」


彼の行動ひとつで、こんなに心臓を揺さぶられる。


気を引きたいとか、気に入られたいとか、甘えたいとか、思った方が負けだ。


「帰るのいや?」


「べ・・べつにっ」


「じゃあ、やっぱり帰る?」


「帰ってもいいけど!?」


やけになって言い返す。


と、丹羽が声を上げて笑い出した。


本気でこの手を振りほどいてやろうかなとチラリと頭の片隅で考えれば、途端指先を握りこむ力が強くなる。


本当に油断ならない男だ。


「ちょっと!!笑わないでよっ!こっちはねえっ余裕とかないの!この現状にいっぱいいっぱいなの!だからっ」


「ごめんごめん。冗談、大丈夫だよ、まさか帰らないでしょ」


「ほんっとに・・・ねえ、それって好きな相手にする態度!?」


遠慮なしに言い返して亜季が我に返る。


さっきの強烈なキスで酔いは醒めたと思ったが、やっぱりまだ酔っているのかもしれない。


「認めてくれたんだ?」


「な・・にを・・」


「俺のこと」


「それ・・は・・認めてる・・けど」


仕事を一緒にしてみて初めて気づいた。


この人は、信じてもいいと・・思う。


直感だけを信じるなら、この人は、ちゃんとした大人だと、長年の眠りから覚めた乙女心はそう訴えて来る。


握られた指先が手の甲を優しく撫でて、さっきのキスを思い出させる。


どんな風に触れれば、こっちの心が搔き乱されるのか、完全に分かり切っている仕草が憎らしい。


こっちは丹羽の一挙一動で死ぬほどドキドキしているというのに。


頬に触れた吐息。


唇の感触。


腕の温もり。


そのすべてが、亜季に恋をしていると伝えて来る。


丹羽が自分の手の中にある亜季の指先を確かめてからもう一度言った。


「付き合おう」


「・・つき・・あう」


久しぶりすぎる単語。


胸がときめくと同時に言いようのない緊張感が襲う。


息苦しさと、充実感。


「困る?」


「久しぶりすぎて・・感覚が・・」


「麻痺してる?」


「ちょっと・・」


素直に答えた亜季の指先を大事そうに一度握ってから、掌を開いた。


「じゃあ、今のうちに言っとく。冷静になって再検討とかはなしで」


「え・・それはナシなの?」


「必要ないでしょ」


「・・」


「だって、山下さん俺の事好きでしょ?」


「・・うん」


難しく考えずに脳直で降りて来た言葉を口にした。


亜季の耳元に唇を寄せて嬉しそうに丹羽が言う。


「なら問題なし・・・好きだよ」


「・・・え・・」


「好きだよ」


問い返した亜季の目を見て呟くから視線を逸らせずに困る。


眼差しから伝わってくる愛情は、ずっと亜季が欲しかったもの。


見つめる視線が熱っぽくてさっきで終わったと思った熱波が一気に押し寄せて来る。


「返事は?」


「あ・・はい」


思わず間抜けな返事を返したら


丹羽が満足げに頷いた。


「じゃあ、握り返して?」


開いたままの掌に視線を戻す。


亜季もつられたように丹羽の掌の上に載せられたままの自分の手を見た。


言われたままに丹羽の手を握り返そうとすると急に待ったをかけられた。


「けど、先に一個だけいい?」


「なに?」


この期に及んでまだ何かあるのだろうかと訝し気に首を傾げれば。


「握り返したら、離さないよ?」


そのままの意味なのか、何か裏があるのか。


考える余裕は無かった。


素直に彼の指を握る。


この手を握れなかったら意味が無い。


あたしがここまで頑張った意味がない。


”ひとりでもいい”とか”強いから平気”とか”寂しくなんかない”とか必死になって武装して”戦うオンナ”を装ってきた。


”ひとり”であることに”強い”ことは必須項目で。


何があっても無くせない重要事項で。


両足で踏ん張って負けるもんかって。


意地でもひとりで頑張ってやるって。


そうやって強がって生きてきたけど。


けど、もういい。


だって”好きだよ”の一言でこんなに泣きたい位胸が苦しくていっぱいになった。


「一緒にいたら、すんごい幻滅するかもよ?可愛げないし・・意地っ張りだし」


事前報告しておこうとおずおずと欠点を口にすれば、丹羽がからりと笑ってみせる。


「それは承知の上だよ。俺たちの初対面覚えてないの?」


「あ・・あんなの序の口よ!」


「そう」


「いいとこなんか全然ないかもしれないし!」


「それは、自分が気づいてないだけじゃないの?」


「だって29年あたしはあたしと付き合ってきたのよ?」


必死に探しても、悲しいかな女の武器になりそうなところは見当たらない。


それなのに。


丹羽はひょいと眉を上げて、強気に言い返した。


「なら俺が探してあげるよ。自分が気づいてない、いいところ」


”ダメなところがあってもいいよ””そのままの亜季でいいんだよ””変わる必要なんてない”これまでの恋で言われた言葉。


どれも亜季の心に響いたけれど。


”いいところ探すよ”なんて言われたのは、生まれて初めてだった。


嬉しくて、不意に泣きそうになる。


ぎゅうっと胸が締めつけられて息苦しいのに、心は充足感でいっぱいだ。


”好き”って”付き合おう”ってたったそれだけの言葉なのに、嘘みたいに、どうしようもなく幸せになる。





だから、決めた。


ここで行けなきゃ女がすたる。


やってやろうじゃないの。


恋愛下手だって、アラサー崖っぷちだって。


必死に恋出来るって。


あたしが信じなきゃ誰が信じるっての。


女は度胸だ。



今度こそ、丹羽の手をしっかり握り返した。


「離さないでいいわよ」


これは宣戦布告。


心臓締めつけて、頭真っ白にして胸の内全部を支配してくるこの男の心の全部を、いつか掴んで振り回してやる。


丹羽の目を見て強気で言えば、返事の代わりに唇にキスが降ってきた。

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