第60話 ハレの日

亡き父の代わりに、エスコート役を買って出てくれた叔父と並んでバージンロードをゆっくり歩く。


いつだったか、病気の父が病室のベッドで”お姉ちゃんと亜季の花嫁衣裳、見たかったなぁ”と呟いた事を思い出す。


きっとその頃には余命宣告を受けていたのだろう。


いつも気丈な父はお見舞いに行くたび、笑顔を見せていたが、あの時だけは、心底淋しそうな顔をしていた。


一時は、ドレスはおろか結婚だって自分の人生には存在しないと思っていたのだから、物凄い快挙だ。


薄いベール越しに、祭壇の前で立つ岳明を見つけた途端、胸が高鳴った。


普通こういう時、注目を浴びて皆に誉めそやされるのは、花嫁と相場が決まっているのに、今日誰より、熱い視線を受けているのは、目の前にいる花婿だ。


正直言って、男性のタキシード姿なんて七五三程度にしか思っていなかった。


花嫁の引き立て役だし、あんな王子様ばりの真っ白いタキシードが似合う人なんているわけない・・・はずなのに。


・・・いた


紗が掛かったぼやけた視界の中でもはっきり分かる。


岳明があたしを見つめて柔らかく微笑んだ事が。


すらりとした長身に生えるタキシードは、岳明の魅力を倍増させていた。


おとぎ話の王子様も真っ青な、本物の王子様。


死にかけと思っていた自分の乙女回路が、王子様という単語を導き出した途端、足元がふらついた。


これってやっぱり夢とかじゃないだろうか?


この人とあたしが結婚するなんて・・・


差し出された手に手袋を嵌めた自分の指を載せたら、岳明が少しだけ屈んで囁いた。


「ふらついてたけど大丈夫?」


至近距離は困る!


もっと密着した事だってある筈なのに、まるで初めて恋に落ちたみたいにあたしは真っ赤になって俯いてしまう。


バージンロードを歩いたせいだろうか?


自分の機能が一気に逆行した気がする。


祭壇で待つ神父様が伺うような視線を向けてきたのが分かって、あたしは慌てて頷いた。


ステンドグラスから差し込む陽光が、神聖な教会を厳かな雰囲気で包み込む。


十字架とマリア様を見上げたら、不思議と泣きそうになった。


だって、去年のあたしには考えられない位の大どんでん返しだ。


敵わぬ恋に目を瞑って、仕事一筋でひたすら自分の気持ちから逃げていたあの頃の自分はもうどこにもいない。


物凄く臆病で、傷つくのが怖くて、弱虫で身勝手なあたしが、一生分の勇気で掴んだ恋。


逃げなくて良かった。


岳明があたしを見つけてくれて良かった。


神様なんているもんかと思った事もあったけれど。


今なら、きっといるって思える。


どうしようもない頑ななあたしの心を解くチャンスをくれたから。


指輪の交換を終えた岳明が二人を遮るベールをゆっくりと捲った。


漸く真っ直ぐ見つめあえる。


「緊張してる?」


ベールを直しながら問われて、あたしは何とか笑うことが出来た。


それも物凄くぎこちなく。


「だいぶ。泣きそうよ」


「感動で?」


「あなたと結婚できるのが嬉しくて」


素直に言ったら、肩で溜まっていたベールを背中に流した岳明の手が頬に触れた。


「ありがとう。ドレス、凄く似合ってる。綺麗だよ。見ないで我慢して良かった」


柔らかい視線を眩しい位に注がれて、あたしはそっと目を閉じる。


誓いのキスは、頬に貰う約束だった。


人前だと気恥ずかしいし。


ちゃんとしたキスは誰にも見られたくないというのがあたしの本音。


岳明は別に拘らないと言っていたのだけれど。


頬に添えられた指が顎にかかって、あたしが疑問符を浮かべた途端。


唇にキスが降ってきた。


軽く啄んで離れた柔らかい感触。


神父様の声で慌てて目を開けると、岳明がしてやったりと言った表情でこちらを見ていた。


思わず目を見開いて睨み付けたら、けろっとした顔で


「綺麗な顔が台無しだよ」


なんて言ってくる。


一気に熱くなった頬を隠すベールはもうない。


あたしは後で問い詰めるからね!としっかり視線を送ってから、彼の腕に自分の腕を絡めた。


光を受けてキラキラと反射するのは、マーメイドラインのドレスに縫い付けられた無数のスパンコール。


デコルテがきれいに見える、シンプルな形だけれど、生地はグレーがかった上品な白で、大人っぽい雰囲気が気に入った。


リボンやレースで可愛らしく出来る歳を超えてしまった自分としては、物凄く悩んだのだけれど、品の良さと、華美過ぎないデザインにこれを選んだ。


岳明のさっきのセリフを思い出して、自然と頬が緩む。


親族や友人が向けたカメラのフラッシュを浴びながら、バージンロードを今度は二人で歩く。


左手の指輪を確かめて、漸くこの人の奥さんになったんだと思った。

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